01 即位
ラヴェンナの王宮に葬送の鐘が鳴る。厚い石壁にこだまして消えるその響きは、一代の王の終わりを告げるしるしであった。
王宮の小広間に高貴な身分の一団が集う。高坐の横には、まだ八歳の王太子アタラリックが、母である王女アマラスンタの傍らに坐していた。アマラスンタの叔母にあたるアマラフリダと、その息子テオダハドも列に連なり、視線で互いの腹の内を探っている。
崩御した先王テオドリックは、みずからを皇帝とは呼ばず王と称していた。正義を重んじ、法を堅固な柱としてイタリアを治めたがゆえに、ゴート人もローマ人もその名を愛した。彼を暴君と呼ぶ者ですら、その裁きの厳しさを恐れつつ敬っていた。
その王が去った今、誰がその責務を担うのか。アマラスンタは椅子の肘を握り、背筋を正す。
宰相のカッシオドルスが一歩進み出て、書記官に合図した。
「王太子であらせられるアタラリック殿下を東ゴートの王と仰ぎ、その母であるアマラスンタ王女を導き手といたします。その旨を宮廷の誓いとして書き記します」
アマラスンタはうなずき、幼い子の肩に手を置く。
「まだ王は幼きがゆえ、わたくしがしばし国の政を預かります。まずはこの場のみなにそのことをお認めいただきたい」
アマラフリダは目を眇め、テオダハドは唇の端に笑みともつかぬ影を浮かべたが、言葉には出さぬ。叔母と甥、そのどちらもがこの国の行く末に己の名を刻もうと密かに思っていた。
沈黙が一巡すると、カッシオドルスがあらためて告げる。
「継承をめぐる争いが起これば、イタリアは血にまみれましょう。先王陛下の御心を継ぐためにも、平和裏の継承と記録に残さねばなりません」
書記官が羊皮紙をひろげ、定型の文言を書きつけてゆく。アタラリックの名、その母の名、重臣らの署名の欄。まず王家の者が記し、そののち宰相らが続く手筈であった。
署名の列に加わることは、単に名を連ねるにとどまらぬ。いずれ来るであろう嵐のとき、誰がどちらの側に立っていたかを、後の世までも示す証となるのである。
× × ×
王宮の小広間で署名が交わされてから七日と立たぬうちに、青銅の鐘はふたたび鳴らされた。大広間の扉がひらき、アマラスンタとアタラリックは堂々と進み出る。
大広間の柱のあいだには松明がともされ、床には色鮮やかな敷物が並べられていた。玉坐の前にはゴートの将たちとローマの高官が左右に列をなし、その視線は新たな主の姿を追っている。
少年王は、まだ小さな歩みで石の床を進んだ。肩には王家の紋を織り出した外套が掛けられ、額には金の輪が飾られている。アマラスンタはその横に並び立ち、胸の前で両手を組んだ。
列の前列にアマラフリダとテオダハドが席を占める。少し離れた位置にローマ元老院のリベリウスの姿があり、その後ろにはオピリオが無言で控えていた。
「先王テオドリックは、この地に安寧をもたらし、我らとイタリアの民とをひとつの家となした。その御業は、三十七年のあいだ揺らぐことがなかった」
アマラスンタの言葉に、ゴートの貴人たちはうなずく者もあり、じっと様子をうかがう者もあった。ローマの高官らは胸に手を当てて頭を垂れ、亡き王の名を心に思い浮かべる。
「その孫アタラリックが、今日より王の坐を継ぐ。幼きゆえに当面の政務はわたくしが預かるが、王権はいささかも揺るがぬ。アタラリックこそ先王の血を引く正当の継承者であると、ここであらためて示す」
アタラリックは母にうながされて一歩前に出た。口を噤み、両の拳を固く握りしめている。
カッシオドルスが進み出て、羊皮紙を掲げた。
「ここに宮廷の誓いを書き記した証書があります。王宮を支える諸卿には、この場で忠誠を表して頂きたい」
真っ先にリベリウスが進み出る。払った裾が音を立て、広間の視線が彼に集まった。
「臣リベリウス、先王にお仕えしたごとく、新王陛下に仕えることを誓います」
声音に迷いがない。アマラスンタは目に見えぬ支えを得た思いで、一人安堵の息を吐く。
そのあとに続く者たちは、ひとりひとり名を呼ばれて前に出た。署名を終え、口頭で誓いを行う。オピリオは列の端で呼ばれるまで動かずに立ち尽くしていたが、名を告げられると、ゆっくりと進み出て定められた文言を復唱した。
こうして王宮の中枢は、新たな王と摂政に忠誠を示す。されど列の間に立つ者たちの顔には、それぞれ異なる思惑が潜んでいた。ラヴェンナの石造りの壁は、その思いを飲み込んでいる。
やがて大広間での儀が終わると、一行は王宮の前庭へと出た。
敷石の広場には、盾と槍を備えたゴート兵が隊列を組んでいる。アマラスンタはアタラリックの手を軽く引き、閲兵の台となる壇へと上がった。護衛隊長のトゥルウィンがその前に立って周囲を見渡す。射るような視線が、列の中のヴィドリック、グンダルムント、グディラらといった名のある将の顔をとらえる。
「東ゴートの戦士たちよ!」
アマラスンタの声が凛と響いた。
「先王テオドリックは、諸君の腕をもってイタリアを守り、この都を支えてきた! 今日よりその務めを、この新王アタラリックが受け継ぐ!」
トゥルウィンが片手を挙げる。
「これより誓いを述べる! まず護衛隊と将たちが声をあわせ、そののち各隊ごとに続けよ!」
彼が先に定められた文言を唱えた。
「我らは王家を守り、国を守ることを誓う!」
護衛たちが復唱し、その声がうねりとなって広場を覆う。続いて諸隊の長が、同じ言葉を自らの兵に繰り返させた。
ヴィドリックは唇に笑みを浮かべて言う。
「我らは王家を守り、国を守ることを誓う!」
グンダルムントは、荒々しく叫び、部下たちを鼓舞した。グディラは、言葉巧みに兵の気勢をあおりながら誓いを言わせる。誰もが定められた文を口にしつつ、その胸中ではそれぞれ別の算をめぐらせていた。
誓いの声がおさまると、アマラスンタは壇上から兵たちを見回す。
「諸君の忠義に報いるため、先王の時にあった過怠の一部を赦し、戦場で功を立てた者には褒賞を与える。若き王のもと、新たな誉れを求めて励め!」
兵の列のあいだに抑えきれぬ歓声が沸き起こった。酒や金、恩赦の約束は、どんな誓いの言葉よりも彼らの血を熱くする。
列の端で若い兵が小声で言った。
「今夜はきっと酒樽が空になるぞ」
その隣が笑う。
「まだ子どもの王だ、多少は羽目を外しても気づかれまい」
その喧騒はすぐに指揮の号令に消されたが、若い王を見くびる気風がすでに一部に芽生えつつあることをトゥルウィンは見逃さなかった。
号令の声がかかり、槍の列が前庭から引いてゆく。アマラスンタは幼い王を先に立て、自らはその背を守るようにして壇を降りた。
この日ラヴェンナで幼い王が立ったのち、ほどなく東ローマ帝国でも、老帝ユスティヌスの甥ユスティニアヌスが皇帝の位を継ぎ、その名を冠した治世を開くことになる。
やがてイタリアの運命を揺るがす嵐が、アドリア海のかなたで力を蓄えつつあった。石造りの宮殿と海風が、二人の若い君主の始まりを冷ややかに見守っている。




