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フェイトの記憶 : 創造主の反響   作者: Yūyake
シーン2 - 私はダモクレスの剣だ
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第11章:Fracture...

ため息をついた。ラヴォワが言ってくることによるストレスは、ただでさえ感じている不快感をさらに強めるだけだった。彼は、俺たちは悪だと言った。だが、それはどういう意味だ? 俺たちは人を殺すのか?

いや、この問いは愚かだった。前の宿主の記憶を見れば、それが愚問ではないと分かる。あいつは悪だった。善と悪の区別すらつかなくなった存在だった。

俺も、ああなってしまうのか?

それが、俺の望む姿なのか?

気分が悪かった――内臓をえぐられるように、深く。自分が信じていないものになるなんて、嫌だった。だが、すべてが、そこへ進めと告げているようだった。人を殺すなんて……無理だ。俺はそんな人間じゃない。たとえ自分にそれができると分かっていたとしても、それは俺が守ろうとしてきたすべてを壊すことになる。

膝を抱えてうずくまっていたラヴォワが、顔を上げて言った。

「責任は俺が負う。」

「無理だ。お前は俺の頭の中の声にすぎない。お前の未来の行いは、名前を背負う者に降りかかる。」

「死者を背負うのは、楽なことじゃない。」

「……」

それを考えるだけで、吐き気がした。視線を庭へと逸らした。どこか疲れきっているように見えた。

「俺は、まだ準備ができていない……」

俺は剣の方へ向き直り、それを手に取った。重かった――まるで奪う命の重さを映しているかのように。もしかすると、それが理由なのかもしれない……持ち上げられないのは、まだ人を殺す覚悟ができていないからだ。下唇を噛んだ。

「俺は、こんなにも弱いのか……!」

ラヴォワは再び膝に顔を埋めた。

「……」

俺は柄をさらに強く握りしめた。

「準備をしないといけない。」

「……ああ。今夜は、穏やかな人生の最後になるかもしれないな。」

この静けさを手放したくはなかった。だが、受け入れなければならない。俺は立ち上がり、居間へ向かった。扉を開けると、姉と鉢合わせた。彼女は俺を見て驚いた様子だった。

「姉さん!?」

「ニマリ、あなたを探していたの。ついてきてくれる?」

それ以上の説明もなく、彼女は俺を追い越して歩き続けた。俺は後を追いながら尋ねた。

「何か問題があるの、姉さん? どうしてついて来いなんて?」

「今夜の祭りの最後の準備を、みんなで手伝うの。」

手伝ってもいいが、今夜――穏やかな日々の終わりとなるかもしれないこの夜に備えなければならなかった。断ろうとしたそのとき、彼女が口を挟んだ。

「何か悩んでいるんでしょう。お父様にあまり無理をさせられたくないの。あなたはまだ子どもよ。確かに天才だけど、それでも子どもなの。」

歩きながら、俺は足元を見つめた。姉は、自分の立場に負い目を感じているようだった……なぜかは分からない。だが、その仕草からは、過去の出来事の影が感じられた。

「姉さん……」

彼女は入口で立ち止まり、サンダルを履いてから、少し間を置いた。

「一つ約束して、ニマリ。」

「ん?」

彼女は背筋を伸ばし、こちらを振り向いた。

「パンドラには関わらないで。」

俺は彼女を見て答えた。

「姉さんが生きている限り、パンドラには関わらない。約束する。」

「私の命をかけて誓うなんて……きついわね。」

「ごめん。でも、それしか君を納得させる方法が思いつかなかったんだ。」

彼女はしばらく俺を見つめ、それから笑い出した。

「説得する必要なんてなかったのに。信じていたわよ。」

外に出ると、街の中心へ向かう姉の後を追った。俺は彼女の隣を歩いた。人混みは圧巻だった――人々は何千人と集まり、ただ準備の様子を見るためだけに来ていた。

収穫祭――

毎年、世界中から人々をこの街に引き寄せる祭りだ。山車や巨大な人形が並び、人々は収穫の始まりを祝うために集まる。

俺は姉の袖を軽く引いて、尋ねた。

「父さんの客は、もう来てると思う?」

「さあね、知りたくもないわ。パンドラの連中が家で寝てるってだけで、気が立つの。」

なぜそこまでパンドラに対して怒りを抱いているのか、俺には分からなかった。もしかすると、母も“異常者”であり、そのせいであのテロ組織に属していたからかもしれない。あるいは、彼らが異常者の利益のために動いているからだろうか。いずれにせよ、姉が彼らを個人的な敵と見なしていることだけは確かだった。

俺は余計なことは言わず、うなずいた。彼女を敵に回すのは、自分で自分の足を撃つようなものだ。

「うん、分かった。」

姉は足を止め、こちらを振り向いた。その表情には、気まずさと不安が入り混じっていた。

「ごめんね、ニマリ。雰囲気を壊して。でも、あの連中の話はしたくないの。」

俺はぎこちなく笑った。

「気にしないで…個人的に受け取ってないから。」

本当は、少しは気にしていた。しかも残念なことに、俺の顔はそれを隠せていなかった。姉は視線を逸らし、わずかに強張った。

そのとき、奇妙な感覚が体を走った。それはラヴォワを呼び覚まし、頭の中で彼が言った。

「ん? 魔力か?」

「何か問題でもあるのか?」と俺は尋ねた。

俺は顔を上げ、その違和感を追った。目に見えるものは何もない――だが、何かに呼ばれている気がした。

そして、俺は目を見開いた。空が壊れていた――

比喩ではない。本当に、いくつもの断片に割れていた。だが、それが見えているのは俺だけだった。少なくとも、周りの人々は何事もないかのように振る舞っていた。

「どうなってる?」と俺はラヴォワに尋ねた。

だが彼は、

「分からない。」

と答えた。

姉に説明を求めようと振り向いた、その瞬間――空は修復された。まるで縫い合わせるかのように、糸のようなものが現れて亀裂を塞ぎ、やがて完全に元通りになった。

群衆の中で、空を見つめていたのは俺だけだった。俺だけが――目を見開き、荒い呼吸をしていた。姉が不安そうに俺を見つめ、近づいてきた。

そのとき、誰かが叫んだ。

「下がれ!!! ここはどこだ!?」

俺は視線を落とした。人だかりができ、まるで暴動のような騒ぎになっていた。俺たちは広場の方へ進んだ。

姉とともに近づくと、通行人たちのざわめきが聞こえた。

「異常者なの?」と子どもが言う。

「そうだ、近づくな。すぐに衛兵が来て捕まえるさ。」と親が答えた。

姉は俺の方を向き、言いかけた。

「待っ――ねえ!ニマリ、そこに――」

だが俺は彼女を追い越した。人々を押しのけ、中心へと進もうとした――その瞬間、群衆に押されて前へと突き飛ばされた。

気づけば、俺は皆の前に立っていた。人々は俺を見ているのか――それとも、俺の背後にいる“何か”を見ているのか。

そして、俺は一人の女性と向き合った。

秋色の髪に、深い青の瞳。その表情は恐怖に満ちていた――まるで、俺こそが原因であるかのように。

その瞬間、ラヴォワが反応した。

「まさか……ありえない……なんであいつがここにいる!?」

その女は、黒い制服のようなものを身にまとっていた。彼女は俺を見つめ、そして小さく呟いた。

「――イオ?」

その瞬間、俺は目を見開いた……そんな名前の人物は知らないし、知りたいとも思わなかった。俺は視線を群衆へ向けた。白い髪の男がこちらを見ていた。口元には笑みを浮かべ、長い犬歯が覗いていた。

俺は再び視線を落とした。一方で彼女は完全に混乱している様子で、誰かを探しているようだった。左を見て、右を見る。ラヴォワはというと、彼女から目を離そうとしない。

俺は動こうとしたが、混乱の中でラヴォワが体の主導権を握り、俺は身動きが取れなくなった。

そのとき、閃光のように記憶が頭を打った――俺のものではない記憶――ラヴォワの前の宿主の記憶だ。目の前の女……頭の中の“あいつ”は、彼女を知っていた。

「すみません!ねえ?!イオはどこですか?イオ!!!」と彼女は叫んだ。

周囲の人々はざわめいた。

「何て言ってるんだ?」

「さあ……お前は分かるか?」

当然、誰も理解できない。彼女はこの世界の人間じゃない……ここで彼女の言葉を理解できるのは、俺と姉だけだった。

「ラヴォワ……頼む、落ち着いてくれ。」

俺はなんとか胸に手を当てた。すると、秋色の髪の女が俺に近づき、肩に手を置いた。

「大丈夫?」と彼女は尋ねた。

俺は苦しげに顔を上げた。どうしてこんな状況で、他人の心配なんてできるんだ?息が浅くなる。彼女の蒼い瞳――まるで海のようなその目が、まっすぐ俺の奥を見つめていた。

「お前……」

「私の言葉、分かるの!?ここがどこか教えてくれる?自由橋に恋人といたのに、急に全部消えたの!」

「……っ、あああ!!!」

その地名を聞いた瞬間、記憶が溢れ出した。頭を押さえる。激しい痛みが走る。

その橋を、俺は知っている……両端に立つ像、石畳の道……すべてを覚えている。

「おい、お前たち!」と誰かが叫んだ。

武装した兵士たちが、こちらへ近づいてきた。威圧的な雰囲気だった。秋色の髪の女は立ち上がり、彼らへ向かって歩いていった――答えを求めるように。

だが、彼らに近づいた瞬間、俺はその紋章に気づいた。

(くそ……ミライの兵士か……)と、頭を押さえながら思った。

予想通り、彼らは彼女の腕を掴んだ。

「捕まえたぞ、このクソ異常者が!!!」

彼女は驚き、反射的に抵抗した。

「やめて!離して!」

頭の中で、ラヴォワは体を丸めていた。俺は彼に近づき、しゃがみ込んだ。

「頼む……体を返してくれ。このままじゃ、あいつは殺される。」

「分かってる……全部分かってる……」と、彼は頭を抱えながら言った。「でも、あいつをまた見るだけで……思い出すんだ……」

彼は言葉を最後まで言えなかった。目を見開いたまま。

俺は彼を見つめた。ほどけた白い髪が、その目を隠していた。

そして、俺は理解した。

「俺も思い出してる……でも、このまま放っておけば、あいつは死ぬ。」

前の宿主の記憶の中には、彼女の最期もあった……今目の前にいる男ではない誰かに、頭を撃たれて死ぬ光景。

「頼む、俺にやらせてくれ。あいつと話さなくていい。」

「どうしてそこまで背負う?」

俺は数秒、黙り込んだ。それから胸に手を当てた。

「前の宿主の記憶と、俺の記憶がぶつかってる……どれが本当の“俺の感情”なのか分からない。」

頭をかき、下唇を噛んだ。

「でも……あいつを見捨てることはできない。」

ラヴォワは目を細めた。罪悪感に満ちていた。

「……分かった。すまない、ニマリ。」

*

* *

現実の世界では、状況は何も変わっていなかった。体の主導権を取り戻すと、俺はなんとか落ち着きを取り戻した。立ち上がり、目の前の光景を見る。女は連れて行かれようとしていた。

「離して!」

「暴れるな!」

俺は立ち上がり、近づいた。そして兵士の手に自分の手を置いた。

「その手を離せ。」

黒い髪が目の前に垂れた。

「誰だてめぇ、このガキ。こいつの仲間か?」

気づかないうちに、俺は男の手首を強く握りすぎていた。

「ぐあっ!!!」

男は手を離した。女は地面に倒れ、俺はその前に立った。彼女は俺の背後にいた。黒髪が風に舞う。

「彼女に手を出すな。」

これは俺じゃない――少なくとも、完全な“俺”ではなかった。見知らぬ自信が、体の中に溢れていた。ラヴォワが再び俺の感情に影響していた。

「クソガキが!」と兵士は吐き捨てた。

「ニマリ!!!」と姉が叫ぶ。

兵士は槍を構えて突っ込んできた。もう一人の兵士が止めようとする。俺は震える手で刀に触れた。

鈍い金属音とともに抜刀する。しかし、まだ俺には大きすぎる。刃は地面に突き刺さった。

槍が迫るその瞬間、俺は刃の背に足を乗せた。槍の穂先が刀の補強部分に当たり、衝撃が和らぐ。

「お前正気か!?ただの子どもだぞ!!!」

「槍を止めるガキなんて見たことあるか!?」

再び攻撃しようとしたそのとき、仲間の兵士がそれを止めた。その隙を逃さなかった。

俺は苦労しながら刀を鞘に収め、もう一人の兵士が間に入る間に動いた。女の手首を掴み、引き起こす。

「ついて来い!!!」

「えっ!?」と彼女は驚いた。

兵士たちは逃げることに気づき、止まれと叫んだ。だが、俺たちは人混みの中へと消えた。

同じ群衆の中――しかし反対側で、長い白髭にチューダー帽をかぶった男が微笑み、そのまま人の波に紛れて消えていった。

しばらく走り続けたあと、俺は暗い路地へと入り、追跡を振り切ろうとした。だが女は速度を落とし……やがて立ち止まった。俺も少し先で止まり、振り返る。彼女は視線を下げたまま、目を合わせようとしなかった。

「なんで止まる?」と俺はぶっきらぼうに言った。

「あなた、誰?」と彼女は返した。

「……」

俺は黙った。頭の中の“あいつ”については、何も話すわけにはいかない。

「教えて……一つだけでいいから……ここはもうエラじゃないの?」

俺はうなずいた。黒髪が目を隠し、感情は消えていた。彼女の死の記憶が、俺からすべてを奪っていた。もし感情を出せば……何が溢れ出るか分からなかった。

それに――

目の前の彼女は、もう三十六歳ではなかった……十八歳だった。記憶の中の彼女は、もっと温かかった。暖炉の前……あの男と初めて過ごした夜……

俺は下唇を噛んだ。彼女は何かに気づいたようだった。

「待っ――」

「急ぐぞ。追いつかれる前に。」と俺は遮った。

「その前に……あなたの名前は?」

俺は路地の先へ視線を向けた。

「ニマリ・ニッツァだ。」

「私はノヴァ・グリモール。よろしく。」

「チッ……」

俺は歩き出した。彼女も後をついてくる。

「どうして私たちは追われてるの?」

俺は振り返らず、歩き続けた。

「ここでは、俺たちみたいな存在は“異常者”って呼ばれてる。見つかれば、死ぬまで追われる。寿命で死ななければ……ミライに殺される。」

「異常者?ミライ?それって何?ここはどこなの?」

俺は立ち止まり、地面を見つめた。

「ここはミライという国だ。その女王も同じ名を持っている……“異常者”っていうのは、この世界に書き換えられた人間のことだ。」

「待って……それって……!」

俺は彼女の方へ向き直り、まっすぐ目を見た。

「もう分かってるだろ……ここはもう、お前の世界じゃない。」

彼女は動かなかった。まるで、その事実を頭が拒絶しているかのように。ゆっくりと首を振る――明らかな否認だった。

「冗談でしょ……?」

「……」

彼女は自分の肩を抱きしめ、その場にしゃがみ込んだ。

「お父さんは……みんなは……どうなったの?」

「……」

俺は何も言わず、彼女に近づいた。隣にしゃがみ、肩に手を置く。

「強くならないといけない……少なくとも、俺の家に着くまでは……俺たちは危険なんだ。」

「ほう……なるほど。あのクソ蛇の命令で捕まえるのは、お前か。」

聞き慣れない声に、俺は目を見開いた。顔を上げる。

一人の女が、俺たちの前に立っていた。軍服、そして左右で色の違うアーモンド形の瞳。美しい白い髪が、かろうじてミライの紋章を隠している。

「そんな……」

ノヴァ……そして、あの女……頭の中でラヴォワが震えていた。彼は顔を上げ――俺の意思とは無関係に、口が動いた。

「……エイレネ……」

彼女は目を細めた。

「ほう?ガキのくせに、どうして私の名を知っている?」

殲滅者エクスターミネーター”――それが彼女の正体。兄の師匠でもある存在だ。

俺は立ち上がり、ノヴァの前に立った。幸い、秋色の髪の女は彼女のことを覚えていないようだった。

「はあ……前の宿主さんよ……ずいぶん厄介な女ばかり選んだもんだな……」と俺は小さく呟いた。

「何か言った?」とノヴァ。

「俺の後ろにいろ。この女は、俺たちにとって最悪の敵だ。」

俺は集中した。正直……今日は運が悪すぎる。頭の中でラヴォワが焦っていた。

「逃げろ!!」

「逃げたら終わりだ。」

「勝てる相手じゃない!」

俺は笑った。エイレネがわずかに目を見開く。

「何がおかしい?」

「いや……あんたの噂が本当かどうか、気になってただけだ。」

「何だと!?」

分からなかった……なぜこんなにも――楽しいとすら感じているのか。歯を見せて笑うほどに。

「俺が足止めする。お前は隠れろ。」

「どうして!?私にはもう何もない……恋人も、父も、友達も……生きる理由をちょうだい!お願い……前に進む勇気をちょうだい!!」

「俺を見ろ!!」

頭の中でラヴォワは、俺のやろうとしていることをすぐに理解した。

「やめろ、ニマリ!」

俺は息を吐き切った――そして。

黒髪が白へと変わり、瞳は赤く染まる。

「……イオ?」と、異色の瞳の女が呟いた。

「俺はイオじゃない。ニマリだ……だが、お前が愛した男の記憶を持っている。お前が命を捧げた、その男のな。」

「……何だって!?」

「来い……炎の使者。」

エイレネの体が震えた。それは恐怖ではない――怒りだった。次の瞬間、彼女は顔を上げる。その瞳には、純粋で圧倒的な憎しみが燃えていた。

「イオォォォ!!!」

俺は重い刀を抜いた。対するエイレネも武器を構える。彼女の剣には、赤い宝石が埋め込まれていた。

次の瞬間――炎が噴き上がる。

それは彼女の周囲を包み込み、壁すらも焼き尽くしていった。

ノヴァは俺を見つめていた。手は震えていたが、それでも剣は握っていた。どういう奇跡か分からないが、俺はそれを空へと掲げることができた。炎に包まれた闇の中で、白くなった髪だけがはっきりと見えていた。

その速さに驚く間もなく、彼女は一気に距離を詰めてきた。最初の一撃――単純な横薙ぎ――をなんとか躱す。俺は勢いよくバットのように剣を振り上げ、彼女の剣を叩きつけようとした。だが――

彼女は片手で、それを軽々と止めた。

「どれだけの時間、この瞬間を待っていたと思う?」

そう言いながら、彼女は俺を後方へ吹き飛ばした。

「俺はそいつじゃない!」

「黙れ!お前はただの化け物だ!」

「……」

彼女は黙り込んだ。内側で何かが煮えたぎっているようだった。そしてゆっくりと顔を上げ、空へ手をかざし、指を差した。

「すべての“異常者”を殲滅する……あの悲劇を二度と繰り返さないために。まずは元凶から。」

空気が焼けるような熱に満たされる。俺は上を見上げた。

そこには――白い太陽が浮かんでいた。

俺は思わず笑った。

「正気かよ……街のど真ん中で“ホワイト・ノヴァ”か。」

「害虫は駆除するものよ!」

テニスボールほどの大きさのその“太陽”は、ゆっくりと落下してくる。周囲には、青白い光の束を放つ磁極のようなものが形成されていた。

理解した瞬間、俺はノヴァの方へ振り向き、飛び込んだ。

「やっぱりお前は、あの男の息子だな!」

そのとき――

一つの影が現れた。男が跳躍し、その光の球体に飛びかかる。そして一刀のもとにそれを真っ二つに斬り裂いた。

振り返り、叫ぶ。

「今だ!」

路地の奥から、フードを被った女が現れた。猛スピードで駆けてくる。すれ違いざま、俺の耳元で声がした。

「よくやったわ。」

俺は眉をひそめた。

「この声……どこかで……」

彼女は分断された光球へ飛び込み、袋から布のようなものを取り出した。そして正確な動きでそれを振るうと、光はまるで吸い込まれるように、その“絵”の中へ収まった。

異色の瞳の女が歯ぎしりをする。

「欲望の魔女……!」

「……」

白い長髭の男は剣を肩に担ぎ、軽い調子で言った。

「さあて――パンドラの登場だ!来いよ、“執行者エグゼキューター”。ウォーミングアップが必要なんだ!」

「レオナルド!」

その間に、俺の髪は黒へと戻り、瞳も元の色に戻っていた。

「……あんたたちは、誰だ?」

「おい、坊主……目の前にいるのが“パンドラ”だ。」

「パンドラだって!?」

老人は笑い、そして表情を引き締めた。

「その子を連れて逃げろ。ここは俺たちが引き受ける。」

「でも――」

「リラックスしな!任せとけ。」

彼はサーファーのように軽いジェスチャーをした。すると、フードの女が肘で彼の脇腹を突いた。

「ふざけてる暇があるなら、戦いなさい。」

彼は最後に安心させるような笑みを俺に向けた。

俺は小さく頷き、振り返ってノヴァの手首を掴み、そのまま路地を駆け出した。

二人が去ったのを確認してから、男はフードの女へと視線を向けた。

「本当にいいのか?あいつらと一緒に行かなくて。」

「黙って、目の前の“執行者”に集中しなさい。」

「ああ……女ってやつは、本当に分からん。」

「……」

彼女は何も答えなかった。ただ、マントから一本の黒い羽根を取り出した。

「やれやれ……」

*

**

長い間走り続けた末、ようやく俺たちは家にたどり着いた。玄関先で立ち止まり、息を切らす。ここなら、誰も俺たちを追ってこない――そう分かっていた。

俺は顔を上げた。

庭の方から、母が真剣な表情でこちらへ向かってきていた。彼女はノヴァに近づき、肩に手を置く。

「大丈夫?」

「はい……」

「ニマリ?あなたは無事なの!?その子は誰?」

そう言いながら、母はノヴァを家の中へと導いた。

「“執行者”に襲われた。でも、パンドラの人たちが助けてくれたんだ。」

母は俺を見上げた。そして、俺の片目にまだ残る赤い色に気づいた。近づいてきて、頬を引っ張る。

「また使ったの?」

「うん……ごめん、母さん……」

彼女はポケットから布を取り出し、俺の顔を拭いた。

「結界に新しい亀裂ができたって報告があったの。あの子を助けたのは正しい判断よ。誇りに思うわ。」

「……」

それから母はノヴァの方へ向き直る。ちょうど彼女も落ち着きを取り戻したところだった。ノヴァは軽く頭を下げた。

「はじめまして、ノヴァ・グリモールです。」

「礼儀正しい子ね。私はアカネ・ニッツァよ。この世界で誰にも言葉が通じないのは、不思議な気分でしょう?」

「あなた……私の言葉が分かるんですか?」

「もちろん。あなたの世界の言葉は、“異常者”同士で使う言語なの。私もあなたと同じ、“異常者”よ。」

「……みんな、どうなったんですか?」

「……中に入りましょう。お茶を用意するわ。」

母はノヴァの手を取り、そのまま家の中へ連れていった。

俺は背筋を伸ばした――その瞬間、背中を叩かれた。

「うおっ!」

「やるじゃねえか、坊主!さすがアリマの息子だ!」

振り返ると、さっきの男とフードの女が立っていた。

「あなたたち……さっきは助けてくれてありがとうございました。ニマリ・ニッツァ、アリマの息子です。」

そう言って頭を下げる。

「おいおい、そんな畏まるな!お前のことは知ってるぜ。覚えてないかもしれないが、お前が生まれた日、俺たちもいたんだ。」

隣の女が、彼の脇腹を肘で突いた。

「いてっ!これで二回目だぞ!」

「生まれた日のことなんて覚えてるわけないでしょ。このバカの言うことは気にしないで。私はアーリよ、よろしく。」

俺はフードの女と握手をした。その声には、どこか聞き覚えがあった。

「すみま――」

「レオナルド!」

その声とともに、父が庭の方から現れた。

「アリマ!元気そうだな!」

「いつも通りだ。来るのが遅かったじゃないか!」

「お前の息子を助けてたんだよ。“執行者”に挑んでてな。」

父は目を見開いた。

「エイレネがここにいるのか!?」

そして俺の方を見る。

「本当か?」

その鋭い視線に、俺は目を逸らした。

「ごめ――」

次の瞬間、父は俺をひょいと持ち上げ、肩に担いだ。

「ははは!さすが俺の息子だ!7歳で“執行者”に立ち向かうとはな!!!」

「いやあ、こいつは度胸あるぞ。いいガキだな。」

俺は笑った。

――初めて、自分の居場所にいる気がした。

*

**

中に入ると、俺たちは居間へ向かった。そこにはすでに母と、俺が助けた女――ノヴァがいた。彼女は立ち上がり、再び丁寧に頭を下げた。

「先ほどは助けていただいて、本当にありがとうございました。ノヴァ・グリモールです。」

レオナルドは髭を撫でながら微笑んだ。

「気にすんな、嬢ちゃん。お前にとっても楽じゃないだろう……この世界に“書き換えられる”なんてな。」

フードの女が彼を肘で突いた。

「いい加減にしなさいよ……これで三回目よ!!」

母はぱっと表情を明るくし、彼女の手を取った。

「アーリ!元気そうね!」

「ええ、絶好調よ!あなたは?二人目はまだ?」

「残念ながらね。一人で十分よ。想像してみて?家に天才が二人もいたら大変でしょ?」

そう言って母は俺の後ろに回った。

俺はノヴァの方を見る。彼女は楽しそうに笑っていた。だが父が咳払いをして、その空気を断ち切った。

「ニマリ、少し外してくれるか。ノヴァと二人で話したい。」

俺は不思議そうに父を見る。

「どうして?ここにいちゃダメなの?」

父は近づき、優しく俺の頭に手を置いた。

「少し個人的な話になる。お前には関係ない。」

俺はノヴァを見た。彼女は安心させるように微笑んだ。

「……分かった。今夜に備えて少し休むよ。」

「そうしろ。きつい夜になる。夕食のときに呼ぶ。」

「うん……」

部屋を出ようとしたとき、母が呼び止めた。

「台所に寄りなさい……まだ目が赤いわよ。」

俺はそこに手を当てた。

「……分かった。」

俺は外に出て、扉を閉めた。その直前――

「では、始めましょうか。」

そんな声が聞こえた。

俺は踵を返し、自分の部屋へ向かう。廊下には、庭の小川のせせらぎが響いていた。その音だけで、眠気がじわりと押し寄せてくる。

そのとき――ラヴォワが沈黙を破った。

「どうして、あれを使った?」

「使わなきゃ、俺たちは死んでた……今じゃない。今はまだ、死ぬわけにはいかない。」

「……」

彼は黙った。さっき自分が制御を失ったばかりだから、何も言えないのだろう。

俺は外を見た。竹が石を優しく叩いている。

その瞬間――

激しい痛みが胸を貫いた。

俺は膝から崩れ落ち、体が震える。凄まじい飢えが込み上げてくる。喉に手を当て、息ができないほど締めつけた。

廊下の奥から足音が聞こえる。俺は顔を上げた。

白い着物の女が、こちらへ歩いてくる。

考えるより先に、俺は飛びかかった。白く変わった髪が、その着物に絡みつく。

そして――見えた。

姉だ。

「また使ったのね……」

「……アスカ……」

「母さんの食料庫から持ってきておいてよかった。」

彼女は袋を破り、中の肉の塊を取り出すと、それを俺の口に押し当てた。血が白い着物に広がる。

俺はむさぼりついた。

「肉だ……肉……」

残りにも飛びつく。止められない。

その間、姉は優しく俺の髪を撫でていた。

そして、静かに――脇差を抜いた。

刃を俺の喉に当て――

一閃。

喉が切り裂かれる。

「おやすみ、ニ。」

*

**

「俺は……水の中にいたのか?――いや、水の上か……?」

ゆっくりと目を開けると、俺は水の上にできた足場のような場所に立っていた。目の前には、自分とそっくりな男が、膝を抱えて座り込んでいる。そいつは顔を上げ、まっすぐ俺を見た。

「ラヴォワ……ここはどこだ?」

「気に入らないのか?」と彼は言った。

俺は立ち上がる。水はどこまでも広がっている。空は雲一つない青。暑くも寒くもない、ちょうどいい温度だった。防御姿勢のままの“相棒”を見つめる。

「質問に答えてないぞ……」

「……ここは俺の領域だ。」

「へぇ。ずいぶんショボい領域だな。」

「はは……前の宿主は気に入ってたけどな。」

俺は頭をかき、地面――いや、水の上に座り込んだ。不思議なことに、濡れることはない。

「変な感じだな……それにしても、喉を切るとか……ああいうのは姉らしい。」

「痛くないのか?」

「……どうだろうな。最初は違和感あるけど、そのうち慣れる。」

俺は周囲を見回した。

「まあ……ここなら邪魔は入らなさそうだな。」

「そうだな……」

そのときだった。

視界の端に、黒い影が現れたことに気づかなかった。さっきと同じ“塊”。そしてそこから、あの男が現れた。

カラスの仮面に、素肌の上から羽織ったフード付きの上着――奇妙な格好だ。そいつは手を上げて言った。

「よっ!」

その軽い一言だけで、嫌悪感が込み上げる。

「またお前かよ!?」

「そんなに会えて嬉しくない?」

「自分を神とか名乗るやつを警戒しないわけないだろ。しかも人の領域に勝手に入り込んできて。」

「一括りにしすぎだって!ここに来るの、結構苦労したんだぞ?」

両手を上げながら近づいてくる。俺の前で立ち止まり、じっと見下ろした。

「へぇ……ついに“本当の姿”を解放したか。」

「全部見てたのか!?」

「まあな。細かいところまで全部。それに、お前の過去も未来も見える。」

俺は目を細めた。

「それは――」

「怪しい、だろ?分かる分かる!」

「……はあ。なるほどな、そういうノリか。」

ラヴォワは黙って俺たちを見ていたが、やがて口を開いた。

「で、何の用だ――」

「あーもう!別に用なんてないって。ただ、この子と話したいだけ。」

「……」

「そんな警戒するなよ。まさかカリュケに変な記憶でも植え付けられたのか?」

俺は眉をひそめた。

「カリュケ……?さっきもその名前、言ってたな。」

男は驚いたように俺を見ると、急に距離を詰めた。

そして――

いきなり、俺の頭に手を突っ込んだ。

「がああああああ!!!」

血が飛び散り、頭の中をかき回される。まるで物理法則なんて存在しないかのように。

「どうして彼女のことを覚えていない?」と、まるで当然のように言う。

「頭が……!!!」

男は手を引き抜くと、今度はラヴォワの方へ向かい、同じように頭へ手を突っ込んだ。

「ありえない……名前そのものが封じられてるのか。はは、やっぱりすごいな、あいつ。」

ラヴォワは目を見開いた。

「お前がそこまで褒めるなんて、珍しいな……」

その間に、俺は体を起こす。飛び散った血が引き寄せられるように戻り、頭が再生していく。

まだ信じられないまま、自分の顔に触れた。

男は頭――というかフードをかきながら、ぼそりと呟いた。

「それが事実だからさ。そういう細かいところまで考えられる人間は、そう多くない。」

「自分で自分を褒めてるのか?」

「まさか。今回は本当に関与していない。無意識に起きたことだ。」

「お前のコントロール外のことなんて、珍しいんじゃないのか?」

「俺は神じゃない。神なんて存在しない。ただ、それぞれの分野で知恵を持った人間がいるだけだ。」

俺はその黒い影を見て言った。

「“神は存在しない”って、どういう意味だ?」

「はは……それ、昔お前の前の宿主とも話したな。」

そう言って、彼はまだうずくまっているラヴォワの方を見た。

「……?」

影の男が手を叩くと、ラヴォワの領域は一瞬で闇に沈み、代わりに“彼の言葉”が映像として広がった。

「“子どもの歌理論”って知ってるか?」

「いや……」

「そりゃそうだ。俺が今作ったんだからな。」

そう言って、彼は指でピースサインを作った。

ラヴォワはため息をついた。これから何が始まるのか、分かっているようだった。

「覚悟しとけ……話、かなり飛ぶぞ。」

「……分かった。」

「おいおい、ひどいな!」

再び彼が手を叩くと、空に様々な光景が浮かび上がった。

「人間は本質的に“信じやすい”。自然現象にすぎないものでも、自分を守るために“意味”を与えて信じる。例えば――」

空に一つの場面が映る。

「ある男がこう言う。“今日、隣人が夫を裏切っているのを見た”ってな。」

「それを聞いた人間は信じる。理由は二つ。相手を知っているか、あるいは深く考えようとしないか。」

「人間は疑うよりも、信じる方を選ぶ。教育も同じだ。子どもは大人の言うことを疑えないから、物語を信じる。」

「……なるほど。」

「想像してみろ。動き回る人間たちの世界で、“語り部”が子どもたちに物語を語る。それを繰り返すうちに、人々はその話を共有し、やがて“真実”だと思い込む。」

「そして信じない者は、信じる者を利用する。差別し、指差し、搾取する。」

「……異常者への差別か。」

「そうだ。それは人種でも、宗教でも同じだ。」

「分かる気がする……」

「人間は疑わない。聖典も、国家も、本当は疑うべきものなのに。それでも疑えない。怖いからだ。不安だからだ。だから“上位の存在”を信じる……だが、そんなものは最初から存在しない。」

俺は彼を見つめた。

「でも、お前はその“存在”そのものじゃないのか?」

影の男は首を振った。

「違う。俺はお前と同じ“人間”だ。ただ、お前の世界の見方を少し広げてやってるだけ。」

俺は自分の手を見た。

「じゃあ……俺自身も、“作られた物語”かもしれないってことか?」

「それこそが、人間が考えるべき問いだ。」

彼は静かに続けた。

「お前も例外じゃない。お前もまた、誰かによって作られた“物語”だ。」

「……なんで今、それを言う?」

「お前がこれから戦う敵は、“人間の本質”を利用する。信じる心、恐怖、不安――それを使って壊す。」

「この男の前の宿主も、それで壊された。そして、お前も同じ道を辿る可能性がある。」

俺は頭に手を当てた。

記憶が流れ込んでくる――

嵐の中に立つ“あいつ”。その中心には、赤い龍。そして、それに乗る一人の少女。

「……ああ、分かる。」

俺はゆっくり顔を上げた。

「つまり……お前は俺たちを助けてくれるのか?」

彼は肩をすくめた。

「助けない。ただ“助言”するだけだ。お前たちの選択には干渉しない。」

「……簡単じゃないな。」

「えっと、その、ごめん。みんなには悪いんだけど、もう行かないといけないんだ。

「 どういうこと?」

「誰かが君を起こそうとしている気がする。」

「 えっ!?」

ラヴォワは気まずそうに視線を逸らした。それから顔を上げ、私を見てこう言った。

「 気をつけて。」

気づかないうちに、視界がぼやけ、何かに首を絞められているような感覚に襲われた……

「そいつに飲み込まれるな。」

何が起きているのか分からないまま、私は目を開けた。目を覚ますと、上には一人の男――大人がいた。白い髪を結い上げ、前髪が目を隠している。服装は奇妙で、まるで別の世界から来たかのようだった。

黒いコートに、波打つ模様の入った赤いシャツ。その温かい笑みは、どこかで見たことがある気がした。さっき人混みの中で見かけた男だ。

「 解放してくれ……」

男は私の首に手を回した。

「……違う。俺はお前じゃない!」

私は男の首を掴み、そのまま押し倒した。

「 ……」

白い髪の間から、赤い瞳が覗いた。

「 代わらせてくれ……」

背後にいたラヴォワは、ただこちらを見つめていた。その目には、誰にも埋められないほどの悲しみが宿っていた。

俺はニマリ。人間だ。

*

**

再び目を開けた。姉が枕元にいて、私は体を起こした。

「 もう大丈夫?」

私は自分の首に手を当てた。

「 ごめんね、あなたを抑えるしかなかったの。」

私は自分の肩を見た。そこには、少し血がにじんでいた。

「 痛かった?と彼女は尋ねた。」

「 うん、少しね。」

「 もう二度と、その体のその部分を目覚めさせないで。次は……」

「 分かってるよ、姉さん。」

数時間前。

テーブルの周りには数人が集まっていた。テーブルの端には父が床に座り、穀物から作られた酒「ルール」の杯を手にしていた。その左には母とノヴァが立っており、ノヴァは緑茶の入った湯のみを口元に運んでいた。彼女の向かいにはフードを被った女が座っている。その後ろにはレオナールがいて、母の向かい側に位置していた。

要するに、全員がテーブルを囲み、危機会議を始める準備が整っていた。父は一口飲んでから言った。

「さて、始めようか。」

レオナールが手を挙げ、それが父の注意を引いた。

「話せ!」

「ありがとう。悪いね、お嬢さん。君はちょうど節目のタイミングで来てしまったみたいだ。」

ノヴァは横目で見ながら一口飲み終え、動きを止めた。

「えっ!? 私に話しているんですか…? 私のことは気にしないでください!」

――彼女はもうこの環境に慣れているな、と全員が同時に思った。

レオナールはくすくす笑いながら顎ひげを撫でて言った。

「君自身や、君がいた元の世界について、もう少し知りたくてね。」

「何を知りたいのですか?」

「うーん…まずは、最後に覚えていることは?」

「……父と用事があって出かけていました。それで恋人と一緒に行って、その人と…自由の橋に着いたとき、目をこすって…それで…気づいたら人混みの中で一人になっていました。」

母は彼女の背中を優しく撫でた。ノヴァは顔を上げて母を見て、大丈夫だと合図した。

「それで、さっき“節目”と言っていましたが、詳しく教えてもらえますか?」

父は杯を口に運び、ため息をついた。

「よし、この世界の状況を説明しよう。まず、この世界について何を知っている?」

「さっきの少年が“書き換え”と“異常”について話していました。それ以外は覚えていません。」

「ニマリのことか…」

「ニマリ…」と彼女は繰り返した。

「この世界は、想像もつかないほど昔から人間に支配されてきた。そしてこの委員会はミライという女性によって率いられている。まだ世界中がそれに気づいているわけではないがな。彼女は出来事を自分の思うままに操作し、書き換えている…どうやってかは分からない。それが巨大な争いを引き起こした。俺たちのような“異常”――君の世界出身であろうとなかろうと――は何度も人間に狩られてきた。」

父は一度言葉を切ってから続けた。

「私の右に座っている男が“パンドラ”というレジスタンス組織を作った。彼とアカデミー――この世界のあらゆる種族を支援し記録する機関――は、生き延びるためにミライと戦っている。」

「そして、さっき君が会った女は、その中でも最高の追跡者の一人、“執行者”だ。」

「ということは、あなたたちは“異常”なんですか? もし差し支えなければ、それは何ですか?」

全員が互いに顔を見合わせ、そして頷いた。父が口を開いた。

「一番単純なのは――俺はただの人間だ。」

次に母が言った。

「私はグールよ。」

「それで、ニマリは?」

「うーん、ああ、彼もそうだ。」

フードの女は胸に手を当てて言った。

「私は魔女よ! 欲望の女神から加護を授かったの。」

「加護? 魔女?」とノヴァは少し首をかしげた。

「ごめんなさい、混乱するわよね。この世界の神々は、一度にたった一人の人間に加護を与えることを決めたの。その加護を受けた者は“魔女”の称号を得るのよ。」

「ふんふん! なるほど!」

フードの奥から茶色の瞳がのぞいた。そして彼女はレオナールの方を向いた。彼は舌を出し、目の前で勝利のポーズをしていた。その瞬間、ノヴァの表情は無表情から嫌悪へと一変した。

「やっぱり、知りたくないです…ありがとうございます!」

「待ってくれ! 僕の立場はものすごく重要なんだぞ!」

彼女は父の方を見た。父はくすくす笑いながら杯を口に運んだ。

「本当だ。ここにいる中で、あいつが一番重要な人物だ。」

「ああもう…」と彼女はうんざりした様子で言った。

「さあ、自己紹介させてくれ、お嬢さん!」と彼は笑みを浮かべて言い…次の瞬間、姿を消し、彼女の後ろに現れた。

ノヴァは立ち上がり、勢いよく振り向いた。男は帽子を外し、それを胸に当てて一礼した。

「私はレオナルド・ダ・ヴィンチ。機械の神、パンドラの創設者、そしてアカデミーの協力者だ。よろしく!」

「神ですって!?」

「その通り! 私は機械の神だ。」

彼女は目を細めて言った。

「…もう魔女はいるんですよね?」

彼は微笑んで答えた。

「鋭いね! 気に入ったよ! その通り。君は思ったより早く彼女に会うことになるだろう。」

「名前を教えてもらえますか?」

「ルチア・クリーク! 現在のアカデミーの長だ。」

父はノヴァの表情を見て笑った。自信に満ちていた顔が、恐怖へと変わっていた。

「それで、お嬢さん」と父は杯を置いて言った。

「私は人間です。」

「この世界へようこそ、ノヴァ・グリモール! もしよければ、パンドラにも歓迎するよ!」とレオナルドは姿勢を正し、帽子をかぶり直した。

「少し考えさせてください」と彼女は言い、部屋を出て行った。

「私も行くわ!」と母は立ち上がり、彼女を追った。

レオナルドは心配そうに笑った。その時、フードの女が再び彼を叩こうとした…しかし今回は予測していた。彼の肘はすでにその動きを受け止めていた。

「私、彼女を怖がらせてしまったかな?」

「理解してやれ。彼女はさっき“書き換え”られたばかりだ。誰だって混乱する…中には自ら命を絶つ者もいる」と父は言い、問題から目を背けるかのように再び酒に口をつけた。

部屋の外で、ノヴァは庭を見つめていた。母が後ろから来て、そっと肩に手を置いた。

「教えてください…私の世界に戻る方法は、ないんですか?」

母の顔が強張り、視線を逸らした。

「夫が言い忘れていたことがあるの…それは…」

「教えてください…」

彼女は苦しそうにため息をつき、息を整えてから、ついに言った。

「あなたがいた世界は、もう存在しないの。あなたが知っていた人たちは…みんな亡くなったわ。」

ノヴァは一度、そして二度鼻をすすった。そしてついに泣き出した。しゃがみ込み、苦しみの叫びを上げた。

「私たちがそばにいるわ。」

部屋の中で、父はレオナルドに酒を注ぎ、彼は一気に飲み干した。

「くそっ…」

しばらくして落ち着くと、ノヴァは立ち上がった。

「すみません、奥様…」

「どうして謝るの?」

「ねえ…一つ聞いてもいいですか?」

母は不思議そうに首をかしげた。その長い黒髪にノヴァの視線が引き寄せられる。

「ええ、いいわよ?」

「ニマリに会えますか?」

母は微笑み、ノヴァを立ち上がらせた。そして数歩進んでから振り返った。

「彼の部屋はこっちよ。」

ノヴァは急ぎ足で、再び歩き出した母の後を追った。部屋の前で、母がドアを開けようとしたその瞬間、妹が内側から扉を開けた。二人は鉢合わせになり、互いを見つめた。

「すみません!」と言って、妹はそのまま横を通り過ぎた。

ノヴァは妹が廊下を歩いていくのを見つめた。妹はナイフを袖の中にしまった。秋の髪色をした少女――ノヴァは目を見開き、すぐに部屋へと向き直り、慌てて中へ入った。

「どうしたの?」と母が尋ねた。

ノヴァは私に駆け寄り、着物をほどいた。首にはナイフの傷跡がはっきりと残っていた。

「ああ…またやったのね」と母は頬に手を当てて言った。

「早く、急いでください! このままじゃ死んでしまいます!」

「心配いらないわ。私たちグールは、そんな簡単には死なないの。気を失っているだけよ。」

「どうして喉を切ったんですか!?」

「……ニマリは、自分のグールとしての姿をうまく制御できないの。父親と一緒に原因を探っているけれど、まだ分かっていない。でもまるで、その精神的な未熟さが、自然な成長を妨げているみたいなの。」

ノヴァは目を見開き、母の方を向いた。

「ねえ…彼って、ひとりで話したりしますか?」

「ええ、いつもよ。でもその年頃の子なら、想像上の友達がいるのは普通でしょう?」

「その想像上の友達って、“ラヴォワ(LaVoix)”って名前じゃないですか?」

母は口元に手を当て、記憶をたどるような仕草を見せ、それから眉をひそめた。

「確かに…そう呼んでいるのを聞いたことがあるわ。」

ノヴァの表情がぱっと明るくなった。彼女は私の方を見て、小さくつぶやいた。

「ラヴォワ…やっぱり、あなたもここにいるのね。」





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