家族
大宮の家が賑やかになってきたのは、それから夜の話。
律子が帰宅したのが夕方で、そば屋「大味谷」の仕事が終わった大宮夫妻が富勇たちの前に姿を現したのは、夜になってから。
里子は疲れたようにグッタリしていたが、永嗣は一日中働いてもなお、元気さを失っていなかった。
どころか、より一層と元気になったような気がする、と富勇は目を見張った。
「どりゃああああああ! こいつが永嗣お手製のそばだ、どんなもんだい。へへっ」
そう言って、永嗣は富勇たちにそばを振る舞ってくれた。
富勇と涼香は喜んでそばをすすり、キレイに平らげた。
そばはこの国にはもったいないくらい、美味なものだった。
食後のあと、富勇は永嗣からバイクの乗り方について教えてもらった。
「どうだ、運転できるか?」
そう永嗣から聞かれたが、涼香を乗せて運転できる自信はなかったはずなのに、つい富勇は強がりで「問題ない」と答えてしまった。
「そうか、なら安心したぜ」
豪快に笑い声を上げる永嗣を見て、富勇は曖昧にうなずくほかなかった。
富勇は律子とちゃぶ台で二人きりになる機会があったので、彼女に声をかけた。
「面白い家族だな」
律子はニコリと笑うと、「そう思います?」と湯呑みのお茶を一口すすった。
富勇は大きくうなずく。
「ああ。こんなにも愉快な家族なら、毎日が楽しそうだ」
「ふふっ。朝倉さんたちがやってきてから、父も母もご機嫌なんです。かくいうわたしだって、そうなんですからね」
最近まで律子が塞ぎこんでいたことを思い出し、富勇はわずかに沈黙した。
「そういや、エリアも違うのに……佐々木さんとは、どういう縁で知り合ったんだ?」
律子は宙を見つめたかと思えば、「わたし、日本人に誘拐されたんです」と平然とした顔で何やら話し始めた。
「誘拐犯は、わたしがそば屋「大味谷」の人間だと分からなかったらしく……それで連れ回された場所がキャバクラ店でして。
で、そのときの一人目のキャストが佐々木さん、だったんです」
「うん……それで?」
当時の状況を真似したのか、突然律子はあらぬ方向を指差し、はっちゃけた様子で「あっ! 王妃様から特別扱いにされている、そば屋『大味谷』の一人娘だぁ」と叫んだ。
これは涼香の真似だろう、富勇はその完成度の高さに驚き、一方で面白がり、ついに大笑いした。
「今のはさすがになぁ、佐々木さんそっくりだ」
ケタケタと笑う律子。
「そうですか? それじゃあ、あとで佐々木さんに告げ口しておきますね」
「……いや! それには及ばないから、きみはさっきの話の続きをしゃべってくれるか、頼むから」
「そうでしょうか……? 先ほどの話の続きなんて、あれですよ、あれ……『誘拐犯は王妃様の報復を恐れ、そば屋の一人娘は解放されて、彼女は命の恩人のキャバ嬢と親しくなった』くらいですよ」
「そうそう、それが聞きたかったんだ。そうさ、そうとも」
富勇はしきりとうんうんとうなずいた。
この状況を律子は楽しんでいるのか、彼女は満面の笑みで富勇を見ていた。
「それとですね、佐々木さんの真似なら、まだまだ取り揃えてありますよ」
「いや、結構だ」
「果たしてそうでしょうか? 完全に酔ったときにしか見せない、彼女のとろけ顔……全力で真似できます」
「ほう」
律子が真似するという意味でも、これは一度でもいいから見てみたいものだ、と富勇は襟を正し、あぐらから正座に組み替えた。
「どうぞ」
「いきます」
ああ、と富勇がうなずくと同時、フライパンでたたかれたかのような衝撃を、頭に食らった。
すっかり床に伸びてしまう富勇。
「ああ、ああ! 見える、見えるぞぉ……お星さまがいくつも見える」
「何してるの~、富勇く~ん……もしかしてだけど、このフライパンに魅了されちゃった?」
「う、む……いや、そんなことはない、です」
お星さまと仲良く遊び終えて我に返った富勇はというと、フライパンを手に提げた涼香の寄生虫を見るかのようなまなざしに恐怖で震え、すぐさま正座した。
一瞬だけ律子を恨めしく見たが、彼女はケロリとしていた。
「富勇くん?」
「ああ、どうかしたか?」
「……あのね」
言いにくそうにする涼香。
わずかに残ったお星さまを払いのけて、富勇は真面目な顔で「どうしたんだ、佐々木さん?」と再度涼香に呼びかけ、それからすぐに立ち上がった。
「佐々木さん」
「あのね、今すぐにでも出発がしたいんだ、富勇くん。……ダメ、かな?」
富勇を上目遣いで見てくる涼香。
かすかに富勇は息を呑んだが、それもつかの間、彼は不敵にほほ笑んだ。
「もちろんいいに決まってるだろう? 前にも言ったが、俺たちは一心同体だ。あんたが出発したいと言うなら、俺も同意見なんだ」
涼香の顔がパアッと明るくなる。
「ありがとう、富勇くん……!」
「おや、こんな夜中に出発ですか?」
席に座って湯呑みを飲んでいる律子は、どこか寂しげな表情を浮かべていた。
富勇はコクリとうなずき、「ああ、行ってくるよ」と力強く言ってから、キッチンで皿洗いをしている里子に一声かけた。
「まあ、出発かい? 道中気をつけるんだよ。ここらへんは安全地帯だけどね、少し離れれば、あちこちに凶暴な日本人が牙を研いで待ち構えているからね」
「ええ。……何かあれば、またお邪魔するかもしれませんがね」
「いいんだよ。また訪ねておいで。――ほら、あんた! 富勇くんと涼香ちゃんの出立だよ、来ておくれ」
それからしばらくしてから、永嗣もお茶の間に現れた。
「遅いよ、あんた」
里子から責められると、永嗣はバツが悪そうな顔をした。
「すまんすまん、ちょいと野暮用でな。……こいつを探していたんだ」
永嗣は「ほれ」とオレンジ色のおもちゃの銃のようなものを富勇に差し出した。
富勇は眉を持ち上げ、「おもちゃの銃か?」と彼に尋ねた。
永嗣は誇らしげに胸を張った。
「こいつはオレンジ銃っつうものでな。よほどのオレンジジュース好きでなければ、使いこなせない、いわゆる大抵の奴らからしたらガラクタ品に見える優れものだ」
「ガラクタなのか優れものなのか、よく分からないが……要は、サイダーナイフと同じ位置づけのものなんだな」
「おうともよ。無理にとは言わんが、持っておいて損はないはずだ。いつ何時、オレンジジュースを好きになるか、分からんからな」
つい昨日、ラブホテルでオレンジジュースを飲んだときのことを思い出した富勇は、思わず苦笑した。
「それもそうだな……一応、持っておくとするか」
「まっ、お近づきの印も兼ねてな」
永嗣は何度か富勇の肩を叩きながら、クツクツと笑うと、両手をパンと叩いた。
「話は以上、それ以上の引き止めは無用。――お前さん方、達者でな」
「ああ。みんな、元気でな」
「またね~」
富勇と涼香は永嗣と熱い握手を交わすと、温かな大宮家から冷たい風が吹きすさぶ冬の外に出た。




