218-不審死
人間の街とは別の空間に、獣や変転人が棲む宵街と言う街がある。
宵街は今日も静かにその名の通り、宵の空が見下ろしていた。
人間がいなくても、宵街にもそこそこの秩序はある。悪さをすれば制裁がある。
罪を犯す者がいなければ、それを裁く科刑所は暇――ということはなく、最高権利者の狴犴はいつもの自席で書類に目を通し、ペンを握り、黙々と忙しい。
白花苧環は来客用のソファに座って狴犴を手伝う。書類の整理や報告書、要望の仕分けなどが主だ。加えて一日に二度ほど石段を下りて要望書を回収する。問題が発生していない平時はそんな感じだ。
一日の殆どが会話の無い部屋に、扉を叩く音が響く。来客の応対は白花苧環の仕事だ。最初は慣れなかったが、様になってきた。
扉を開けると、兎のような長い耳と土竜のような大きな爪を持つずんぐりとした黒い生物が鼻をひくつかせて立っていた。地霊だ。
「急ぎの報告書を預かりました」
「急ぎの?」
地霊は大きな爪に四つに折り畳まれた紙を挟んで白花苧環に差し出す。報告書は通常、本人が直接科刑所に持ち込む物である。地霊に預ける物ではない。余程の急ぎのようだ。
白花苧環が報告書を受け取ると地霊はすぐに踵を返して行ってしまった。怪訝な顔をしつつ、白花苧環は扉を閉めた。
「急ぎの報告書だそうです」
「内容は?」
「読み上げます」
報告書を開いて目を通す。余白の目立つ報告書だった。
「『変転人の死体発見。白。男。身元不明。回収後、病院にて調査。裂傷、打撲痕多数。死体の目撃者二名、狙撃。一名逃亡、捜索』――以上です」
「その簡潔な報告は……長実雛罌粟か?」
「はい。そう書かれてます」
「報告より捜索を優先したようだな」
「それで地霊に預けたんですね」
「狙撃の理由も添えてほしいが」
一口に報告書と言っても、書き方には個性が出る。報告書の雛形は無く、一般的な形式も知らない変転人は自由に言葉を連ねる。長実雛罌粟は単語だけを並べる場合が多く、一目見ただけで彼だとわかる。
「この狙撃とは?」
「長実雛罌粟の武器だ。特殊な銃による遠距離狙撃が得意でな、近接戦とは異なる戦い方をする。機会があれば苧環も話を聞いてみるといい」
「銃が武器なんですか? スミレの他にもいたんですね」
「本人の希望で武器が銃であることは他言していない。だが科刑所にいる以上、お前は何れ知ることになるだろうから話した」
「そうだったんですか。ではオレも他言しないよう配慮します」
銃の生成は難しく、素質がないと武器にできない。武器が銃と言うだけで、無色の変転人から羨望の目で見られる。加えて遠距離の攻撃が得意とは、かなり稀有な素質だ。鼻を高くして自慢できるのに、長実雛罌粟は他言を求めない。
「苧環、病院で死体の確認を行ってほしい。だがもし病死なら接近するな」
「はい。白には十歳以上の男はいないので、十歳未満ですよね。白鱗鶴茸でしょうか?」
「確認するまではあまり個人の名前を出さないようにな。もし違ったら本人が気分を害するだろう」
「すみません。配慮が足りませんでした」
白花苧環は狴犴の机に報告書を置き、頭を下げて部屋を後にする。白花苧環はまだ幼く、感情が稀薄だ。死体を確認する前に名前を出すことにも何も思わない。配慮とは難しいものだ。
酸漿提灯の並ぶ石段を駆け足で下り、蔦の下がる病院の入口を潜る。物音を聞いて出入口の様子を窺っていた有色の変転人、姫女苑と目が合った。
「苧環さん? 怪我ですか?」
「報告を受けて死体の確認に来ました」
「科刑所からですね。安置室でラクタヴィージャ様が調べてる最中なので、声を掛けてから入室してください」
「死体は誰ですか?」
「それが……私もラクタヴィージャ様も見覚えが無くて。服装も狻猊様が仕立てた服ではなくて……宵街を経由しない個人に仕える変転人の可能性が高いです」
「わかりました。オレも確認してみます」
白い頭を下げ、白花苧環は廊下の奥へ向かった。患者用の病室が並ぶ上階へ行く階段とは離れ、目立たない陰に下り階段と坂道がある。安置室は地下だ。
薄暗い地下のドアの一つに明かりが灯っている。中で作業をしている場合に点ける目印の明かりだ。窓が無いため、どの部屋で作業をしているか外から判断できるように灯している。
白花苧環はその明かりの点いたドアを軽く叩いた。
「報告を受けて科刑所から来ました」
一拍の間があり、中から声が返る。
「その声は苧環? 入って」
「死体は病死ですか?」
「違うわ」
ラクタヴィージャの声だ。白花苧環は何も無い狭い部屋に入り、頭を下げる。
「着てた服はそっちにあるから確認して」
彼女は顔を上げずに死体の観察を続ける。壁際の机に、死体が着用していた服が広げて置かれていた。服と言うより襤褸だ。所々に血が染み込んで乾き、黒くなっている。破れと繕った跡が複数ある。
安置台に載っている死体は白い布が被せられていて顔も見えない。白花苧環が遣って来たので、刺激の強い死体を見て衝撃を受けないよう彼女が被せた。
「靴は……」
「ここに届けられた時は裸足だったわよ。足の裏を見るに、暫く履いてなかったみたい。傷だらけよ」
足の部分だけ布を捲って見せる。傷だらけで血も滲んでこびり付いている。
「顔も確認します」
「じゃあ捲るから、心の準備をして」
ラクタヴィージャは丁寧に言葉を掛け、死体の顔を覆う布を捲った。
死体の顔は穏やかとは言えず、苦しんで死んだことが窺える。変転人は外見では年齢がわからないが、白い髪で、少年の姿をしていた。
「顔は……オレも見覚えがありません」
「そう……」
「死体の状態はどうですか? 死因は何ですか?」
「全身傷だらけ。死因は失血死だと思う。細かい傷が多くて、どれが致命傷かと言われると難しい」
「恨みでもあったんでしょうか?」
「そうかもね。後で狻猊にも確認してもらうわ。一度でも宵街で服を作った変転人なら覚えてるはず。科刑所に報告できるのは、これくらいね」
「わかりました。死体を処理する時は科刑所に声を掛けてください」
「了解」
「……それと、一ついいですか?」
「ん? 何?」
「こういったことはよく起こるんですか? 身元不明かどうかは問わず、変転人の死体が見つかるのは」
「無いわけじゃないけど、滅多に無いわね。事件や事故に巻き込まれて死体が出る時もある。戦時中はよくあったけどね……」
「戦時……?」
「苧環にはちょっと難しかったわね。人間の街は昔は物騒だったのよ」
「そうなんですか?」
生まれて一年ほどしか経たない白花苧環は知らない過去ばかりだ。覚えることや学ぶことが尽きない。
「今は昔話より目の前のこれよ。事故じゃなかったら、この執拗に傷付けられた死体は何なのかって話よ。変転人を狙った犯行だとしたら、二人目三人目と続くかもしれない。狴犴に動いてもらわないと」
「! わかりました。迅速に報告します。まず狻猊に来てもらいます」
圧倒的に不足している経験を即座に補うことは困難だ。体で覚えていくしかない。夢に現れた前世の彼も不満を言っていた。今の白花苧環にできることは少ない。安置室に留まっていてもできることはない。
白花苧環は胸に手を当ててラクタヴィージャと死体に頭を下げ、駆け足で工房へ向かった。今の彼にできることは、足を使うことだけだ。
* * *
誰もいない透明で小さな街の石畳の上で、黒い動物面を被る獏は大きな毛糸玉をせっせと投げていた。
毛糸玉の転がる先には黒猫と白黒猫がいる。必死に毛糸玉を追い掛けて殴り掛かっている。
それを古物店の隣家の二階から、管狐が窓枠に寄り掛かって眺めている。
「ふふ……偶には広い場所で走り回りたいよね。前の街は危険だったけど、この街は外に出ても危なくないからね。もっと早く気付けば良かったよ」
監視役の灰色海月は古物店の奥で菓子作りに勤しんでいる。罪人が建物の外で遊んでいようと、外に出て見張ることはない。烙印で力を封じられた状態では、自力で牢から逃げられないからだ。
毛糸玉は散らかされ、黒い石畳は色取り取りの絵の具を零したようになっている。
その毛糸を更に散らかし、和やかな空気を裂くように忽然と人影が現れた。勢い良く飛び込んで来た突然の来訪者に反応する間も無く、蹴られた毛糸玉が宙高く舞い、猫達がそれを追って高く跳び上がる。
平穏を乱すその来訪者に獏はあんぐりと口を開けながらも、勢いを止められないその体を受け止めるために両腕を広げた。だが勢いを殺し切れず石畳を滑り、獏は街灯に背中を強打した。
「ぐっ……!」
「いっ……」
二人は街灯にぶつかっても勢いが止まらず石畳を少し転がる。猫達は驚き、毛糸玉どころではなくなった。
背中の痛みを振り解き、獏は先に起き上がって彼に手を差し伸べた。
「大丈夫クララさん!? 怪我は無い!?」
彼は獏の手を取らずに膝を突いて身を起こす。獏は行き場を失った手で、開いたまま転がる灰色の傘を拾った。街に飛び込んで来たのは、以前善行で知り合った、人間の街で生活している灰色の変転人の眩草だ。
「まだ転送に慣れないみたいだね。コツを掴めないならクラゲさんに教えてもらうといいよ」
「転送は慣れた……」
眩草は畳まれた灰色の傘を受け取り、頭を振る。
「たぶん、撃たれた……」
「え?」
「咄嗟に逃げ込んだんだ。ここは別の空間だって聞いたから、安全だと思った。走りながら転送して……」
「撃たれたの!?」
「脚を一発掠っただけだ。掠り傷みたいなものだ」
「掠り傷でも撃たれたんでしょ? 手当てするよ」
「…………」
眩草は不満げな顔をするが、掠り傷とは言え血は出ている。絆創膏くらいは貰おうと傘を掌に仕舞った。
一部始終を二階から見ていた管狐は下に下りるか迷ったが、大怪我を負ったわけではないので様子を見ることにした。二人が古物店に入って行く姿を見守る。
掠り傷とは言え歩くと痛む。なるべく足を引き摺らないよう眩草は獏に付いて行く。他人に心配されるのは苦手だ。
獏は二階に案内しようとするが眩草に階段を上がる気力は無く、一階の奥にあった椅子を引き出して座った。座る瞬間に負傷している脚に力が入り、整った眉を顰める。
「大きな音がしましたが、何かあり――クララさん?」
外の不審な音は店の奥の台所にも届いていた。灰色海月は菓子作りの手を止めて顔を出す。
「クララさんが怪我をして飛び込んできたんだよ。これから手当てする」
「それは大変です。救急箱を持って来ます」
獏は眩草の前に座り、負傷した脚のズボンを捲る。脹ら脛の辺りに血が少し滲んでいる。
灰色海月は救急箱を置いて蓋を開き、消毒液を取り出す。獏は血を拭い、軽く洗って消毒する。二人共、手慣れている。眩草は染みる傷に険しい顔をした。
「それで、何があったの? 通り魔?」
「わからない……でも理由ははっきりしてる。死体を撮影したからだ」
「死体? 君はテレビ局で働いてるんだったね。ドラマとか映画の撮影かな?」
「最初から話す……」
「ありがと。助かるよ」
ガーゼを当ててテープで留め、獏は微笑む。眩草は一度溜息を吐いた。
「……飲み会に誘われたんだ」
「飲み会? それってお酒を飲む会のことだよね? クララさんはお酒が飲めるの?」
話の腰を折るのは躊躇われたが、変転人――特に植物系の変転人は元々脳や臓器が無かったため、人の姿を与えられてもその感覚に慣れずアルコールに酔い易いとされている。禁止されてはいないが、宵街では飲酒を勧めていない。眩草は植物だ。獏はその疑問を口にせずにはいられなかった。
「いや、飲まない。周りで酔う人達を見てると、飲む気にならない。なのに誘われる。いつもは断ってるが、今回は偶には付き合えと連行された」
「人間の付き合いって大変だね……」
「その帰りに、帰り道が同じだった同僚一人と歩いていて、若い男の死体を見つけた」
「本物の死体……?」
「ああ。テレビ局と繋がってるからか、スクープだと同僚が撮影を始めたんだ。まず救急車か警察だろと思ったが、酔ってたからな……僕は一歩引いて見ていた」
「君が通報してあげたら?」
「関わりたくない。それで、前触れ無く急に同僚が倒れたんだ。ぶつけたわけでもなく不自然に頭から血を流してた。嫌な予感がして僕はすぐに逃げようとした……が、足を動かした直後に掠った。後はわかるだろ」
「すぐに逃げようと判断したことが功を奏したんだね。犯人は見た?」
「いや……たぶん銃だとは思うが、銃声も聞こえなかった」
「見られたくない死体だったんだろうね。でも銃声が聞こえないなんて、消音器かな? 死体はどんな感じだったの? 同じように銃で遣られた感じ?」
「見えない所はわからないが、見える範囲で銃っぽい痕は無かった。それと顔は若いのに髪は真っ白だった。脱色してるだけかもしれないが、何か……変転人かも、と思った」
「! 変転人だとしたら宵街に知らせた方がいいね。クラゲさん、念のために知らせてきてくれる?」
「は? おい、何を……」
「あ、そうだね。クララさんのことは伏せて話してくれる?」
「わかりました」
獣を忌避している眩草は肝を冷やして腰を浮かすが、獏の助け船で焦燥を浮かべつつも腰を戻した。
灰色海月は頭を下げ、早足で店を出る。
「クララさん、他に怪我は無い?」
「……無い」
眩草はズボンの裾を下ろし、爪先に視線を落とす。手当てをしてもらうつもりでここに来たわけではなかった。なのに獏は彼がここへ転送した瞬間から、彼を護ろうとしていた。
(獣の癖に……)
獣が優しさを見せるのはその裏に何か企みがあるからだ。眩草は油断しないよう頭を切り替え、携帯端末を取り出す。この街は静かだが、人間の街は大騒ぎかもしれない。起き上がらなかった同僚も死んだかもしれない。死体が二つも転がっていて騒ぎにならないはずがない。人間の街は終電も近い時間だったが、そんな時間でも人間は外を歩いている。見つかるのは時間の問題だ。
「……圏外なのか」
「やっぱり通報するの? ここは人間の街と空間が繋がってないから、電波も入って来ないよ」
「通報じゃない。死体が見つかったらニュースになるはずだから、外の様子が知れると思ったんだ。でも電波が入らないんじゃ無理だな」
「あ、そっか……人間の街は事件があったらすぐ情報が流れるもんね。心配だったらクララさんはここにいて、僕がクラゲさんと見て来てあげるよ」
「心配と言うか……はあ……面倒臭そうだから明日は休みたい」
「仕事? 怪我したんだから休めばいいよ」
「このタイミングで休んだら僕が疑われるだろ。事件現場にいたんだぞ」
「成程。確かに容疑者になるね」
「だから飲み会なんて嫌だったんだ……」
「飲み会が関係あるかわからないけど、ここには何日いてもいいからね」
「嫌疑を吹っ掛けられるって言ってるだろ」
眩草は頭を抱え、呑気な獏を睨む。不審者はお断りと追い出されないだけ良かったと思うしかない。
「クララさんは武器を持ってないの?」
「持ってるわけない……持ってたら言い逃れできなくなる」
「そうじゃなくて。無色の変転人は体内で武器を生成できるでしょ? もしかして知らない?」
傘で転送できることも知らなかった彼だ。武器を生成できることも知らないのではと獏は推察する。その想像通りに眩草は怪訝な顔をした。
「体内で生成……?」
「うん。無色の変転人は好きな武器を作って使うことができるんだよ。傘みたいに手から出し入れするんだ。クラゲさんも武器を出せるよ」
「例えば……銃も作って撃てるのか?」
「銃は難しいみたいだけど、素質があればできるらしいよ」
「凶器を消せるなんて、完全犯罪だろ……」
「そんな風に使ってる変転人はいないと思うけど。いたら宵街から叱られるよ」
人間のようなことを言う変転人だ。人間に近い位置で生活していると思考まで人間に近くなるのかもしれない。獏は苦笑する。
「その……宵街って言うのは、無法地帯じゃないんだな」
「人間ほどじゃないけど、規則はあるよ。獣ですら人間をたくさん殺すと牢に放り込まれるからね」
「想像してた街と違……」
目を丸くする眩草の口が止まる。店の外で声が聞こえた。灰色海月の声だ。宵街から戻って来たらしい。
「待ってください!」
叫び声と同時にドアが開き、灰色海月ではなく黒柿色の少年が店に入って来た。灰色海月は彼を止めようとするが、彼は止まらず店の奥へと進んだ。
何事かと獏も通路に顔を出す。見覚えのある変転人だった。
「えっと……長実雛罌粟さん?」
「退いてください。獲物を引き渡してもらいます」
「獲物? 何のこと?」
「そこの男」
「え?」
言うや否や長実雛罌粟は掌からすらりと銃を引き抜いた。
「!?」
黒葉菫のフリントロック式の拳銃よりも大きい。散弾銃だ。
「待ってください! その……彼は……そうではなくて……」
灰色海月は長実雛罌粟を止めようと腕を掴むが振り払われる。獏は負傷している眩草を庇って前に立つ。
眩草は長実雛罌粟とは初対面だが何となく察した。眩草と同僚を撃ったのは彼ではないかと。
「目撃者の人間を野放しにしておけない。ここにいるのは手紙の……善行? その仕組みを利用したのか」
「ちょ、ちょっと待って! えっと……一分! 一分ちょうだい!」
「何をするんですか? そいつは死体を撮影する悪趣味な人間ですよ」
銃口は下げないが引金からは僅かに指を離す。その微かな指の動きを確認して獏は直ぐ様振り向き、眩草に小声で叫んだ。
「君が変転人だって言えば争わずに済みそうだけど、どうする!?」
「どうするって……あの銃から逃げられるのか? 転送しても追って来るんだろ? 已むを得ない……あいつにだけ言っていい」
「わかった!」
一分経過する前に前を向き、獏は説得を試みる。
「長実雛罌粟さん。他の皆には内緒にしてほしいんだけど、彼は人間じゃないんだ。変転人なんだよ」
「証拠は?」
「クララさん、傘を出してあげて」
眩草は言われた通りに掌から灰色の傘を引き抜く。それが可能なのは変転人だけだ。人間にはできない。それを見て長実雛罌粟は拍子抜けする程あっさりと銃口を下げた。
「納得した。転送なら死角に入った瞬間に見失うわけだ。悪かったな、一発当たっただろ?」
「掠っただけだから……」
「勘がいいんだな。俺が外すなんて。……けど死体の撮影は感心しない」
「あれは同僚が勝手に……僕は見ていただけだ」
「同僚も変転人なのか?」
「いや、そっちは人間だ」
「安心した。変転人は殺したくないからな」
長実雛罌粟は銃を仕舞い、眩草の全身を観察する。
「一緒に宵街に行って死体のことを報告してほしいんだけど」
淡々とした申し出に眩草は首を振る。頑なに宵街へ行くことを拒む。
「彼は人間の街で生活することを選んだから、宵街とか獣に関わりたくないんだよ。僕もそっとしてあげたいんだけど」
「そうなんですか。ですがあの変転人の死体について話を聞きたいです。まさか殺した犯人ではないですよね?」
「犯人じゃない。僕もわけがわからないんだ。手から銃が出て来るお前の方が余程犯人っぽい……」
「変転人の死体に銃創は無い」
淡々としていた声色に少しの不快感が混じる。不機嫌さが微かに目元に現れた。冗談でも変転人を殺したなどと言われたくない。
「彼は変転人が武器を生成できることを知らなかったから、びっくりしたんだよ」
獏も慌てて口を添える。眩草は宵街や変転人のことを碌に知らない。
「傘は所持してるようですが。工房で聞きませんでしたか?」
獏も人の姿を与えられた変転人がどのように宵街に迎え入れられているのか詳しく知っているわけではない。話せば話すほど襤褸が出て、もう繕う言葉はボロボロだ。
それを見て長実雛罌粟は小さく息を吐いた。獏と初めて会った時、獏は宵街でよく使用されている水のことを知らなかった。無知を相手にするのはこれが初めてではない。
「……話を聞いたら宵街に戻ります。獲物を仕留める必要が無くなったので。お騒がせしてすみません」
「う、うん……彼も死体を発見しただけで、それ以上はわからないと思うけど……」
獏の言う通り眩草は何も知らない。同僚が撮影した理由は好奇心と答えておいた。本心はもう聞けないので憶測だ。
特に情報が得られなかった長実雛罌粟は淡々と店を出て宵街へ帰って行った。三人は漸く胸を撫で下ろす。息が詰まりそうだった。
「……クラゲさん、クララさんのこと話したの?」
「は、話してません! 科刑所に行ったらナガさんが丁度報告を終えた所だったんです。まさか同じ死体の報告とは思わなくて……。私は死体を見てないので、人間が死体を目撃したと報告したんです。人間からの手紙で死体のことを知ったと……。それでナガさんに突っ掛かられたんです。逃がした獲物を狩ると言い出して」
「ああ……鉢合わせちゃったんだね。長実雛罌粟さんのことはよく知らないけど、責任感が強いのかな」
「ナガさんはどちらかと言うと冷めた感じの人です。図書園で新人教育をしてた時も口数が少なくて。仕事熱心だとは思えませんでした」
「銃の腕に自信があるみたいだったから、仕事とは関係無い理由で熱くなっちゃったのかな? こんな所で乱射されなくて良かったよ」
灰色海月は何も載っていない机上にはっとなり台所に入る。客人がいるのに茶を出していない。
「……変転人って皆ああなのか?」
ドアの方を警戒しながら見ていた眩草は座り直して肩の力を抜く。
「ああって?」
「人間か変転人か確認せずに殺そうとする」
「ああ……性格じゃないかな?」
「謝ってはいたが、全然悪いと思ってなさそうだった」
「黒の性質もあるかもね。黒い変転人は悪いことも容認する。逆に白は悪いことを許さない正義」
「灰色は?」
「柔軟だけど悪いことは悪いって言うね。黒と白の間って所かな」
「確かに同僚が殺されても、驚いただけで怒りとか悲しみとかは無いな。これが柔軟って奴だな」
「ちょっと違うけど……。色の性質より性格の方が強く出ると僕は思うよ」
「そんなものか?」
紅茶を淹れた灰色海月は二人の前にティーカップを置き、走って喉が渇いていた眩草は冷ましながら一気に半分ほど飲んだ。
「でも変転人の死体なんて物騒だよね。一体誰なんだろ?」
「身元不明だそうです。顔は判別できるんですが、名前を知ってる人がいないと聞きました」
「へぇ……クララさんみたいに宵街に棲んでない人かな」
「この流れで僕を例に挙げるな。まさか宵街に棲んでない変転人をターゲットにしてるなんてないよな?」
「連続殺人事件だって決まってないんだから、気にし過ぎだよ」
警戒のし過ぎは肩が凝る。獏は笑って彼の肩を叩く。その獏の肩を灰色海月が静かに叩いた。
「?」
「手紙の投函があったようです。善行はどうしますか?」
「手紙か……こんな時に。今はクララさんがいるし、手紙の回収だけお願いできるかな? 人間を連れて来るとクララさんは都合が悪いだろうし」
「わかりました」
灰色海月は頭を下げ、眩草のティーカップに追加の紅茶を注いで店を出た。
「仕事の邪魔か?」
「気にしないでよ。嫌々遣ってる仕事だしね。それより傷の方はどう? 痛い?」
「歩けない程ではない」
「もし我慢できなかったら宵街の病院に行くといいよ。痛み止めが貰えるかも」
「病院があるのか? 意外だな……」
「そう?」
獏も紅茶を一口飲み、古い革張りの椅子に凭れる。大怪我や病気に罹患しない限り病院に行くことは無いが、獣同士が争えば必ず怪我人や死人が出る。宵街に病院は必要だ。
「殺すことも躊躇無く、治療は放棄してると思っていた」
「獣にも色々いるからねぇ。残忍な人もいれば、親切な人もいるよ。僕は……どっちだと思う?」
「御節介」
「即答!? 最近も誰かに言われた気がする……それってありがた迷惑ってこと? 釈然としない……」
「色々いるってことはわかった。僕に人の姿を与えた獣は……悪い方だってことも」
「君を変転人にした獣を知ってるの?」
「? 当たり前だろ。目の前にいたんだぞ」
「人の姿を与えられた直後ってまだ体が馴染んでなくて、視覚や聴覚もあんまり働いてないんだよ。だから変転人は皆、誰が自分に人の姿を与えたのかわからない。感覚がはっきりするまで目の前にいたら認識できるけどさ」
「そうなのか? 僕の場合は……暫く転がされてたから認識できたのか?」
「転がされてたの?」
「今度は何日で死ぬか賭けよう――とか聞こえてたから逃げた。わかったか? だから獣に関わりたくないんだ」
「それは確かに関わりたくないね……宵街は変転人を護ってくれるから、宵街にいれば安全だと思うけど」
「お前も獣だろ。信じられるか」
溝は深い。不信感を抱く眩草は眉を顰めてそっぽを向く。その視界に金魚鉢が映る。外に猫がいたが、金魚も飼っているとは、獣の癖に人間のようなことをする奴だ。
信じてもらえない獏は動物面の奥でしょんぼりと眉尻を下げる。
だが初対面の時より眩草の口数は多くなった。ほんの少しでも溝は埋まっているのかもしれない。獏はそう前向きに考え、ドアを叩く音が耳に届いた。
戻って来た灰色海月がドアの隙間から顔を出していた。
「クラゲさん? どうしたの?」
「手紙は人間ではなく、変転人でした。なので連れて来てしまったんですが、入っていいですか?」
「もしかしてナガさん? わざわざ手紙を出す理由がわからないけど。それとも助けを求める変転人?」
灰色海月は顔を引っ込めて振り返る。ドアの隙間から彼女の物ではない手が覗き、大きくドアを開いた。現れたのは左の目元に黒子がある、花貌を咲む黒い少年だった。胸に手を当て、恭しく首を垂れる。
「取り込み中でしょうか? 海月さんをお借りできればと伺ったんですが」
「アルさん!」
獏はぱっと顔を明るくして立ち上がる。花街の古城で獣達に仕える優秀な変転人、アルペンローゼだ。彼は宵街と花街が絡む事件の渦中で翻弄され、獏が一時的に保護していた。
「入っていいよ! 久し振りだね。また旅行かな?」
「お久し振りです。今回は城からの使いです」
アルペンローゼは店の中へ一歩入り、毅然と置棚の間を歩く。獏の前に立ち、傍らの灰色の青年に気付いて会釈した。
「初めまして」
「……初めまして」
多くは交わさず、初対面の挨拶だけを送る。代わりに獏が双方の紹介を引き受ける。
「彼は花街に棲むアルペンローゼさん。良い人だよ。こっちは人間の街で生活するクララさん。宵街とは関わらないからそっとしておいてあげてね」
「承知しました」
「花街? 宵街じゃないのか?」
「うん。花街は西洋にあるんだよ」
「それで『旅行』か……」
獏が口にしていた言葉の意味を理解した。転送で一瞬だとしても、西洋から遥々遣って来たならそれは旅行と言えるだろう。
「それで、御使いって?」
「直接宵街に行くつもりだったんですが、どうやら僕の傘では宵街に転送できないようで。海月さんの力を借りようと思ったんです。それなら獏さんにも挨拶をしないと失礼でしょう? 花街で罪人の死刑を執行するので、死刑見学の招待に参りました」
獏と眩草は瞬きを忘れてしまった。罪人の獏にとってあまり聞きたくない言葉が出て来た。
「本当に良い人か……? 死刑の見学?」
「宵街には多大な迷惑を掛けてしまったので、罪人――アイト様の最期を見届ける権利があると考慮されたんです。事後処理が漸く落ち着いたので、執行されることになりました。宵街から見学の御希望があれば僕が御案内致します。フェル様とヴイーヴル様の連名で書簡――招待状も預かっています。執行後は御食事も御用意します。皆様で御歓談をと」
「死刑を見学して食事しながら歓談……? これが変転人の普通なのか……?」
眩草は今まで人間の街で人間達の中で生活してきた。初めて話した変転人は灰色海月だ。つい最近である。今日はよく変転人に会う日だ。人間の中にいた眩草は変転人の常識を知らないが、これが普通なのだとしたら感覚が違い過ぎる。
「クララさん、変転人はそんなことしないよ。御誘いされてるのは獣だよ」
「な、納得した……獣なら常軌を逸してる」
「獏さんは如何ですか? 御一緒しますか?」
「御食事って、君が御用意するの?」
「城の料理人が御用意します。僕も僭越ながら少々」
「料理人は知らないけど、君の料理なら食べてみたいなぁ。許可は下りないと思うけど」
「ある程度の自由を許されているのだと思いましたが、無理ですか?」
「あと僕の立場上、死刑は他人事じゃないからね。そういう見世物も興味ないかな」
「そうですか」
「君は見学するの?」
「いえ。僕はそういったことはあまり……。ワイスは嬉々として挙手していましたが。今回の死刑は特別なので、変転人の見学も許可されました」
エーデルワイスは獣を嫌悪している。挙手する姿が在り在りと想像できる。
「寧ろ自分が死刑を執行すると言い出しましたよ。その許可は下りませんが」
「ふふ……ワイスさんらしい……」
眩草は信じられないものを見るような目をしている。変転人の性格は十人十色だ。
「……あっ。例の死体、花街の人って可能性はないかな?」
和やかに話していたが、ふと死体のことを思い出した。死刑だのと話しているからだ。
宵街で身元が特定できないなら、花街の旅行者である可能性がある。花街の旅行者なら宵街は把握しておらず、誰も見覚えが無くて当然だ。
「死体……? 花街がまた何か問題を起こしてしまいましたか?」
寄生虫で混乱を起こしたことは記憶に新しい。アルペンローゼもその渦中にいた。その時のような問題が起こったなら、また甚大な被害を出し兼ねない。彼は端正な眉を寄せて険しい顔をする。
「まだ何とも言えないんだけど、変転人の死体が見つかったんだ。宵街では身元が特定できなくてね、だったら花街の人の可能性はないかなって」
「犯人は捕らえましたか?」
「まだじゃないかな。ついさっき死体が見つかった所だから」
「それなら死体の確認はできますか? 僕も花街の変転人全ての顔を把握しているわけではないですが、もしかしたら見覚えがあるかもしれないので。どんな変転人か、ここで言えることはありますか?」
獏は動物面の奥で眩草を一瞥する。彼は口を開かない。もう死体に係わりたくないようだ。
「男性で、白所属らしいよ」
「白? それなら花街の変転人ではないですね」
「見なくてもわかるの?」
「花街に白い変転人はいません。アナは例外ですが、彼女以外、白はいません。今は彼女もいないので……誰もいないはずです」
「そうなんだ?」
有毒生物に人の姿を与えて色が偏ることはないとは言い切れないが、一色だけが存在しない極端な偏り方をするのは不思議だ。宵街では灰色が少ないが、零ではない。
アルペンローゼはそれ以上は言葉を加えず、答えるつもりも無さそうだ。ぴり、と肌に緊張感が張り付く。
「死体のことは狴犴から詳しく聞くといいよ。宵街の情報はあそこに集まるから」
「はい。そうさせていただきます。こうして話している間に犯人を捕獲できているといいんですが」
「ふふ。そうだね」
「それでは、失礼します」
アルペンローゼは胸に手を当てて首を垂れ踵を返す。灰色海月も彼を宵街へ送るために店を出た。
獏は紅茶を飲み、眩草はもう誰も来ないことを確認するために暫くドアを見詰めていた。
「……横になれる場所はあるか?」
「二階にベッドがあるよ。他の建物にもある。隣の建物以外なら使っていいよ。隣には獣がいるから」
「お前以外にも獣が?」
「穏和な獣だから安心して」
「……ここの二階でいい」
立ち上がった眩草は負傷した脚を庇うように歩く。その状態で階段を上がるのは心配だ。獏もカップを置いて立ち上がり彼を送ることにする。
「暫く寝るから入ってくるなよ。仕事で疲れてる上に飲み会まで付き合わされたんだ。寝ないと持たない……」
「うん。僕は下か外にいるから、何かあったら言ってね」
眩草を獏の部屋へ案内し、彼は眠そうな目をして締め出すようにさっさとドアを閉めてしまう。獏の部屋だということは黙っておいた。獣の自室だと言うと彼は嫌がりそうだ。
(変転人は人間より体力があるはずだけど、人間の仕事ってそんなに大変なのかな……)
獏は彼をそっとし、一階へ戻る。
部屋に一人切りになった眩草はベッドに手を突く。丁度良い柔らかさだ。靴を脱ぎ捨ててベッドに横になり、何処か懐かしさを感じる古い木の天井を見上げる。じくじくと脚の痛みはあるが、それより眠気が勝っている。
(……獣は変転人を殺すんじゃないのか……? 何で手当てされてるんだ僕は。アルペンローゼとかいう奴の話だと、変転人も強そうだ……僕も武器を作ればいいのか? 体内で武器を作るって何なんだ……)
瞼が重い。もう脳は寝始めている。
(変転人と同僚の死体……僕があいつと同じ方向に帰ったことは、他の奴が見てるよな……どうやって言い訳すればいいんだ……撃たれた同僚……何て名前だっけ……?)
名前もだが、顔も曖昧にしか思い出せない。興味が無くて、記憶に残っていない。
思考の途中で夢を見ない程に深く、暗闇に引き摺り込まれた。疲れた心身は想像以上に休息を欲していた。




