閑話4 奴隷の子 前編
最初の記憶は鉄格子に囲まれた部屋だった。それを檻と呼ぶことを知ったのは、自由の身になってからだ。
僕、カイは王都の貴族男性と奴隷の女性の間に生まれて、生を受けたその日から貴族に仕えることを宿命づけられた。
生まれながらにして奴隷、寝る場所は檻の中、母親は僕を生んですぐに死亡。
ご主人様の許可なく檻から出ることも許されてなかったし、ご主人様に仕えるようになってからも館から外に出ることができなかったから、幼少期の僕の生活は狭い檻の中で完結している。
もしも騎士団に気づかれることがなかったら、僕は一生貴族に仕えていたかもしれない。
そんな、思い出すだけでお腹に入っているものを吐いてしまうから自ら封印した、過去の記憶。
いつからなのか知らないけど、僕は檻の中で育った。食事は一日に一度出される固いパンとほとんど水のスープのみ。身体は痩せ細り、肌は色白で腐った匂いがこびりついていた。
もしかしたら、生まれてから一度も檻から出たことがないかもしれない。
「出ろ」
ある日恰幅のいい男性がそう言って檻の扉を開けた。毎夜のように僕がいる檻を素通りして隣の部屋で遊んでいる人だ。
時々聞こえる女性と思われる声が苦しそうで、僕は隣が静かになるまで眠れない夜を過ごしている。眠りの妨げになっている人が僕に何の用だろうか。
男性を見上げたまま動かない僕に、彼は苛立たしげに舌打ちをした。
「聞こえなかったのか? 今すぐ立て。そしてここを出ろ」
「は、はい!」
この人には逆らってはいけないと本能的に感じ、僕は言われた通り立ち上がって、恐らく人生で初めて檻の外に出た。
外に出て最初にされたのは身体を綺麗にすることだった。全身にこびりついた汚れを落とし、お湯で洗い流して布で拭く。
そしてご主人様――檻の扉を開けた恰幅のいい人――に仕える者の制服を着せられた。
長く伸びた髪の毛も切り揃えられ、僕はご主人様の部屋へ行った。
「お前の仕事は私の世話をすることと使用人にもできる書類作業をすることだ。お前は奴隷で私が主人であることは忘れるな」
「はい」
「まずは最低限の教養を身につけてもらう。使用人の一人をつけるから、彼に教えを乞え」
「わかりました」
僕の返答が気に食わなかったのか、ご主人様は眉をひそめた。
「『わかりました』ではない、『かしこまりました』だ」
「か、かしこまり……?」
「もうよい。身分差を弁えた言葉遣いを身につけるまで私の前に姿を見せるな」
ご主人様の部屋を追い出された僕は、檻の中でありとあらゆる教育を詰め込まれた。
敬語、身だしなみ、仕える者の心得、お茶の入れ方や着替えの手伝い方など仕えるのに必要な物事、さらにはこの国の地図や歴史まで幅広く。
当然一度で覚えられるものではなかったが、教えてくれる使用人は一刻も早くこの場から離れたいのか、一度教えたものは二度と教えてくれない。だから必死に覚えるしかなかった。
数か月後、ご主人様の前に出しても問題ないと判断された僕は檻の外に出た。
物心ついた頃は汚くて不快な匂いが充満していた檻だったけど、身だしなみやご主人様の周りを清潔に保つことを教わってからは毎日眠る部屋が臭いのが我慢できなくなって、一人で掃除したのだ。
「ご主人様、おはようございます」
ご主人様が朝いらっしゃるのは隣の檻の中だ。そこには数人の女性がいるが、どの人も目に生気がない。ここでご主人様が何をしているかは考えないようにしている。
風呂のお湯を温めてからご主人様を起こしに行き、風呂で身体を清潔にした後は朝食。食べ終わったらご主人様はお仕事に行かれるから、その間に洗濯掃除洗い物などの雑用をこなす。帰宅後は……
一日のやるべきことを思い出していると、玄関扉の鐘が鳴った。玄関に向かうのは使用人の一人だ。僕は地下の檻に戻るよう命令されたけど、その前に扉が蹴り飛ばされた。
「王国騎士団だ。違法奴隷がいると通報があった! 陛下と騎士団長の許可は得た。地下への入り口を探せ!」
「はっ!」
全身に金属の鎧を纏った騎士団が建物の中に入ってくる。すぐさまご主人様と抵抗した一部の使用人が捕縛された。縄でぐるぐる巻きにされたご主人様と目が合う。
「おい、何そこで突っ立っているのだ! 私の命令に従え!」
今思えば助けろという意味だったのだろうけど、当時の僕には別の意味に聞こえた。
――地下の檻に戻れ。
それが僕に課された命令だ。
「おい、何をしている! 聞こえないのか!?」
「仰せのままに」
その場に跪いてから、僕は立ち上がり踵を返した。僕を警戒していた騎士が困惑した様子で僕の後をつける。部屋の扉が閉じられると、ご主人様の声は聞こえなくなった。
地下に行く階段がある部屋に行こうとすると、騎士団の一人が行く手を塞いだ。
「すまないが、どこに行くつもりだい? 勝手な行動をするなら君も捕まえなければならない」
「ご主人様に部屋に戻るよう命じられただけです」
「ご主人様? もしや、君は奴隷なのかい?」
「はい」
「なら、地下牢があるはずなんだけど、その入り口がどこか知ってるかい? 僕達は君のように囚われの身になった人を救いに来たんだ」
――彼女らのことは口にするな。
隣の部屋にいる女性について尋ねたとき、ご主人様に秘密にするよう命令された。この人達には隠さなければならない。
「こ、この先に性奴隷はいません!」
「性奴隷!?」
誰もいないと言い張ったつもりだけど、相手の疑念は深まるばかりだった。
「何故子どもがそんな言葉を……」
「捕まっている女性が中にいるからに決まっているだろう」
「被害者は男性に近寄られるのは嫌なはずだ。女性陣、見たくないものを見るかもしれぬが、救出を頼めるか?」
「はっ!」
部屋の扉が開くと騎士団は隠し扉がないか調査し、すぐに地下へと続く階段が発見された。女性のみが降りていき、僕は男性の騎士と共に待機している。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったね。そもそも、君に名前はあるのかい?」
騎士に問われて僕は首を傾げた。ご主人様に呼ばれるときは「おい」か「お前」だけど、それが名前というわけではないだろう。
記憶を辿っていると、様々なことを教えてくれた人が僕を呼んでいた名前を思い出した。
「……カイ」
「お?」
「僕はカイと申します。以後お見知りおきを」
「カイって言うんだ。よい名だね」
兜を外した騎士が僕の名前を繰り返す。
「まずはその丁寧な口調をどうにかしようか。個性は大事だけど、周りから浮いてしまうのは困るからね」
「周り……ですか?」
ご主人様以外全員敬語を話すここで、僕の口調が浮くことはないだろう。そう思ったけど、騎士は「君を救出した後の話だよ」と言った。
「君は恐らく近くの村の孤児院に引き取られることになる。君と同じように親を失った子どもが生活する場所だ。生活が苦しくて捨てられた子もいるし、文字の読み書きやお金の数え方など必要最低限のことは教えても敬語を教えることはないだろう。君のように丁寧な口調で話す子どもはゼロに等しい。子ども達はその違いを受け入れることができるのかな」
初めて耳にすることをたくさん言われて理解が追いつかなかったけど、これだけは知りたいことがあった。
「……僕はここから出ることができるのですか?」
檻の中で過ごした日々。檻の外に出ても建物から一歩外に出ることは許されなかった。そんな僕がご主人様の許可なしに外に出てもいいのだろうか。
「当たり前じゃないか。だって君を縛りつけるものはもうないのだから」
「……え?」
「主人に従う必要はないよ。君は奴隷なんかじゃない。自由に生きる道を選ぶことができるんだ」
カイは外に出て何がしたいんだい? と問われたけど、外に出られる日が来るとは夢にも思ってなかった僕は答えることができなかった。
「……まぁ、ゆっくり考えればいいよ。奴隷は全員救出できたみたいだから、僕達も移動しようか」
そうして僕は馬車に乗せられ王都を出て、孤児院のある村に着いた。
ベルーナ村と言うらしい。




