222-食事会
花街から死刑見学と食事会の招待を受けて贔屓、蒲牢、鵺の三人は宵街を代表し、アルペンローゼの案内で西洋に向かった。
身支度と言う程のことはしないが、準備に少々時間が掛かった。花街に行くならと、宵街の細工師、狻猊が拵えた携帯端末の試作機の二代目を持って行ってほしいと頼まれた。
試作機の一代目は宵街圏から花街圏へ電波が届き切らず不安定で、想像しない場所に繋がってしまった。
新しい試作機は内蔵する変換石を増やし、宵街と花街、二点の間に幾つか中継点を作ることにした。他所の獣と揉めそうなので、中継点のことは秘密である。縄張りに敏感な獣もいるからだ。
十歳以上の無色の変転人に試作機を使用した使い心地や、必要な機能の意見を募ったことで、あれもこれも搭載してほしいと要望が山積みとなった。全てを搭載するのは時間も労力も掛かるため、中々二代目が製作できなかった。一代目から随分と時間が経ってしまった。
二代目にはまだ機能を然程増やしていないが、一番早く反映できそうな『絵文字を増やす』ことは遣った。それが本当に必要なのかは狻猊にはわからない。現場の変転人には必要なのだろう。
二代目は急ぎ仕上げた五台のみだ。電波が届くか確認するため、花街へ行く三人と狴犴、そして白花苧環にも与えた。変転人にも新しい端末の使い心地を尋ねるためだ。
「電話とメール……あ、複数人で話せる機能が付いてる」
宵街圏を出て海を渡るのは飛行機だ。この区間は転送できない。飛行機の暗い荷物室で常夜燈を置き、蒲牢は貰った携帯端末を確認する。
アルペンローゼはあまり水を差さないよう少々距離を取っている。獣同士の会話に無断で加わるのは烏滸がましい。
「複数人で話せる機能は狴犴の要望らしいな。苧環が一人で電話を受けて飛び出して行くからだそうだ」
「そんな機能が付いた所で、話す前に飛び出しそうだけど」
容易に想像できてしまう。贔屓と鵺は確かにそうだと思いながら自分の端末を取り出す。形や大きさ、二つに折り畳める所は一代目と変わっていないが、ストラップを通す穴が付け加えられている。変転人の要望だ。
「この定型文を一々打ち込まなくても済む絵文字、誰の要望かしら? 一回打つだけで挨拶や返事が完了する。まだ文字を打ち込むのは慣れないから助かるわ。ちょっと飾りが賑やかだけど」
「真面目な話をしている時に和みそうだな」
「和んじゃ駄目でしょ」
三人は試しに新しい絵文字を送り合い、定型文を打ち込む手間が省けたことに感動する。贔屓は人間が使用する端末も所持しているため、機能の少ない宵街の端末は少し物足りないが、進化していることに感動はある。
「蒲牢、獏から覇下のことは聞けたか? 戻って来てから話していないが……気持ちが落ち着かないなら相談に乗るよ」
贔屓は蒲牢が過去に覇下を殺してしまったことを知っている。蒲牢が自ら話した。兄弟の中では、長子の彼と、次子の鴟吻も盗聴器を通して知っている。鵺は知らないため、直接過去を掘るような発言はしない。
「……何百年も話してないから、どう接すればいいかわからない。それだけ」
「覇下は人懐こく、僕達兄弟のことを何も知らないのにすぐに受け入れ、疑っていない。少々危なっかしい気もするが、良い子だ」
「……幼い頃に近い」
それは蒲牢が彼女を殺してしまう更に前、最初に死ぬ前のことだ。たった五年しか生きられなかった幼い頃の覇下の性格に近い。
記憶を継いで化生した覇下は記憶の所為でいつも表情が暗く、怯えていた。贔屓が知る彼女もこの暗い頃だ。
「それなら最初に戻ったんだな。その頃のように接してみたらどうだ?」
「その頃って五歳なんだけど……子供みたいなことはもうできない。俺も……笑えないし」
「蒲牢は最近、楽しそうな顔をする時があるよ」
「え?」
「友達ができたからじゃないか? 自分の顔は見えないからな。笑う……とまではいかないが、穏やかな顔をしているよ」
蒲牢はきょとんと目を丸くし、常夜燈の方を見る。細い硝子の筒の容れ物に景色が映っているが、湾曲しているのではっきりとは見えない。
「……笑うのは難しい。獏は時々面白いことを言うけど、笑える程じゃない」
「獏は笑わせようとしてくれているのかい?」
「俺がよく食べるから、あんまり食べると太って杖から落ちるって言う」
「フ……それは面白いな」
「もっと食べないと太らないよ。太ったとしても角が生えたら一瞬で戻ると思う。あの角、燃費が悪過ぎる……」
兄弟の話なら静聴しようと思っていた鵺は、その話題ならと会話に加わる。
「私も見たけど、角が生えて、いらなくなったら抜けるなんて勿体無いわよね」
「もっと修行したら、螭みたいに抜けなくなるかも。それはそれで重いんだけど」
「螭が頭が重いなんて言ってるのは聞いたことないわね。慣れかしら」
「饕餮と窮奇も角が生えているが、重そうにはしていないな」
「生えて抜ける人は俺以外に知らない」
「そういう体質なのか、他に原因があるか……」
「抜けて角以外に減る物が無いなら、気にしなくていいんじゃない?」
離れていても荷物に圧迫されて狭い部屋だ。アルペンローゼの耳にも獣達の雑談は聞こえている。
(獣にも色々な悩みがあるんですね……)
花街の城にも角が生えている獣がいる。大公のズラトロクの頭にはシャモアのような角が生えている。それが抜けたという話は聞いたことがない。
「アルペンローゼはさっきから何をしてるんだ?」
聞き耳を立てていたアルペンローゼは突然矛先を向けられて手が止まる。聞き耳を立てていたことに気付かれたのかと跳ねる心臓を落ち着け、冷静を装う。
「食事会のデセールを考えていまして」
手元のメモ帳とペンをよく見えるよう持ち上げる。アルペンローゼは食事会のコース料理のオードブルとデセールを任されている。
「デセール?」
蒲牢は首を傾げ、
「デザートのことだよ」
贔屓が答えた。
「ああ、デザートか。一番楽しみだ」
「御希望があれば伺いますが」
「そっちの料理は詳しくない」
宵街圏の料理すら知らない物があると言うのに、西洋の料理なんて知るはずがない。蒲牢はアルペンローゼの腕に任せることにした。代わりに鵺が身を乗り出す。
「私は蝸牛とか蛙とか、そういうのがいいわ。甘い物は嫌いなのよ」
「エスカルゴですか? 承知しました。コースの何処へ入れるか料理人と相談しますが、人間の作るコース料理の形から逸脱すると思いますので……人間の作るコースのことは忘れてください」
「忘れるも何も元から知らないわよ」
「僕も人間の街で実際のコース料理を食べたことはないんです。城の役職名と同じ、名ばかりですね」
名前を借りているだけで、中身があるわけではない。獣も変転人も人間の中で生活しているわけではないので、人間のことに詳しくはない。人間の真似をしながら飯事をしているようなものだ。
「今メニューを考えているのか?」
「大まかには決まってるんですが、飾り付けに悩んでいまして。花が多い方がやはり華やかですよね……時間を再計算しないと」
「それは……声を掛けてすまなかったな」
「いえ。問題ありません」
アルペンローゼは狭い空間で頭を下げ、メモに集中する。
料理は想像していたよりも頭を使うようだ。獣達は彼の邪魔をしないよう声量を落とした。
飛行機を降りてからはアルペンローゼが転送を繰り返し、最短距離で花街へと入った。
花街は変わらぬ薄青い空と長閑な野原が広がり、遠くに古城の尖塔が見える。
「今回は特別に許可を戴いたので、城の近くまで転送します」
普段は古城の周辺には転送できないが、今回は花街が招待した客人を歩かせないよう許可が下りた。変転人が棲む城下町に見知らぬ獣が複数歩けば変転人達の警戒を煽り兼ねない、という理由もある。
「僕は初めて来たから少し街を見学したかったんだがな」
鵺と蒲牢は花街を訪れるのは初めてではないが、贔屓は写真でしか見たことがない。生の花街を見ておこうと招待に応じた贔屓は少々当てが外れた。
「それはまた許可が必要になりますね。食事会後に御時間があれば、案内します」
「君がか? 働き詰めじゃないか。時間はある。少し休んでからで構わない」
「雑用のミモザをたくさん喪ってしまったので、新しいミモザの教育が追い付いてないんです。暫くは休めません。御気遣い無く」
「そんなに大変なのか。もう少し近かったら宵街から手伝いを派遣できるんだがな」
「……客人にこんなことを言うものではないですね。泣き言ではないんです。そう聞こえてしまったなら申し訳ありません」
アルペンローゼは胸に手を当てて深く頭を下げ、黒い傘をくるりと回した。
遠くに見えた尖塔の足元、城を囲う大きな城壁を割った城門の前に一瞬で移動する。門の脇には砂浜に差すような大きな傘が立ち、その下に机と椅子が置かれていた。そこに兎の耳を付けた少年が暇そうに椅子に凭れて座っていた。アルペンローゼ達の姿が視界に入ると慌てたように体を起こす。
「あっ、おかえりなさい! アル様!」
「何度も言うが、その『様』と言うのは……」
「期間限定の代理とは言え大公は大公ですよ!」
「…………」
嘗て大公を担っていた獣が失脚し、その穴を埋めるためにアルペンローゼとエーデルワイスがその証である白いブローチを預かった。花街では大公は王に次ぐ権力の持ち主で、実権を握る目上の存在だ。門番のウサギは同じ変転人であろうとアルペンローゼを気安く呼ぶことはできない。アルペンローゼは慣れない『様』を付けた呼び方に困惑している。
「後ろの方は宵街の客人ですね。宵街御一行、三名様、入りまーす!」
ウサギは元気良く城の方に向かって叫ぶ。居酒屋に入店したような気分だ。この中の誰も居酒屋に入ったことはないが。
「あ、忘れてました。翻訳機をお受け取りください」
ウサギは慌てて机の引き出しから翻訳機を三つ取り出す。アルペンローゼとウサギは耳に装着しているが、城の中にいる獣や変転人は装着していない。異なる言語でも円滑に会話が可能なように、カフスの見た目をしているそれを三人は片耳に取り付ける。
ウサギににこやかに見送られ、四人は庭へ入る。背の高い城壁の中にはぐるりと鮮やかな花々が咲き誇る大きな庭がある。
「……花がある」
ぽつりと呟いたのは蒲牢だ。彼が以前城を訪れた時は、門から城までごっそりと花が薙ぎ払われていた。無残な風の通り道になった庭は今は見違える程に、薔薇を始めとした美しい花に覆われている。
「完全に元通りにするには花が足りなくて、集められる花と色に合わせて新たに構成を考えました」
「まさか君が一人で?」
「庭師が……おそらく跡形も無く吹き飛んでしまったので、新しいミモザに教育も兼ねて手本を見せながら、ほぼ僕が植えました」
「…………」
門から城への花を吹き飛ばしたのは宵街の獣だ。三人は言葉に詰まった。
「跡形も無く吹き飛ばしたのは……?」
「フェル様です。もし宵街の獣なら、死体は残してくれますよね?」
暗に花街の王は宵街の獣より格上だと誇っているように聞こえたが、城に仕える変転人を殺したのだから褒められることではない。
穏和に接しているが、アルペンローゼも花街の城に棲む変転人だ。宵街よりも花街を立てる。彼は花貌を毅然と、踵を鳴らして石の階段を踏み締め帰城した。
天井の高い石積みの玄関を通過し、一階の奥へ案内する。空き部屋はたくさんあるので何処でも自由に使えるが大抵埃塗れだ。その一つを客室として掃除をした。端に遣られていた机や椅子、調度品を前に出して整えた部屋だ。
「こちらでお待ちください。死刑の準備が整うまで少々時間があるので、寛いでいてください。準備が整いましたら後程、案内役が参ります」
「案内は君じゃないのか?」
「僕はこれから食事会の準備です。慣れないミモザがお騒がせしてしまうかもしれませんが、見守ってあげてください」
アルペンローゼは胸に手を当てて丁寧に頭を下げ、早々に退室する。休む暇も無く働く彼には脱帽だ。
部屋の中央には座り心地の良さそうなクッションが付いた椅子が三脚置かれ、円いテーブルを囲んでいる。壁際には予備のテーブルと椅子が並んでいた。古いが上質な素材だ。
三人は中央の椅子に腰掛け、天井を見上げる。控え目だが煌びやかなシャンデリアがぶら下がっていた。構成する硝子の一つ一つが丁寧に磨かれ、光を受けて虹色に輝いている。
「……中に入ったのは初めてだわ」
「俺も部屋に通されたのは初めてだ」
如何にも高価そうなシャンデリアに溜息を漏らす二人に、贔屓は可笑しくなってしまう。贔屓も見慣れているわけではないが、二人よりは人間の街を放浪し様々な物を見て来た。生活は詳しく見ていないが、無人の場所は多く見た。シャンデリアを見るのも初めてではない。
「前から思ってたんだけど、尻尾のある獣は座って下敷きにしても痛くないのか?」
三人の中では唯一、鵺にだけ尾がある。引き摺るほど長くはないが、蛇のような尻尾が生えている。
「他の人は知らないけど、私は別に痛くないわよ。正座をする時は足を下に敷くけど、痛くないわよね?」
「あー……そういう感じか。鴟吻は敷いてなかったな」
「鴟吻の尻尾は下に敷くものじゃないでしょ。頭一つ分、座高が高くなるわよ」
「……ん? 贔屓は何をしてるんだ?」
見上げるのも首が疲れた蒲牢は顔を戻し、贔屓が携帯端末を手にしていることに気付く。鵺も顔を戻して彼を見た。
「狻猊から頼まれていただろ? 電波が届くのか」
「忘れてた」
「忘れてたわ」
「残念なことに圏外だ。花街全体がそうなのか、この城の中だけなのか……後で花街の外でも確認しないとな」
「花街も警戒してるってことか」
「花街が自衛のためにしている、こういった警戒を宵街が咎める必要は無い」
贔屓は端末を仕舞って部屋を見渡す。監視するカメラなどは無いようだ。
どれほど待たされるのだろうかと考え始めた時、ドアの低い位置からノックの音が聞こえた。数秒の後にドアが開き、大きな銀のカートを押しながら黄色い少女が入って来た。鵺よりは身長が高いが、幼い容姿の有色の変転人だ。
「紅茶と御茶菓子をお持ちしまし……っゔぇ」
カートの先が見えていなかった少女は椅子の背にぶつけた。載っているティーセットが危うい音を発する。
「君がミモザかい?」
「はい。修業中の新人ミモザです」
ミモザは頭を下げ、テーブルの中央に山盛りのスコーンが載った大きな皿を置いた。三人の前に空の皿を置き、カートの上でカップに紅茶を注ぐ。
「……あ。スコーンは取り分けて出すんだっけ……あれ? 紅茶の蒸らす時間合ってたかな?」
ぼそぼそと呟きながら、ミモザはなみなみと注いだ紅茶を三人の前に出す。
最後にシュガーポットやクロテッドクリーム、幾つかの味のジャムを置いてカートの向きを変える。
「ではごゆっくり、かましてくださいー」
何も載っていなくても重そうなカートを押し、ミモザはてきぱきと退室した。三人は『かまして……?』と疑問符を浮かべる。修業中なら言葉も練習している最中なのだろう。
三人は折角なので熱い紅茶に口を付け、苦い、という感想を呑み込んだ。
食事の前に食べる量ではないスコーンの山に目を移す。飛行機の中で大喰いの話をしてしまった所為だろうか。
甘い物が嫌いな鵺は何も付けずに一つだけスコーンを頬張り、贔屓はゆっくりと千切って食べ、残りは蒲牢が殆ど食べた。
「龍って本当に燃費が悪いのね。贔屓は面倒臭そうにちまちま食べてるけど」
「面倒臭そう……?」
「そのまま齧り付いたらいいじゃない。千切らなくても」
「食べ易いんだが……」
「御行儀がいいわね」
幼い少女の容姿の鵺は似つかわしくない含みのある笑みを浮かべ、肘掛けに肘を突いて脚を組む。
「僕は人間の街にいることが多いからな。目立たないよう気を付けている」
「贔屓が食べ物をがつがつ貪ってたら面白いかも」
無表情のまま蒲牢は指に付いたジャムを舐める。面白そうと思っているようには見えない。
「君が笑うなら、貪ってみようか?」
「面白いと笑うは別」
「宵街の獣達――迎えに来てあげたわよ!」
前触れも無く会話を遮り、勢い良くドアが開け放たれた。額に三つ目の宝石のような眼がある長身の女、ヴイーヴルだ。城ではいつもびくびくと怯えていた彼女は吹っ切れたように明るく振る舞う。
「おや……ミモザが迎えに来るものだと思っていたが」
「ミモザ? ああ……ここに来る前に様子を見たけど、アルに怒られてたわよ。休憩で食べる分のスコーンまで全部出したって。何のことかしら?」
覚えのある三人は、空になった皿には言及しないことにした。アルペンローゼのおやつまで皿に載っていたようだ。道理で異常な量だったはずだ。蒲牢が全て食べてしまった。
「まあいいわ。それより死刑の見学よね。処刑場は本来私達しか知らないんだけど、目隠しする気、ある?」
「は? 嫌よ」
「そうよね……まあ招待したのはこっちだから、特別に案内してあげる。付いて来て」
スカートの裾を翻し、ヴイーヴルは颯爽と廊下に出る。遅れないよう三人も席を立つ。
「アイトに何か言いたいこととか、訊きたいことはある?」
死刑に処す罪人の名前を口にし、場に漸く緊張感が現れた。束の間の旅行のような気分から、空気が冷えていく。
「聞きたいことは君達が既に聞いているだろ? 僕達が望むのは、二度とあんなことが起こらないよう再発を防止してもらうことだ」
「あんな騒ぎはこっちも御免だから、次の大公はもっと慎重に選ぶわ。手を貸したカトブレパスは特例で死刑にはしないけど……頭を冷やしてもらってる。後で会う? そこの白い獣の腕がちゃんと動いてるか一応確認したいとか言ってたわ」
白い獣とは蒲牢のことだ。彼は髪も服も肌も白い銀龍だ。
「じゃあ一応動いてる所を見せておく」
蒲牢の左腕は一時失われた。隻腕で生きていくことを覚悟したが、花街の医者であるカトブレパスが元通りに腕を生やしてくれた。彼の医術は――医術と称して良いかわからないが、魔法のようだ。
「死刑はすぐに終わると思うわ。こっちも聞きたいことは聞いた。後はアイトから最期の言葉を聞いて、スパッと終了よ」
「自棄に淡白だな」
「勿論よ。城の規則は変わらない。死者を弔わない、悲しまない。長々と話してたら、込み上げてきちゃうわ」
背を向けて歩く彼女の背中は、少し寂しそうだった。長年共に大公を務めた同僚を殺さなければならないのだ、感情を殺すことはできない。
「スパッとするのはロクだから、私達はちょっと下がって見てるだけよ。苦しまないよう一撃で仕留めるわ。ロクが冷酷に本気を出したら、私でも防ぐのは難しいんだから」
蒲牢がズラトロクと戦った時は、彼は本気ではなかった。もし本気だったら蒲牢はここにはいなかったかもしれない。
「獣と争うのは本意じゃないから。ロクが嫌いなのは人間の男だけ」
何度か廊下を曲がり、何度も階段を上がる。牢は地下だが、処刑場は上にある。
何本も聳えている塔の内の一つを上り、古い木のドアを開けて中に入る。目隠しの壁を抜けると処刑場は目の前だ。
「…………」
何も無い大きな筒のような空間だった。薄暗い天井は抜けるように高く、頭上に六つの鐘が見える。その下に、背を向けた金髪の青年が冷たい椅子に座っていた。その目線の高さの壁に小さく細い穴があり、外の景色が僅かに見える。薄青い空と長閑な野原、遠くに城下町が見下ろせる。
「連れて来たわよ」
壁際に控えていた細かい髭が生えるシャモア角の男と、無感動な灰色の少女が来訪者に目を向ける。ズラトロクとエーデルワイスだ。
その顔触れに、贔屓は思わず尋ねた。
「……フェルニゲシュはいないのか」
「アイトの要望でね。死ぬ瞬間をフェルにだけは見られたくないんだって。同僚だし、特別に二つ、要望を聞いてあげたのよ。一つは、最期の食事はアルの作ったオムレツがいい、って。美味しそうに食べてたわ」
ヴイーヴルは三人を横に、壁際に移動する。誰も罪人の前には立たない。前に立つと最期の外の景色が見えなくなってしまうからだ。
「ロク、いいわよ」
ズラトロクは壁から背を離し、正面には立たずに罪人の視界に入る位置まで歩く。手にはまだ何も持っていない。
「死刑の手順はわかっているはずだ。これまで何度も死刑を見たんだからな」
「わかってる」
罪人は静かに返事をする。声を出すことは禁止されていない。
「では最期に、何か言いたいことはあるか? 君の場合は死刑までに充分な余暇があったと思うが」
「ハハ。一生分の余暇だったな」
声は明るく乾いていた。これから死刑を受けるようには聞こえない。もう充分、覚悟をした。覚悟し疲れた声だ。
「……最期か……やっぱりこれにしよう。オレが化生して何も覚えてなくても、それでもまたフェルに憧れたら――会わせてほしい。フェルの首輪のことは話さなくていいから。……首輪が外せるようになってたらいいんだけど」
「君が覚えていなくても、フェルニゲシュは君を覚えている。あいつが会うかはわからないぞ、アイトワラス」
最期の景色を眺めていたアイトワラスは処刑場に来て初めて感情を映した。双眸が濡れたシャボン玉のように揺らぐ。
「覚えてくれるなら、オレは幸せ者だ……何も恩返しできなかったのに……」
頭上を仰ぎ、最期の鐘を見上げる。鐘楼の中に処刑場があることには意味がある。
「そろそろ終わりにしようか」
ズラトロクはヴイーヴルに目配せする。ヴイーヴルは無言で、ブローチを預かる大公の責務を全うする。罪人の背後にあるドアの脇に六本の長い綱がある。頭上の鐘に繋がる綱だ。その一本を手に取り、力強く引く。アルペンローゼもブローチを預かっているが、多忙な彼のために予め聞いておいた決断をヴイーヴルが代理で全うする。そしてアイトワラスの要望でここに来ることができないフェルニゲシュの分も鐘を鳴らす。
重く厳かで静かな音が塔の中で大きく響く。
「先に行くか?」
ズラトロクはエーデルワイスを振り返る。彼女は最期の会話の間も間怠いと思いながらアイトワラスを睨んでいた。
エーデルワイスは無言で綱の前へ行く。彼女は処刑場に入ったのも鐘を見上げるのも、鐘を鳴らすのも初めてだ。彼女は獣の死を望んでいる。躊躇うはずがなかった。
「……死ね」
自分の手で殺せないことだけが残念だ。それでも、目の前で死ぬ姿を見られるのだから、これ以上の我儘は言わないことにした。彼女が本当に自分の手で殺したいのはフェルニゲシュだ。
一際大きく鐘が鳴り、憎悪が響く。
最後にズラトロクが綱を引き、続けてもう一つ鳴らす。鐘を六つ鳴らさないと死刑は執行されない。最後の一つは、死を覚悟したアイトワラスの分だ。
六つの鐘の余韻が消えない内にズラトロクはサーベルの形をした杖を召喚し、もう何も声を掛けずにアイトワラスへ一振りした。空間ごと彼の首を一撃で落とし、先程まで話していた頭は呆気無く床に落ちた。
塔に響く大きな鐘の音は、全ての音を掻き消してくれる。周囲の声も、杖を振る音も。罪人はいつ首を切られるのか、落ちたことにも気付かないだろう。殺される瞬間の恐怖、鐘楼の処刑場はそれを悟らせないための最期の情けだった。
完全に首が落ちて絶命したことを確認し、ズラトロクは杖を消す。これで死刑は完了だ。鐘の音が消えると後には何も残らない。
「……終了だ。宵街の客人を先に退室させよう。ワイス、客人を食堂へ」
「来い、獣共」
エーデルワイスは獣達を睨み、一言吐き捨て処刑場を後にする。宵街の三人はズラトロクを一瞥した。
「……あの通りの性格だが、仕事はしてくれる。大目に見てやってくれ。気に入らなかったら……まあ……俺に言ってくれ」
「細かいことは気にしないよ。心の強い、良い子じゃないか。さすがに死刑は堪えたんじゃないか?」
「強いのは認めるが、獣の死で堪えることはないだろ。早く追ってくれ。あいつは待たない」
三人も会話を切り上げてドアを覗くが、エーデルワイスは本当に待たずにさっさと階段を下りていた。呼んでも彼女は止まってくれないだろう。慌てて後を追った。
「ヴイーヴルはフェルニゲシュを呼んで先に食堂に行ってくれ。俺はここを片付けてから行く」
「…………」
「ヴイーヴル?」
死骸の掃除に取り掛かろうとしたズラトロクは、返事が無いことに振り向く。ヴイーヴルは三つの目を伏せ、目を閉じたまま動かない物言わぬ頭部を見下ろしていた。
「……アイトの……お墓も作ってもいい……?」
「…………」
三つの目から、静かに温もりが溢れて伝っていく。
「好きにするといい。見つからないようにな」
「……わかった。庭の隅に……埋める」
宵街の獣と変転人の前では泣かないよう我慢していた彼女の頭を、ズラトロクはゆっくりと撫でる。ヴイーヴルは塔に響かないよう声を殺し、ゲンチアナが幾度も死んだ時のように涙を零した。
「規則なんて……馬鹿みたい……」
濡れた声を隠すように、ヴイーヴルはズラトロクの胸に顔を埋めた。墓を作りたいと幾度も言えなかった彼女に、受け止めてくれる人がいたのは初めてだった。
「フェルニゲシュは俺が迎えに行っておく。君は泣き止んで落ち着いたら来るといい」
「……うん」
ヴイーヴルは涙を手で拭い、ズラトロクが差し出すハンカチは断ってアイトワラスの死骸を抱き上げた。目元が赤いが、厨房と食堂に皆が集まる今なら、誰にも見られずに庭に出られる。
(……あんなに泣くなら、鐘を鳴らさなくても良かったのに。宵街の獣を招待して自分を追い詰めてまで、先王のプライドを守らなくてもいいのにな……)
その相談はされなかったズラトロクは、ヴイーヴルを見送り、一人で血痕の掃除を始めた。
何百年も共に仲間として城に棲んだ獣に裏切られ、ズラトロクにも裏切られるのではないかと不安があって相談できなかったのだろう。ヴイーヴルはとても素直な獣だ。
一度も振り返らずに食堂へ到着したエーデルワイスは、大きな両開きの扉の片側だけを開く。
「ここが食堂」
先に通された客室よりも豪奢なシャンデリアが幾つも煌めき、大きな机が配置されている。壁や机上には庭に咲いていた花を挿した大きな花瓶が幾つも空間を彩っていた。
「フェルニゲシュは奥の席に座るから、宵街の代表はその対面に。後はその近くに座って」
白いテーブルクロスに覆われた大きな長方形の机に椅子が六脚、椅子の前には赤い布が敷かれ、白い皿に花のように折られた赤いナプキンが載っている。
「贔屓……思ったより何か……堅い感じがする。たぶんナイフとか使う感じの」
「そうだな」
「テーブルマナーとか言われても私は知らないわよ。人間のそんな所を観察したことないから」
食堂に通された瞬間、獣は途惑った。食事でここまで人間の真似事をするとは思わなかった。
「獣共、早く座って。客人に恥をかかせないようこっちも考えてるから。カトラリーは料理と一緒に使う分も持って来る。音を立ててスープを飲んでも、吹いて冷まそうとしても微笑ましく見守ってあげるわ」
「……配慮は感謝する」
思い切り舐められているが、今回は甘えるしかない。三人は贔屓を代表に重い椅子に座った。
「フェルニゲシュは飲酒禁止だから、それに伴って食前酒は無し。オードブルから始めるわ。食後の飲み物の注文を先に聞いておく。珈琲か紅茶、どっちがいい?」
「僕は珈琲で」
「じゃあ俺は紅茶……」
「私は珈琲でいいわ」
蒲牢と鵺は既に疲れている。慣れない雰囲気に目が泳ぐ。落ち着かない。
「食事会は寛いでもらうのが目的なんだけど。マナーとか気にしなくていいわよ。机に跳び乗って踊り出さなきゃ何でもいいわ。マナーを作ったのは人間だし。私達は人間じゃないから守る義務は無い」
「コース料理は初めてなんだが、知っておいた方がいいことはあるかい?」
「出された料理を食べる。食べたら次の料理が出てくる。それだけ」
「コースって……?」
投げ遣りに返事をするエーデルワイスの適当さに、蒲牢も少し喋る余裕が出て来た。
「組み合わせは都度考えるから毎回少しずつ違うんだけど、今日は食前酒の代わりにハーブ水、前菜、スープ、メインディッシュに魚料理と肉料理、デセール、食後の飲み物、この順で出す」
ズラトロクの言ったようにエーデルワイスは仕事はできるようだ。質問に澱まず滑らかに答える。
「食前酒は無いのか……」
「……? 酒が飲みたいの? 酔って暴れないならワインを出すけど」
「西洋の酒にも興味があったからな」
贔屓は普段、人間の街の喫茶店で珈琲ばかりを飲んでいるが、酒も嗜む。ただ中身は五百歳を超えているが、人間で言えば中高生のような少年の容姿なので、人間の街では飲酒ができないのである。
「じゃあ出す……。こっちの獣がまだ来ないから、肉の焼き方も聞いておく。生がいい? それとも炭?」
「ん……?」
「早く答えて」
蒲牢と鵺は贔屓を見て全てを丸投げした。生や炭などと言う焼き方は初めて聞く。
「……では御任せにしようかな」
贔屓もそんな焼き方は初めてだ。ミディアムやレアなどという焼き方しか知らない。
「わかった」
「これは随分と肝が据わった性格だな」
「そこの目を回しそうな白い獣はちゃんと焼いて出してあげる。フェルニゲシュを止めたことは一応感謝してる。後の二人は知らない」
エーデルワイスは鵺には会ったことがあるが、蒲牢のように恩を感じるようなことは何も無かった。贔屓とは初対面だ。
「全員が席に着いたらナプキンを下ろして。料理を運ぶから。それまでは適当に寛いでて。……あ、食堂からは出ないで。探しに行くのが面倒だから」
必要なことを全て話し、エーデルワイスは厨房に注文を伝えるために食堂を出る。三人は肩の力を抜いた。どっと疲れた。
「本当にマナーを気にしなくていいのか……?」
「何とも言えないが、花街の獣を見て判断しよう」
「箸なんて絶対出て来ないわよね? ナイフってどっちで持つんだったかしら……」
「右手だ」
立ち歩く気にはならず、三人は座ったままぼそぼそと会話をする。食堂の扉が再び開くまで随分と待たされた。
最初に現れたのはズラトロクだった。退屈そうに座る三人に目を遣り、自分の席へ向かう。
「ズラトロク。花街には肉の焼き方に生と炭があるのか?」
にこやかに切り出した贔屓に、ズラトロクの足がぴたりと止まる。言葉に詰まり、眉を寄せた。
「……炭は無い。肉食の獣のために生はあるが」
「ああ成程。生はあるのか」
「焼き方を訊かれたのか? 何と答えた?」
「生か炭かと訊かれたから、御任せと言ったよ」
「御任せならおそらくミディアムになるだろうが、ワイスが何と伝えるかわからないな。俺が伝えよう。ワイスにも注意しておく」
「お手柔らかにな」
席には座らず、ズラトロクは踵を返して厨房へ向かう。エーデルワイスも調理の手伝いをしている。
入れ違いに金色混じりの長い黒髪の青年が鰐のような黒い尾を垂らして不思議そうに扉を潜る。花街の王、フェルニゲシュだ。忙しなく出て行くズラトロクの疲れた背中を見送った。
「忘れ物か?」
「厨房に行ったよ」
「そうか」
花街を壊滅せんばかりにフェルニゲシュが暴走した一件以来、彼に会うのは初めてだ。暴走したことが嘘のように、元と何も変わっていない。長い髪と太い尾を揺らして奥の席に着く。
「久し振りだな。息災か? ……獏はいないのか」
あまりに何も変わらない。顔にも感情が無い。首輪の調子を聞いておきたいが、尋ねても良いものか宵街の獣は迷った。
「こちらは大事無いよ。君はどうなんだい?」
王との会話は神経が削られるだろう。蒲牢と鵺は元統治者に会話を任せ、声を掛けられないよう気配を消した。
「やっと反省室から出られるようになった」
初手から返事に困る話が出てしまった。その話題に触れて良いのか悩む所だ。
「反省室……があるのか?」
「少し力を漏らしてしまったからな。反省している」
「少し……?」
あれを『少し』で片付けるのかと当惑するが、あまり突かない方が良い話題だ。感情を揺さぶる言葉を発してしまうとまた首輪が綻ぶかもしれない。
「反省室から出ても日常に変化は無いが。ただ……アナが死んでしまった所為で、身の回りのことを自分でしないといけない。ミモザもまだ仕事に慣れないようでな。アルが手透きに様子を見てくれるが」
「ゲンチアナのことは何か聞いているのか?」
「死んだということは聞いた。何故死んだかは聞いていない。だが……おそらくオレが殺してしまったんだろう」
「!」
「城の壊れっぷりを見て、巻き込まれたんだろうと思った。皆、オレを気遣ってか話を濁すが」
フェルニゲシュは落ち着いている。冷静にゲンチアナの死を語っている。自分が殺してしまったと考えていても表情は変わらない。首輪で完全に抑制されている。
(首輪の威力が凄いな……こんなに穏やかに死を語れるのか……)
ゲンチアナのために怒り狂っていたのに、今はゲンチアナの死にも動じない。恐ろしい首輪だ。――いや、ゲンチアナの抑止力が凄まじい。
「お前達も気遣いは無用だ」
フェルニゲシュは抑揚の乏しい声で話を切り、前に置かれている花の形のナプキンを解く。その直後に慌ただしくヴイーヴルとズラトロクが飛び込んできた。
「ま、待たせたわね!」
死骸を埋葬したヴイーヴルはそそくさと席に着く。ズラトロクも無言で今度こそ席に腰を落ち着けた。死骸を抱いたヴイーヴルは服に血が付着し、慌てて厨房のアルペンローゼに助けを求めていた。そこでズラトロクと合流したのだが、エーデルワイスに注意をしていた彼は狼狽する彼女にすっかり毒気を抜かれた。血の除去には少々時間が掛かった。
全員が着席したので、宵街の三人も各々赤いナプキンを下ろして服に掛けた。
それを合図にするように扉が開き、同じ容姿の黄色い少女が二人、銀のカートを押して入室する。ミモザ達は花街側と宵街側に分かれて料理の載った皿を置いていく。
「花街で採れた野菜とオレンジの花束テリーヌです。それから御所望のワインです。鮮血のような赤ワインと咽び泣いた涙のような白ワイン、どちらにしますか? どちらもですか?」
「ではどちらも戴こうかな」
「私、ワインって飲んだことないのよね。私も貰うわ」
「俺はいい」
少年の容姿の贔屓と幼い少女の容姿の鵺だけが酒を求めるのは何だか不思議な光景だ。蒲牢も酒を飲めるが、アルコールの苦味が好きではない。
客人だけ良い気分にさせるのも失礼だろう。フェルニゲシュに酒は与えられないが、ヴイーヴルとズラトロクも酒を貰った。
ワインが配られ、漸く最初の料理の皿が置かれる。オクラや小さなトウモロコシなどの野菜が細かく切られ、花束のように配置されて固められている。皿にはオレンジのソースが模様を描いて踊っていた。
「これはアルの料理ね。見ればわかるわ。食べてアルの腕を羨ましがりなさい、宵街の獣達」
「ヴイーヴル。料理人の話はやめよう」
ヴイーヴルはちらちらと宵街の獣に目を遣りつつナイフとフォークを手に取る。三つの目全てが挑発的な目をしている。
子供のような挑発をするが、彼女はナイフとフォークをテリーヌに入れても一切の音を出さない。花街の獣はもうすっかり慣れていて、三人共に硬質な音を発さず無音だ。
「気配を消すと思えば何とか……」
「ああ、気配ね……気配」
蒲牢と鵺は気配を消す感覚で音を立てずに食事をする。既に息が詰まりそうだ。
黙々と食事をしていては音に敏感になるばかりだ。贔屓は二人のためにも話題を探した。
「花街から話題を提供してもらえると助かるんだが。何せこちらは花街の規則に詳しくない。話してはいけないことを話してしまうかもしれない」
「何でも話していいわよ。そっちが知ってることなら情報として価値は無いわ」
「首輪や……ゲンチアナのことも話していいのか?」
「いいわよ」
ヴイーヴルはけろりと言い放つ。フェルニゲシュの前で話すことは嘗てなら躊躇することだった。事情が変わったのだ。
「首輪とアナのことが聞きたいの?」
「差し支えが無ければ」
「首輪はね……先生が水責めされながら新しい方法を構築してくれてるわよ。もう少し辛抱すれば首輪を外せるわ」
「水責め……?」
首輪より気になる言葉が出て来た。水責めとは拷問である。
皿が空になり、次の料理が運ばれる。水責めの話をしている最中にスープが置かれた。
「たっぷりパプリカのグヤーシュとバゲットです」
ハンガリーの定番料理、牛肉やパプリカなどを煮込んだ赤いスープだ。共にパンも置く。
「オレのリクエストだ。魔法の粉を掛けるか?」
フェルニゲシュはいつも持ち歩いているパプリカの粉が詰まった小瓶を机に置く。
「フェルニゲシュ。パプリカの話はやめろ」
聞き飽きたとばかりに突き放され、フェルニゲシュは渋々自分のスープにだけパプリカの粉を掛けた。
料理の他に、水の入ったボウルも置かれる。水以外は何も入っていない。宵街の獣達は怪訝にボウルを覗き込んだ。
透かさずヴイーヴルは宵街の獣達の方へ顔を向ける。
「宵街はフィンガーボウルなんて知らないと思うから、教えてあげるわ! 端なく飲みそうだものね」
フィンガーボウルとは指を洗うための水を入れた器のことである。手を使用して食べる料理を出される時に、汚れた手を洗うために出される。
贔屓はフッと、配慮してくれた獣に対して口元に笑みを浮かべた。
「それは痛み入るね。今度は宵街で食事会を開催して、懐石料理か――蕎麦でも振る舞おうか? 宵街では音を出して啜ることを良しとしている」
「音を……!? は、端ないわ!」
「ヴイーヴル」
宵街を舐めようとしたヴイーヴルをズラトロクが静かに嗜める。城ではいつも怯えた様子のヴイーヴルだが、今日は宵街の獣が招かれているため気を強く持っている。
「食事会を台無しにするのか? 友好的に接しようと決めたじゃないか。宵街も安い挑発に乗らないでくれ」
「…………」
「これはすまない。こちらも少しは言い返しておかないと。言われっぱなしというのもね」
バゲットを食べて花街の三人が三本の指を水に浸けて軽く洗う様子を横目に、見様見真似で宵街の三人も指を水に浸ける。一体何と争っているのだろうか。
ヴイーヴルは気を取り直して話を再開する。
「死刑の罪を全部アイトに押し付けるにしても、カトブレパスだって罪人であることに変わりはないわ。もう悪いことはしませんって思ってもらわないと。だから苦しめてるの。新しい方法の構築も同時に遣ってもらえば早く首輪を外せるようになるわ」
「そうだな……」
カトブレパスの集中力は異常だ。どうしてそんな状況で首輪に代わる凄いものを作り出せるのか。
「アナの方ももう少し掛かるわね。宵街で教えてもらった、変転人が発芽するって話。それで育てた花を変転人にする。それを試すの。先生が面倒を見てくれてるわ」
「水責めされながら……?」
「そうなのよ! だから死刑にするわけにはいかないの。自分の有用性を示すのが長生きの秘訣なのかしら……私の方が年上だけどね」
「後で話を聞くと言っていたが、水責めしながら聞くのか?」
「それはさすがに客人に失礼だと思うから、水から出してあげるわよ。話す間は休憩ね」
何とも適当な刑である。
「こっちからも話を聞いていい?」
「勿論」
「アルが持って行った可愛い薔薇は元気かしら?」
宵街を巻き込んだ花街の大事件の後に、花街を代表してアルペンローゼが詫びの薔薇を持って行った。花街の城の庭に咲くピンク色の蔓薔薇だ。
「新しく建てた施設に植えると聞いたが……今は花畑で花守が世話をしているはずだ。念のために確認しておくが――変な物は付けていないな?」
「変な物? ……ああ、アイトが小蝿を付けたのよね。アルが摘み取ってくれたから私は確認してないけど、何も付いてないわよ。でも何か付いてても気付かないなら別にいいんじゃない?」
ヴイーヴルと贔屓は面白い冗談だと笑うが目は笑っていない。
フェルニゲシュとズラトロクは会話には加わらず黙々とスープを口に運んでいる。鵺と蒲牢も贔屓に相手を任せてスープに集中した。パプリカの旨味が口の中に広がる。
比較的和やかに食事会は進み、皿が空くと次の料理が運ばれる。蒲牢と鵺は珍しそうに、給仕のミモザを目で追う。
「めで鯛ポワレです。宵街ではおめでたい時に鯛を食べるそうですね」
「人間はそうらしいな。獣には馴染みが無いが」
「二つの街が顔を合わせて食事をする、これは平和でめでたいのです。と料理長が言ってました」
「フッ……そうだな」
宵街への気遣いだろう、城の料理人は宵街を歓迎しているようだ。
黙々と食事をしていた鵺が、魚を見てふと思い出す。花街に来たら尋ねておこうと思っていたことがあった。
「ついでに訊きたいことがあるんだけど」
「いいわよ」
「最近……じゃなくてもいいけど、花街の変転人の中に行方不明者はいる?」
「行方不明?」
宵街圏で発見された身元不明の変転人の死体のことだ。覇下が海の底から何体か引き上げた。他にも数え切れない程の骨が転がっているそうだ。鵺は魚を見て海を連想した。
この質問にはズラトロクとフェルニゲシュも顔を上げた。穏やかな話題ではない。
「ロク、行方不明の人がいるって聞いたことある?」
「……無いな。最近と言うならまだ報告されていないだけかもしれないが。宵街に行方不明者がいるのか?」
「身元がわからないのよ。もし花街の変転人なら引き渡すんだけど。アルペンローゼが確認してくれたんだけど、見覚えは無いって。返却されてない翻訳機も無いとか」
「アルペンローゼが確認したんなら、こちらの変転人の可能性は低い。……他の街かもな」
音を立てずにナイフで魚を切り、ズラトロクは静かに口へ運ぶ。香ばしい皮すら音を立てない。
「他にも街があるのか?」
贔屓も魚を口に運び、会話に加わる。
「宵街とこちらと、二つ街があるんだから、他にあっても不思議じゃない。俺は知らないが」
ヴイーヴルとフェルニゲシュも頷く。宵街の存在も、フェルニゲシュの友人の浅葱斑が宵街出身だと聞くまで知らなかった。
「宵街はまた大変そうね。他の街に絡まれる運命なのかしら? こっちの街の変転人を殺しただろ! って濡れ衣を着せられるんだわ。本当に宵街の人が殺してるかもしれないけど」
「犯人が見つかっていないから否定はできないが、濡れ衣は勘弁してもらいたいな」
「宵街の人は殺されてないんでしょ? だったら放っておけばいいわ」
「花街でそういった身元不明者が現れたらどうする?」
「売られた喧嘩は買うかしら?」
「放っておかないんだな」
贔屓は思わず口元に笑みを浮かべる。ヴイーヴルははっとしてナイフの音を立ててしまった。
「犯人捜しを手伝ってって言われても、絶対手伝ってあげないんだから! 巻き込まないでね!」
「巻き込むつもりはないよ。宵街の問題は宵街が解決する。花街には今は困ったことが起こっていないのか?」
「恩を売って手伝わせようとしてる……? 残念ね、こっちは平和そのものよ。次の大公選びがちょっと大変ってことくらいよ」
「ああ……席が空いてしまったからな。次は何人選ぶんだ?」
「鐘は六つだから、二人選ぶわよ。裏切らない人がいいんだけど……誰が裏切るかなんてわからないわ」
「試用期間を設けてみるのはどうだ? 暫く観察していれば性格も見えてくるだろ」
「試用期間ね……どう? ロク」
「いいんじゃないか? 試用期間だと告げずに泳がせておけば油断する」
「わかったわ。採用」
贔屓の助言を素直に受け取るヴイーヴルに苦笑する。
空になった皿が下げられ、小さい器のサワーチェリーの甘酸っぱいピンク色のスープ――ヒデグ・メッジレベッシュと、肉料理の血溜まりソースに沈む牛肉のステーキが運ばれる。ピンク色の甘いスープを注文したのはヴイーヴルだ。これが肉に合う。スープを先に飲む花街の獣を観察し、宵街の獣も真似をして平らげる。
滞り無く料理が提供され、最後にデセールが運ばれてきた。机上に所狭しと色取り取りの美しいスイーツが並ぶ。高く聳えるマカロンの山を中心に、薄く切った林檎を巻いて作った薔薇の花が地上に咲く。花の形に切った果物、ケーキや焼菓子などが花園のように美しく飾られている。デセールはビュッフェ形式のようだ。
「こちらの客人は甘い物が苦手と伺ってますので、エスカルゴや蛙を用意しました」
飛行機の中で鵺が話していたことを覚えていたアルペンローゼが甘いデセールの代わりに用意した物だ。見るだけで胸焼けがしそうなスイーツを前にげんなりとしていた鵺は機嫌が良くなった。アルペンローゼの好感度が上がった。
各々の前に先に注文を聞いていた珈琲や紅茶が置かれるが、ヴイーヴルのカップの中身だけ他とは異なっていた。
「一人……何か違う」
ミモザを目で追っていた蒲牢が真っ先にそれに気付いた。ヴイーヴルのカップの中身だけ白く、色取り取りの欠片がキラキラと散らばっている。
「私はこの可愛い飲み物が好きなの。お酒が入った珈琲で、クリームとキャンディが載ってるのよ。マリアテレジアって言うの」
クリームの雲の上にキラキラと宝石の星が輝いているようだ。如何にも甘そうな飲み物に鵺は引き攣った笑みを浮かべる。対照的に蒲牢は初めて見る飲み物に興味がそそられる。酒と聞いて贔屓も興味の目を向けている。
「俺達は珈琲か紅茶かしか訊かれなかった」
「そうなの? 好きな飲み物を言えばいいのに」
ヴイーヴルはあげないとばかりにカップを自分の方へ寄せ、会話を切り上げて机上を見渡す。
「とっても可愛いわ! アルはまた腕を上げたのね。あと千年は生きてほしいわ」
感激して目移りするヴイーヴルは少女のように三つの目を輝かせる。アルペンローゼの作る菓子は格別だ。
美味だと知っているフェルニゲシュも無表情ながら机上を見回し、どれを食べようかと悩む。
「獏にも幾つか土産に持って帰ってもらいたい」
「!」
飲み物に注目していた蒲牢は反応が遅れた。それは蒲牢も考えていたことだ。先を越されてしまった。蒲牢はフェルニゲシュを睨む。
「獏には世話になった。食事会にも来てくれると思ったんだが……獏ならいつでも歓迎する」
フェルニゲシュは目の前にあったドボシュトルタを皿に取る。上部をカラメルでコーティングし、薄いスポンジとチョコレートバタークリームが交互に重ねられたケーキだ。
「獏は俺の友達だから。俺が持って帰る。最初からそう考えてた」
「そうか。それならアサギにも持って行ってくれるか? アサギはオレの友達だ」
「友達なら自分で渡せばいいのに」
「首輪を外せるようになったら外出してもいいらしい。だがそれまで待つとなると、この机の菓子は賞味期限が切れてしまう。折角の力作だ、これを食べてもらいたい」
「外出してもいいのか……?」
勝手なことを言っているのではないかと、確認のために蒲牢はズラトロクへ目を遣る。ヴイーヴルはスイーツに夢中で話を聞いていない。ズラトロクも男と会話をする気は無いようで、近くに置かれたクレムシュニテを無言で自分の皿に取り分けている。パイ生地でカスタードクリームを挟んだケーキだ。
「獏の御土産は、これとかいいんじゃない? バクのお面を被ってる獏にぴったりの白黒スイーツ!」
黒い塊が載った皿を指すヴイーヴルに、蒲牢はもう一度尋ねた。規則で外出を禁止されていたフェルニゲシュが外に出ても良いのかと。
「首輪が取れるなら構わないわよ。規則は首輪を維持するために必要だっただけ。首輪を外しても落ち着いていられるなら外出しても問題ないわ。暫くは誰かが一緒にいないと心配だけど。規則は臨機応変に変えていくものよ」
「そんなものなのか……」
首輪が無くても感情と力を制御できるなら、外出しても危険ではない。
「でもまた維持するために何かを犠牲にすることはないのか?」
「先生が言うには、恒久的に抑え込む素材は揃ったそうよ。首輪を付ける前には無かったものが、今はある。他人と共に過ごした時間と、それを慮る感情。そして友達なんて存在もできた。城も城下町もあちこち破壊されたけど、それがガス抜きにもなったって言ってたわ。やんちゃな子供だって、いつか成長して大人になるものね。成長しないまま死ぬまで変わらない人もいるけど、フェルは変われたの」
穏やかに語るが、手は菓子をあれこれ皿に運んでいる。蒲牢も遅れないように菓子に手を伸ばした。
「さっきの続きだけど、獏の御土産、これはメルヴェイユよ。クリームとメレンゲに削ったチョコレートを塗してるの。外は黒くて中は白いのよ」
「獏の御土産は俺が選ぶ……」
「ふぅん。いいけど、私達が食べてるスイーツが何なのか、わかるかしら?」
ヴイーヴルが紹介した菓子も知らない蒲牢は焦りながら机上を見回す。山になっているマカロンはわかるが、他の菓子の名前はわからない。ズラトロクが食べている白っぽい菓子も、フェルニゲシュが食べている白黒の縞々菓子も蒲牢には何だかわからない。クレムシュニテもドボシュトルタも知らない。
「…………」
「あまり困らせないでやってくれるか?」
「そっちが自分で選ぶって言ったのよ」
「僕も菓子のことが知りたい。ミモザ、教えてくれるかい?」
獣同士で何やら言い合っている、と壁際で気を抜いていたミモザは飛び跳ねて姿勢を正した。指名されるとは思っておらず、油断していた。
そうして一部賑やかに、食事会は無事に終了した。
「……花街が騒がしかったけど、料理と御菓子は美味しかった……」
「そうね……」
「ワインも中々だったな」
「何杯おかわりしたんだっけ? 贔屓」
「七杯だったかな?」
客室で休んでいると唐突にドアが開いた。白藍色の髪から水滴を滴らせて長い外套を羽織った青年が、首輪と手足の枷を嵌めたまま現れた。水責めされているカトブレパスだ。背後にはヴイーヴルが控え、首輪に繋がった鎖を握っている。まるでペットの散歩だ。
カトブレパスは裸足でひたりと、つい先程まで水責めされていたと感じさせない平然とした顔をしている。ただシャワーを浴びてきただけのような顔で、待っていた三人の方が唖然とする。左右で色の異なる双眸を覆う布は巻いておらず警戒するが、彼は目を合わせなかった。
蒲牢の腕の動きを淡々と無言で確認すると「異常無し」とだけ呟き、彼は早々に去ろうとする。水責めは効果があるのだろうか。彼は終始平静だった。
それを贔屓が呼び止める。彼には聞いておきたいことがある。
「カトブレパス。少し質問しても構わないか?」
カトブレパスは無言でヴイーヴルを一瞥する。彼女は頷き、許可を出す。
「何だ?」
「フェルニゲシュの首輪のことなんだが、首輪を外してどう制御するんだ?」
「理解し易いよう砕いて答えてやろう。ヴイーヴルが作った墓地から、義務を全うした歴代のゲンチアナを採取し、新しい薬を調合した。それを投与すれば、歴代のゲンチアナがフェルニゲシュの体内から彼の首を絞めることになる。だが薬には効果の持続に限界がある」
一旦言葉を切ってカトブレパスは贔屓を見て確認する。贔屓は頷いて答えた。
「理解できる」
「現在のフェルニゲシュは、首輪に封じられて大人しく生活した記憶がある。ゲンチアナや他の変転人、獣と共に過ごした記憶がある。力を抑えないと簡単に殺してしまい、穏やかな日常を潰してしまう。それを理解している。薬は只の道標だ。進む方向……力の抑え方を示し、薬の効果が切れた後も彼に自主的に制御してもらう。フェルニゲシュには薬の効果は一生だと伝える。あいつはそれを信じる」
「本当に信じるのか? 感情を乱されたら、その拍子にまた……」
「信用も薬の一種だ。先日の騒動で良いガス抜きができた。長年溜め込んだものがそこそこ出て行った。フェルニゲシュ自身で制御できる程にな。だからこそ首輪を外せる。これは長年犠牲になったゲンチアナを無駄にしない。全ての死には意味があった」
「……それは首輪を嵌めた当初から計算して辿り着いたのか?」
「欲しい物がある場合、君は目的地も経路も決めずに歩くのか? 早い段階でズラトロクが他の方法を考えてほしいと頼んできた。転がり始めた物を止めるのは至難だ。僕は幾つか仮説を立て、進む毎に立て直し、検証した。何せ五十年毎にしかデータを得られないからな、かなりの時間を要した。漸く実行に移せるピースが揃い、充分な結論を出せた。最近はこれのために実験ばかりしていた」
「…………」
「かなり砕いて説明したが、もっと詳細にとなると理解できないはずだ。一々用語を説明していられない。結果に不安があるなら、僕が幾ら説明しようと無駄だ。実際に結果を目にして、その時に理解できるだろう」
「そうだな。僕は専門家じゃない。結果を見ることでしか理解できないんだろう」
贔屓がどう答えようと、カトブレパスはそれ以上は語るつもりが無かった。ヴイーヴルに鎖を引かれ、部屋を後にする。
「先生にしてはわかりやすく噛み砕いたわね。私が最初に聞いた時は何を言ってるかわからなくて、翻訳機を付けたもの」
「翻訳機は専門用語を訳す道具じゃない。……言っておいてだが、こんな中身の無い説明で何がわかるんだ?」
「雰囲気でわかればいいのよ。これと並行してアイトに協力して虫を作ったりしてたんだから……天邪鬼よね」
やはりまだ舐められているのではないかと宵街の獣達は無言で閉まるドアを見るが、専門用語を並べて説明されても理解はできない。
三人は椅子の背に凭れ、天井の煌びやかなシャンデリアを疲れた顔で見上げた。




