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魔境行商編第3話 人喰い熊

「さっきの魔法、すごかったね! 青い炎なんて初めて見た!」


 魔女の葬儀屋の弔いを見た後は驚きや感動などで皆一様に言葉を失っていたけれど、行商の旅を再開する頃にはエマが興奮した様子で話している。


「ソフィも青い炎を出せるようになるの?」

「出し方がわからない」


 試しに青い炎を想像しながら魔力を放ったけれど、出てくるのは赤い炎だけだ。

 魔女本人も理屈をわかっていないらしい。確かなことは一つ。


「魔女を弔うときに勝手に青く染まったと聞いた。相手を思う気持ちが大事だと思う」

「弔いの気持ちかぁ、身近な人が亡くなったことないからわかんないかな」

「身近な人……」


 自分の周りで最近亡くなったのは波間の魔女だ。そのときに抱いた感情を思い出し、もう一度火を放つ。


「うおっ!? 黒い炎だぜ!」

「ソフィ、この炎はちょっと怖いよ」

「あまり良い感情に見えないね」

「その魔法は危険だ、封印してくれ」


 何故か黒い炎が出てきて、仲間は誰一人として受け入れてくれなかった。波間の魔女を殺害した災厄の魔女への怒りや憎しみが炎の色に表れてしまったのだろうか。


「火遊びはその辺にして、次のお客様のところへ参りますよ。次なるお客様はノトス大山脈で一番高い山にいらっしゃいます、山登り頑張りましょう」

「うっ」


 商人シモンが高くそびえる山々を手の平で指し示す。山の半分以上が雲に覆われて、山頂は見えない。けれど、その山の頂に魔女がいることは、はげ山にいるときからわかっている。


「あと、ノトス大山脈を縄張りとする『人喰い熊』がいますが、見かけても決して攻撃しないようにしてくださいねぇ」

「ひ、人喰い!?」

「なんか強そうだぜ!」

「……どうして攻撃してはいけないのですか?」

「実際に会えばわかりますよ」


 シモンが笑顔の裏に何かを隠しているように見えるけれど、人喰い熊を攻撃してはいけない理由はわからなかった。


「はぁ、はぁ……まだ登らないといけないの?」

「ぜぇ……空気が薄くなってきた気がするね。霧なのか雲の中なのか景色を楽しむことはできないけど」

「崖登るの、飽きてきたぜ。そろそろ他のことをやりたいな!」


 ノトス大山脈は山登りというより崖登りが主体だ。ロープを引っかけて登るのを数日かけて繰り返したけれど、まだ目的地には辿り着かない。

 その上、空気が(ふもと)より少なくてちゃんと休憩ができていない気がする。


「……」


 不意にヴェラットが無言で剣を鞘から抜いた。


「え、何? 敵襲!?」

「人喰い熊か!?」


 念のため魔力感知をするけれど、やはり近くに生き物の気配はない。


「違う。風魔法で移動しようかと思っただけだ。自力で登りたいのなら勝手にすればよいが……」

「風魔法で移動!? なんだか楽しそう!」

「オレにもやってくれ!」


 崖の側でヴェラットが剣を地面に突き刺す。柄を両手で握りしめると、指と指の隙間から緑色の魔力の光が漏れ出した。


「自由な風よ、我らの進む道を示せ」


 低くよく通る声でそう唱えると、どこからともなく風が吹いて霧や雲が消え去った。


「わぁ、綺麗!」


 進行方向には先が尖った山の稜線、振り返れば今まで登ってきた山々が見える。魔女の葬儀屋が住むはげ山がどこにあるのか、もはやわからない。


「風よ運べ、我らを崖の上へ」


 開けた視界に目を向けることなく、ヴェラットは続ける。身体がふわりと浮き上がり、足が地面から離れた。


「あ、あたし、空飛んでるよ!?」

「オレもだぜ! なんか変な感じがするな!」

「エマ、ソフィ。スカートをしっかり押さえてくれ。めくれてしまうよ」

「きゃあ! カイの変態!」

「僕がやったわけじゃないんだけど……」


 仲間やシモンも空を飛んでいる。ヴェラットだけ見当たらないと思ったら、微動だにせず剣の柄に填まった魔石に魔力を注いでいた。

 下を向いていてどんな表情をしているのが見えないけれど、憎き谷の魔女を彷彿とさせる魔法を使うことに抵抗はないのだろうか。


 崖より高いところまで運ばれて、今度はゆっくり下降する。誰一人怪我することなく地面に降り立つことができた。


 崖下から見下ろせば、ヴェラットが地面に突き刺した剣を抜いて土を払うのが見えた。片手で握られた柄の魔石が緑色の光を放ち、彼の身体は宙高く舞ってあっという間に私達の頭上を越える。

 ヴェラットが宙で一回転して着地した。着地音はほとんどなく、砂埃も舞わない。上げた横顔が思ったより凛々しくて、目を離せなくなる。


「怪我はないか?」


 その声にはっとして顔を逸らす。ヴェラットの顔が整っているのは今に始まったことではない。だから見惚れてしまうのは仕方のないことなのだ、きっと。


「ラットって魔法も使えるんだね! 剣も魔法も一流ってすごいなぁ」

「……一流というほどではあるまい。俺より剣術や魔法が優れた者は五万といる。お前らの見てきた世界が狭いだけだ」

「ラットより強いヤツがいっぱいいるってことか!? ワクワクするぜ!」


 ヴェラットは自分の実力を過小評価しすぎだと思う。それとも、彼が生きてきた世界は彼が弱さを自覚するほど化け物揃いなのだろうか。


 不意に雷鳴が轟いた。


「ひゃん!」


 エマが悲鳴を上げて耳を押さえる。

 ヴェラットが雲を払ったはずなのに、上空には再び雲が集まり始めている。その早さを見て自然の出来事でないことに気づく。

 そういえば、山を登る前から感じていたはずの魔力がどこにもない。


 ドシャーン、と雷が木に落ちると共に巨大な影が浮かび上がる。一瞬しか見えなかったけれど、一般的な人間の背丈より大きくてがっしりしていた。


「ま、まさか人喰い熊?」


 カイの声が震えている。

 どし、どし……と何かが歩く音。徐々に近づいてくる。


「え、本物!? 待って、どうすればいいの!?」

「とりあえず一発殴るか?」

「攻撃しては駄目だよ、レオ」


 カイが盾を構えて一歩前に出るけれど、及び腰なのは丸わかりだ。

 不意に私は何かを感じ取った。


 そして、ついに音の正体が姿を現す。


 強面で凛々しい顔立ち、鍛え上げられた肉体、巨大な槌、そして人間で言うと胸に相当する位置の妙な膨らみ。


「きゃああぁぁぁ!」

「で、出た……人喰い熊だ!」

「こいつは逃げ一択だな!」


 悲鳴を上げるエマと腰を抜かしたカイ、瞬時に身を翻すレオ。


「どこだ、人喰い熊!」


 そう言って辺りを見渡しているのはあの巨体だ。

 仲間達がさらに混乱する。


「ぎゃあ! く、クマがしゃべった!」

「とんでもねーヤツだな!」

「僕が殿を務めるから、ソフィも早く逃げてくれ!」


 カイがガクガクと震えながらも盾を構えるけれど、皆が逃げようとする理由がわからない。


「何で?」

「何でって、それはもちろん人喰い熊が……」

「熊なんてどこにもいないけれど」

「えっ?」


 エマが私の手を掴んで引っ張ろうとするけれど、私は一歩も動くつもりはない。皆が人喰い熊と呼ぶ者の正体に気づいているから。


「魔女。あれは魔女」

「は?」


 長身と呼ばれる部類のヴェラットより明らかに大きくて、歴戦の戦士のような顔立ちで大槌を持っているけれど。

 谷の魔女と同じくらいの魔女の気配が、その者の正体を告げていた。


「はあ!?」


 仲間達の声が重なる。

 信じられないのは私も同じだ。

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