閉幕 月下の人形姫
「ねえ、なにをそんなに怒ってるの?」
人のことをいきなり引っ張って連れ出すお貴族様に文句を言うのは当然の権利だ。
「お前が馬鹿だからだ、人形頭」
「人のこと馬鹿、馬鹿って言われたら、こっちが怒りたくなるんだけど!」
抗議の声などには耳も貸さず、ヴァンツァはルチアを人気のない庭の隅に引きずった。
賑やかな音楽や人々の声が遠くなり、なんだか心細く感じてしまう。
「なんで、こんなとこ」
「舞台はマシになっても、頭の中は少しもマシにならないな」
ヴァンツァはそう言うと、ルチアの身体を軽く後ろへ押した。
ルチアは反動で二、三歩さがり、庭に植えられた木に背をつける。
「な、なに?」
ヴァンツァは眉間にしわを寄せたまま、黙ってルチアの腕をつかんで押さえつける。
ルチアは軽く抵抗したが、力強いヴァンツァの腕はピクリとも動かなかった。ヴァンツァがなにをする気なのか、サッパリわからない。
身をずらそうにも、ヴァンツァが樹に手をついて退路を断ってしまった。
「自分で察しろ」
察しろと言われても、どう察しろと?
ルチアは混乱して、青空色の瞳でヴァンツァを観察した。
いつもの短気を起こして、頭に血が昇っているのだろうか。ヴァンツァは耳まで顔を真っ赤に染めながら、ルチアの顎を指で固定した。そして、なんとも言えない気難しくて複雑な表情のまま、近づいてくる。
怒ってるようにしか、見えないんですけど!?
ルチアは状況を正確に把握しようと、思考を巡らせた。
なんのことを怒っているのだろう? エドにキスされそうになった途端に、ヴァンツァは機嫌を急降下させた。おまけに、ルチアをこんな人気のない場所まで引っ張って……。
エドとルチアを引き離したかったから?
「あ、わかった!」
ヴァンツァの顔が間近に迫った瞬間、ルチアは閃いた。
「ごめんなさい、忘れてたわ。わたし、気が利かなかったわよね」
「は?」
ルチアの言葉に、ヴァンツァが怪訝そうに眉を寄せる。
「ヴァンツァはエドが大好きなのに、わたし、全然空気読んでなくて……」
「違う、それは違う! 俺はお前が――」
「そんなに怒ると思ってなかったのよ。傷ついちゃったかしら? ごめんなさい!」
うろたえるヴァンツァの前で、ルチアは深々と頭を下げた。
ヴァンツァは、どうすればいいのかわからないといった表情で、ルチアを見下ろしている。彼はルチアに頭を上げさせると、正面から覗きこんだ。
「その誤解は全力で解かせてもらうぞ! 俺は別に男を好きになるような趣味はない!」
「お貴族様が素直じゃないのは、よく知ってるから大丈夫よ。誰にも言わないわ」
「俺が好きなのは……だから、その。俺は、だな……おま、……お前が」
「隠さなくていいわよ。協力してあげるから! いいじゃない。王太子妃になんて、なれなくて」
「だから、人の話を聞け!」
ヴァンツァは強引にルチアの肩をつかむと、夜色の瞳で、まっすぐにルチアを見下ろす。
緊張と熱をはらんだ顔が、あっという間に近づいた。
「お前には、なにを言っても無駄だからな」
気づいたときには、両手で顔を固定されていた。
そして、額に唇が落ちる。
ヴァンツァの乾いた唇を額に感じて、ルチアは驚いて声も出ない。なにが起こったのか理解出来ず、顔が一気に熱くなった。
「な、な、なにッ!?」
一瞬だけ、ただ押し当てただけの口づけは子供騙しで、とても愛や恋を語れるものではなかった。それなのに、触れた部分に相手の熱が今でも残り、感触が鮮明に刻まれる。
こんなことは初めてで、ルチアはどうしていいのかわからなかった。
一方、顔を離したヴァンツァは息切れまでするくらい必死の形相だ。
王城を走って一周してきたばかりだと言われても信じてしまうくらい息があがり、顔も赤い。指先は筋肉が痙攣するようにピクピク震えているし、脈も速そうだ。
これは、どういう意味があるのだろう?
先ほどもエドからキスされそうになったけれど、遊びのようだった。いつもミランがルチアに過剰なスキンシップをしているが、彼の場合は過保護な親のような思考であると理解している。
「ヴァンツァ……?」
ヴァンツァがなにを考えているのかわからない。
どうすればいいのかわからず、ルチアは控えめに彼の顔を見上げた。
「だ、黙っていろ……その、悪かった」
「なんで、謝るの?」
「いきなりこんなことされて、お前は……」
「だって、いつもミランに迫られてるし、さっきもエドが……あ、そっか。そうよね、そういうことなのね」
突然、理由を閃いて、ルチアは一人で納得の声を上げた。
「ああ、そうだ……やっとわかったか、人形頭」
ルチアがやっと理解したので、ヴァンツァが恥ずかしそうに顔を伏せながらぶっきらぼうに言う。ルチアは元気良く頷き、ヴァンツァを見上げた。
「いいわよ。そんなに好きなら、いくらでもしてあげる。こんな風に言われるのは初めてで恥ずかしいけど、やっぱり、嬉しいし!」
「い、いくらでも、だと!? 俺にあと何回、こんな不埒な真似を……」
「いくらでも、見せてあげるわよ。ヴァンツァのために」
「見せ、る?」
意味がわからないと言いたげに固まったヴァンツァの手をすり抜けて、ルチアは広い空間へと移動する。
そして、背負ったリュントを構えた。
「キスしちゃうくらい、わたしの舞台が好きなんでしょ? 恥ずかしいけど悪い気はしないし、お礼よ」
ルチアは平然と言い放って、自信満々に胸を張る。
ヴァンツァは拍子抜けたような、呆れたような、脱力したような、怒ったような、なんとも言えない複雑な面持ちで眉間を指で押さえた。
「どうして、そうなるんだ?」
「気難しいお貴族様は感情表現苦手なのよね? ほら、エドも潔癖とかなんとか言ってたし。恥ずかしいから、こんなところに連れてきたんでしょ? 直接好きって言うのが恥ずかしいからって、伝え方が下手くそなのよ」
「違う! なんのために口を拭いてやったり、花を贈ってやったり……!」
「だから、わたしの舞台が好きだからでしょ?」
「どうしても、そこに結び付けたいわけだな、お前は!?」
「じゃあ、どういう意味?」
「それは、その……だな……おま、お前のこと、が……」
「え? 聞こえないんだけど?」
上目遣いで顔を覗き込むと、ヴァンツァが困ったように視線を逸らしてしまう。
なにも言えないということは、きっと、図星なのだ。
プライドばかり高いお貴族様は、これだから困る。
「まあ、ちゃんと見せてあげるから、安心しなさい」
得意げに言ってやりながら、ルチアは腰にさがった人形を次々と地面に降ろした。
「だから、なんでお前はそう人形のことばかり……人の話を聞け」
ヴァンツァは、ルチアに近寄ろうと一歩踏み出す。
ルチアは彼の足元で人形に一礼させながら、ルチアはとびっきりの笑顔を弾ませた。
「言っておくけど、このルチア・ゼレンカの舞台を何度も一人占めしているのは、あんただけなんだからね。特別扱いよ、感謝しなさい」
ルチアがあまりにも楽しそうに笑うので、ヴァンツァはなにかを言いかけた唇を閉ざしてしまった。
呆れているような、疲れているような、あきらめているような、それでも、嬉しそうな顔が、なんだかおかしい。
ルチアは弦を指で弾き、一礼する。
「御機嫌よう。特別舞台へ、ようこそ! 今宵も、お貴族様に最上のひとときをお約束しましょう。――それでは、マリオネット姫、ルチア・ゼレンカの華麗なる舞台をご賞味あれ!」
祭りを楽しむ王城の片隅で流れる、軽妙で華やかなリュントの調べ。
満月の光にのみ照らされた舞台で、人形遣いは軽やかに弦を弾く。
蒼く澄んだ月光をまとったマリオネット姫の姿を眺めて、黒の騎士は静かに微笑んだ。
ルチア・ゼレンカの舞台は、終わりを知らない。
《閉幕》
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
昔々、チェコ旅行をしたときに思いついて殴り書きして放置していた作品を、このたびは小説家になろう様向けに全面改稿して投稿させて頂きました。
3万字ほど増えた上に、ルチアとヴァンツァ以外のキャラが全員、設定と性格が書き変わっています。魔改造!
プラハは……いいぞ……!
島谷ひとみの「プラハの女」を聞きながら書いた気がしますが、当時のCDが見当たりませんでした。残念。
実は劇中作の「チェスクの誓い」だけプロットと書きかけの原稿があったりするのですが、こんなん誰にも見せられない黒歴史だよ!
のんびりまったり活動していきますので、今後ともよろしくおねがいします。




