第10話・もうやってられないので
「話は聞かせてもらったわ」
俺がポーラの勧誘をしているその時、出入口から耳によく馴染んだ声がする。
そちらへ視線をやると、そこには、後ろにオヌシを引き連れたクリスティーナが居た!
いや、ずっと一緒に居たんだけどね、あの2人。ポーラが歌っている最中に勝手に離脱していただけなんだけどね。
だが、上手くもない歌を聞いているのがダルくて出て行っただけ、というわけでは無いようだ。クリスティーナはその手に、1枚の羊皮紙を持っていた。どうやら、あれを馬車まで取りに戻り、オヌシは念のための護衛として連れていかれていたらしい。
クリスティーナはその羊皮紙をひらひらと見せつけながら、会話の中心へと歩を進める。
「その娘の借金を肩代わりする代わりに、うちで引き取る、という事よね、アルメル。私、とても賛成だわ。でも、無条件で、というわけにはいかないわ。借金を肩代わりするのだから、正式な書類にサインをさせなければいけない」
目を閉じてるが、どこか高揚した様子のクリスティーナ。なるほど、一理ある。羊皮紙を持ってきたのは、そのサインをさせるためか。話が早い。
……いや、早すぎるな。あの羊皮紙を取りに行ったのはポーラが歌っている最中。俺が借金肩代わり案を出したのはついさっき。時系列が逆だ。クリスティーナは、俺が借金肩代わり案を出す前の段階で、その羊皮紙を取りに向かっているのである。
「…………?」
首を傾げる。
「そういうわけで、ポーラさん……いや、ポーラちゃん? この書類にサインしてもらって良いかしら? 借金、肩代わりして欲しいものね?」
羊皮紙を近くのテーブルに置いてポーラに迫るクリスティーナ。しかし、ポーラはあっけらかんと頭を掻く。
「文字書けないです!」
その言葉に、クリスティーナは寛容に微笑むのだ。
「それくらい、教えるわよ。ほら、ポーラっていうのは、こう書くの。これを真似して、ここのサイン欄に記入して頂戴」
まるで聖母のような笑み。流石俺の嫁。懐が深い。
ところで、だ。結局あの羊皮紙はなんだ?
なんというかこう、疑うわけでは無いが、確認しなければまずいような気がして、覗き込む。
いくつかの文章が既に書かれている。契約内容だろう。いくらなんでも準備が良すぎる。
たまたま、角度的に見やすいのが一番下の行だったので、その行に書いてある事を確認した。
『④アルメルとクリスティーナの間に第一子が誕生していない上で子供が産まれた場合、アルメル・クリスティーナに譲るものとする』
サーシャにもサインをさせた愛人契約書だった。
「クリスティーナ!? 何してるの!?」
口にしてる内容と契約書の内容が全然違うけど!?
クリスティーナは覚悟がガンギマリしている、真剣過ぎる表情で答えた。
「任せてアルメル。この顔とおっぱい、必ず私達のものにしてみせるから」
口調に対して内容がひどすぎる。
「任せてない、任せてないよクリスティーナ。口にしてる内容とこの契約書の内容が違いすぎる。これはダメだよ」
説得を試みるも、クリスティーナは興奮状態にあるらしく、聞く耳持たずこう言い放つ。
「そんな事は些末な違いでしかないわ!」
「全然些末じゃないよ! 詐欺! これ立派な詐欺だから!」
「詐欺でも立派なら良いじゃない」
「そういうの無いから! ひっくり返るシステムみたいなの、詐欺には無いから!」
どうしよう、クリスティーナがポーラを力づくで愛人にしようとしている。しかも悪いやり方で。
いったいどうしたというのだろう。冷静にさせるため、少しの間を置く。
その間に、
「ここにサインすれば良いんですね~」
と、書類に手を伸ばす馬鹿女が1人。
「今それがまずいって話をしているんだけど聞いてなかったかなぁ!?」
そんなに難しい話はしていないはずだ。どこが解らなかったんだ……?
ポーラは言う。
「聞いてましたとも! ちゃんと聞いてました! 鷺のお肉は美味しい、みたいな話だったと把握してます!」
「思ってた以上に把握出来ていない!?」
「ところでこの……紙? には、なんて書いてあるんですかぁ?」
「サインを書こうとする前に聞く事だよねそれ! 順番逆だからね!?」
「サインをした後に内容を教えるわ。借金、肩代わりして欲しいわよね?」
1線を越え続ける提案をするクリスティーナ。
「してほしいです!」
大喜びの馬鹿。
「クリスティーナ? それは一番やっちゃいけない事だよ? ダメだからね?」
本当にどうしたというのだ、俺の嫁は、いつもは知的で品格と風格があって素敵だというのに、なんというかこれでは…………いや、待て。
初めて出会った時のクリスティーナは、俺の身体を操って好きな言葉を喋らせて、言質を捏造しようとしてたな……?
結構がっつり、欲しいもののためなら手段を選ばない人間だ、というのは、最初の頃からずっとそうだったかもしれない。
でもだとしたら、クリスティーナは今、それほどまでにポーラが欲しいと? なんで?
「落ち着いて説明して欲しいんだけど」契約書を取り上げて、俺はクリスティーナに問う。「どうして、彼女にこれを?」
と。
この愛人契約。サーシャにも書いて貰ってしまっているが、元々サーシャでは「都合がつかない」ともクリスティーナは言っていた。
クリスティーナは子供を産めない突然変異であるため、愛人、妾を俺に作らせ、その第1子を引き取るという契約書を作った。そして、クリスティーナが思う愛人・妾の条件は下記だったはずだ。
・ひとつ、クリスティーナとアルメルの子供である事を、周りに納得させる容姿であること。
・ふたつ、クリスティーナと仲良くなれること。
・みっつ、バカだけど、弁える知能はある事。
まずひとつ目。これは、表面だけ見ると成立する。クリスティーナは金色のカツラを着用しているし、目は人前では常に閉じている。俺は金髪金目。そして、ポーラも金髪金目だ。髪、目、肌の色だけを見れば、血筋であると偽造は可能だろう。
だが、俺は言う。
「――この乳は盛りすぎだと思う」
「――スタイルは盛ってなんぼよ。コルセットが正装に含まれる社会なのよ?」
確かに。
コルセット。お腹周りを硬い物で矯正して一時的にスタイルを良く見せる目的でも使われている、貴族社会では必須のアイテムだ。
それでも、クリスティーナは胸周りは、あるにはある、というか、普通にあるほうではあるのだが、ポーラの胸周りはもう、あるとかないの次元では無い。もうなんかこう、これはあれ。その空間に胸があるんじゃなくて、その空間そのものが胸。もうそういうレベル。
そしてふたつ目。
「クリスティーナと仲良くなれるかどうかも怪しいよ? この馬鹿さだよ??」
「頭の悪さと性格は関係ないわ。この見た目があるのよ。この見た目よ? 見なさいアルメル。ほら」
クリスティーナはポーラの後ろに回り込むと、彼女の耳回りを手のひらで覆うようにして掴み、俺のほうへ向けた。
「ほらかわいいぃぃぃぃ……」
まぁうん……確かに……顔は……ね? でも、クリスティーナのほうが可愛いけどね? あとサーシャのほうが可愛い。ポーラの顔の造形は確かに綺麗なんだけど、なんだろう、そそらないんだよなぁ……。だからクリスティーナのように、夢中になれるほどに見惚れる事が出来ない。
ついでにみっつ目。
俺は言う。
「確かに馬鹿だけど、弁える知能も無いレベルだと思うよ?」
「……確かに」
ようやく、クリスティーナの暴走に少しだけブレーキがかかる。
俺はゆっくりと歩み寄り、ポーラの耳回りを不躾に押さえつけているクリスティーナの手を、優しく解く。
「クリスティーナが焦る気持ちは解るけれど、こちらには条件があって、彼女はそれに合致しない。そして何より、彼女の意思もある。ないがしろにしてはいけない」
ふぅ、決まった。
これで場は落ち着き、一件落着するだろう。
「アルメルはやっぱり、優しいのね」
クリスティーナは静かにそう言う。
そう言った後に、こうも言う。
「――因みに手遅れよ。サインは書かせたわ」
「えぇええ!?」
書類を見る。確かに、結構綺麗な字でポーラのサインが記入されている。
いつの間に!? と驚いていたら、
「あれぇえ!? いつの間に!?」
と、ポーラも驚いていた。
「あ、これ、書かせたな!?」
「私決めたの! この子の言質を捏造してでもこの子を私達の愛人にするって!」
「決めないで!? 俺と彼女の意見もちゃんと聞いて!?」
ふと、殆ど脅迫みたな強烈な目つきに変貌し、クリスティーナはその目を開き、俺に言う。
「サーシャとの愛人関係、許可してあげたわよね? 解除されたいの?」
「ごめんなさい」
そうだった、俺今、彼女に逆らえないんだった。
「大丈夫よポーラちゃん、いえ、ポーラたん? へへ……悪いようにはしないわ。ただちょっと……へへ」
人生で初めてクリスティーナに気持ち悪いという感想を抱きました。
いや、愛してるけどね? 愛してるんだけど、なんだろう、厄介ヲタク感がするというか、なんかこう……。えぇ……。
こうなったら、ポーラ本人に拒否をしてもらわないといけないわけだが、当の本人はというと、間抜け面でもって、こう言い放つのだった。
「――なんか良い匂いがします!」
ぷっつん、である。
俺はそこで、思考を止めた。




