10話
目の前の光景はシエルにとってあまりにも馴染みのないものだった。
吹き飛ばされて宙を舞う男たち。投げ飛ばされ、殴り飛ばされ、蹴り飛ばされる。男たちの中には魔術が扱える者も多かったが、それらが放った〈魔力の矢〉のほとんどは拳で撃ち落とされるか味方を盾にされ、何発かテオの身体を捉えたものもあったものの、特に怯む様子もない。
一応、平均的な成人男性の全力パンチくらいの威力はあるはずなんだけどね。テオの作り上げる惨状に舌を巻き、シエルはほとんど傍観を決め込んでいた。
テオは無傷ではないが、あの様子ならひとまず心配なさそうだと判断し、加勢する代わりに敵の観察に集中する。
ここにいるほとんどの男は、拝の金鎖の構成員といっても下っ端なのだろう。大した実力には思えない。テオの勢いに怯んでいる者も多く、統率にも欠けている。一人だけ、先ほど椅子に座っていた体格の良い男だけは要注意だが、そいつもシエルと同様に観戦に回っているようだ。ひとまず放っておいていいだろう。
問題は……シエルは真っ先に物陰に隠れた男たちに視線を送った。あいつらは見覚えがある。記憶違いでなければシェラトゥ教団の人間だ。
どうしたものかと思案するシエルの視線の先で、地面が大きく爆ぜた。テオの仕業かと思ったがそうではない。どうやら観戦中の体格の良い男によるものらしく、シエルは慌ててテオに駆け寄る。
先ほどの爆発は咄嗟に倒れた敵を盾にしてほとんど防げたようだが――盾に使われた男は気の毒だが、死んではいないようなので見なかったことにする――どうやら敵がわざと外したようだ。近づいたテオに、シエルは小声で確認を取る。
「君、〈盾〉は使わないのか?」
「使えねぇよ」
「まさかその拳しかないのか?」
「もう一つあるっての。ただの身体強化の類だけど」
信じられない。魔術を戦闘に使うとなって、〈魔力の矢〉と〈盾〉が使えないなんて。普通はみんなそこから覚えるものなのに。
呆れを通り越して驚愕するシエルの様子を見てか、テオは面倒くさそうに言い訳した。
「勉強嫌いなんでね」
そんな単純な話だろうか?
基礎が基礎として受け入れられ、広く普及しているのにはちゃんと理由がある。どちらも無属性の初級レベルの適性があれば扱える魔術で、ほとんどの人間はその適性を持って生まれてくる。かつ、戦いにおいて十分な威力と防御力を備え、魔力消費も軽微で術式も比較的簡単。
これらが〈魔力の矢〉と〈盾〉が基礎とされる所以だ。それなのに、それを覚えずにそれ以外から覚えるなんて。
「お前、気に入ったぞ」
体格の良い男――おそらくはやつらのボスがそう言った。テオは肩を竦めて「どうも」とだけ応じる。成り行きを見守っていたのは、テオに興味があったからか。
しかし、これはちょっとまずい状況かもしれない。テオの扱える魔術を考えるとボスの魔術を防ぐのは難しそうだ。あれは魔術で生成された砲弾をぶつけ、着弾地点で爆発を起こす赤属性中級の攻撃魔術だ。拳の強化だけで防げるものではないだろう。
そうなると、シエルが防御を手伝う必要が出てくるが……シエルは可能な限りこの場で魔術を使いたくない事情がある。
「俺たちに加われば金に不自由はさせない。どうだ?」
「金なんて興味ねぇよ」
テオは吐き捨てるようにそう言った。ボスは快活に笑い、顎に手を添え値踏みするような視線を向ける。巻き添えを恐れてか、部下たちはお互いを助け起こし合い距離を取った。
物陰に隠れていた教団員がボスに近づき、何かを耳打ちする。ボスは鬱陶しそうに手を振って、彼らを追い払った。
「勝手にしろ。元からお前らには期待してねぇよ」
追い払われた教団員たちは不服そうな様子で去っていく。
それを見たシエルは悩んだ。彼らをあのまま行かせるわけにはいかない……が、テオを一人にするわけにも。伺うようにテオを視線を交わすも、テオは必要ないとばかりに先ほどのボスと同じように手を振ってみせた。
「いいのかい?」
「いらねぇよ」
横穴の一つへと入っていく教団員を追い、躊躇いがちながらもシエルはその場を後にする。ボスもテオも、黙ってそれを見送った。
間を置いて、仕切り直しだと言わんばかりにボスが手を打ち鳴らす。
「お友達のことなら心配いらんぞ。俺たちの仲間に加われば、手出しはしない」
まだ勧誘が続くとは思わなかったのか、テオはたっぷりと時間を使い、ゆっくりと大げさに溜息をついてみせた。
「そんなに俺が気に入ったのか?」
「強いやつはいつでも歓迎だ。見たところお前は、こっち側のほうが向いてそうだけどな」
言われてテオが思い出すのは、自分を育ててくれた両親と、孤児院の院長やシスターたちだった。
誰も彼も、暴力とは縁遠い人たち。テオの性質を知った人間は誤解しがちだが、テオの両親はごく普通の農民だった。なぜテオだけがこうなったのか、喧嘩ばかりの日々の中で悩んだこともあったが、今ではもう気にしないことに決めている。
暴力と折り合いをつけて生きる自分のような人間に、拝の金鎖のような組織が向いていると言われれば、周りから見ればそうなのだろうとテオは冷静に受け入れる。
「お断りだ」
テオは強い口調で、はっきりと口にした。
「一応、理由を聞いておこう」
ボスは表情を変えない。テオの答えは予想通りだったのだろう。
対するテオは、拳をボスに向けて構え直す。自らの敵を睨むその眼の迫力に、周囲で見ている部下たちが震えあがった。
「あんたが気に食わないからだよ」
例え自分が暴力の中に生きていても、兄弟たちのお人好し加減に呆れても、自分の中にある好悪のうち、好に属するのは兄弟たちのような人間だ。それが変わることは絶対にない。




