第1話・これから必要になるはずだったので
長く感じた夏の終わりを告げるように、朝夕は少しずつ冷え、虫達が鳴らす鈴の音が部屋の外から、村の外から、イディムの森のそこかしこから響いている。
夕日が窓から差し込んで、作業する俺の手元を過剰に照らす。
俺はその光を頼りに、作業していた『それ』に魔力を込め、そして、虫の鳴き声を背景に、歌う。
「らーらーらーらーらー」
出来るだけ平坦に、だけでも音程は確実に、丁寧に。
それから、『それ』と繋がっているもうひとつの『これ』に魔力を込める。
するとどうだろう。なんと、先ほど歌った俺の声が!!
『ジリリリリリリリリリ! ピーヒャラピーヒャラ! ジリリリリリリrrrr』
なーんも聞こえなかった。全部虫の声。最悪である。
手元にあるのは、コカトリスの声帯だ。
コカトリスは、人間の声、というか他生物の声や音を模倣し、相手を誘き寄せて襲う魔獣で、硬く大きな羽が羽ペンや装飾に用いられる事が多い。肉は魔力のせいかあるいは肉食のせいか、好んで食す地域は少ないという。ただ、タンパク質は豊富なので、好まずに食べる地域は多い。食欲が減退する味という事もあり、ダイエット食としても人気だ。
そんなコカトリスの声帯だが、今までは見向きもされていなかった。ギルドの資料室を漁ると、第1器官に魔力を込める事で流れる音を蓄積し、それと管で繋がっている第2器官に魔力を込める事で音を発しているという。しかも、その精度は極めて高い。聞いた相手を、本当に人の声だと間違わせるために進化したという器官。
ならこれ、音源作成に使えるんじゃないだろうか!? そう思いついた時はもう、奇跡の出会いだと確信したものだ。
だというのにまぁね。もうね。ほんとね。
よし。
「……燃やすか、森」
録音実験、日時を変えて通算10回目。
未だに、人の声は録音出来ない。
「ダメに決まっているでしょう」
独り言として呟いたのだが、ジャストタイミングで部屋に入って来た女性に聞かれたらしく、叱られる。キラキラと輝くピンクの髪。閉ざされた瞳。ラブリーマイハニーことクリスティーナである。
「順調かしら。その……オンゲン作成? というのは」
クリスティーナは俺の元へゆったりと歩み寄りながら訪ねる。俺は浅いため息を吐きながら答えた。
「虫の声以外を録音してくれない。虫の声が無い時間帯でも同じ。日時を変えても同じ。……何が違うんだろう」
「コカトリスは間違いなく、人間の声も模倣して襲ってくるわよね。私も遭遇した事があるけれど、見事に人の声だったわ。こう……人の悲鳴で、『助けて』とか『やめて』とか叫んでいたわ」
「それは、男の声だった? 女の声だった?」
「両方居たわ」
「となると、音の高さってわけでも無いか……」
ひとまず、現段階で仮説を立てるのは危険だ。まだまだ情報を集めるターンだろう。
俺は思考を切り替えて、身体をクリスティーナのほうに向けながら微笑む。
「それで、どうしたの? ご飯にはまだ早いよね」
夫婦の日常的なやり取りで微笑みながらの問いかけ。下心が無いわけがないのである。
俺は今、ときめいている。ときめきをメモリーしている。
夕暮れ。夫婦2人っきり。いつもと違う空気。
これはもう、クリスティーナがいちゃいちゃの時間を所望しているに違いない! と!
そういえばである。朝晩が寒くなって来たという事はすなわちお風呂なんかも大切になるわけでね。
この世界においては風呂は贅沢な事で、週に数回大衆浴場で身体を綺麗にするというのが民間の常識だ。中世というともう少し風呂キャンセルな風潮をイメージしていた時期もあったが、少なくともこの世界のこの時代においては、結構清潔なのである。
上下水道の開発によってセルト村は大衆浴場も活発になった。そうなるとやはり、村全体の清潔感というか、匂いというか空気みたいなのが大きく変わったように思う。つまりお風呂とは大切で幸せな事なのだ。
お風呂というだけで幸せで大切なのに、それが愛する妻と一緒にともなればもうマジヤバいはず。この家にはお風呂があるし、ワンチャンね? 夫婦だしね? げへへ。
そうなればもう夫としてね? 当然、迎え入れる心構えが必要なわけで、
「教会から手紙よ」
言いながら、クリスティーナは封筒をひとつ、俺に渡して来る。蝋で封されているちゃんとした手紙。うーん、これは業務連絡ですね、教会からも、クリスティーナからも。
全然要らなかったわ、心構え。期待させやがって。教会の信者やめるぞ。
手紙を受け取るついでに手が触れあったりしないかなーと、ときめきチャレンジもしてみたがそんな事はなく。
「それで、どんな内容?」
気になっていたらしいクリスティーナは俺の後ろへ回り込み、俺の肩を掴んで机のほうに身体を向けさせてくる。結構な勢いだったので「ぐえ」という声が出た。
「ふふ、アヒルみたいな声」
とクリスティーナが笑う。誰が出させたんだ、誰が。
イチャイチャもできないしアヒルにされるしで不服を表情に出して伝えながらも、教会からの手紙に視線をやる。立派な封筒。しっかりとした蝋による封。これは、ただ事ではないと思う。かなり重要な通達だと思われる。気楽に読んで良いものでは無いかもしれない。と、気を引き締めるため、ひとつ、浅い深呼吸をした。
教会。
正式名称を、ルキファタム教会という。ルキファタムという女神を信仰し、人々の生活に無くてはならない存在とまでなっている、ディグステニア王国唯一にして最大の宗教組織。
国や貴族による命令だけで人々を導けるほど、この時代の治世は優れていない。遵法精神や道徳心の教育は未熟と言える。普通の教育すら未熟なのだから、当たり前だ。そんな中で秩序維持に最も貢献しているのが、このルキファタム教会である。
そんな、秩序維持の一端を担っている教会からの重要な通達ともなれば、それはもう重要な通達であろうという事だ。何故なら多分重要な通達だから。
そんな教会から封筒を、ゆっくりと開ける。
クリスティーナは肩に手を置いたまま、少しだけその手に体重をかけてきた。一緒に読もうとしているようだ。
……というか、実家の家格はクリスティーナのほうが上なのだから、クリスティーナが読んでもよかったんだよな、と、羊皮紙を広げた後になって思った。
だが、時すでになんとやら。クリスティーナにも見やすいような配置を心掛けながら、その内容を確認する。
そして。
「…………ぇ」
「…………は?」
2人揃って、力の抜けた声を出す。そして、2人揃って唖然としながら目を合わせ、意を決して頷き合った。
「シンシア! シンシアは居るか!」
忠臣の名前を呼びながら部屋を出る。
まずい。これは、本当にまずい。今すぐ行動しなければならない。
「なんすか、どうしました」
どこからともなく現れる、がっしりとした体格の中年男性。最近ぎっくり腰に怯えるようになった我が右腕、シンシアだ。
「今すぐ馬車を出してくれ!」
言うと、シンシアは血相を変えた。
「流石に無理っすよ! 夜のイディムの森で馬車を走らせるなんて!」
「ぐうっ」
俺が言い返せなくなると、クリスティーナが続く。
「どうして、可能な限り早く、教会に問い合わせに行かないといけないの。非常事態なのよ」
自分達でも分かる。俺達は今、冷静ではない。かなり慌てている。本当に、悪い方向に時代が変わろうとしている瞬間に立ち会っているという自負がある。
しかし、この場で唯一冷静なシンシアが宥める。
「無理なもんは無理っす。冷静になって……そう、明日の日の出と共に出立しましょう。どうっすか?」
言われ、荒くなっていた呼吸を鎮めようと、何度も深呼吸する。
悠長にはしていられない。これは、本当に、世界が変わりかねない事態なのだ。だが考えてみれば、確かにシンシアの言う通り、明日の朝でも構わない。
数秒の間が開き、俺達が少しずつ落ち着いてきた事を察したのか、シンシアが尋ねる。
「それで、どうしたんすか? 片方だけがハイになるならともかく、2人揃って取り乱すなんて、珍しい」
その問いに答える前に、俺はクリスティーナと顔を合わせた。クリスティーナが頷いたので、俺が答える。教会からの通達を。
「教会からの通達だ。ディグステニア王国全域を以て――大衆浴場の使用を全面的に、完全に禁止とする、と」
などという、世紀の大悪法を。
【告知】
試験的に、『南乗七史』でXを始めてみました。
変な人なのでアレがアレですが、気が向きましたら是非とも絡んでやってください。
これから諸々があって更新速度が落ちてしまいますが、ツイートくらいなら出張先からも出来るかなと思います。




