魔の森編第5話 森の魔女の記憶 4
「誰か、ソフィがどこに行ったか知らない!?」
朝起きて私が小屋にいないことに気づいた森の魔女は、慌てた様子で館の前に転移して、大広間の扉を勢いよく開けた。
まだ日の出前だから、起きている人は少ない。
「ソフィって魔女の子どもですよね? 小屋を出たとしても、そんな遠くに行ってないんじゃないですか?」
「それが、森の中にいないんだ!」
「え!?」
森の魔女は魔の森のどこに誰がいるのは把握することができるらしい。
けれど、幼い私はどこにも見当たらなかった。
「どうしよう、まさか魔物に食べられたんじゃ……」
焦りや後悔が伝わってくる。ここまで気が動転した森の魔女は初めてだ。
「落ち着いてください、主様」
スザンヌの凛とした声に森の魔女がはっとして顔を上げる。
「魔物が人々を襲わないよう、調教なさったのはどなたですか?」
「……わたし」
「でしたら、魔物に食べられるという事態が発生する確率は極めて低いでしょう」
魔物を調教なんてできるものなのか疑問だけれど、グラオヴォルフの襲撃は谷の魔女によるものとヴェラットが言っていた。力ある魔女ならできるかもしれない。
「それに、小屋にいる人達もソフィが小屋から出ていったことに気づいていないのなら、ソフィは扉を開けて小屋から出ていないのかもしれません」
「じゃあ、どうやって……」
「主様が日常的に使っている魔法ですよ」
「っ!?」
森の魔女が息を呑む。彼女は広大な森を見回るのに転移魔法を多用している。それを使えば誰にも気づかれることなく森から出ることも可能だろう。
「……確かにソフィの前だけでなくソフィを連れて転移魔法を使ったこともあるよ。でも、それを見たり体験したりしたところで転移魔法は使えないよ」
「はい、わたくし達には無理です。ですが魔女、それも血が濃い方なら不可能ではないかと。……ソフィは魔女の血が濃いのですよね?」
「……うん、あのとき一瞬感じた気配は谷の魔女や雷鳴の魔女を上回るものだった。恐らく、災厄の魔女の孫だと思う」
魔女は人間には使えない魔法も操れる生き物だけれど、血の濃さによって使える魔法が増えることは知らなかった。
森の魔女は魔女の血が薄いはずなのに色んな魔法を使えるし。
「でも、だとしたらどこに? わたしが転移した場所は全て森の中だよ」
「ソフィを……いえ、ソフィアをどこで拾ったかお忘れですか? あそこも行ったことがある場所に分類されるでしょう」
「まさか……クノール村の古い貴族の館?」
私と森の魔女が出会った地。三日月と猫の紋章が描かれた古い貴族の館。ウェネーフィカ伯爵家という魔女にまつわる一族。
私と森の魔女が頭に思い浮かべるものが一致したとき、転移魔法は発動した。
記憶にあるものと変わらない古い館。違うのは、村人の様子だろうか。慌てた様子で村の中心から離れていくのが見える。
「ねぇ、人を探してるんだけど……」
「誰だあんた、旅人か? 孤児院で火事が起きたからあんたも逃げた方がいいぞ」
「火事……」
それを聞いた森の魔女が私の関与に気づけていたら、私は今も森の中で暮らしていたのだろうか。エマ達と旅することもなかったのだろうか。
過去は変えられないけれど、「もしもあのときこうだったら」と思う気持ちはなくならない。
森の魔女の決断は、他に行方を知っているかもしれない人の元を訪れることだった。
もしかしたら、私が火事の原因だと思いたくなかったのかもしれない。
「大変だ、ソフィがどこにもいないんだ!」
真っ先に向かったのは波間の魔女がいる高台の館だ。
森の魔女が扉を勢いよく開けると、私の記憶より若い、三十歳前後の見た目をした波間の魔女がいた。
「わたしが転移魔法を見せたせいだ。早く見つけないと……」
「ソフィは魔女といえどまだ五歳よ。転移魔法のような高度なものは使えないのではなくって?」
「サシャはソフィの凄さを知らないんだよ! あの子は谷の魔女よりも魔女の血が濃い。悪い子ではないけど、まだ魔力の扱いに慣れてないんだ」
早く見つけないと、と森の魔女は床に地面を流して魔力感知を試みる。
待ったをかけたのは波間の魔女だ。
「落ち着いてちょうだい。転移魔法は一度行ったことのあるところにしか行けないのでしょう? 貴女がソフィと会った場所はどこかしら?」
「国王直轄地南部のクノール村。でも、あそこは火事騒動で人を探せる状況じゃなかった」
「……ソフィの魔力適性は?」
「火だけど……まさか、ソフィがやったと言いたいの?」
ソフィがそんなことするはずがないと憤る気持ちと、まさかそんなはずは、と内心焦る気持ち。
森の魔女の中で様々な感情が入り乱れる。
「えぇ、わかっているわ。ですが、普段はやらない人でも混乱し魔力が暴走すればやってしまう可能性があることを、貴女は身をもって知っているでしょう」
「……もう一度クノール村に行ってみる」
クノール村にある古い貴族の館の前に戻った森の魔女は、孤児院がまだ燃えていることに気づいた。
「水の精霊よ、力を貸して」
彼女の呼びかけに答えるように、光の粒みたいなものが集まってきた。大半が白だけれど、青い光を放っているのもある。
「わたしの魔力をあげるから、この地に恵みの雨を降らせてくれる?」
森の魔女が出した魔力の球に集まる光の粒。魔力を食べているのか、球が少しずつ小さくなっていった。
魔力の球が完全になくなると、光の粒は空高く上っていきその姿が見えなくなる。
――ぽつり。
光の粒が消えた空を見上げていると、雨粒が額に落ちた。ぽつぽつと次第に雨が強くなっていく。
炎が消えた孤児院の前で、森の魔女は幼い私を発見する。
「よろしくね、ソフィ!」
エマと共に歩むことを決めた私に、森の魔女は声をかけることなく魔の森に戻った。
「ソフィはわたしとじゃなくて、エマと一緒に生きる道を選んだんだね。わたしはもういらないのかな」
悲しそうに笑う森の魔女。
違う。あのときにはもう記憶を失っていて、他に道はなかったのだ。
けれど、彼女の記憶を見せられているだけの私の声は森の魔女に届かなかった。




