閑話4 奴隷の子 後編
「自己紹介の練習だ。『僕はカイ、五歳だよ。よろしく』」
「カイと申します。よろしくお願い……」
「復唱するだけでいいのに、何で敬語になるんだい?」
「……あ」
孤児院へ向かう途中、騎士と自己紹介の練習をしたけど、なかなか上手くいかない。僕の中では同じ言葉を言っているつもりだけど、口に出すと何故か丁寧な言葉遣いになってしまうみたいだ。
「……カイはいつから奴隷なんだい?」
「生まれたときから、と伺ったことがあります」
「それは奴隷以外の生き方を知らなくて当然か……」
騎士から憐れみのこもった目を向けられた。
「……着いたよ、ここがベルーナ孤児院だ。……テレージアはいるか?」
「はい、お待ちしておりました」
玄関の鐘が鳴るとすぐに扉が開かれ、薄い紫色の髪をした女性が中から出てきた。
ご主人様の館には若い女性が多かったけど、この人はシワがあって老けた印象だ。そして赤色の瞳には今まで感じたことのない温かみがあって、慣れない僕は俯いてしまった。
「その子が館で発見された子どもでしょうか?」
「あぁ。奴隷としての生き方しか知らないから初めは戸惑うことばかりだと思うけど、よろしく頼む」
「えぇ、承りました。……こんにちは、孤児院長のテレージアよ。あなたのお名前は?」
テレージアさんは腰を屈めて僕と視線を合わせる。今まで見下されることはあっても同じ目線で話すことはなかったから、顔との距離の近さに驚いた。それでも騎士と練習した言葉を思い出し、口を開く。
「は、初めまして。カイと申し……じゃない。えーと、えーと。五歳だよ、よろしくね」
「えぇ、ようこそベルーナ村へ。わたし達はあなたを歓迎するわ」
柔らかい笑みを浮かべて、テレージアさんは手を差し出した。騎士を見上げると無言で頷かれたので、僕は自分の手を重ねる。テレージアさんと一緒に孤児院の中へ足を踏み入れる。
「元気でな、カイ」
扉が閉じる前、騎士のそんな言葉が聞こえた。名前も知らないけど僕を救った人だと今なら思える。当時はこれから何が起こるのか不安の方が多かったけど。
「一緒に過ごす子ども達を紹介するわ。扉を開けてもいいかしら?」
「……はい」
テレージアさんが扉を開けると、中にいる人達が一斉に振り返った。十人くらいはいるだろうか。思ったよりたくさんの視線に僕は固まってしまう。
「あ、院長先生だ!」
「一緒にお絵かきしようよ」
「となりの男の子はだぁれ?」
「肌が白くてお人形みたい」
「ねぇ、名前は何て言うの?」
あちらこちらから声が上がって全てを聞き取ることはできなかった。
「はいはい、皆さん静かにしましょうね。一度に話しかけたら答えるのが大変でしょう?」
「あ、ごめんね!」
テレージアさんの一声でざわめきは落ち着いた。でも、皆が期待した目でこちらを見るから、怖くなった僕はテレージアさんの背中に隠れる。
……今日からここで過ごすのだから、一歩踏み出さないと。
そう思っても体は動かない。いっそ命令してくれれば楽なのに、テレージアさんは僕を静かに見守るだけだ。命令ではなく、自分の意思で行動してほしい。そんな意図が読める気がした。
僕は勇気を振り絞ってひょこりと顔を覗かせた。相変わらず多くの人に見られていて怯むけど、呼吸を整えて言う。
「初めまして。僕はカイ、五歳だよ。よろしく」
騎士と練習した通りの言葉を言えただろうか。バクバクという心臓の音が聞こえる。無言の静寂が一生続くように感じた。
でも。
「カイって言うんだね! あたしはエマ、七歳だよ。よろしく!」
「ぼくは……」
「あたしは……」
薄い黄色の髪をした女の子を皮切りに、皆が名前を教えてくれた。他の人と被ってほとんど聞こえなかったけど。
「カイ、一緒に遊ぼ!」
「え……」
「ずるい! カイとはわたしと遊びたいでしょ?」
「えっと……」
「女の子と遊ぶよりオレらと遊んだ方が楽しいぜ!」
「わっ……」
一通り挨拶が終わると色んな人から誘われた。おままごとにごっこ遊び、かくれんぼ……どれも聞いたことのないものだ。
そもそも、奴隷だった僕に遊ぶ時間はなかった。同年代の子どももいるはずがなく、一番年が近い人でも成人間近。そんな僕がいきなり子どもしかいない世界に放り込まれても戸惑いしかない。
テレージアさんが「全員で一緒に遊べるものにしましょう」と提案してくれなければ、僕は誰とどのように遊べばいいかわからなかっただろう。
「カイ、わかんないことがあったらなんでもあたしに聞いてね! エマお姉ちゃんに任せてよ」
エマという女の子の大輪が咲いたかのような笑顔は、僕の呼吸を一瞬止めさせ、周りの音が一切聞こえなくなった。
時が少しの間止まった後、何事もなかったように動き出す。気がつくとエマは不思議そうな顔で僕を見ていた。
「あたしの顔をじっと見てるけど、何かついてる?」
「……へっ? あ、いや、そんなんじゃなくて……」
「ふーん、変なの」
そう言うとエマは再び笑う。彼女の笑顔は雲一つないお日様のようで、とても眩しかった。
彼女はとても自由な人で、いつも孤児院を抜け出しては叱られていた。
皆が眠った後もどこかに出かけているみたいだけど、部屋を抜け出したところをこっそりついていってもエマはどこにもいなかった。
「エマは毎晩どこに行ってるの?」
「へっ!? お、お手洗いだよ! 森なんて行ってないからね!?」
「そうなんだ」
当時の僕は疑うことを知らなかったけど、今思えば何らかの方法で孤児院を抜け出して森へ行っていたのだろう。
村の近くの森ならば、エマに連れられて一度だけ行ったことがある。そこで何をしていたかはわからずじまいだけど。
お喋りなエマのおかげで僕も少しずつ普通の言葉遣いを覚えていき、他の子ども達とも仲良くなった。
それでも僕の中でエマだけが輝いて見える理由がわからず、孤児院長であるテレージアさんに聞いた。
「あら……ふふっ。それは恋かもしれないわ」
「こい?」
「えぇ、ずっと一緒にいたいと思える人がいることよ。エマを他の子に取られたら嫌でしょう?」
「……うん」
「カイはそれだけエマのことが好きってことよ。でも、独り占めはよくないわ。彼女には自由に生きてほしいから」
「ぼくもそう思う」
誰にも縛られることなくありのままに生きる彼女が何よりも魅力的だった。自由こそが彼女の生き方だ。そして、そんなエマについていけば、僕も自由とは何かわかるような気がした。
だから僕は孤児院を抜け出した。誰かの命令に従うことのない生き方を求めて。




