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13 喪失

 厚い帷の向こうで人々が動いている。王の寝所に、この日ばかりは政庁に赴くよりも多くの足が出入りしていた。


 寝台の上に横たわるのは、まだ髭も薄い若者の躰である。戴冠から八年、十六に達したばかりのアタラリックは、昨夜のうちに息を引き取っていた。


 侍医が最後に脈を確かめて、そっと指を離す。その合図で侍女たちが水の盆を運び、胸から腕へと布を滑らせた。痩せた肋の線に沿って身支度を進めると、骨と皮ばかりになった腕が布の上に並ぶ。かつて学びの間で羊皮紙に向かっていた溌溂たる少年の姿は、もはやここにはなかった。


 アマラスンタは寝台の傍らに立ち、細くなった指先を見つめる。政務の卓で幾度も息子の名をペンに託してきたが、その名の持ち主が二度と返事をしないという事実は、まだ心のどこかで受け入れきれずにいた。


 酒と遊びに身を預ければ命は削られる、若き身でありながら内から力が失われている。


 医師たちの診立てを聞いてもアタラリックは杯を手放さず、母の言葉を避けた。その果てがこの寝台である。


 布が胸を覆い、足先まで引き下ろされた。その上から、テオドリック以来王家に伝わる外套が慎重に掛けられる。紫の縁取りを持つ布は、本来なら祝宴の坐で肩を飾るためのものであった。今は王の印を最後の衣として与えている。


 戸口には鎖帷子をまとったトゥルウィンと護衛の兵たちが槍を立てて並んでいた。柄に両の手を重ね、刃王の最期を見送っている。彼らが守るべき主は、この寝所から政庁へ向かうことなく墓所へと運ばれていく。


 やがて棺が支度された。石の蓋には、王家の印が刻まれている。アマラスンタは手を伸ばし、その印の上に手を置いた。父の代から続いてきた印が、今度は自らの息子の名を囲うことになる。


 日をおいて、棺に納められたアタラリックは多くの目が見守る中で広間へと運び出された。戴冠の儀が行われた場所であり、誓いの言葉と歓声に満ちた日もある。同じ石の床の上を、今は無言の列が進んでいく。


 広間の一方にはゴートの長たちが立ち、反対側にはローマの有力者たちが並んだ。司祭が祈りの文を唱え、香が焚かれる。槍や盾が壁際に立てかけられ、若き王が生前に帯びた剣が棺の傍に置かれた。武を尊ぶ民と法を重んじる者たちが、同じ王をそれぞれの思惑とともに見送っている。


 最後の祈りが終わり、棺は王家の墓所へ運ばれるため担ぎ上げられた。列が広間を出るとき、アマラスンタもまた一歩を踏み出す。父の棺に従った日と同じ回廊であったが、そのとき胸にあったのは国の行く末への憂いであり、今はそこに子を失った母としての痛みが重ねられている。


 墓所の入口に至ると担ぎ手たちは棺を下ろした。石段の下にはこれまでの王たちの名が刻まれた壁が並んでいる。その列の端にまもなくアタラリックの名も刻まれることになろう。アマラスンタは胸の前で指を組み、目を閉じた。守るべきものを託す相手を失ったという感覚ばかりが胸に残る。


 墓所での祈りを終えて宮城へ戻る道すがら、アマラスンタはほとんど言葉を発しなかった。


 石段を上り私室の戸口まで来たところで、アマラスンタはトゥルウィンに命じる。


「外で待て。一人になりたい」


 そう告げて部屋に入り、椅子に身を任せた途端、背から力が抜けた。しかし一息つく間もなく、戸の向こうからトゥルウィンが声を掛ける。


「申し訳ありません。テオダハド殿がどうしてもお会いしたいと仰っているのですが、いかがいたしましょうか」

「……通せ」


 告げるや否や戸が開き、テオダハドが姿を見せた。


「従姉妹殿。お労しいことでございます」

「まったくな」


 口にした途端、胸が痛んだ。


「あの子の終わりを知っていながら止めきれなかった。医師らは幾度も告げた。酒を断たねば命は持たぬと。それでもあの子は杯を手放さず、わたくしの言葉から逃げた」


 テオダハドは顔を上げ、悲しみを湛えたふうに眉を寄せる。


「若き者の心は、時に誰の言葉も受けつけませぬ。従姉妹殿おひとりの責ではありますまい」


 アマラスンタは首を振った。


「わたくしのような母がいて、あれは不幸であったのだろうな。アタラリックは私が追い詰め、自殺させたようなものだ」


 テオダハドは胸中で冷ややかに笑った。女とは、こうして己を責めて涙を誘う生き物よ。政を司ってきた身であっても、子を失えばただの母に戻るのだと。


 しかし、その思いは顔に出さぬ。


「従姉妹殿が国を支えておられたからこそ、陛下はここまで王の名を保てたのでしょう。もし私にお許しをいただけるなら、これからは私も力を尽くしたく存じます」


 彼は歩み寄り、声をやわらげた。


「この国を守るため、共に政を担いとうございます。どうか、私をお頼り下さい」


 アマラスンタは視線を落とす。欲と算を知りながらも、その言葉には慰めの形があった。包むものを失った心は、支えを求めて揺らぎかける。


「そなたが、共に」


 そのとき、戸の向こうで合図がした。トゥルウィンの声が響く。


「カッシオドルス殿がお目通りを願っております」


 テオダハドはわずかに顔を曇らせたが、一歩退いて道を開けた。アマラスンタは立ち上がり、衣の裾を払う。


「通せ」


 政の話が再び彼女を呼び戻していた。テオダハドとの言葉はそこで途切れ、胸の揺らぎが置き去りにされる。


 宰相とのやり取りを終えて政をひとまず片づけると、アマラスンタは私室に戻った。先ほど胸に差し込まれた言葉は、まだ抜けずに残っている。


 アタラリックの名はもう使われることはない。王家の血を継ぐ者の中で政の席に即してよい年に達した男は、もはやテオダハドひとりであった。


 アマラスンタは自らが冠を戴く道は考えていない。そうなると、この先王として名を掲げられるのはテオダハド以外にはないが、彼はゴート人とローマ人の双方から良からぬ目で見られている。


 アマラスンタは椅子に腰を下ろして指先を組んだ。


 王として迎えるのであれば、彼の不名誉を清めてからでなければならぬ。そうしてからであれば、テオダハドを王位に召すときの妨げは幾分か薄らぐであろう。


 しかし、思いはそこで別のところに引き戻された。すでにテオダハドから不当な扱いを受けたと訴えてきた者たちはどうなるのか。


 今はまだ、彼らはアマラスンタのもとへ訴えを届けることができる。されどテオダハドが王となれば、その日から彼らは自らの家と畑を奪った男に忠誠を誓う言葉を捧げることになる。


 その姿を思い描くと、胸の秤は拮抗した。法の言葉で塗り直したとしても、もとは血と汗の滲んだ地である。王国を保つためと称して加害した側の名誉を救うために裁きを用いるなら、それは父が守ろうとした安寧とは別のものになろう。


 アマラスンタは額に手を当てた。王の名を受け継がせることと訴えに耳を傾けてきた日々の正義とが、互いに絡み合ってほどけぬ。冠を渡すべき唯一の者がその冠にふさわしいとは言いがたい現実が、アマラスンタに子の死を満足に悲しむことさえ許さなかった。


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