第94話 風読み
翌朝。
俺たちはエルフの里を出ることになった。
村の入口にはマリエルさんと村長、それから何人もの村人が見送りに来ている。
「ルナ、二人に迷惑をかけないのよ」
「分かってるって」
大きめの荷物を背負ったルナが、少し嫌そうな顔をする。
「それと、知らないものを何でも食べないこと。町で買い物する時は、ちゃんと値段も確認するのよ」
「母さん、私を何歳だと思ってるの?」
「森の外では心配なの」
「もう……」
ルナがため息をつく。
森の中ではあれだけ頼りになるのに、マリエルさんの前では普通の娘だ。
マリエルさんが俺たちへ頭を下げた。
「アレンさん、フェリシアさん。この子をよろしくお願いします」
「はい」
「私もルナと一緒に旅ができて嬉しいです」
「何かあったら遠慮なく叱ってください」
「母さん!」
フェリシアが小さく笑う。
「大丈夫ですよ」
今度は村長がルナを見る。
「外へ出れば、この森とは違うこともたくさんある。よく見て、よく学んできなさい」
「うん」
「それと、たまには帰ってくるんだぞ」
「分かってる」
ルナが少し照れたように答える。
「じゃあ、行ってきます」
村の人たちに見送られながら、俺たちは森の中へ歩き出した。
◇
しばらくはルナが先頭を歩いた。
朝の森にはまだ薄い霧が残り、木の葉についた雫が朝日に照らされている。
頭上では枝が重なり合っているが、時折その隙間から光が差し込み、濡れた地面を白く照らしていた。
昨日までならフェリシアと二人だった。
今はその少し前を、淡い金色の髪を揺らしながらルナが歩いている。
本当に三人になったらしい。
「そういえば、ずっと聞こうと思ってたんだけど」
ルナが歩きながら振り返る。
「何です?」
「二人って、何であんなに強いの?」
「何でと言われても……」
「昨日の魔物だよ。私の矢は弾かれたのに、アレンは普通に斬ったし、フェリシアの《魔弾》なんて外皮を砕いてたでしょ」
まだ気になっていたらしい。
「Aランクって、みんなあれくらいなの?」
「そんなことはないと思います」
フェリシアが答える。
「やっぱり?」
「俺たちもAランクになったばかりなので、他のAランクがどれくらいなのか詳しくは分かりませんけど」
「じゃあ、やっぱり二人がおかしいんじゃない」
「おかしいと言われると困るんですけど」
「普通じゃないって意味」
「それもあまり変わらない気がします」
フェリシアが笑った。
「ルナも十分すごいですよ。弓もそうですし、森の中では私たちよりずっと頼りになります」
「私はこの森で育ったからね」
「でも、最初に会った時もかなり離れた場所から三本とも急所に当ててましたよね?」
「あれはスキルのおかげもあるよ」
「スキル?」
俺もルナを見る。
そういえば、ルナが授与の儀でどんなスキルを得たのか聞いていなかった。
「私のスキルは《風読み》」
「風読み?」
「珍しいスキルらしいよ」
ルナが足を止めた。
「ちょうどいいから見せてあげる」
木々の隙間から見える空へ顔を向ける。
俺も同じ方向を見るが、枝と葉が揺れているだけだ。
「今、私たちの上は右から左に風が流れてる」
「葉っぱを見てるんですか?」
「違うよ。風そのもの」
「見えるんですか?」
「私にはね」
ルナがさらに遠くを指す。
「あの大きな木の辺りで少し下向きに流れて、その先でまた上に抜けてる」
かなり離れている。
俺には木の枝が重なって見えるだけだ。
「そんな遠くまで?」
「視界が通れば、もっと遠くまで見えるよ。森を出たらかなり先まで分かる」
「それで矢の軌道を?」
「そういうこと」
ルナが背中の弓を軽く叩く。
「遠くを狙う時は、途中の風が少し違うだけでも矢が流されるからね。
でも私には、矢が飛んでいく先まで風が見える」
「なるほど……」
あの射撃精度にも納得できる。
離れれば離れるほど風の影響は大きくなる。
それを射る前から読めるなら、弓使いとしてはかなり大きな利点だ。
「じゃあ、回復魔法もスキルのおかげなんですか?」
フェリシアが聞く。
「そっちは違うよ。母さんに教えてもらったの。解毒魔法も同じ」
「スキルじゃないんですね」
「うん。里には回復魔法を使える人が結構いるから。私も得意な方だけどね」
少し得意そうな顔をする。
昨日の治療を見れば、それは分かる。
「フェリシアは?」
今度はルナが聞いた。
「私ですか?」
「うん。何のスキルを持ってるの?」
「私のは全然珍しくないですよ。《魔力回復》です」
「どんなスキル?」
「使った魔力の回復が少し早くなります。魔術師が持っているスキルの中では、ごく普通のものですよ」
「でも便利そう」
「便利ではありますけど、《風読み》みたいな珍しいものではないです」
そういえば、フェリシアは冒険者になったばかりの頃から《魔弾》をかなりの回数撃てた。
元々の魔力が高いことに加えて、《魔力回復》もあったのかもしれない。
ルナが今度は俺を見る。
「じゃあ、アレンは?」
「俺は《会員》です」
「……会員?」
予想通りの反応だった。
「何それ?」
「俺も最初はそう思いました」
「本当にスキルの名前?」
「はい」
「何ができるの?」
どこから説明すればいいんだろう。
「簡単に言うと、Pを使って自分の能力を上げたり、新しいスキルを買ったりできます」
「…………」
ルナが黙った。
「今、変なこと言わなかった?」
「多分、聞こえたままで合ってます」
「スキルを買えるの?」
「はい」
「昨日使ってた《鑑定》も?」
「買いました」
「《収納》も?」
「買いました」
「じゃあ、剣があんなに強いのも?」
「《剣聖》を持ってます」
ルナの足が止まる。
「……剣聖?」
「はい」
「《剣聖》って、あの《剣聖》?」
「多分、その《剣聖》です」
「それも買ったの?」
「はい」
「…………」
ルナがじっと俺を見る。
「それ、どこがハズレスキルなの?」
「最初は何ができるのか分からなかったんです」
「今は?」
「かなり便利です」
「便利で済ませるスキルじゃないでしょ」
どこかで似たようなことを言われた気がする。
「あとは《共有》という能力もあります」
「まだあるの?」
「あります」
「《共有》って何?」
「俺の基礎能力の一部を、登録した人へ共有できます」
「能力を共有?」
「試した方が早いですね」
《会員》を開く。
【会員ランク:プラチナ】
【共有メンバー】
【フェリシア・ロート】
【空き:2】
今はフェリシア一人だけだ。
「ルナも登録していいですか?」
「私?」
「はい。これから一緒に旅をするなら、強くなった方が安全です」
「でも、アレンの力を私に渡すんでしょ? アレンは弱くならないの?」
「少し下がります。今は一人につき五%です」
「よくわからないけど、それ大丈夫なの?」
「大丈夫です」
フェリシアも頷く。
「本当に大丈夫ですよ。アレンさんの場合、五%くらい下がっても十分強いですから」
「フェリシアさんの言う通りです」
ルナが俺たちを交互に見る。
「……じゃあ、お願い」
ルナへ意識を向ける。
【共有候補】
【ルナ・アルヴェイン】
【共有メンバーに登録しますか?】
「登録する」
【対象者の同意が必要です】
「何か出ました?」
「出た!」
ルナが目の前を見つめる。
「何これ?」
「《共有》に同意するか聞かれていると思います」
「これを押せばいいの?」
「はい」
ルナが恐る恐る手を伸ばした。
【ルナ・アルヴェインが《共有》に同意しました】
【共有メンバーに登録しました】
【共有メンバー:2名】
【共有率:20%】
【会員本人負担率:共有メンバー1名につき5%】
【共有値】
【筋力:374】
【耐久:454】
【敏捷:564】
【魔力:702】
「……え?」
ルナが自分の身体を見る。
右手を握り、ゆっくり開いた。
「どうしました?」
「何これ……身体がすごく軽い」
試すように一歩踏み出す。
「うわっ!」
想像していたより身体が前へ出たらしく、慌ててもう一歩踏み込んで体勢を立て直した。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど……何なのこれ!? 身体が別人みたいなんだけど!」
「最初は動きに気をつけた方がいいですよ」
「それ先に言って!」
「すみません」
ルナが今度は慎重に拳を握る。
「力も全然違う。それに……」
胸元へ手を当てた。
「魔力まで増えてる?」
「はい。それも共有されます」
「ちょっと待って」
ルナが真剣な顔になる。
「自分がどれくらい変わったのか分からないの?」
「確認できますよ。《共有》メンバーになると、自分の能力情報を見られるようになります」
「どうやって?」
「自分の能力を見たいと思ってみてください」
ルナが目を閉じる。
すぐに目を開いた。
「出た……」
俺にも共有メンバー情報が表示される。
【名前:ルナ・アルヴェイン】
【筋力:20+374】
【耐久:22+454】
【敏捷:48+564】
【魔力:56+702】
「ルナ、元々かなり高いですね」
筋力と耐久でも一般的な成人の約二倍。
敏捷は四十八、魔力は五十六もある。
特に敏捷と魔力が高い。
「これでもBランクだからね」
ルナが少し得意そうに言う。
でもすぐに、自分の能力表示をもう一度見て表情が変わった。
「……待って」
「何です?」
「この右側の数字が、アレンから来た分?」
「はい」
「これが私の力になるの?」
「そうです」
ルナが黙る。
もう一度数字を見る。
「敏捷が五百六十四で、魔力が七百二……」
「はい」
ルナがゆっくり俺を見る。
「じゃあアレン本人、どれだけあるの?」
「ああ……」
そこに気づいたらしい。
「共有していない状態の基礎能力なら――」
【筋力:1,874】
【耐久:2,271】
【敏捷:2,824】
【魔力:3,512】
数字を読み上げる。
「こんな感じです」
「…………」
ルナが止まった。
「ルナ?」
「ちょっと待って」
「はい」
「敏捷が二千八百?」
「はい」
「魔力、三千五百?」
「そうですね」
「おかしいでしょ!」
森の中にルナの声が響いた。
「何でそんな数字になってるの!?」
「ポイントを使って上げました」
「だから、それで納得できると思う?」
「俺は毎日見てるので慣れました」
「慣れちゃ駄目でしょ!」
フェリシアが横で笑っている。
その声に気づいたルナが、今度はフェリシアを見る。
「待って。フェリシアも《共有》されてるの?」
「はい」
「同じだけ?」
「はい。今はそうです」
ルナがまた黙った。
「じゃあ昨日の《魔弾》……」
「《共有》の影響は大きいです。特に魔力は七百以上増えてますから」
「七百……」
ルナが額へ手を当てる。
「分かった。昨日、私の矢が通らなかった相手を二人が普通に攻撃できた理由」
「でも、フェリシアさんが強いのは《共有》だけじゃないですよ」
「アレンさん?」
「ずっと《魔弾》を練習してきましたし、魔力の扱いも自分でかなり上達しています」
フェリシアが少し嬉しそうにこちらを見る。
「……まあ、それは昨日見てても分かったけど」
ルナがフェリシアを見る。
「あの距離からあの威力で、狙った場所に当ててたもんね」
「ありがとうございます」
「でも七百は七百だからね?」
「それはそうですけど」
「やっぱり変だよ、《会員》」
どうやらルナから見ても、《会員》はかなりおかしなスキルらしい。
「あ、そうだ」
ルナが背負っている荷物を見て思い出した。
「《収納》も使えるようにしましょうか」
「……まだあるの?」
「俺が持っているスキルを、《共有》メンバーへ付与できるんです」
「ちょっと待って。まだ説明終わってなかったの?」
「はい」
「《会員》、能力多すぎない?」
「俺もそう思います」
《付与》を開く。
【スキル付与対象】
【フェリシア・ロート】
【ルナ・アルヴェイン】
「ルナも対象に出ています」
「本当に私にも使えるんだ……」
「旅をするなら《収納》が便利なので、まずこれを付与しておきます」
「そんな簡単に……」
ルナを選び、《収納》へ意識を向ける。
しかし、今まで見たことのない表示が現れた。
【《収納》は付与できません】
「……あれ?」
「どうしました?」
「できないみたいです」
「何で?」
表示が続く。
【《収納》はフェリシア・ロートへ付与されています】
【同一スキルの付与先は1名に限られます】
「そういう制限があったんですね」
フェリシアが言う。
「今まで同じスキルを二人に付与しようとしたことがありませんでしたからね」
「一つのスキルを付与できるのは一人だけか……」
《共有》できる人数が増えても、同じスキルを全員に渡せるわけではないらしい。
「じゃあ、《収納》は今まで通りフェリシアさんが使ってください」
「いいんですか?」
「はい。フェリシアさんが持っていて困ってませんし」
ルナが呆れた顔で俺を見る。
「いや、もう十分だから」
「何がです?」
「これ以上まだ何かくれるつもりだったの?」
「使えるものがあればと思ったんですけど」
「もう身体が別人みたいになってるんだけど」
ルナが自分の手を見る。
少しだけ握り、また開く。
「……こんなの、本当にもらっていいの?」
「これから一緒に冒険するんでしょう?」
「うん」
「だったら、三人とも強い方が安全です」
ルナは少し黙ったあと、ふっと笑った。
「やっぱり変な人」
「またそれですか?」
「でも、悪い意味じゃないよ」
そう言って、ルナが弓を背負い直す。
「この身体で矢を撃ったら、どれくらい飛ぶんだろ」
「いきなり全力で試さないでくださいね」
「分かってる。今までと同じ感覚じゃ絶対駄目だし」
「慣れるまでは練習した方がいいですね」
「うん。でも楽しみ」
ルナの声が少し弾んでいる。
やがて木々が少なくなり、森の中を通る道が見えてきた。
俺たちが数日前に歩いた南へ続く道だ。
フェリシアが俺の隣へ並ぶ。
「三人になりましたね」
「はい」
少し前では、ルナが風を確かめるように空を見上げている。
珍しい《風読み》を持つ弓使いで、回復魔法と解毒魔法も使えるBランク冒険者。
元々高かった身体能力には、今では《共有》まで加わっている。
まだ三人でどう戦うのが一番いいのかは分からない。
それはこれから考えればいい。
「二人とも、何してるの?」
前からルナが振り返る。
「置いてくよ」
「今行きます」
「行きましょう、アレンさん」
「はい」
三人で南へ歩き出した。
セルヴァン王国を目指す旅が、ここから本当に三人になった。
【保有:36,930P】
【累計獲得P:315,140P】
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