第4話 燃える孤児院と黒髪の少女
「え、火事!?」
エマも匂いを嗅ぐが、何も感じない。しかし、山で育ったルドルフの五感が優れているのは知っているので、彼が煙の匂いを感じたのならどこかで燃えているのだろう。
ルドルフが大通りの先を指差した。
「あっちだ」
「ここから離れた方がいいんじゃ……」
「ほんとだ! 様子を見に行こっか」
「エマ、それは危ないよ」
「離れたところで見るだけだから大丈夫だよ! それに、あたしは水魔法の使い手なんだもん」
“まじょさん”から貰った杖を強く握りしめ、エマは煙が上がっている方へ走り出した。
ルドルフも彼女の後に続けば、一人残されたカイもついていくしかない。
燃えていたのは広場に面する立派な建物だった。周りに建物がないから燃え移ることはなさそうだが、激しく燃えていて水魔法を数人がかりでぶつけても弱まる気配がない。
ふとエマは建物の前に少女が立っていることに気づく。その身体がふらつくのを見たエマは迷わず駆け出した。
「危ないっ!」
少女が地面に倒れる前に滑り込んでなんとか受け止めた。少女は気を失っているようだ。色白な肌に長いまつ毛。髪は黒く、三つ編みを二つ垂らしている。五歳前後だろうか。
「人形みたいでかわいい……」
「エマ、上!」
「え?」
カイの切羽詰まった声にエマが顔を上げると、燃える板材が自分に向かって降ってくるのが見えた。滑り込みで少女を抱えた状態のエマには避ける術がない。せめて少女だけでも守ろうとエマは彼女に覆い被さった。
「やあっ!」
幼さの残る声がした。熱さはいつまで経っても襲ってこない。恐る恐る目を開けると、カイがお鍋の蓋を持って肩で息をしていた。板材はエマを挟んで反対側にある。彼が弾き飛ばしたのだろうか。
「エマ、早く建物から離れて!」
「う、うん!」
カイに手を引かれてエマと少女は燃える建物から離れる。何故か離れて見ているはずのルドルフとすれ違い、エマは思わず振り返った。ルドルフは迷いのない足取りで燃える建物に向かっている。
「ルドルフ、どこに行くの!?」
「人の匂いがする。中に誰かいるかもしれない」
「こんな火事で生きてる人なんていないよ!」
「いや、まだ息遣いが聞こえる」
「せめて火事が収まってからに……!」
エマの制止を聞かずにルドルフは燃える建物に足を踏み入れた。エマは早く戻ってきてと建物の入り口をじっと見つめる。
いつまでそうしていただろうか、ルドルフが火傷を負った状態で戻って来た。
「ルドルフ、今回復させるね!」
「いや、俺よりもコイツを優先してくれ」
ルドルフの腕の中には皮膚が焼け爛れた子どもがいた。辛うじて息はあるが、危機的な状態にあるのは一目でわかった。
「ひどい……」
「治せるか?」
「……わかんないけど、がんばる」
少女を安全な場所に寝かせて、エマは酷い火傷を負った少年に向き直る。
「魔法は信じる心があれば何でもできるんだよね、“まじょさん”」
杖と魔法の使い方を授けた師匠の言葉を呟き、エマは杖を構える。魔力を込めると、黒っぽい魔石が青白い光を放つ。
目を閉じて懸命に祈る彼女には見えないが、火傷の跡が徐々に消えていった。
魔力の放出が完全になくなり、エマは目を開けた。綺麗な肌を取り戻した少年がすやすやと眠っている。
「良かったぁ。……あ、あれ?」
身体から力が抜けて、その場に座り込んでしまう。少年を回復させるのにかなりの魔力を消費したようだ。
「君達、大丈夫か? 危険だから孤児院から離れなさい」
兵士が駆けつけて、エマ達を安全な場所へ誘導する。
「孤児院って、あの燃えてる建物のこと?」
「勿論そうだが……あれ、君達見かけない顔だね。赤毛の少年は知ってるが、他はどこから来たんだい?」
「えっと……カイ、あたし達が住んでた村の名前って何だっけ?」
答えに窮したエマは隣のカイに小声で助けを求める。
「ベルーナ村だよ」
「ありがとう。……あたし達はベルーナ村の孤児院を出て、王都で働くつもりなの。ほら、身分証もあるよ」
「どれどれ……」
エマとカイとルドルフ、三人分の身分証を確認した兵士は未だに目を覚まさない黒髪の女の子に目を向けた。
「君達三人の身元はわかったけど、そこで寝ている子は誰だい?」
「あたしもわかんないの。あの燃えてる建物の前で気を失うのを見たけど、孤児院の子なのかな?」
「……いや。孤児院の子どもは全員覚えているが、黒髪の子はいなかったはずだ。村でも見かけたことがないな」
「じゃあ、この子はどこから来たの?」
エマの疑問に答えられる人はいなかった。
「ん……」
不意に黒髪の少女が目を覚ました。何度も瞬きをする間に意識がはっきりしてきたようだ。
「あっ、起きたよ! 大丈夫?」
「……」
「あたしはエマ。あなたのお名前は?」
「……なまえ?」
少女はエマの言葉を繰り返し、首を傾げた。
「もしかして、覚えていないの?」
こくりと頷く少女。
「じゃあ、どこから来たの?」
「知らない」
「お家は?」
「知らない」
「親は?」
「知らない」
どの質問をしても返ってくるのは同じで、エマは大人である兵士に助けを求めた。
「……記憶喪失、かもしれん」
「きおくそーしつ?」
「記憶の一部を忘れることだ。自分の名前も親も住まいも知らないなら、全てを忘れてしまった可能性があるな」
「そんな……」
五歳前後の少女が背負うには重すぎるものに、エマはかける言葉をなくしたかに見えた。しかし、次の瞬間には笑みを浮かべて少女に迫っていた。
「じゃあ、あたしがつけてあげる!」
「は?」
「何がいいかなぁ。可愛い? 人形? 黒……は似合わないなぁ」
「……他も人の名前に相応しいのかなぁ」
「ん? 何か言った、カイ?」
「何でもないよ、エマ」
うーん、と少女を見ながら熟考するエマは、焦げ茶色の瞳を見て、どこで見たのか思い出した。
エマが五歳頃の話だろうか、いつものように森の中の小屋を訪ねると“まじょさん”が黒い髪をした小さな子どもを抱いていたのだ。
――お人形さんみたいでかわいいね! “まじょさん”の子どもなの?
――いや、捨て子だよ。
――名前は何ていうの?
――この子の名前は……
「ソフィ」
エマの一言に少女が顔を上げる。
「……は、どうかな?」
「ん」
エマの質問に少女はこくりと頷いて、はにかむように笑った。少女が見せた初めての笑顔にエマは一瞬見惚れて笑い返す。
「あたしはエマ。よろしくね、ソフィ!」




