第14章: 死の天使。
私はニッツァの街路を歩いていた。大勢の人々がいても、私は思うままに歩き回ることができた。しかも、そのおかげでミライ軍の兵士たちにあまり目をつけられずに済んでいた。運は確かに私の味方をしているようだった。
だが、パンドラにはその幸運が向いていないように感じた。なぜなら、家の周囲には次々と衛兵たちが集まっていたからだ。彼らが襲撃を開始するのも時間の問題だと分かった。もしかすると、すでに始めているのかもしれない……。
「ノヴァ!!」
私は振り返った。くそっ! そんな可能性は考えていなかった。もし奴らが家を襲うなら、彼女を守る余裕などあるだろうか? まず自分たちの身を守ることで精一杯なはずだ。一人で出てきたのは、もしかすると最善の判断ではなかったかもしれない。しかし、彼女はあまりにも目立ちすぎた。あの美しい髪は、特に陽の下ではまるで灯台のようだった。
私は山車の方へ目を向けた。子供たちは笑い、親たちは幸せそうだった。人々は祭りを楽しんでいる。険しい表情で集中しているのは私だけだった。急いで家へ戻らなければならない。だが残念なことに、それはかなり難しそうだった。目の前には兵士の一団がいた。私は少し脇へそれ、通行人の陰に隠れながら彼らの横を通り過ぎようとした。しかし、そのうちの一人がくしゃみをしてハンカチを取り出した。そして視界の端で私を見つけた。
「おい、お前ら。あれって俺たちが探してる子供じゃないか?」
「は? どこだ?」
「あそこだ!」
そう言って、彼は私を指差した。私は彼らの方を見て、本当に気づかれたのか確かめた。だが指を差されているのを見て、私は走る速度を上げざるを得なかった。
「あいつだ! と衛兵の一人が叫んだ。」
突然、彼は拳銃のようなものを空へ向けて発砲した。赤く眩しい光が空へと打ち上がる。驚いた通行人たちは衛兵たちから離れていった。
「どけ! そこのお前、止まれ!」
私は路地へ飛び込んだ。奴らと違って、私はこの街を隅々まで知り尽くしている。前方からは、私がそこにいるとも知らずに近づいてくる兵士たちの足音が聞こえた。後ろからも追手が迫っている。私は袋の鼠だった。 周囲を見回すと、屋根の上へと伸びる一本のロープが目に入った。
「くそったれ!」
私はそのロープにしがみつき、反対側を切断した。すると一気に空中へ持ち上げられ、そのクレーンのような装置が支えていた梁が家へと激突した。だが少なくとも、私は屋根の上へたどり着けた。下では衛兵たちの叫び声が聞こえた。
「屋根の上だ!」
もはや彼らに構っている時間はなかった。だが、ここで二つの選択肢があった。
「妹を探しに行く」か、
「直接処刑人を探す」か。
どちらも難しい選択だった。おそらく、そのどちらかを犠牲にしなければならないからだ。私は太陽を見上げた。太陽は天頂から傾き始めていた。それはつまり、家への襲撃の時が危険なほど近づいているということだった。母さんとノヴァを救うには、もう一つの賭けに出るしかなかった。
「処刑人を探しに行く。」
「危険な賭けだぞ! とラヴォワが言った。」
私は笑った。
「確かに。でも、とびきり効果的だ。」
私は顔を上げた。目の前には、襲撃時に放送を行うための拡声器が設置されたガイスの塔がそびえ立っていた。
「いい考えがある。」
私はすぐに動き出し、屋根から屋根へと飛び移った。地上の衛兵たちは、通りを埋め尽くす群衆のせいで私を追うことができない。私にとってそれは、目標へ向かう一直線の道だった。私はどうにか塔へたどり着いた。次は登らなければならない。私は屋根から飛び降り、階段の上に着地した。
幸いにも私は小柄で身軽だったので、大きな怪我はせずに済んだ。私は階段を駆け上がり、塔の頂上へ到達した。収穫祭の期間中、この場所を見張る衛兵は一人しかいなかった。そしてその衛兵は、たいてい私の一族の者だった。だが今回に限っては――そうではなかった。
「お前は、こんなところで何をしている!?」
「……」
「待てよ……お前が俺たちの探している子供じゃないか? 今日は俺の運がいい日らしいな。」
そう言って、彼は剣を抜いた。もう時間はなかった。私も戦わなければならない。私は剣を抜き、その剣が妙に軽いことに気づいた。思わず笑みがこぼれる。
「俺は、もう覚悟を決めたんだ!」
私は男の方を向き、剣を真っ直ぐ構えた。刃は震えていなかった。
「来い! と私は衛兵に言った。」
「生意気なガキめ。」
私は父との訓練を思い出さなければならなかった。そして男が上段から斬りかかってきた瞬間、私は剣を縦に構えた。
*
**
「ニマリ、戦いでは体重が重要だ。」
「はい。」
「格闘競技では体重ごとに階級を分ける。体重差は勝敗を左右するほど大きな要素だからだ。
「じゃあ、自分より重い敵が相手だったらどうするの?」
「その重さを相手自身に利用させるんだ! 分かったか?」
「うん、父さん!」
*
**
「相手の重さを利用する……」
相手の刃が私の剣にぶつかった瞬間、私は少しずつ剣を下げた。全体重が肩へとのしかかってくるのを感じる。突然力の逃げ場を失った男は、どう対処すればいいのか分からなくなった。その隙を逃さず、私は剣を彼の腕へ滑らせた。刃は腕に食い込み、そのまま肩まで斬り上げていく。父から贈られたこの剣は、彼の鎧でさえまるでバターのように切り裂いた。
私は男の方を向いた。男はすでに剣を取り落としていた。私は剣先を床に突き立て、刃についた血を木の板の上へ滴らせる。薄紅色の血が床の溝へと流れ込んでいった。
「化け物め……」
私は目を細めた。みんなを救うために、私は処刑人を見つけなければならない。その決意は固まっていた。そして、それを成し遂げる力もある。私は塔の拡声器へ向き直り、それを手に取った。机の上へ飛び乗る。
「コン、コン……あ……あー、聞こえますか?」
通行人たちは皆足を止め、私を見上げた。衛兵たちでさえ動きを止める。家の方まで届くのは、私の声の反響だけだった。だがその声によって、兵士たちは庭へ集まらざるを得なくなった。遠くでは、腕を斬られた男の悲鳴が響いている。そして子供の声である私の放送は、人々をさらに驚かせた。
「私は、この勇敢な兵士に苦痛を与えた者だ。私を見ろ。私を恐れろ。」
「私は偉大なる赤き竜の命に従うテロリストだ。」
「私は、人間たちが我々に与えてきた苦しみへの憎しみを語るために現れた異端者だ。」
自分でも、この演説が白々しく聞こえるのが分かった。こんなことには慣れていない。それでも私は振り返り、目の前の男を見た。マイクの入口を手で塞ぎ、小声で尋ねる。
「あの、すみません。」
「なんだ?」
「もっと大きな声で叫んでもらえませんか?」
「は?」
「お願いします。」
男は呆然とした表情で私を見つめた。
そして――
「あああああああああああああああああああああっ!!」
全力で絶叫した!
人々は一斉にパニックになり、塔から離れていった。私はマイクを放り投げる。立ち上がり、衛兵に向かって言った。
「腕のことは、本当に申し訳ありませんでした。」
私の前では、何十人もの衛兵たちが塔を取り囲んでいた。逃げる方法を考えなければならない。私は後ずさりし、そのまま走り出した。兵士が呆然と見守る中、私は跳躍し、かろうじて屋根の上へ着地する。そして妹を探すために走り始めた。だが、彼女がどこにいるのかまったく見当がつかない。何か目印が必要だった。別の屋根へ飛び移り、顔を上げたその時――
白い服をまとった一人の男が、私の前に立ちはだかった。彼は四角く切りそろえられた髪型をしており、髪色は緑がかっていた。おそらく外国人なのだろう。手には剣を持っていた。だが、不思議なことに敵意は感じられなかった。
「パンドラの仲間なのか?」
私はそう考えた。しかし彼の横を通り過ぎようとした時、その袖に刻まれた紋章が目に入った。それは千人の中にあっても見間違えるはずのない印だった。処刑人が身につけていたものと同じ紋章。私は即座に横へ飛び退いた。次の瞬間、彼の刃が私へ振り下ろされた。私は刀を構え、その一撃を真正面から受け止める。私の刃は相手の剣を減速させた。だが、それでもなお剣は私の肩へ食い込んだ。
「あああっ……」
続いて腹部へ強烈な蹴りを受け、私は数メートルも吹き飛ばされた。苦労して立ち上がる。
しかし吐き気をこらえるため、口元に手を当てた。
「私の剣を受け止めるとは、誰にでもできる芸当ではない。」
男は静かに言った。
「称賛に値するよ。」
「お前は誰だ?」
男は黒いタートルネックの襟元へ手をやった。それは処刑人が着ていたものと同じ服だった。そして答える。
「私はミナト。アメ・ニッツァ中尉の右腕。」
「第〇一旅団所属だ。」
「第〇一旅団……」
私は歯を食いしばった。
「なら、処刑人がどこにいるか知っているはずだ。」
「エイレーネ様のことか?」
彼は微笑んだ。
「もちろん知っている。」
「だが、お前には教えない。」
私は剣を支えにしながら立ち上がった。
「簡単にはいかないとは思っていた。」
「なら力づくで吐かせるまでだ。」
「おお……」
ミナトは興味深そうに目を細めた。
「その意気がどこまで続くか見せてもらおう。」
私たちは向かい合った。その時、風が吹いた。雲の切れ間から差し込んだ陽光が私の刀身を照らす。私はわずかに角度を変えた。反射した光が彼の目を直撃する。
「卑怯な!」
彼が視界を失った時には、私はすでに全力で逃げ出していた。ここで足止めを食うわけにはいかない。囲まれてしまえば終わりだ。私は妹の家へ向かって走った。背後からはミナトが追ってくる。振り返ると、彼は拳銃のようなものを取り出していた。それを空へ向けて発射する。煙幕弾のようなものだった。だが皮肉にも、その煙が彼自身の位置を知らせてしまう。
「くそっ。」
私は下へ飛び降りた。路地へ落ちながら看板にしがみつく。急停止したことで進行方向が大きく変わる。そのおかげでミナトを撒くことができた。彼はそのまま屋根の上を走り続けていたからだ。私は反対方向へ向かった。どうせ目的地まではもうすぐだった。あとは近くに衛兵がいる時だけ身を隠せばいい。十分ほど進んだ頃、ようやく妹の家へ到着した。彼女はフリカ地区に住んでいた。
医療施設が集中する区域だ。あの体の状態を考えれば、病院の近くで暮らしているのも当然だった。目の前には巨大な屋敷がそびえていた。大きな木製の門が私を迎える。だが妙だった。門は開いたままだった。しかも見張りの衛兵が一人もいない。私は屋敷へ入った。だが誰も出迎えに来ない。それどころか――
本当に誰もいなかった。庭に使用人の姿もない。衛兵もいない。誰一人として。私は警戒しながら屋敷の中へ足を踏み入れた。
「静かすぎるな。」
ラヴォワが言った。
「ああ……」
私は小さくうなずく。
「俺もそう思っていた。」
屋敷の中にも誰もいなかった。まるで人々が忽然と消えてしまったかのようだった。普段なら、妹が玄関で私を待っていてくれる。もっとも、いつもは来る前に知らせていたのだが。私は音を立てないように進んだ。足音だけが、空っぽの屋敷に響く。柄に手を添えたまま、わずかな異変も見逃さないよう神経を研ぎ澄ます。やがて何事もなく応接間へたどり着いた。私は扉に手をかける。そして慎重に押し開いた。その瞬間に感じたものは――
おぞましい。吐き気がするほど醜悪だった。目の前には屋敷の使用人たち全員が横たわっていた。整然と並べられ、男女ごとに分けられ、まるで物のように配置されている。そして全員が血の海の中に沈んでいた。
「これが静寂の理由か。」
私は口元を押さえ、一歩後ずさる。気づけば屋敷の中心部に立っていた。
その 時――
視線を横へ向けた。そこに一人の女性が立っていた。長い黒髪。妹と同じ髪だった。だが彼女の髪は目を完全に覆い隠している。その手には――
一本の大きな包丁が握られていた。
「私は第〇一旅団所属のキク。」
「妹はどこだ!?」
「その女性と夫なら執務室にいます。」
「当然、通してはくれないんだろう?」
「……」
私はため息をつき、剣を抜いた。眼鏡の奥にある赤い瞳が、彼女を鋭く射抜く。
「ちょうどいい。」
「俺も、お前を生かして帰すつもりはなかった。」
女は動かなかった。だが次の瞬間、一気にこちらへ飛びかかってきた。しかし当時の私はまだ経験が浅かった。だからこそ、彼女の動きはまるで壁を跳ね回っているように見えた。
……いや。
見間違いではない。彼女は本当に壁を足場にして飛び回っていたのだ。数メートル先。私は包丁の刃が顔のすぐ近くまで迫っているのを見た。反射的に刀を前へ出す。凄まじい衝撃。私は一歩後ろへ押し戻された。顔を上げる。長い黒髪が宙を舞いながら、彼女の体は壁から壁へと跳び移っていた。目で追おうとする。だが、ほとんど不可能だった。
「待てよ……」
彼女が攻撃する瞬間。髪に不自然な「曲がり」が生じていることに気づいた。まるで急激に方向転換して襲いかかる直前のような動き。確かめる方法は一つしかない。次にその変化が現れた瞬間――
私は頭を下げた。包丁の刃が髪の数センチ上をかすめていく。
「なっ!?」
彼女は動きを止め、振り返った。私はまだ彼女に背を向けたままだった。
「どうやら……」
「お前の動きは見切った。」
彼女は姿勢を正し、片手で包丁を構える。
「奥様から聞いていました。」
「あなたは侮ってはいけない相手だと。」
私はゆっくりと顔だけを彼女へ向けた。
黒髪は背後の暗い廊下へ溶け込んでいる。薄暗がりの中で光っているのは、赤い瞳だけだった。そして――笑み。
「来い。」
「包丁使い。」
彼女は再び突進した。
だが今度は違う。
私は彼女の攻撃をすべて受け流せた。とはいえ、一撃ごとに後退させられる。
受ける。
避ける。
受ける。
避ける。
左下からの斬撃。前進。いつの間にか私は、自分の力だけで戦えるようになっていた。だが問題もあった。戦闘が長引き始めていたのだ。私は距離を取り、彼女が息を整えるのを待った。剣を構える。観察する。彼女が再び動いた。その瞬間――
私は勢いよく振り返り、刀を振り上げた。運が良かったのは彼女の方だった。彼女はほんのわずか手前で止まっていた。私の刃は彼女のタートルネックを切り裂く。そして――
胸に巻かれていた包帯までも。彼女は驚き、慌てて胸元を隠した。
「きゃあああっ!!」
「ご、ごめん!」
私は思わず叫んだ。
「いや待て、なんで俺が謝ってるんだ!?」
私は刀を向ける。彼女は涙目になりながら、大きな胸を両腕で隠していた。私は問いかける。
「大広間にいた人たちを殺したのはお前か?」
「変態には教えません!」
私は剣を振り上げた。
すると彼女は俯き、小さな声で言った。
「殺したのは隊長です。」
私は刀を鞘へ収めた。そして廊下の奥へ向き直る。その背中に向かって、彼女は舌を出した。
「もうお前に構っている時間はない。」
彼女は涙目のままこちらを見ていた。私の頬も少し赤くなっていた。私はその場を後にする。狭く陰鬱な廊下を、迷いなく歩いた。この屋敷は死によって染め上げられていた。その重みが肩にのしかかるようだった。彼女――
その女は長い銀髪を持ち、深い闇のような黒い瞳をしていた。廊下の奥。妹の部屋の向かい側で、彼女は静かに指をさした。
「破滅……」
私は妹の部屋へたどり着く。ドアノブに手をかける。ゆっくりと押し開いた。夕暮れの光に照らされた部屋へ足を踏み入れる。そこには――
銀髪の女がいた。背筋を正し、気品に満ちた姿勢で椅子に座っている。彼女は私たちの国の文字が書かれた紙を見つめていた。そこに記されていた言葉は――
「規律」。
畳の上に水滴が落ちる音が聞こえた。私は右を向き、目を見開いた。そして怒りで目を細める。
「てめえ、本当に狂ってやがる。」
カムイはまるで磔にされたかのように壁へ縛りつけられていた。妹はその前で祈りを捧げている。彼は裸にされ、両腕をX字に広げた状態で壁へ固定されていた。死の執行人はため息をつき、こちらへ顔を向ける。
「あなたに私を憎ませるには、これくらい衝撃的なものが必要だったの。」
「お前のことなんて知らねえ……」
私は剣を握る手に力を込めた。
「それに知りたくもねえよ、この狂人が!」
「それなら好都合ね。」
彼女はゆっくりと立ち上がった。その衣服は血で染まっていた。妹もまた立ち上がる。何も言わない。私は夜の闇のように黒い刀を抜いた。
「殺してやる。」
「死の天使。」
「こちらへ来なさい。」
「創造の悪魔。」
私たちは同時に構えた。そして互いへ飛びかかる。刃同士がぶつかり合おうとした瞬間――何かがその間へ割り込んだ。私も死の天使も驚く。妹だった。彼女は槍を構え、二人の攻撃を受け止めていた。
「お二人が傷つけ合うことは許しません。」
「何をしてるんだ!?」
私は叫んだ。
妹は静かに答える。
「たとえあなたに逆らうことになっても……」
「私はあなたの純粋さを守ります。」
黒髪をかき上げる。細い首筋に赤い痣のような印が見えた。
「そして、この女を殺します。」
気づけば三人が向かい合っていた。右に私。左に執行人。中央に妹。まるで三つ巴の睨み合いだった。三人とも武器を構える。最初に動いたのは私と執行人だった。私は斬りかかろうとする。だが戦場は二人だけではなくなっていた。私は直前で軌道を変え、妹への攻撃を装う。刃を急停止させた。妹の槍が床を叩く。その衝撃で土煙が舞い上がった。私は煙の中へ飛び込む。そして空中へ躍り出た。刀を振り上げる。全力の一撃。しかし――
執行人は怪物だった。すでに私の位置を見抜いている。彼女は難なく私の刀を受け止めた。さらに服を掴み上げる。そのまま私を外へ投げ飛ばした。私は扉へ激突し、地面を転がる。
「ニマリ!!」
妹の叫び声が響く。彼女はすぐに執行人へ襲いかかった。連続攻撃。だが執行人はすべて受け流す。そして反撃。槍の柄尻ではなく、自らの武器の柄で妹の額を打ち据えた。鮮血が飛び散る。妹はよろめいた。槍に体を預ける。だが私はまだ動けた。脚には力が残っている。私は再び駆け出した。
「エイレーネ!!!」
彼女の注意を引く。執行人は振り向いた。その口元には楽しげな笑み。
「おいでなさい、愛しい子。」
射程へ入る。私は身を低くした。彼女の刃の下へ潜り込む。そして下から斬り上げる。彼女は後退した。紙一重で回避する。そのまま上段から反撃。だが私は塔で戦った衛兵の時と同じ技を使う。彼女の力を利用し、刃を刀身に沿わせて流した。その時。妹が立ち上がる。二人の激しい応酬を見つめた。
「ニマリ……」
彼女は歯を食いしばる。そして突然私の腕を掴んだ。後方へ引きずる。私は驚いて妹を見る。彼女は私の前へ出た。そのまま槍を振るう。連続の受け流し。流れるような動き。あまりにも優雅だった。槍を腰の周囲で回転させる。そして渾身の一撃を叩き込む。エイレーネの剣が大きく弾かれた。彼女でさえ驚きを隠せない。槍から放たれた力があまりにも強かったからだ。
「私の弟の髪一本たりとも傷つけさせません。」
「夫と同じ運命になりたくなければ退きなさい。」
「チッ……」
妹は吐き捨てる。
「このクソ女。」
次の瞬間。猛攻が始まった。一撃一撃が信じられないほど重い。見ているだけで圧倒される。その最中。私は執行人の守りに小さな隙を見つけた。すぐに踏み込もうとする。だが金属同士が激しくぶつかり合う音が耳に響いた。その音は私をためらわせた。
「本当に……」
私は思わず呟く。
「化け物同士だ……」
エイレーネは徐々に押され始めていた。妹の槍術は美しかった。だがその優雅さの裏には凄まじい破壊力が隠されている。華麗でありながら凶暴。まるで舞うように攻撃を繰り出していた。やがてエイレーネは気づく。背後には壁。逃げ場がない。彼女は即座に判断した。家の外へ飛び出す。妹の一撃が壁を裂く寸前、紙一重でそれを回避した。
「くそっ!」
黒髪の悪魔が一直線に突っ込んでくるのを見ながら、彼女は舌打ちした。妹は激しく怒っていた。あれほどの怒りを見せる姿は滅多に見たことがない。
……いや。そういえば、初めてではなかった。
「仕方ありませんね……あなたたちがそこまで言うなら、使うしかありません。
妹は足を止めた。」
そして執行人が何をしようとしているのかを注意深く見つめる。執行人は静かに指を空へ向けた。その瞬間。私は何が起こるのか理解した。
「逃げるぞ!!」
私は妹の腕を掴み、叫んだ。恐怖で声が震えていた。
「えっ!?」
「早く!!」
妹は事情も聞かず、私について走り出した。すると突然――
空が暗くなった。妹は上を見上げる。そこには直径五十センチほどの白い球体が、地上三十メートルほどの高さを漂っていた。球体は周囲の光を歪めている。その歪みの中から、両端が輝く巨大な光の船が姿を現した。ゆっくりと降下している。私たちは家の方へは向かわなかった。中へ入れば大きな遠回りになるからだ。私は少しだけ振り返る。執行人は指先でその球体をなぞるように操作していた。だが、その仕組みを観察する前に彼女を見失う。
「追ってこないの!?」
妹が叫ぶ。興味深い指摘だった。私は攻撃への警戒に集中しすぎていて、状況そのものを考えていなかった。私たちは大通りへ飛び出した。幸い、祭りの影響で妹の住む通りには誰もいなかった。周囲には私たちしかいない。遠くから祭りの喧騒だけが聞こえてくる。その時――
辺りの光が吸い取られるように消え始めた。
「前と同じだ!」
私は叫んだ。そして妹を抱き寄せると、近くの溝へ放り込む。続いて私も飛び込んだ。底へ着地した――その瞬間。轟音。世界が爆発した。あまりにも巨大な爆発だった。周囲の家々が一瞬で吹き飛ばされる。
衝撃波は凄まじく、祭りの会場にいた人々までもが足を止めた。誰もが空に立ち上る巨大なキノコ雲を見上げていた。やがて爆風が収まる。私と妹は恐る恐る溝から顔を出した。周囲の家はすべて消し飛んでいた。服も煤で黒く汚れている。
「これが……」
私は息を呑む。
「執行人の力か……」
妹の家があった場所には炎だけが残っていた。その炎の中から、異なる色の瞳を持つ女が歩み出る。表情は険しい。私は理解していた。ここに留まれば、私たちの戦いに無関係な人々が巻き込まれる。妹を見る。彼女は爆発の被害に呆然としていた。
「私の家……」
名残惜しそうに呟く。私は反対方向へ視線を向けた。そして――
最も愚かな選択をした。バシッ!私は妹の首筋を思い切り打った。彼女はその場で気を失う。私は一人で溝から這い上がった。刀を抜く。鞘を腰へ戻す。風が吹いた。燃え盛る炎が揺れ、私の服の裾を焦がしていく。
「もう逃げない。」
私は執行人を睨みつけた。
「お前がこれ以上誰かを傷つけるのを許さない。」
彼女は剣先をこちらへ向ける。そして静かに言った。
「なら証明してみなさい。」
「あなたが彼とは違うのだと。」
「あの日託された役目を受け入れたのだと。」
「世界の希望を背負い、敵に立ち向かう者として。」
次の瞬間。私たちは同時に駆け出した。そして互いの刃を振るう。激突。耳をつんざく金属音。火花が四方へ散った。
「ぐっ……あああああああああああっ!!」
私は全力で踏ん張った。彼女の剣の重さに耐えるために。だが――
体格差。
経験差。
そのすべてが私にのしかかる。私は文字通り押し潰されていた。この状況から抜け出せなければ、また殺される。
「そんなこと……」
私は叫ぶ。
「絶対に認めない!!!」
「なっ!?」
私の絶叫に、執行人の手がわずかに震えた。その一方で――
私は自分の両手の骨が砕けていく感覚をはっきりと感じていた。
「殺してやる!!!」
その瞬間、私の刃は砕け散った。角度、重さ……理由は分からない。ただ私が気づいたのは、折れた刃の一部が飛び、そのまま地面へ落ちたことだけだった。そして彼女は呼吸を整えながら、剣を振り上げ、私へと激しく振り下ろした。
「 クソ……。」
私は迫り来る剣を見ながら、そう呟いた。攻撃を受ける覚悟をしたその時、視界の端から一本の標準的な剣が現れ、私を襲う者の剣を受け止め、貫くように交差した。処刑人も、私も、驚きを隠せなかった。赤みがかった髪が、私の視界を横切る。
「 え……なんでここにいるの?!」
目の前で、風になびく髪。ノヴァは真っ直ぐ、誇り高く立っていた。手には剣を握っている。彼女は顔を向けることなく、私に言った。
「 彼女は私に任せて。」
「 いたわね……泥棒猫。」
ノヴァは眉をひそめ、怒りに満ちた視線を向けた。
「 あなた……!!!」
彼女は一切の迷いなく、処刑人へ飛び込んだ。驚くほどの速さだった。彼女は自分の剣で相手の剣を押し上げ、そのまま柄頭を相手の腹へ叩き込んだ。
左右で色の違う瞳を持つ女は、その場所に手を当てた。その直後、顔を上げる。足が彼女の顔面を蹴り飛ばした。浴衣姿のノヴァは、足を高く上げたまま、さらなる攻撃の準備をしていた。
「 クソ女……。」
「 口を動かす暇があるなら、来なさい。
その言葉に処刑人は苛立った。その間に、ノヴァは腰の帯から一枚の巻物を取り出した。
「 私はそれを知っている!!!」
そう、私はその時思った。
*
**
ノヴァ。
数時間前。
ニマリが一人で去っていく姿を見て、私はすぐに昔の恋人を思い出した。彼もまた、何もかもを一人で背負おうとしていた。全てを自分だけで抱え込み、誰の助けも求めようとしなかった。でも、もし私たちが今ここにいるのだとしたら……。
それは一つのことを意味していた。彼は世界をその肩に背負い続けることができなかったのだ。だから私は涙を流した。私自身も、かつての世界で自分の役割を果たせなかった……。そして私はまた、同じ過ちを繰り返そうとしていた。
私は彼を一人で行かせようとしていた。だから彼の母親が私を大広間へ連れて戻った時……私は理解した。彼を一人にしてはいけない、と。誰もが何事もなかったかのように話していた。まるで、ニマリなど存在しないかのように。
「 あなたたちは、彼のことを心配していないのですか?」
彼の父親は沈黙したまま、酒を一口飲んだ。そして喉を鳴らし、私を見る。
「 少女よ。我々にはもう、彼に届くことはできなかった……。彼はただ、自分自身の道を歩いている。もし運命が今夜、彼を死なせると言うのなら……」
私は歯を食いしばった。これが理由だった。彼らの臆病さの理由。運命というものの後ろに隠れ、それですべてが解決すると考えている。彼が女王を殺す運命にあるから。もし本当に運命というものが存在するのなら、それはあまりにも残酷ではないか?なぜ同じ出来事を何度も繰り返すのか?私は黒い影がいる庭へ視線を向けた。そして彼のもとへ歩いた。ルシアはアスガリサと共に、何も言わず私を見ていた。私は縁側を降り、彼が眠っている柳の木の下へ近づいた。
「 もし本当にあなたが神なら、教えて……彼を運命の道から救い出す方法は存在するの?」
「 つまり君は助言を求めるのだね。いいだろう……教えてあげよう。運命とは原理だ。時間は偽物だ。結果は存在している。」
「 どういう意味?」
「 人々は運命を信じている。しかし、それは多くの要素が絡み合った結果にすぎない。時間もまた要因の一つだ。なぜなら、それは結果だからだ。そしてその結果こそ、一人の人間の行動によって生まれる。人生の輝きを示すものでもあり、同時にその人生がもたらす悲劇でもある。」
私は目を細めた……。
そして考え込むように顔を上げる。
「 どうしてあなたは彼の言葉を知っているの? いや……違う。これはあなたの言葉ね。彼はただ、あなたを真似しただけ……。」
私はその時、震え始めた。目を大きく見開きながら、地面を見つめていた。
「方、黒い影は木の幹の上で大きくなっていき、その冷たい笑みで枝々を覆っていった。」
「 あなたは神なんかじゃない……ただの不安定で醜い姿をした生き物よ。あなたは私たち人間を真似できると思っている……でも、あなたには私たちを理解することなんてできない。」
「体誰が、一人の人間に世界を消し去り、永遠に再構築させるというの?」
悪魔本人以外に、そんなことをする存在なんている?
「 人間は残酷なものだよ、愛しい子。忘れるな。結果こそが現在なのだ……。」
そう言い残し、彼は木の葉の影へ溶け込んでいった。その隙間からは、太陽の光が差し込んでいた。私は振り返り、フードを被った女性の前へ立った。
「 あなたの助けが必要。」
「 ?!」
驚いた彼女は、私の方へ振り向いた。
「 あなたもラヴォワとをを知っていることは分かっている。あなたがどの再構築から来たのかは知らない。でも、私たち二人なら彼を救うことができる。もしあなたが来られないなら……せめて武器と、時間を稼ぐための何かをちょうだい。」
彼女はため息をついた。
—「なるほどね……。」
彼女は羽根ペンを取り出し、書き始めた。そして銅のノートから一枚の紙を取り出し、剣を描いた。少しずつ、それは形を持ち始め、やがて絵の中から現実へと出てきた。
「ほら。かなり単純なものだけど、戦うには十分よ。」
「 あなたは来てくれないってこと?」
彼女は修道女の方へ振り向いた。修道女は首を横に振った。
「 ごめんなさい。主人がそう言ったから。」
「 分かった。」
そう言って私は振り返った。
「 それと!!」
振り返ると、飛んできた巻物を受け取った。
「 私が処刑人から回収した術式を、この巻物に写したわ。もし状況が危険になったら、遠慮なく全部吹き飛ばしなさい。」
「ありがとう。」
そう言いながら、私は巻物を強く握った。
「 待って、最後に一つだけ!」
私は振り返らなかった。扉の枠に立ったまま、彼女の言葉を待った。
「 まだ彼の前に姿を見せるには早すぎる。特に……私たちの間で起きたことを考えるとね……。だから、私が彼の裁きを受ける覚悟ができるまで、彼をあなたに託す。」
私はため息をつき、彼女へ振り返った。
「 はぁぁぁぁ……。」
そう言いながら、私は指を向けて言った。
「 ニマリは、あなたが知っている彼じゃない。いつか……あなたは心の中に抱えている全てを手放さなきゃいけない。」
フードの下の女性は笑った。
「 何がおかしいの?」
「 何でもない……皇帝が誰から受け継いだのか、分かった気がしただけ。」
私は不満そうに頬を膨らませ、家を出た。私はまだ服装を変えていなかった。でも少なくとも、人混みに紛れて目立たずに済んだ。そして私は、ニの母親が話していた場所へ辿り着いた。その時、遠くから声が聞こえた。ニマリの声だった。彼は何かの拡声器のようなものを使い、叫んでいた。私は人混みの中にいた。そして彼が塔から飛び降り、屋根へ着地する姿を見た。
「 本当に……ウサギみたい。」
私は彼を追おうとした。しかし、途中で彼の姿を見失った。警備兵に見つからないよう隠れながら進んでいると、彼らの会話が聞こえた。
「 Zone 02地区を封鎖しろ。彼をカムイ家へ行かせるな。」
その名前を私は知っている。ニマリの妹の名前だ。そして、彼らがどこに住んでいるのかも知っていた。私はその家へ向かって走り出した。しかし、辿り着くより前に、巨大な爆発が起きた。衝撃波はあまりにも強く、私は路地裏へ身を隠さなければならなかった。でも何より…… 私はその爆発の方向を知っていた。
「 ニ……」
私はそのまま走り出した。そして現場へ到着した。ニマリは、今まさに串刺しにされようとしていた。私は剣を抜き、一直線に駆け出した。そして処刑人の刃を弾き、そのまま彼女の顎へ蹴りを叩き込んだ。
*
**
目の前には、手に巻物を持ったノヴァがいた。彼女はそれを空へ投げる。すると突然、白い球体が現れた。処刑人が使ったものと同じだった。でも、ノヴァが何をしているのか理解していないことは明らかだった。私は彼女の腕を掴み、引っ張った。
「 何をするの?!!」
「 完全に頭がおかしいだろ!!!」
私はそう叫んだ。
「 え?」
私たちが言い争っている間にも、球体は進み続けていた。私は気配を感じた……。陰陽の原理。相反するエネルギーが対立し、最終的に一つとなるもの。二年前、女王ミライと出会った時、私は感じた。彼女は、私の頭の中に存在する男とは正反対の存在だった。
「種の反証。」
創造することが、必ずしも善ではないということを示していた。だからこそ、この絶望的な瞬間。真紅の髪を持つ女の後ろに、彼女は存在していた。私と契約を結ぼうとした女が。
*
**
ニッツァ家。
「 君は、彼が二年前に女王と出会ったと言っていたね? それで、どうなったんだ?」
レオナルドが尋ねた。父は杯をテーブルに置き、ルシアを見た。
「 お前から説明してやってくれ。彼の側にいたのはお前だからな。」
修道女は小さく笑ってから言った。
「 あの子は怪物よ。その時、彼は完全にラヴォワとをに支配されていた。それでも、記憶の重みに押し潰されながら、彼は彼女に打ち勝った。」
「 そんなこと、聞いていないぞ?!」
「 時間と共に完全に取り込まれると思っていたのよ。幼い頃はまだ自分の意思を持っていた。でも成長すれば、彼はラヴォワとをと同調していくと思っていた……。」
彼女は一度言葉を止めた。
「 でも今の彼は、私の予想を全て超えた。まるで何かが彼の意識の中で目覚め、自分自身を主張するように強制しているみたいに。」
「 彼は創造の力を使えると思うのか?」
彼女は歯を全て見せるように笑った。その笑顔に、レオナルドとアリマは嫌悪感を覚えた。
「 もっと最悪よ……。」
彼女は真剣な表情になった。
「 私たちと同じように、ミライもまた書き換えられた。そしてニマリと同じように、ミライも破壊に取り憑かれている。」
彼女は一拍置いた。
「 ただし、私たちは一人忘れている。」
レオナルドは目を細めた。彼自身、彼女が何を言っているのか分からなかった。
「 探す必要はないわ……私自身、それを知ったのは最近だから。」
彼女は他の者たちを見た。
「 真紅の髪を持つ女は、ミライの血を注がれていない子供よ。」
レオナルドは突然立ち上がり、拳を握り締めた。
「 つまり、皇帝は……」
「 その血の中に、破壊と創造の両方を宿している。」
彼女はわずかに視線を落とした。だが何より…… 私の側では。地面に届くほど長い髪を持つ女が、ゆっくりと前へ進んだ。そして私は、頭も目も動かすことができなかった。まるで時間の中に閉じ込められたようだった。彼女が私へ手を伸ばし、ノヴァの頭を包むように腕を回し、そして私の頬へ手を置いた時。
「 私を解放して。」
その瞳はあまりにも黒く、そして近かった。まるで何百万もの蛇が円を描きながら、その中で蠢いているようだった。そして彼女は片方の手を離し、ノヴァの片目へと置いた。すると、もう一つの瞳が現れる。
彼女自身と同じような黒い瞳。その瞬間、私は理解した。自分が何をすべきなのかを。私は彼女の心を取り戻そうとした。しかし、私はラヴォワとをを真似できるほど強くなかった。でも、神と契約を強制的に結ぶためには……何かを代償にしなければならない。
「 ごめん、ノヴァ……。」
「 どうし……」
私の方が小さいから。私は彼女を自分の方へ引き寄せた。彼女は驚いたように私へ近づいた。そして私は、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
【直接接触】
ラヴォワとをの戦いを観察していたことで、神との直接的な接触を作り出し、強制的に加護を得ることができる。しかし、私は自分の体内でラヴォワとを10%だけ残すよう抑え込んでいた。そのせいで、私の身体には接触を強制するための力がもう足りなかった。ノヴァの頬はすぐに赤く染まった。そして私は、加護を強制的に得ることの複雑さを理解した。私は水で作られた足場の上にいた……。でも今回は、夜だった。空に浮かぶ何千もの光が、水面に反射していた。その時、私は笑い声を聞いて振り返った。
「 そういう方法でやったのね。」
目の前には、髪が地面に届くほど長い女性がいた。その隣には、病的なほどの幸福感で涙を流している女性。彼女の服装は花のような形をしていた。腹部の中央には菱形の切れ込みがあり、肌を覗かせている。
そして胸元は深いV字になっており、今にも胸がこぼれそうだった。彼女は行儀悪く足を叩きながら、あぐらをかいて座った。
「 あなたたちは誰?」
長い髪の女性は顔を上げた。そして足元にある水を通して、この光景を眺めていた。
「 私が誰なのかも知らずに、私の領域へ踏み込むのね……。」
私は目を細めた。
「 あなたは女王に似ています。でも……あなたが彼女ではないことくらい分かります。」
隣にいた少女が突然笑い出した。
「 あはは、彼はまだあなたから説明を受けていないのね。」
その瞬間。何かが私の頭の上に乗った感覚がした。私は顔を上げる。そこにいたのは――ラヴォワとをだった。
「 ご機嫌はいかがですか?」
「 お前……!!」
私は警戒しながらラヴォワとを見た。
「 何をしに来た?」
彼はため息をつき、私の前へ歩きながら言った。
「 君は契約を強制した。でも私は君と繋がっている。」
そう言いながら、彼は私から二メートルほど離れた場所で止まった。
「 だから、私がこの領域へ戻るために君を通ったのは当然のことだ。」
彼は再び二人の女性へ振り向いた。
「 父上には、君を変えてもらわないとな。」
彼は頭を掻いた。
「 カリセ……まさか君がヨーロッパと一緒にいるとは思わなかった。」
彼は一瞬止まり、長い髪の女性を見つめる。
「 元気か、姉さん?」
「 私はまだこの身体に閉じ込められている。でも幸い、カリセが一緒にいてくれたから退屈はしなかった。」
「 どうして君はそこに閉じ込められているんだ?」
彼女はため息をつき、私を見る。
「 いつまで私たちを観察しているつもり? それともこっちに来る?」
「 え? ああ、今行く。」
私は急いで彼らの側へ座った。白い服を着ているが、肩までの髪が乱れている女性は、そのまま話を続けた。
「 実を言うと、私はFateと同時に書き換えられた。でも、この世界での過去について詳しいことは分からない。」
彼女は考え込む。
「 目覚めた時に覚えていたのは、髭を生やした年老いた男性が私とFateを助けてくれたことだけ。」
「 どういうことだ? つまり君の魂が身体から分離したのか?」
ラヴォワとをは頭を掻きながら言った。
「 正直に言うと……私自身にも分からない。」
まるで自分の身体の中で起きていることを、完全には見ることができないみたいなの。
彼女は腕を組み、記憶の中から何かを探すように考えた。
「断片的な映像みたいなものなの。今なら断言できるけど、Fateはあの老人のもとで学んでいる。」
「 簡単には理解できない話だな。」
私は目の前の者たちへ手を上げた。全員がこちらを振り向く。
「 すみません。でも、この話はまた別の機会にした方がいいと思いませんか?」
私は二人を見る。
「 私が契約を強制した相手は……あなたたちのどちらですか?」
カリセは笑った。
「 実を言うと……私たち二人よ。」
彼女は二人の女性を見る。
「 私の右側に座っている少女は、私たちの血の始まり。そして、あなたが今さっき口づけした女性が、私の母親。」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「 でも、私たちは全員、それぞれ違う時期の人生で書き換えられた。」
「 ルシアがそれについて話していたのを覚えている……。」
私は銀色の長い髪を持つ女性へ振り向いた……。見た感じでは、15歳にも満たないように見えた。
「 教えてください。あなたに、これほどのことをするよう仕向けたのは誰ですか?」
彼女を見る限り、私はあなたから敵意を感じません。少女は少し戸惑った様子を見せた。そして、赤みを帯びた細い唇を開く。
「 破壊するために……。」
私の存在そのもの、そして破壊しなければならないという原理。彼は、そういうものとして私を作った。
「 黒い影のことを言っているのか……。」
彼女が首を縦に振って肯定した瞬間、私はすぐに警戒した。
「 ガキ!」
私はカリセへ振り向いた。
「 あの男には気をつけろ。」
前の宿主はあいつと対峙して、負けた。奴のルールの外で動け。そうすれば、すべて上手くいく。
「 それで、あなたは?」
私は尋ねた。
「 今の状況に満足しているのですか?」
カリセは地面を見つめた。
その唇には、かすかな笑みが浮かんでいた。
「 私は姉さんに、彼女の息子を見守ると約束した。」
だから、私の良心なんて安い代償だったのよ。彼の安全のためなら……。特に、私が今までしてきたことを考えればね。私は振り返り、言った。
「 あの人みたいに、ずっと逃げ続けるような真似はしないでください。」
私は彼女を指差した。
「 はぁ……このクソガキ。」
そう言って彼女は立ち上がった。その表情は、不思議なほど優しかった。彼女は指を私の額に当て、軽く押した。その瞬間、私はすぐに眠気のような感覚に襲われた。身体が後ろへ倒れる。そして、濁った水の中へ落ちていった。
「 気をつけなさい。ニ。」
私は、この世界を構成する水の深淵へ沈んでいた。そこでは、前の宿主の全ての記憶を見ることができた。双子が生まれた瞬間から。カリセが彼を刃で貫く、その瞬間まで。私は彼の魂が抱えた後悔を感じ取っていた。自分の細胞一つ一つにまで。私は彼ではない。それでも、彼が経験した全てを感じていた。
目を閉じる。そして、ノヴァと過ごした全ての時間を受け入れる。それは前の宿主のものも、私自身のものも。そして深い水の中へ手を伸ばした時。背中に何かが触れた。海底の地面。砂だった。目を開ける。濁った水の中で、私は見た。こちらへ伸ばされた一本の手を。そして、その手を掴もうとした瞬間。私の肺に水が流れ込んだ。顔がすぐに苦痛で歪む。私は、自分自身の力によって飲み込まれようとしていた。
「 死ぬわけにはいかない。」
私は右手を喉へ当てた。そして残された力を振り絞り叫びながら、手を伸ばす。そして、ついに彼女の手へ届いた。
*
**
白い球体は危険な速度で地面へ近づいていた。しかし、触れる直前。突然……消えた。処刑人は驚き、一歩後ろへ下がった。それが彼女の命を救った。なぜなら、彼女のわずか10センチほど前に、巨大な亀裂が生まれたからだ。彼女の目の前。舞い上がる砂埃の中には、黒く不透明な霧のようなものが存在していた。彼女はそれをすぐに理解した。彼女はあまりにも強く歯を食いしばり、歯茎から血が滲むほどだった。
「 クソ野郎……。」
黒い霧の中から、新しい刃が現れる。それはほとんど全てが、その黒い物質で構成されていた。それを持っていたのは、7歳ほどの少年。地面に届くほど長い髪。その瞳は、深淵と見間違えるほど深い黒だった。
「 ニマリ?」
ノヴァは地面に倒れながら、私の胸の上に乗った状態で息を切らしていた。
「方、私は奇妙な感覚に包まれていた。」
まるで身体も精神も、全ての感覚が抜け落ちたような……。
いや、完全にそういうわけではない。
「つだけ、私の中を突き抜ける感情があった。」
目の前にいる女を殺したいという感情。彼女を壊したい。でも、その前にやるべきことがあった。ノヴァを安全な場所へ移動させなければならない。彼女が攻撃されたり、傷つけられたりしないように。私は振り返り、ノヴァの腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。しかし、彼女が弱っていることに気づいた。幸い、妹のいる区域は街の端にあった。だから私たちは何事もなく街の外へ出ることができた。
「 どこへ行くの?」
「 誰も傷つかない場所へ。」
私たちはそれほど苦労することなく、麦畑へ辿り着いた。広大な麦畑の中心。そこには小さな丘があり、その上には一本の柳の木が立っていた。
「 ここで待っていろ、クソ野郎!!」
私は立ち止まり、麦畑の入り口の方へ振り向いた。そして首だけを動かしてノヴァへ言った。
「 木のところまで行って隠れていろ!!」
「 でも、あなたは?」
「 私の心配はするな。」
姿が変わった私を見て、ノヴァは少し安心したようだった。彼女は木へ向かって走っていった。そして私は、目の前の怪物と戦う覚悟を決めた。目の前へ向かって一撃を放つ。麦の穂が切り裂かれ、空へ舞い上がった。
「 お前を殺してやる!! 処刑人!!」
「 ああああ!!!」
怒りに満ちた彼女は、私へ突撃し、剣を振り上げた。同時に、私は刀を身体の近くへ構えた。そして肺の奥から叫ぶ。
「 ああああ!!!」
二つの刃が激突する。その衝撃はあまりにも強く、周囲の麦は大きくしなり、いくつかは引きちぎられて舞い上がった。しかし、処刑人の剣から軋む音が聞こえた瞬間。彼女が何かの詠唱を始めた。だが私には、その言葉が何なのか理解できなかった。彼女は後ろへ跳び、そして空へ向かって剣を振った。その刃は赤い炎を纏って輝く。
「 燃えろ!!!」
彼女の剣は色を変え、青白い光へと変化した。私は笑った。
「 来い、エイレーネ!!!」
私には分かった。彼女の顔にも、同じように楽しんでいる表情が浮かんでいた。私の背後にある柳の木は、私たちが放つ魔力を吸収し、青い光を放ち始めた。その光は私を包み込み、まるで王冠のように輝いた。彼女は剣を高く掲げ、一撃に全てを集中させる。対して私は、刀へ黒く不透明な霧を纏わせた。
そして私たちは全てを込め、激しい衝突を起こした。その衝撃に、ノヴァは目を隠した。その瞬間。私たちの剣は共鳴を始めた。
「撃、また一撃。」
私は感じていた。私たちが放つ力の流れが、あまりにも強大だということを。柳の木が……。しかし、私たちは戦いに夢中になりすぎていた。背後に近づいていた存在に、私は気づかなかった。
「 おお! すごい勢いでやり合ってるじゃないか。」
レオナルドと私の父が、木の下にいるノヴァの元へ来ていた。
「 あなたたち、どうしてここに?」
「 そろそろ二人を止める頃じゃないかと思ってね。」
父は着物の袖に手を入れたまま、飛んできた麦の穂を掴んだ。そして、それを口へ入れる。
「 仕方ないな……。」
そう言って、彼は髭を掻いた。そして、また一撃がぶつかった瞬間。二つの刃が離れる。父が介入したのだ。彼は片手で私たちの剣をそれぞれ別方向へ押し返した。処刑人は突然後退する。そして、誰が自分たちを止めたのか確認した。
「 あなた!!」
「 おお!!」
10年経っても変わっていないな。相変わらず、いい体つきをしている。
「 アリマ……」
「 俺の馬鹿息子は一緒じゃないのか?」
「 私の隊長は別の任務についています。」
この犬を殺す役目は、私が任されています。
「 ああ……。」
彼は首を鳴らし、手を動かしてこちらへ来いと合図した。彼女は構えを取り、私の父へ向かって飛び込んだ。並外れた自信を持って、父は一歩も動かなかった。彼女が攻撃した瞬間。
しかし、何も起きなかった……。父には何もなかった。いや――
「 おお! いや、ある意味では成長したな。今は黒を着ているじゃないか。」
彼はその攻撃を受けることなく躱し、同時に彼女のブラジャーを奪っていた。
「 この野郎……」
処刑人の胸は動くたびに揺れていた。彼はタートルネックの襟越しに、それを取っていた……。これが才能なのか……。それとも単純に変態なのか。私には判断できなかった。
「方、ノヴァは嫌悪感を込めた目で彼を見つめた後、胸元へ手を置いた。」
彼は人差し指でブラジャーを回しながら、傲慢な笑みを浮かべていた。対して私は、意識がぼんやりする中、剣にもたれかかっていた。処刑人は構えを取り、父へ飛びかかろうとする。しかし、その肩に手が置かれた。
「 隊長、そろそろ止めるべきだと思います。」
それは、さっき屋根の上にいた男だった。しかし処刑人は怒りで我を失っており、冷静な判断などできず、狂犬のように唸り続けた。男は決断した。彼女の首の後ろへ一撃を入れる。彼女はそのまま気を失い、倒れた。
「 アリマさん、介入しないでくれてありがとうございます。」
男はそう言った。
「 何を言っているんだ……? え?! 父さん!!!」
父は髭を掻いた。
「 彼らの逃走はミライによって予定されていたものではなかった。もし俺が介入していたら、俺のせいで関係を壊していた。
「 カムイは死んだんだぞ!」
父は苛立ったように頭を掻いた。そんなことは彼も分かっていた。私はただ、それを思い出させた。酒に溺れていたことも、好きでそうしていたわけではないと分かっていた。ただ、彼自身が分かっていたんだ。自分の手足が縛られていることを……。それでも!!!
「 目が覚めたら、お前をぶっ殺す。」
私は指を向け、もう片方の手を柄に置いた。そして、そのまま前のめりに倒れた。
「 ニマリ!!」
ノヴァが叫びながら私へ駆け寄った。処刑人を支えていた男は、私の威圧に汗を流した。そして呟く。
「 なんて怪物みたいな子供だ……。」
父は笑った。そして周囲を見渡す。そこには、大きな穴が空いた麦畑が広がっていた。
「 はは……。」
「 なら、ようやく私たちにも勝機があるのかもしれないな。」
*
**
私は再び、あの水でできた足場の上に戻っていた。目の前には、白い服の女性だけがいた。彼女は私に背を向けている。
「 教えてくれ……。」
「 君はまだ、彼を恨んでいるのか?」
彼女は小さく笑った。
「 ずっと恨んでいたわ。」
でも、その憎しみはいつの間にか、自分自身への嫌悪へ変わっていた……。問題が彼ではなかったと気づく前に、彼はもう死んでいた。
「 ごめん。」
私は気づいた。私が持っているのはラヴォワとをの記憶だけだ。私は、あの男を理解できない。彼女は私へ振り向いた。
「 私の父は、悪い人ではなかった。」
本当は……あなたも、そしてラヴォワとをも、それに気づいていたと思う。
「 俺は、彼の間違いを繰り返したくなかった。」
「 なら、逃げないで。」
手を伸ばして。そして、人は間違えることができるということを受け入れて。たとえ相手が、わざとそうしたわけではなくても。私は笑った。
「 はは……。」
「 最初からずっと、俺は彼の記憶が怖かった。」
「 ラヴォワとをが知っている人たちと、また出会うことが怖かった。」
私は彼女を見る。
「 聞いてくれ!」
「 !!!」
「 教えてくれ。君がどこにいるのか。」
俺は君の父親じゃない。父親になりたいわけでもない。それは俺の役割じゃない。でも……せめて、俺にラヴォワとをが残したものを受け継がせてほしい。君たちを幸せにして、静かに生きられる場所を作らせてほしい。カリセは微笑んだ。
「 ねぇ……一つお願いを聞いてくれる? 目を閉じてくれる?」
私は言われた通りにした。すると、急いで近づいてくる足音が聞こえた。そして何かが私の腰へ飛び込んできた。驚いて、私は目を開ける。そこにいた女性は、子供の姿になっていた。5歳ほどの幼い少女。長い髪を持ち、ゆったりとした白いワンピースを着ていた。
「 ごめんなさい……パパ。」
私は彼女へ微笑みかけ、強く抱きしめた。




