第2話「アミバという町」(1/2)
見上げれば雪。音もなく降る雪、真っ白な雪が灰色の空からとめどなく降ってくる。弘明の顔に降りそそぎ、何かを問いかけてくるようにも思えた。
高架広場でひとしきり雪を浴びた弘明は、仰向いていた顔を下げながら、ふと目の前の家屋で埋め尽くされた丘を見て止まった。
――とんがり帽子の屋根に十字架――
様々な屋根が建ちならぶ景色の中に、ひとつ十字架が立っている。
真っ白な世界から、弘明を見下ろしている。
思えば初めて見る十字架、その見知った姿は清々しくもあった
――ああ、これが長崎か――
そんな薄っぺらな感慨だけで、気の向くまま、弘明は周りをぐるりと見渡した。
背後にも一段と高い山が迫り、その尾根が壁のように囲んでいる。最果ての街・長崎は三方が山で、西の方角だけが開けていた。
(こっちが稲佐山、あっちが長崎湾か)
列車の中で見た地図を頭に、物見遊山に見ていた。
だがその内、いかにも寒くなって、しかも腹が減ったことに気がついた。思えば夕べ駅弁を食べてから何も食べていない。
地に足がついてほっとしたのか、急に腹が減った。
だが油断は禁物。まずは網場行きのバスを探してからだと、階段を降りた。
駅舎の横に案内所があるが、閉まっている。
仕方なく駅前を歩くおばさんに聞いた。
「すみません、ちょっと教えて下さい」
そう言って弘明は、網場行のバス停がどこにあるのか聞いた。
それなりに丁重に尋ねたのだが、おばさんの反応は冷ややかだった。
怪訝な顔で弘明見ると体を避けた。これには困った。
その様子を見ていたおばさんは、それでも警戒しながら、聞き返してきた。
「ど……こ、いくと?」
「えっ、ああ、アミバというところへ……」
「アミバ……、そげんとこ聞いたこつなか」
そんな――と、思わず声が出た弘明だが、その時にはもうおばさんは歩き始めていた。
仕方なく、もう一人に声を掛ける。だが忙しいのか、誰も止まってくれない。
――なんで皆、こんなに冷たいのか――
途方に暮れた弘明は、行き交う人の群れに目をやりながらボーとしていた。すると視界の中に食堂――もう堪らず足早にその店へ行くと、暖簾をよけてガラス戸から中を覗く。
見れば一席空いている。
急いで入り席に着くと、壁の品書きに目をやる。
するとそこには、「朝食、百五十円」とあるではないか。
そこへおばちゃんがお茶を運んできた。
「なんに、しましょ――」
そう聞いてきたので迷わず朝食を頼んだ。
百五十円で食える朝食ってと、ちょっと心配になったが、それはすぐ杞憂に終わった。ものの五分でおばちゃんがトレーを運んできた。そこに並ぶ品々、弘明は面食らった。
ホカホカ飯に味噌汁、生卵一個と鯵の干物に高菜漬け。これで百五十円――と驚く弘明に、おばちゃんがお茶を注ぎながら聞く。
「どっから、きんなさったと?」
聞き慣れぬ発音だが、意味は分かる。
「三重です」
と、答える弘明に、
「ミエ?」
と一言呟き、そこでおばちゃんは顔を曇らす。
(えっ、三重を知らないのか?)
その様子を見て、思わず弘明は呟いた。
「えっと……伊勢神宮のある三重です」
伊勢と松阪ではえらく違うのだが、弘明はもう食べるのに忙しく、そう端折った。
「ああ、イセね――、まあ遠かところから」
そうは言うものの、その顔は要領を得ていない。
だから弘明は、肝心なことを聞いた。
「これからアミバへ行きたいのですが?」
そう聞くとおばちゃんの動きが止まった。
「アミバ⋯⋯、ってね?」
そのおばちゃんの最後の「ね」は、弘明が初めて耳にする、印象的な音色であった。
だがそれで終わり、あとが続かなかった。
(つづく)




