回復魔法
ユノはご機嫌で蒸した芋を頬張った。イーズはそんなユノを見ながらちまちまと豆のパンを齧る。チラチラとユノの様子を窺う様子には未だ警戒心が見て取れる。
リュカは旅に出る以前のことを思い出した。どういう訳か昔から動物に好かれていた。指輪の適合を試した時はこんなに警戒心が強いとは思わなかった。熟睡していたイーズはリュカの膝の上で爆睡して動かなかった猫を彷彿とさせた。そしてその猫は兄のことはしっかり威嚇していた。やっぱり野生の動物のようだと思った。そんなに構えなくても小柄なユノがイーズに勝てるとは思わないが、そういう問題ではないのだろう。
「ん」
イーズが鬱陶しそうに髪を耳にかけた。長い髪が視界を覆うのが煩わしいらしい。
「イーズ、後ろ向いて。結んだげる」
「今まで必要なかったんだが」
「絡まった状態でまとまっちゃってたもんね。これくらいの長さなら、ちゃんと梳かせばそりゃ横に落ちてくるよ」
そう言えばあの猫は、背中の真後ろは足や舌が届かないのか毛がボサボサの束になっていたな。リュカはそんなことまで思い出した。
「ええと。そういえば今日、君をお医者様のところに連れて行こうと思ってたんだよね」
リュカはユノがほっと一息吐いたのを見計らって、今にも威嚇の唸り声をあげそうなイーズを横目に切り出した。本来ならここまででも十分感謝されていいはずだ。ここまで連れてきたイーズが連れて行くなり、意識の戻った本人が自分の足で行くなりすべきだろうが、前者の選択肢は良い予感しかしない。リュカの懸念など露知らず、ユノは首を傾げた。
「大丈夫ですよ、もう治りました。でもありがとうございます」
「自己診断は良くないよ」
「うーん……でも、ほら」
イーズが手当てした箇所は前髪で隠れていて、その下にはまだ治っていない傷がある。リュカもイーズもてっきりそう思っていたのだが、ユノの額はつるりとして綺麗なものだった。まるで最初から傷などなかったかのようだ。
「え、あれ? イーズ、ユノって本当に怪我してたの?」
「さすがにそんな馬鹿な見間違いはしないと思うんだが」
「あっ、間違ってないですよ! あの、これは僕のちょっとした特技でして。僕、怪我とか治せるんですよ!」
2人が不思議そうにしていると、ユノは目敏くリュカの指に傷を見つけ出した。
「リュカさん、指怪我してますね」
「ああこれ? 紙で切ってしまって」
「じゃあ失礼して」
ユノが掌を向けると、ほんのりと優しい光がリュカの指先に纏わりつき、数秒後には傷はなくなっていた。
「……魔法?」
「はい!」
「凄い! これは初めて見るなあ!」
リュカは傷の消えた指先を見て目を輝かせた。どうやら凄いものらしいが、イーズにはそれが分からない。もしや出血の割に傷が小さかったのはこの魔法故なのだろうか、くらいは考えた。盛り上がる2人の熱量について行けそうにないので、口は挟まないことにした。
「あっ、そうだ。イーズも! おでこ怪我してますよね。僕治しますよ!」
「え」
ユノの掌が近付いてきて、ふわ、と温かい何かに触れられる感覚がする。嫌な感覚ではない。そして直後、イーズは自身で意識するよりも先にユノの手を振り払っていた。
椅子が倒れた。弾かれるように立ち上がったイーズを見て、ユノとリュカは大層驚いたらしく目を瞬かせた。
イーズが額に触れてみると傷は消えていた。たしかに治癒を受けたのだ、回復しているはずだ、なのに指先が震える。どこか覚えのある感覚で、強いて言うなら血を失い過ぎた時に似ていた。視線を向けてくる2人に対して何か言うべきかと思ったが、イーズはうまく言葉にできなかった。それでも何か絞り出そうとして、口の中が腐りかけの水のような味で満たされた。唾を飲み込むと胃の奥が僅かに持ち上がった。
「先に部屋に戻る」
返事を待つこともなくずかずかと歩を進めるイーズの背中を見送り、ユノは眉を下げた。
「何かしちゃったんでしょうか、僕」
「そんなことはないと思うけど。あんまり気にしなくていいと思うよ」
「そうかなあ」
「ところで、本当にお医者様にかからなくて大丈夫?」
「はい。忘れちゃってることはあるみたいですけど、身体はどこも悪い感じはしないんですよ、本当に。何かおかしいと思ったら行きます」
本人がこう言っている以上これ以上はお節介かと、リュカはひとまず引き下がることにした。治療の問題が解決したなら次の問題だ。
「ユノは今いくつ?」
「15です」
「そうか。君は身寄りがないわけだし、僕としてはこのまま孤児院に連れて行こうと思ってる。現実的にその歳だと引き取り手が現れる可能性は低いだろう。ただ成人までに仕事を見付けるとしても、その間身を寄せられる場所は必要だろうから」
ユノはフォークを持つ手を止めた。皿の上のサラダを見つめながら何かを考えているようで、リュカは返事を急かすことなく紅茶を啜った。
「リュカさんとイーズは家族なんですか?」
「いいや。知り合ったばかりだよ」
「イーズはいくつなんでしょう」
「そう言えば聞いてなかったな。ユノとそう変わらないと思うけど。ちなみに僕は19だよ」
「イーズはその……孤児、というわけではないんですかね。放浪の身なんですよね」
「まあ孤児と言えば孤児なんだろうけど、彼はちょっと特殊だから」
リュカはイーズが孤児院で他の子供たちと共同生活を送る様を想像しようとしたが失敗した。まるで想像がつかない。
「イーズみたいに生きられたらなあ」
リュカは小柄なユノが大荷物を背負って、あるいは荷車を引きながら、時に魔物の相手をしながら荒れた道を進む姿を想像しようとした。これも呆気なく失敗した。
「あの、もしよければなんですけど」
「何かな」
「僕も着いて行っちゃ駄目ですか? 旅をするなら怪我は避けて通れないと思いますし、役に立つと思うんです」
リュカは固まった。予想外が起きて停止した彼の脳は、しかし数秒後には冷静に動き出した。
村の壊滅に関わっていると思われる者が、意味深な言葉と共に見逃したユノ。事件の詳細を追うのであれば手掛かりになる。彼にとっては辛いだろうが記憶を取り戻すことがあれば一層重要な情報源であるし、旅人に怪我が付き纏うのもその通りではある。
「ちょっと考えさせて」
朝食を終えたリュカは、イーズがいるであろう部屋の扉をノックした。お手本も兼ねた、丁寧で軽やかな3回。
イーズはベッドに腰掛けてナイフの手入れをしていた。特に機嫌が悪いというわけでもなさそうで、ユノに対してもそうであってくれればいいんだが、とあまり期待できないことを考えた。
単刀直入にユノの希望を伝えれば、イーズは驚いて目を丸くした。まあそうなるよなあ、とリュカは苦笑した。
「ユノのことは好きじゃない?」
「別に。好きも嫌いもない」
「じゃあどうして素っ気ないんだい。ランプでやられたのを根に持ってる?」
「いや。あいつは俺を仕留め損ねたし、俺も殺し損ねた。気を許すつもりはないがそれで終わりだ」
「ユノにそんなつもりはなかったと思うけど。彼は僕らが追う事件の手掛かりだし、回復もできるよ」
「その回復は俺には不要だ」
イーズはふい、と顔を背けた。リュカが理由を訊ねると、イーズは首を振ったり傾げたりしながら考え込んだ。言語化が難しいらしい。
「回復された時、なんと言うべきか……嫌な感じがした。ぞわぞわする。理由が分からないから余計に気持ち悪い」
「生理的に無理、ってやつかな」
「それだ」
リュカが言い換えてやると、イーズは合点がいったようで即座に頷いた。さてどうしようかとリュカは頭を悩ませた。
「……リュカが」
「うん」
「必要だと思うなら俺は構わない。そういう判断は、俺よりリュカの方がずっと優れているはずだから。敢えて俺の意見を述べるなら、あいつは多分弱い。それと俺にはあいつの回復はいらないが、リュカはあった方がいい」
リュカの頭に、またしても背中がボサボサの猫が過った。背中の手入れをしてやったら手を舐められたことを思い出した。




