第17話 Maple Brocade
鋲を破壊し、拍子抜けするほどあっけなく突発迷宮から解放されて二日後。
俺たちは再び酒場に集まっていた。
シズカがメイプルの親を探すために儀霊を使った、あの酒場だ。
ただし今回は個室をとっている。聞き耳封じに儀霊まで使う念の入れように、戦場でもないのに自然と気が引き締まる。
そうそう。
やはりというか、鋲探しに一役買ったあの光る視界は目玉の魔族の力の一端で、俺と交わした契約によるものだったらしい。
だから突発迷宮以降、あの現象は起きていない。
まあ起こったら起こったで魔法使いや奇跡使いの輪郭が片っ端から見えてしまうので、良かったのかもしれない。
さて。そして現在、である。
今ここにいるのは俺とアルキス、メイプル、そしてシズカとヴァレットくんだ。ただし時間は早朝。朝飯もまだの時間帯から、俺たちは黒曜の主従に叩き起こされたわけだ。
余程の用事というものがあったのかどうか、確認しておかねばならない。
「で、何の用だ。メイプルまで同席させて」
声音が剣呑になっている。
自覚しながら、抑える気にはならなかった。
一つは眠いところを叩き起こされたせい。
もう一つは今言った通り、すぐそばに幼気な幼女がいるからだ。
「同席させているからこそ、ですわ。ああ、つまり――昨日、そちらの方がいらっしゃらなかったのでできなかった話を、今からしたいということですわね」
ちらりとシズカがメイプルを見た。
視線は合わない。なにせ新作、六つの面の色を揃える立方知育玩具に夢中だからな。
しかしシズカの話はやっぱりどうにも読みづらい。
メイプルが昨日いなかったのは故意だ。必然だ。
理由は至極単純で、突発妄言・シズカに接触させたくなかったからだ。
そのことはシズカ本人にも面と向かって言ったし、ヴァレットくんにも伝わっているはず。
だのにわざわざ時間を変えて、場を仕切り直してまで話に混ぜるということは――
「……メイプルに関係することなのか」
「そうなりますわね。呼びづらいので、私はもう、カエデ様とお呼びしますが」
カエデさんと呼ばれた瞬間に、メイプルの手つきが一瞬だけ狂った。
カエデ様。
公爵令嬢たる彼女が、そう呼ぶとしたら。
そう、本来は呼ばねばならない存在だとしたら。
「王女様、とか」
推測を述べる。
視界の端で口端が、メイプルの――あるいはカエデの口端が持ち上がったような気がした。
「女王様ですわ。戴冠は終わり、公務は終わっていないのに、護衛も付けずにほっつき歩く、困った困った女王様です」
「……ちょっと待て。それはいつから気付いてたんだ」
「初対面のときから」
「じゃあなんで黙ってた」
「『はじめまして』と仰られたからですわ。とはいえ最後に会ったのは五年ほども前ですからね。一度目は単に、私の顔をお忘れになっただけかと疑いましたが――」
「待って待って待って。待ってくれ、年齢おかしくないか」
五年前ってメイプル……じゃなかった、カエデ、様は一歳とかじゃないのか。
「おかしくなどありません。カエデ様は三十六歳ですもの」
「この見た目で!?」
「――失礼な奴じゃの」
ことり、と。
まだまだ時間のかかるはずだったルービックキューブを机の上に置いて、彼女は口を開いた。
聞き覚えのある声で。
しかし耳慣れない口調で。
椅子の上にあぐらをかき、膝を脇息代わりに頬杖をついて、不機嫌そうにカエデ……様が言う。
「天人と地人の混血ゆえな。心を読む皮膚も毒皿を喰う内臓も受け継げはせなんだが、妾は見た目には老いず、背も伸びぬ身体に生まれついたというわけだの」
「あら。もうお遊びはよろしいのですか? カエデ様」
「お主が暴露したのじゃろうが」
「あら。そうでしたわね。そうでしたかしらね。今回の突発迷宮ではどこぞの放蕩女王がいないせいで酷い目に遭いましたから。すっかり失念しておりましたわ」
「放蕩女王? はて。あのときは幼気な小娘が一人と公爵令嬢の取り巻きが数人、宿に残っただけだと思うがのう」
うふふ。
くつくつ。
見目相応、淑やかに笑うシズカと、見目不相応に獰猛な笑みを浮かべるカエデ。
二人の間に無言の応酬が交わされているのを知ってなお、不躾に踏み込んだのはアルキスだった。
「それで? シズカがあたしへの誠実よりも王女様のご機嫌伺いを選んだのは分かったけど、肝心の王女様ご本人は何を考えて、あたしたち――というかジンに接触したのかしら?」
あっ、シズカの顔が絶望に歪んだ。
いい気味だ。
アルキスは気付いていないようだが、ヴァレットくんがおろおろしている。
……いや、そこから立ち直るのは本人の気力以外に無理だと思うぞ。主を信じろ。
「何を考えてと言われてものー。キリヒト……ああ、そこのジンタロの師匠が間違って弟子を異世界へ飛ばしたというもんじゃから、ちょっと地球側の次代はどんなもんかと物見に」
「……なんで山賊に捕まってたの?」
「勝手に忍び込んで自縄自縛しただけじゃ。彼奴等は何も知らぬよ。妾でなくとも、『斬り徹し』まで学んでおるならそこのジンタロでもできるわい」
ちらとアルキスが見てきたので、強く頷いておいた。
自分で自分を縛れるし、いざとなったら爪で縄を斬って抜け出すこともできる。特に問題はないはずだ。
俺はやろうとは思わないが。
「…………その『斬り徹し』に、まだ先はあるの?」
俺に視線を向けたまま、アルキスが核心の質問を投げた。
どう答えるのかは知っている。
けれどその答えに、俺はまだ行き着いていない。
だから俺の目も、自然とカエデ様を見ていた。
「あるとも。勿論ある。世界の境界を斬る法があるのじゃ。当然よな。それでジンタロはこちら側へ飛ばされたれば」
「じゃあ、俺からも質問があります」
「うむ。許す」
「カエデ……様は使えますか。その、世界を斬り裂く技を」
「使えぬ。そも、使えたところで、使わぬよ。年に一度しか使わぬようにと、御鈴には掟があるでな。主にわざわざ、妾の貴重な一回を使ってやる義理はないのう」
「年に一度、というと?」
「単に超常の力が漏れ出ぬようにするんじゃよ。地球に森人や妖人が、それだけならともかく地鬼や獣鬼が湧き出しても困るじゃろ」
「そりゃそうですね」
一部の――俺の友人のような連中は大喜びしそうだけど。
そうだ。
もしも俺が世界を渡れるようになったら、一度くらいあいつを連れてきてやってもいいかもしれない。
帰りたくないとか言い出しそうだけど。
「……余計な気は起こすでないぞ? たとえば友達を招待するとか」
「起こしませんよ、多分」
剣より顔を先に鍛えるべきかもしれない。
「……話を戻すわね。ジンがそれを覚えようとしたら、どれくらいかかるかしら」
「五年」
口にしてから、カエデは頬を歪ませた。
嗚呼、知っている。
獲物をいたぶる者の目だ。
「……と言いたいところじゃが、実際は二年――師がつけば一年で至るやも知れぬな。妾が聞いた通りの天才ならば」
「……そう。あたしが訊きたいことは全部訊いたから、あとはジンに任せるわ。……ああ、そうだ」
アルキスが、柔らかな仕草で頭を下げた。
「無礼な振る舞いを致しました。どうかお許しを」
「よい。冒険者相手に礼儀など求めては埒が明かぬ」
今ちょっと面倒臭そうな顔になったな。
……そして笑った。
嫌な予感がする。
「いずれにせよ、前提は満たさねばなるまい?」
「前提?」
鸚鵡のように返してから、しまったと思う。
「左様。お主がその身で味わったものがもう一つ、残っておるじゃろう?」
そう言って笑うカエデ様の表情は、やはり――幼女が浮かべるには、獰猛過ぎた。




