リュカ
固いパンにチーズと塩漬け肉を挟んだだけのものにかぶりつき、男は機嫌良く笑った。
「いやあ良かった良かった! 朝食抜きになるところだったんだ。助かったよ」
男の頼みとはこれだ。単に食事を恵んでくれという、ただそれだけだった。
昨晩は暗くて分かりにくかったが、男は簡素な朝食とこの場に似合わない服装をしていた。野外にいるため多少汚れてはいるものの、肌触りの良さそうな生地でできた服は上等なものだ。黄色い羽と青い宝石の装飾がついた深紅のコークハットを被り直す姿はいかしていると言うべきか、様になって馴染んでいた。
「荷台の子は君の友達かな」
「いや」
「それじゃあ一体? 兄弟には見えないし」
「誰かは知らないが、生きていたから連れてきた」
「ふむ。もしかして君は結構な変わり者なのかな。そうでなければ随分なお人好しだ。見ず知らずの僕に食糧を分け与えるほどだものね」
パチパチパチ、と火花が散った。男曰く、今焚いている火は既に主導権を手放したものらしい。一度手放せば操れるものではない、ただの火になるとのことだ。だからこの火はもうお好きにどうぞ、男はそう言って紅茶を啜った。食糧はないくせに茶葉は持っているようだ。
魔法とは、要は魔力を体外に出力することだ。体内でなら魔力を操れる者は比較的多いが、それを水やら炎やらにするのはまた別だ。己の内の魔力が炎になるのは想像がつかず、彼はふむ、と首を傾げた。それをできるのが魔術師の才能らしい。
「そうだ、まだ名乗っていなかったね。僕はリュカ。君は?」
「名前はない」
「まさか。冗談はあまり上手くないのかな。名乗りたくないのなら構わないけど。そしたらなんと呼べばいいのかな」
彼は再び神父の手紙を思い返した。あの手紙には彼の名は記されていなかった。ただ愛称と言うべきか、名がなくて困るならこう名乗ればといいという記号的なものだけは記されていて、それは神父の考えたものではなかった。
「イーズ」
「イーズだね。よろしく」
イーズはリュカの差し出した手を眺めた。それが何を意味するのか分からなかった。
「握手だよ」
握手は見たことがあったので、イーズはひとまず応じた。
「ところで何処かしら町なり村なりないだろうか。色々と不足しているんだ」
「それならここから西に2日ほど歩けば町があるよ」
「西。あちらか」
太陽の位置で方角を確認しているイーズを見て、リュカは手元の方位磁石とイーズの首の角度を見比べた。僅かにズレていた。2日分歩けばそれなりに目的地から逸れるであろうくらいには。
「方位磁石はないんだね」
「生憎な」
「もしや自殺志願者かな?」
「急いでいたんだ。準備が足りていないのはその通りだが、食糧が尽きていたやつに言われたくはない」
「一体なんだって、磁石も火種もなしで出発することになるんだい」
「村が壊滅したんだ。終始見ていたわけではないが恐らく魔物の群れによって。あまり悠長に探していられなかった」
「ああ……うん、そうか、それは……ご愁傷様」
リュカは顎に手を当てた。そして荷台の上の少年に目をやった。
「あの少年は君と同じ村の子かい」
「たしか。見覚えがある」
「生き残ったのは君とあの子だけ?」
「俺の見た限りではそうだ」
「これからどうするつもりなのかな」
「何処かの村にでも住まわせる。若い男は働き手として歓迎されるだろう」
「イーズはそうしないのかい。どちらかと言うと君の方が、そういう意味ではずっと歓迎されそうだけど。いかにも健康で体力がありそうだしね」
イーズは首を横に振った。神父の手紙に書いてあった内容を、彼は受け入れることにした。名前についてはすんなり受け入れ難かったが、もうひとつ書かれていた内容については不満も意義もない。
「やることがある」
「ほう。それはどんな」
「俺はこの世の悲劇を終わらせる」
リュカは沈黙した。イーズの口から出てきた言葉は予想外だった。村を追われた被害者がそういうことを言うのであれば、その瞳はもっと復讐に燃える怒りの色に染まっていてもいいのではないか。しかしイーズは淡々としている。
「それは魔物を退治して回りたいとか、似たような被害者を支援したいとか、そういう話で間違いないかな」
「特に考えていなかったな。ただこの世の悲劇を終わらせろとしかなかったから」
「ん? ちょっと待った、君の意思ではないのかい?」
「俺のいた村の神父から預けられた。神託らしい」
リュカは驚愕で固まった。まさか、まさかこんなところに、自分が把握していない勇者がいて、それが目の前の彼なのだろうか。しかもそれなりに体格が良いとはいえまだ子どもだ。
しかしリュカが把握し得る勇者の選定と、イーズの状況は合致していた。抽象的で曖昧な内容の神託が、何故か本人ではなく周囲の人間に授けられ、実行するよう誘導される。
「もし君のそれが本当なら、僕はもう一度自己紹介しなくてはいけないな、勇者様」
勇者。神父の手紙にもその単語はあった。しかしイーズはまだ事を読み込めていなかった。読み込めていないまま事が進んでいた。
「僕の名はリュカ・ベルクール。火の女神ヴァルマの神託により選ばれた、火の勇者だ」
イーズはリュカの姓を反芻した。少し考えるような仕草の後、ゆっくり顔を上げて口を開いた。
「姓があるということは貴族か」
「そこぉ? あーあー嫌だ嫌だ、だからちゃんと名乗るのは好きじゃないんだ」
「悪かった。ところで火の勇者というのは?」
「ああそうか、知らないか」
リュカはやれやれと大袈裟に首を振った。いかした帽子をかぶり直して、のんびり立ち上がって西の方角を眺めた。
「特別だよ。町まで案内して差し上げよう」
「それは助かるんだがいいのか?」
「もちろん。ただし僕の話も聞いておくれよ」
「分かった」
イーズは間髪入れず頷いた。リュカの呆れたような視線を受けながら、それでも敵意は感じなかったので構わなかった。




