草原にて
彼にとって金は金でしかない。そこに誰が汗水垂らしてだとか、デートのために貯めただとか、そんな属性は人が勝手に付け加えたものであって、彼にとっては金は金だ。燃え残りの中から漁り出した金は、紙幣はほとんど燃えたのか硬貨ばかりだ。彼はそれを黙々と麻袋に詰めていく。全焼を免れた家からはそれなりに紙幣も見つかったし、羊の胃袋でできた皮袋も見付けたら回収した。水を入れられるものは多ければ多いほど良い。
ある程度物色し終えて戻った時、それでも少年はまだ息があったので、彼はひとまず井戸水で濡らした布で顔を拭ってやった。そしておや、と訝しんだ。少年は血塗れではあったが、血を拭き取ってやると傷は小さいものばかりだった。一体どこからそんな血が出てきたのかと不思議になるほどだった。これなら大した手当もいらないのでは過りはしたが、彼は念のため教会に向かった。これから村を出て別の場所を目指す道中で自身も怪我をしないとは限らない。
幸い教会の方には火の手は伸びず、中のものも無事だった。教会なので金目のものが置いているわけではない。ここには数冊の聖書の他に、子どもも読める絵本や簡素な作りのおもちゃが置いてあった。神父はわんぱくな子どもたちのために色々と揃えていた。案の定、そこには最低限のものが揃った薬箱があった。
「これ、持っていきます」
物言わぬ神父に一声かけて、彼は少年の元へ戻った。傷口を軽く洗ってガーゼをあててやると、少年は僅かに呻いて身動いだ。彼は勝手に、少年が死の間際にいるのだろうと思っていたが、どうやら反応を返せはするようだった。
この惨状ながら村に新たな魔物は寄って来ていない。本能的に火を嫌う動物も多いと言うし、漂う煙の匂いが魔物たちを遠ざけているようだ。だがそれも今だけだ。ものが燃えた匂いが風に流されて村人たちの遺体が腐り始めた頃、野生動物や魔物たちが死肉を貪りにやってくるのだろう。早いうちに村を出なければならないと、彼は住処に戻って久々に小屋の裏で眠りかけていた荷車を引っ張り出した。
金、食糧、衣服、皮袋には井戸水、医療品、鍋もひとつくらいは。積めるものを積んで最後に少年を乗せた。そして彼は再び思った。魔物たちが死肉を貪りにやってくる前に、と。
いずれやってくるのだ。人間の尊厳を知るはずもない、肉を食い千切り散らかすあの生き物たちが。餌になるのは転がっている村人たち、そして勿論神父も。彼は農器具を手に取り、教会の前に大きな穴を掘った。きっと魔物たちは掘り返そうとするだろうから深く深く掘った。木の枝で作ったみずぼらしい十字架に神父のロザリオをかけて墓標にする。死者への一節を唱え、行ってきます、と告げた。そこまで終えたら彼はもう教会を振り返らなかった。
季節は初夏だ。朝晩は冷えるが昼は陽が高くなってくると汗ばむくらいには暑い。彼が村を発ったのはちょうど昼頃だ。明るいので進む先がよく見えて、とにかく草原が広がっているのがよく分かる。包囲磁石も地図もなく、とにかく進むしかない。馬は当然食い殺されていたので徒歩だ。行く先に他の村や町があるかも分からない状態だと、草原はやけに広く見えた。陰湿な田舎の村を出たというのに不思議なほど開放感がない。
それで。それでどうする、と彼は自身に問いた。薬箱の底にしまった、神父からの手紙の内容を思い返しながら黙々と歩く。空が橙色になっても相変わらず視界は草原ばかりが占めている。かと言って彼の心は乱れなかった。神父からの手紙の内容が本当であれば自分はここで終わる運命ではなく、もしここで終わる命ならそれまでの話だ。
唾液を奪うビスケットを水で流し込んで夕飯を終え、彼はふと火種を用意していなかったことを思い出した。火打ち石、薪、とにかく火を起こすために必要なものがない。水を煮沸する時間はなく井戸水をそのまま詰めたが、果たして皮袋の水はいつまで持つだろうか。
初めての経験故、まだまだ見落としは多そうだ。暖を取るために仕方なく荷車から荷物をおろし、できた隙間に身体を潜り込ませる。少年と横並びになって毛布に身を包むと温かく、彼は不思議な気持ちになった。こうやって誰かとくっ付いて眠ったことは、彼の記憶の中では一度もなかった。
どこか遠くてパチパチッと音が聴こえたような気がして彼は目を開ける。周辺は相変わらず暗闇だ。星だけがよく輝いて見える。果たしてそう遠くない場所に誰かいたのだろうか、もしかしたら明日道を訊ねることはできるだろうか。彼はそう考えて再び目を閉じた。
しかしそのパチパチは途切れることなく近付いてくる。見えはしないものの音でそれを感じ取った彼は、息を殺して眠った風を装った。身体のすぐ横に置いておいたナイフを取り、気配のありかを探ろうと集中する。
ぼんやりとした優しい灯りと共に、パチ、がすぐ側までやってきた。彼は一気に身を翻し、毛布をその気配に向かって投げ付けた。
「うわっ!?」
人間の声。まるで想定していなかった事態に心底驚いたかのような、呑気な響き。彼は毛布を引っぺがした。
「ああーもう、危ないじゃないか。燃え移ったらどうするんだい。ま、そんなことはないのだけど。いや失敬、無遠慮に近付いたこちらが悪かったね」
男の顔を照らし出しているのは炎だった。彼の手のひらの上で愉快に揺らめいている。薪や燃料も何もない、だというのにその炎は消える気配がない。
「ああこれ? ランタンの代わりにしていたんだ。魔法は初めてかい?」
男はニヤッと笑った。真意の読めない顔ではあったが敵意は感じないので、彼はナイフを構える手を緩めた。
「よければ夜をご一緒させてもらってもいいかい? 明日の朝でいい、頼み事があるんだ」
彼は断ろうとして、男の手の上の炎に目をやった。頼み事の内容は分からないが、求めていたものが手に入りそうだと思った。




