王都
初めて王都の地を踏んだイーズは混乱していた。あまり顔には出ていないが、とにかく情報を処理するのに時間がかかる。建物は多いし人も多い、地面に模様がある、空に何か浮いている、色々な匂いがする。イーズにとって暴力的なほどのカオスだ。そんなわけで大人しいイーズの腕をユノが引いている。
リュカは右手中指に目をやり、もう一度仕様を確認する必要があると考えた。イーズの分の支援金を調達するつもりでやって来たが用事がもうひとつ増えた。
結論から言うと、ユノはおそらく勇者ではない。イーズにも説明した通り、石は勇者が身に付けると無色透明な輝きを放つがそれ以外の者が身に付けると白く濁る。そしてユノに身に付けさせた指輪の石は、深い夜の空に似た色になった。リュカは2日前の夜のことを思い出す。神聖さのある、見つめていると吸い込まれそうな色だった。果たしてこれはなんなのか。要報告だ。
「折角なら観光していこうよ、美味しいもの沢山あるからさ。武具屋は行かなきゃね。あと葡萄酒と、茶葉も補充しておいて、石鹸とペンのインクも買っておかなくちゃ。そうだ、君たちの服も見繕ってあげよう。最重要事項だ」
「リュカさん、イーズ固まってます」
リュカの頭に猫という単語が過った。あの背中がボサボサの猫の姿ではない、借りてきた猫という慣用句が。猫になったり猛獣になったり忙しい子だなあ、と内心面白がった。
イーズの怖さは身体能力と、それを制御する場面を知らないことだ。だがリュカはそれを何とかできると思っている。意外と素直な面もあるし、教えてやればどうにでもなる。リュカにとってむしろ怖いのはユノになっていた。真意の見えない瞳と、時折滲み出る不自然な雰囲気。それを意識してしまえばどうも緊張感が出る。これでは楽しめるものも楽しめない。
「やっぱりまずはやるべきことかな。お楽しみは後にしよう」
「そうですね。その頃にはイーズもちょっとは慣れてるだろうし」
そうして真っ直ぐに研究所に向かった3人だが、想定外の事態になった。風の勇者がまさかの不在である。
「いや、だってあの人研究所が住処みたいなものじゃないですか」
「うん、まったくその通り。だからなんだよね。いつまで研究してんだ、いい加減真面目に勇者やれって蹴り出されたんだ。本人は神託にある敵を倒すためにはより強い魔法を、そのために研究が必要なんですーとか言い訳してたけど」
「ええー……」
「あ、もし来た時のために渡してくれって手紙は預かってるよ。えーと、確かこの辺に」
「ごちゃごちゃじゃないですか」
ユノとイーズは拍子抜けした。もっと仰々しいものだと思っていたのに、目の前の研究者は勇者や神託に対して随分気楽に見えた。聞けば風の神フィニの神託を受けたのは王妃陛下らしく、下へ下へと伝わったそれに従っているだけのようだ。
「身軽なものだね。ちなみに火の神ヴァルマの神託を受けたのは国王陛下だよ。僕なんて御前に連れ出されちゃってさ。向こうも分かってるよね、僕が絶対断れないようにしてるんだよ。僕が神託を遂行したところで家の利にはならないけど、断れば失うものはあるのさ」
「なんか、その……大変ですね、色々」
「でしょ? 僕はこの旅が終わったらどこかで商売でもして暮らしたいんだ。だからついでに良い場所探してやろうって」
「そのためにわざわざあんな田舎まで来ていたのか」
「さすがに不便だなと思ったよ」
「リュカくんも大概ぶっちゃけるよね」
ようやく箱の下敷きになっているのを発見された手紙を受け取って、リュカはユノに対する指輪の反応についてしたためた文と交換した。軽口の応酬をしつつ封を切り、そして砕けた文面の内容に硬直した。
リュカくんへ。
ついに研究所を叩き出されたのでとりあえず王都出ることにします。たまに戻るので伝言があったら研究所にお願いします。
カレンより。
たったこれだけの手紙だった。たった今研究者から聞いたばかりの情報しかない。最早手紙の形にする必要はあったのだろうか。そして何故行き先を書かないのか。リュカは長く息を吐き出した。
「よし、お茶にしようか」
「定期報告はいいの?」
「あと俺の分の金の申請って言ってなかったか」
「失礼。動転してしまった」
イーズは窓から王城を眺めた。この国が国王制であることはもちろん知っていたが、自身の生活においてなんら影響のない遠い話だと思っていた。王城を見ることもないと思っていた。多少時間はかかるものの、自身が狩りをして芋を育てて、そうこうしているうちにすぐ過ぎ去るような時間で来れるものなのか。イーズは不思議な気持ちになった。そしてどうやらリュカにとっては決して遠い話ではないらしい。
「国王陛下は火の神ヴァルマを、よりにもよって熱心に信仰してらっしゃるようでね。定期報告は直接受けたがるんだ」
「そうか、大変だな」
「君も連れて行くからね」
「え」
「最重要事項って言ったじゃないか。まさかその服装で陛下の御前には行かせないよ」
とん、と指先で胸元をつつかれてイーズは固まった。先述の通り自身には遠い話だと思っていた。
謁見が4日後に確定し、活動支援金の申請を終えたらようやくリュカいわくお楽しみの時間だ。喫茶に行き甘い菓子を食べ、そしてイーズにとってのお楽しみはそこで終わった。あれもこれもと服を着せられ、石鹸と化粧品の店で新作がどうだという話をされている間、死んだ魚のような目でやり過ごすことになった。ユノはそれなりに楽しんでいるようで、特に服に関しては明らかに声が弾んでいた。
「疲れた。しばらく服屋はいい」
「どれも似合ってましたよ、イーズ。やっぱり背が高いと格好良く決まりますよね。いいなあ」
「いやあ、それにしても予想以上にいい子で助かったよ。正直最初は、街中で犬や馬を見て狩りだとか言い出さないかなって心配してたよ」
「俺をなんだと思ってるんだ。狩りは生きるためにするものだ。ここは食料もすぐに手に入るし、動物たちも襲って来ないだろう」
「おや、それはごめんよ。随分な誤解をしてたみたいだ。ユノもお気に入りが見付かって良かったね」
「はい! お店が沢山あるからつい色々見ちゃいますね。次どこ行きましょうか!」
まだまだ元気そうなリュカとユノを見てイーズはげんなりした。リュカはまだしもユノにこんな体力があっただろうか、不思議なものだ、とても着いていけそうにない。そういう訳で先に宿に戻ると言い出したイーズを、リュカが慌てて引き留めた。
「もう1軒! もう1軒だけ!」
「それは俺が必要なのか」
「必要だよ。ていうか本人いないと話にならない。武器とか防具、ちゃんと揃えに行こうか」
「わあ、行きましょう行きましょう!」
武器と防具。イーズは目を瞬かせて、それならまあ、と頷いた。何故かユノの方が盛り上がっていた。




