第2話「アミバという町」(2/2)
「それ、どげん字ば、かくっと?」
難解な物言いだったが、意味は分かる。
弘明はバックから大学の案内書を出すと、
「あのね、長崎工科大学――」
と言い掛けた。
するとおばちゃん、返事が弾んだ。
「なん――、コウカって、工大のことね」
その元気さに思わず弘明も反応して言う。
「ええ――、そうです。長崎工科大学です」
「なんね、そいならそうとはよ言わんばね」
そう言うとおばちゃんは戸口へ行き、ガラスに指を当てて、早口で説明を始めた。
「よかね――、分かった?」
と、得意気におばちゃんがそう言う。
「ありがとうございます」
思わず弘明は、立ち上がって頭を下げた。
「よかよか、はよ喰わんね」
そう言われた弘明は、急ぎ朝飯を平らげ、勘定を払って礼を言うとバス停へ向かった。
弘明が乗ったバスは、駅前から狭い坂を登ったり下ったり。途中、街中を走る路面電車に目が行く。その車体、いかにも頑丈で重そうな図体、車を睥睨しながら走っていた。
どこも狭い通りが続くが、いかにも洗練されて、異国の風情さえ感じさせる。平城を囲む松阪に比べれば、まるで違う風情だった。
古くから海外に開かれた街だけに、淀みなく異国の空気が流れているような気がした。
考えてみれば、高2の修学旅行で九州に来た。阿蘇から熊本へ下り鹿児島へ。だがその西の果に、こんな街があるとは意外だった。
――この街に、俺が住むのか――
そんな実感はない。
なんで長崎なんやと思うばかり。
せっかく美味い朝食を食べて元気が出た弘明だったが、バスが市街地から山に差し掛かる頃には思いが真逆に振れていた。
馴染みのないバス、曲がりくねった坂道、そして長いトンネル。バスはギアを変えエンジンを吹かす。そして、息を継ぐようにブレーキを利かせながら、今度は下っていく。
バスはなおもまだ山を登る。
――まだ着かんのか――
弘明は窓の外を見るしかなかった。
だが独り腹を立てても気落ちするばかり。
これが長崎へ至る最後の峠とは弘明も知る由がない。
ただ、もう地図を出す気力もなかった。
駅を出て三十分、いったいどこまで行くのかと思うほど、バスは奥深い方へ向かう。不安なのだが、バスの後部座席で窓ガラスの頭を預けていると、微妙な振動で眠気を催す。
ここで眠っては駄目だと思うのだが、それもままならず、いつしかまどろんでいた。
―――――
夢うつつの中、それは九月末のホームルームの時間、議題は恒例の文化祭だった。誰も関心はなく、教室には沈黙が流れていた。すると「山岡」とか「浪人」とか、呟く声が机に突っ伏す弘明の耳にも入ってくる。
受験前の大事な時期、文化祭などに興味を示す者などいる訳もない。クラス五十名の中で大学進学を諦めたのは数名だけ。その中に弘明が入っているのは、周知の事実だった。
それを知る岡田が、声をかけてきた
「山岡、どうや、お前やらへんか……」
それは前の席の岡田だった。
だが彼を無視する訳にはいかない。
共に春山で遭難した仲間で、唯一クラスで友と呼べる奴だった。
「全部仕切っていいなら、やってもいい」
と、偉そうな口を聞きながら、その実、彼に請われて喜んでいるのは弘明自信だった。
(あれが間違いだった……)
今更ながら、後悔に苛まれる弘明だった。
―――――
やがてバスが最後の坂を下る。
眼下に、小さな港町が見えた。海へ向かって家々が寄り添うように並んでいる。
――あれが、網場か――
窓ガラス越しに、その町を見つめながら、弘明は俄に抱く既視感に戸惑っていた。
(第2話おわり)




