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~フェイトの記憶 ~  作者: Yūyake
シーン2 ― 私はダモクレスの剣だ
23/31

第17章: 小さな滝。

目を覚ましてから、まだそれほど日数は経っていない。二日、いや、もしかすると一日しか経っていないのかもしれない。

というのも、一日目は怪我の痛みにうめきながら、ずっとベッドに寝たきりだったからだ。

髭をたくわえた老人――ラプラスという名前らしい――の話によれば、俺は高熱にうなされ、完全に幻覚まで見ていたらしい。夜中に馬鹿みたいに笑いながら、支離滅裂なことを延々と口走っていたそうだ。

あれだけ身体を無茶苦茶にしたのだから、無理もない。

ラプラスについて言えば、かなり親切な人だった。ずっと俺の枕元にいて、友人と一緒に何度も包帯を替えてくれた。

……まあ、あのドラゴンの子との戦いで、俺もかなり容赦なくやってしまったからな。

そして二日目になると、ようやく自力で起き上がれるまでに回復した。

「坊主、お前は本当に頑丈だな!」

「ありがとうございます。」

照れ隠しに頭をかきながら答える。

「数日前まで死にかけていた奴が、この歳で立ち上がれるなんて信じられん。」

「さあ……体が丈夫なんじゃないですかね。」

「むしろ、その強さを授けてくれた親に感謝するんだな。」

俺は部屋の中を見回した。

そこは書斎のような場所だった。机や壁には子どもの落書きのような絵があり、獣のスケッチや様々なメモが散らばっている。

埃をかぶった本棚には、古びていながらも興味をそそられる本がぎっしりと並んでいた。

「ずいぶん立派な書斎ですね、ラプラスさん。」

「はっはっは、ありがとう。だが実は、この家は私のものじゃない。昔の恩師が貸してくださっているんだ。」

「そうなんですか……」

いまいち話が飲み込めず、家具へ意識を向けようとしたその時、扉がコンコンとノックされた。

振り向くと、ドアの向こうにはノヴァが立っていた。

何か言いたそうにしているが、一歩も中へ入ってこない。胸に拳を当て、鼓動を落ち着かせようとしているようだった。

「どうした?」

ラプラスが尋ねる。

「あ……いえ。その……様子を見に来ただけです。」

そう言うと、彼女は振り返り、来た時と同じように静かに部屋を後にした。

ラプラスはため息をつき、俺へ向き直る。

「なあ坊主。あの娘と何かあったのか?」

今度は俺がため息をついた。

辺りを見回し、眼鏡を見つけてかけ直す。

「あなたの日常に関わるような話じゃありません。それより……あいつはどうしていますか?」

「フェイトのことか?」

「……」

「……」

「実は、君が目を覚ましてからずっと部屋に閉じこもったままだ。母親と一緒にな。私以外は誰も中へ入れない。」

「ノヴァも何度か行ったんでしょう?」

「ああ。一度や二度じゃない。フェイトを安心させようとしたんだが、彼は彼女に対してひどく敵対的になってしまってね。」

俺は小さく息を吐き、ベッドの縁へ身体を向けた。

足を床につけると、ラプラスが目を見開く。

ゆっくり立ち上がる。身体はまだ驚くほど頼りなかった。

それでも棚に手をつきながら、一歩ずつ部屋の外へ歩き始める。

「お、おい坊主! どこへ行くつもりだ!」

廊下へ出ると、リビングのソファに座っていたノヴァが俺を見つけ、同じように目を丸くした。

「ニマリ!?」

俺は右へ向きを変え、隣の部屋の扉の前に立つ。

部屋の中は薄暗く、奥のベッドにはあのドラゴンの子――フェイトがいた。

身体を小さく丸め、膝を抱えるようにうずくまっている。

その時、部屋の扉が音を立てて開いた。

驚いたフェイトは、とっさに両腕で顔を隠す。

どうやら人間の姿には戻っていた。

それでも、黒い鱗がところどころに残り、尻尾や角もまだ消えてはいなかった。

だが、腕の隙間からこちらを見た彼は、俺の姿を認める。

俺は扉の枠にまっすぐ立ち、静かに彼を見つめていた。

「フェイト、お前だろ。」

「……」

横ではラプラスが黙ったまま俺を見つめていた。

俺が何を考えているのか、まるで見当もついていないようだった。

それでも何も言わず、俺が部屋の中へ入っていくのを見守ってくれる。

その途中、車椅子に座る女性の姿が目に入った。

扉を開けた瞬間から、彼女はずっと俺を見つめ続けていた。

俺はベッドへ歩み寄り、フェイトの真正面に立つ。

小さなドラゴンは、まるで殴られるのを待っているかのように、小刻みに震えていた。

俺は深く息を吐くと、その腕をつかむ。

「な、何するんだ!? 離せ!」

「一緒に来い。」

そう言って、そのまま引っ張る。

抵抗しようにも、今の俺の力のほうが強かった。

俺は彼を部屋の外へ連れ出した。

ラプラスとノヴァは無言で道を空ける。

そのまま家の外へ出る。

服装はほとんど寝巻き同然で、身体中包帯だらけ。

……まあ、そんなことはどうでもいい。

「フェイト。」

「……」

「お前のことはまだ何も知らない。でも、知りたいと思ってる。」

「えっ……? どうして? 僕は……君を殺しかけたんだぞ。」

先ほどラプラスに教えてもらった石造りの通路へたどり着き、そのまま歩き続ける。

「俺を殺そうとした奴なんて、数え切れないくらいいる。」

「どうして!? どうしてみんな僕に優しくするんだよ! 僕なんか何の役にも立たないのに! 僕は……死んだほうがいいんだ!」

石畳の道を抜けたところで、俺は彼の腕を放した。

勢いのまま、フェイトは前へよろめく。

「周りを見てみろ。」

フェイトはゆっくりと顔を上げた。

黄金色の麦畑が風に揺れ、その周囲を青々とした草原が包んでいる。

遠くには雄大な山々が連なり、空へ向かってそびえ立っていた。

「世界は広いんだ、フェイト。

 一度失敗したくらいで、自分を部屋に閉じ込めるには広すぎる。

 俺も、お前も……普通じゃない。

 自分でも制御しきれないものを抱えながら生きてる。」

「……君も、普通じゃないの?」

「違いがあるからこそ、美しいんだ。」

俺はその場へ腰を下ろした。

傷がまたじわじわと痛み始める。

左隣に立つフェイトは、目の前に広がる景色を静かに見つめていた。

柔らかな風が髪を揺らす。

俺はそのまま地平線へ目を向ける。

「自分の中に、自分の意思とは関係なく現れる"何か"がいる。 お前なら、その苦しさは分かるはずだ。だからこそ、それを理解して、受け入れて、少しずつ乗りこなしていくしかない。」

「……君は、それができてるの?」

俺は思わず吹き出した。

振り向いて笑う。

「全然。」

フェイトはしばらく俺の顔を見つめると、

「……なんだよ、それ。」

そう言って、小さく吹き出した。

彼が笑った、その瞬間。

不意に、前の宿主の記憶が頭をよぎる。

黒く短い髪。

全身に刻まれた刺青。

そんな一人の女性。

「……そういうことか。」

まさか、あいつがこんな場所に隠れていたなんてな。

俺は立ち上がり、辺りを見回した。

振り返れば、すぐ後ろには霧の壁がそびえ立っている。

「それにしても……本当にすごい景色だ。」

「《霧の大地》のこと?」

「ああ。外から見ても、中から見ても、本当に試練を乗り越えてきたんだって実感するよ。すごいな……。」

そう呟いた途端、力が抜けて、そのまま新緑の草原へ倒れ込んだ。

「だ、大丈夫!?」

「大丈夫。ただ、この場所の静けさを味わってるだけだ。こんな穏やかな時間を感じたのは、本当に久しぶりだから。」

フェイトには俺の言葉の意味はよく分からなかったようだ。

それでも、何も言わず俺の隣へ寝転がった。

辺りは静寂に包まれる。

虫たちの鳴き声。

風に揺れる草のささやき。

俺がずっと求めていた――そんな平穏だった。

「……ニマリ。」

ゆっくりと目を開く。

俺たちのすぐ後ろに、ノヴァが立っていた。

「……ん?」

「あなたと、話がしたい。」

フェイトは気まずそうに視線を泳がせる。

本当に、来るタイミングが悪い。

……いや。

彼女の表情を見れば分かる。

ずっと胸につかえていた想いを、もう抑えきれなくなっていたのだ。

「……そうだな。フェイト、少しここで待っていてくれ。長くはかからない。」

俺は立ち上がり、フェイトをその場に残した。

身体を起こした瞬間、傷口が強く引きつる。

それでも構わなかった。

今、ちゃんと話さなければならない。

俺とノヴァは並んで歩き始める。

《霧の大地》で精神をすり減らし続けていたせいで忘れていた。

陽の光を受けた彼女の髪は、こんなにも美しく輝いていたのか。

しばらく歩くと、道の脇に小さな滝を見つけた。

水は岩肌を伝い、大地へと流れ落ちている。

見上げれば、青々とした木々の隙間から木漏れ日が差し込んでいた。

「……本当に静かな場所ね。」

ノヴァは少し離れた滝を眺めながら呟く。

「ああ。とても豊かな村なんだ。」

俺は彼女へ向き直った。

ノヴァも真剣な表情でこちらを見る。

「……この村は、お前にはぴったりだと思う。」

少し息を吸い、続ける。

「俺の傷が治ったら、この村を出る。……お前は連れて行かない。」

その言葉を口にした瞬間、彼女の表情が苦痛に歪んだ。

言い方があまりにも冷たく、突き放しすぎた。

きっと傷つけてしまった。

俺は頭をかいた。

「聞いてくれ。

 俺たちは、もう同じ世界の人間じゃない。

 それに、俺は七歳で、お前は十八歳だ。

 一緒に生きていける関係じゃない。」

ノヴァはぎゅっと拳を握る。

「……もう前を向いてくれ。俺のことは忘れろ。お前は人間なんだ。自分の身体に裏切られるような宿命も背負っていない。」

「……私は……」

「頼む、ノヴァ。」

俺は静かに言った。

「お前が愛した男は、もう死んだ。それが現実だ。そして俺には、その男がお前に向けていた想いを埋めることなんてできない。」

少し間を置き、微笑む。

「だって……俺は、あいつじゃない。」

「それでも!」

ノヴァは勢いよく顔を上げる。

「あなたのいない人生なんて……私には考えられない!」

俺は足元へ視線を落とした。

二人の間を、小川の水が静かに流れていく。

「……そう言ってもらえて嬉しいよ。」

苦笑しながら続ける。

「でも、その言葉は俺にじゃない。俺の記憶の中にいる男へ向けたものなんだ。」

ぎこちなく笑い、俺は歩き出した。

「ニ――」

「いや。」

振り返らずに答える。

「もう決めたんだ、ノヴァ。傷が治ったら、この村を出る。一人で。」

そのまま歩き続ける。

俺も、自分の道を歩かなければならない。

もう誰かの記憶に縛られて生きるのは終わりだ。

俺はニマリだ。

イオじゃない。

あいつは許されない罪を犯した。

その責任は、俺が背負わなければならないのかもしれない。

それでも。

俺は俺自身として生きたい。

両腕を大きく伸ばす。

頬を撫でる風が心地いい。

ようやく、一つの重荷から解放された気がした。

もう、あいつの愛まで背負う必要はない。

だって俺は――

ニマリなのだから。

◇ ◇ ◇

翌朝。

重い瞼をゆっくりと開く。

外の冷気が頬を刺していた。

雨戸の隙間から外を覗くと、空はようやく白み始めたばかりだった。

布団から足を出した瞬間、床の冷たさが容赦なく襲ってくる。

「……寒っ。本気で凍えそうだ。」

身体を起こし、窓へ近づく。

雨戸を開けると、冷たい風が一気に部屋へ吹き込んできた。

「……くしゅん!」

思わずくしゃみが漏れる。

窓を開け放ち、外を見る。

囲いの中には二頭いたはずの馬が、一頭しかいなかった。

残った一頭は、ドラゴンのそばで静かに草を食んでいる。

「……ラプラスさん、朝早く村へ行ったのか?」

そう呟き、部屋を出る。

廊下へ出ると、すべての扉は閉まっていた。

フェイトは母親、そしてノヴァと同じ部屋で眠っている。

ラプラスも自室にいるようで、扉は閉じられたままだ。

気にせず居間へ向かうと、暖炉の火は消えていた。

「仕方ないな……。」

小さくため息をつき、薪を組み直して火を起こす。

立ち上がった瞬間、縫い直された着物の下で傷口がずきりと痛んだ。

「いってぇ……! 本当にまだ痛むな……。」

痛みに顔をしかめながらふと食卓を見ると、一通の手紙が置かれていることに気づく。

「ラプラスさん宛てか?」

近づいて手に取る。

封筒の表には――

俺の名前が書かれていた。

「今日やることでも書いてあるんだろう。」

そう呟きながら封を切り、手紙を開く。

読み始めた、その時――

家の奥の部屋の扉が開き、大きなあくびをする男の声が聞こえてきた。

手紙には、こう綴られていた。

◇ ◇ ◇

親愛なるニマリへ

この世界へ来てから、私がどれだけあなたに負担をかけてきたのか、そしてあなたが話してくれたことを、私はちゃんと考えました。

私は今まで、本当のあなたを見ていませんでした。

私が見ていたのは、あなたの中にいる――あの人だったからです。

でも同時に、私はこの世界のことも、あなたのことも、まだ何も知らないまま、自分の気持ちを決めつけていたのだと気づきました。

今の私は、七歳の子どもに頼りきりの、未熟な女の子です。

あなたの身体を限界まで酷使させてしまったことも、本当に申し訳なく思っています。

だから私は前へ進みます。

いつか、あなたに好きになってもらえるような人になるために。

ラプラスさんに学院の場所を教えてもらいました。

私はそこへ向かいます。

十年後。

今の私と同じ十八歳になったあなたと、学院で再会しましょう。

その時には、胸を張ってあなたの目を見て話せる私になっていたいです。

今まで本当にありがとう。

――ニマリ。

◇ ◇ ◇

不思議なことに、その手紙を読み終えた俺の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。


これは第1幕の最後から2番目の章です。第2場は次の章で完結します。

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