19 終焉
石の城壁に囲まれたラヴェンナの宮城の奥に、人目を避けた一室があった。
小さな窓には厚い布が掛けられ、外の目もここまでは届かぬ。卓の向こうにはテオダハドが椅子に身を預け、その前に三人の男が膝をついていた。いずれも先だってテオダハドの前に呼び出され、アマラスンタの一族に刃を向けた家の者である。
「して、今さらこの私に何用か」
テオダハドの言葉に従い、男たちは顔を上げた。
年長の男が胸に拳を当てる。
「あの折、我らは陛下のお言葉どおりにあの一族の館に入りました。されど、アマラスンタはなお湖の塔でのうのうと生き延びております」
若い男がその後に続いた。
「あれが万一戻れば、まず咎めを受けるのは我らでございましょう。陛下もあの女の名ひとつで坐を揺さぶられかねませぬ」
テオダハドは卓の端に指を置いてゆるく叩く。
「幽閉では足りぬと」
問いに三人は互いの顔を見交わしてうなずいた。
別の男が唇を引き結び、声を搾り出す。
「我らの命を惜しんで申しているのではありませぬ。陛下のお命も王国の行く末も同じ刃の上にあると存じます。アマラスンタを生かしておけば、その名を巡っていずれ騒ぐ者たちが現れましょう。どうか、今のうちにご決断ください」
あの夜に投げた言葉は、すでに血で裏打ちされている。ここから先に進めば、もはや後戻りは効かぬとテオダハドも理解していた。
「そなたらの言は正しい」
つぶやきに男たちは黙ってうなずく。
テオダハドは顔を上げた。その瞳に決意が浮かぶ。
「……アマラスンタを殺す」
卓の上で指がひとつ音を立てた。
三人は頭を下げる。従者が戸を開けると、廊の風が流れ込んだ。やがて城門の外には小さな一行が集い、テオダハドを先頭に引き返せぬ道へと歩み出す。
× × ×
塔の最上の間には、石を積んだ壁と梁とがあるばかりであった。
アマラスンタは窓の傍に立ち、湖の水面を眺める。どこにも、ここで過ごした日々の長さを測る術は無い。
階下から足音が上りはじめた。数を聞き分けるまでもなく、これまでここへ通ってきた侍女たちの歩みとは異なっている。
金具の触れ合う音が扉の前で止まると、閂の外れる音がした。扉が開き、テオダハドが姿を現す。その背後には武具を帯びた男たちが並んでいた。アマラスンタは窓から身を離し、振り向く。
「来たか」
テオダハドは部屋の半ばで歩を止めた。足元の石を一度見下ろしてから、視線をアマラスンタに戻す。
「別れの時だ、従姉妹殿」
その呼びかけの調子には、血のつながりを思う情は欠片も含まれていなかった。
アマラスンタは答えず、彼の背後の列を見る。剣の柄を握る指がこわばり、肩には決して軽くない決意が載っていた。その行き先を問うまでもない。
テオダハドは息を吐く。
「狡猾なそなたは、これまで理と法とを盾にして己が正しさを貫いてきた」
彼は言葉を切り、唇の端にわずかな笑みを浮かべた。
「だが見よ。残ったのは怨みと恐れ、湖の塔に閉じ込められたひとりの女に過ぎぬ」
アマラスンタはテオダハドの言葉を遮らぬ。否定しようとすればいくらでも出来たが、そのために費やす力はもう残っていない。
「この先もそなたの名は語られようが、そこに添えられるのは災いの筋書きばかりだ」
テオダハドは一歩踏み出して告げる。
「お前は不幸しか産まぬ女であったな」
浴びせられた言葉は、自らの心に長く根を張っていた思いと重なった。
自分がここで死ねば、帝国がどう動くかということは知れていた。それも湖の島に押し込めた上で殺したのだと聞けば、アマラスンタの名はイタリアの地を奪うための体の良い口実として並べられるであろう。この一太刀が、いずれ海を越えて帝国の軍船を運んでくる。
それでも、そのことを口にする気は起こらなかった。告げてどうなるものでもない。道を誤った者にはいずれ然るべき報いが訪れる。
国を守りたいがため、全てを捧げてきた。そしてこれがその見返りだ。アタラリックは死に、もはや戦争は避けられぬ。
アマラスンタは首筋に掛かる髪を手で払った。足もとから冷えが上がってくるのを感じながら、石の感触を確かめるように立つ。
滅べばよい、燃えればよい。このように醜い者たちも、そしてこの私も。
「殺すがよい」
自分でも驚くほど穏やかな声が口をついた。背後の男たちの胸が上下する。
テオダハドは視線を背後に移した。列をなす男たちのあいだから、ひとりを選ぶように顎をわずかにしゃくる。
「済ませろ」
命が発せられると、男たちは前へ出た。足が石を踏み、円を描いて間合いを詰めていく。鞘から抜かれた刃は、アマラスンタの胸の高さに揃えられた。
アマラスンタは退かなかった。窓からの光を背に受けたまま、両の手を広げ、目の前の刃を見据える。これまで選んできた道とその終わりが、いまこの場に集まっていた。
言葉にならぬ叫びと共に、最初の剣が突き出される。
刃先が胸許を探り、衣を押し分けて肉を貫いた。続けざまに別の刃が脇腹を穿ち、さらに横から差し入れられた鉄が肩と肋のあいだを押し開く。刺す者ごとに狙う場所は違えど、向かう先はひとつの身体であった。
父よ。
胸に熱いものが弾ける。アマラスンタは息を止め、喉の奥で声を押しとどめた。苦悶の声を聞かせてなどやるものか。足もとへ流れ落ちた血が石の目地をたどり、裾に広がっていく。生成りの布は、たちまち別の色に塗り替えられた。
我が子よ。
男たちは手を止めなかった。父や息子の名を叫びながら、ひとりが刃を引けば、すぐに別の者が空いたところを突き、肩に胸に腹に背に、新たな穴が穿たれていく。肉を割る感触が柄を通じて掌に伝わり、そのたび腕に溜まっていたものが吐き出されるようであった。息は荒く額にも汗がにじむが、憎しみを込めたその剣先は鈍らぬ。
アマラスンタの膝が折れた。片方の足が石を滑り、身体が傾ぐ。なお数本の剣先が追いすがるように身を探り、最後の力で突き込まれた。それから刃は一斉に引き抜かれる。鉄が抜けていった跡から、どっと温いものがあふれ出した。
彼女は支えを失い、その場に崩れ落ちた。倒れながら伸ばした腕は床を探ろうとする形を保ったが、指先からは力が抜けていく。掌は開き、何も掴まぬまま石に触れた。瞼は半ばまで閉じられ、視線はどこにも向かわぬ。
床には血が広がり、その中央に折れた肢体が横たわっていた。衣の下からは、数え切れぬ傷が血を押し流し続けている。布に施された素朴な刺し縫いも、その上に重ねられた色に埋もれて見えぬ。
男たちは息を荒げたまま立ち尽くした。握りしめていた柄から赤い滴が落ち、足もとの色と混じっていく。やがてひとりが我に返ったように剣を下ろし、端に備え付けられた布で刃をぬぐった。その動きに倣い、他の者も黙って手元を動かす。布にこびりついたものが筋となって伸び、黒ずんだ線を描いた。
テオダハドは一度だけアマラスンタのほうを見た。そこにあるのは、言葉も理も届かぬものとなった身体である。それを確かめると無言のまま踵を返した。裾が血に触れぬようわずかに持ち上げ、扉へ向かって歩み出す。
後ろに従う男たちの足音が、階段を下りながら遠のいていく。金具の音が小さく鳴り、やがて塔の中から人の気配が消えた。
湖を渡る風は塔の内側までは届かぬが、外では波が岸辺を打ち、草が穏やかに揺れていた。




