第93話 エルフの宴
翌朝。
朝食を終えたところで、マリエルさんの家を一人の年配のエルフが訪ねてきた。
長い銀色の髪を後ろでまとめている。
人間なら六十歳を超えているように見えるが、エルフの年齢は外見だけでは分からない。
「村長」
ルナが立ち上がる。
「朝からすまないね」
村長はルナへ軽く頷いたあと、俺とフェリシアを見る。
「アレン殿とフェリシア殿ですね。私はこの里の村長を務めているエルマーと申します」
「アレン・ヴァルディスです」
「フェリシア・ロートです」
俺たちが挨拶すると、村長は深く頭を下げた。
「この度は、本当にありがとうございました」
「頭を上げてください」
「いや、礼を言わせてほしい。昨日まで、なぜ村の者たちが次々に倒れるのか分かりませんでした。
このまま原因を突き止められなければ、さらに多くの者が同じ症状に苦しんでいたでしょう」
「でも、原因を探しに行ったのは三人です。ルナがいなかったら、森の奥まであんなに早く行けませんでした」
「治療もルナや村の皆さんがしたことです」
フェリシアも続ける。
「もちろん分かっています」
村長が穏やかに笑う。
「それでも毒の存在を見つけ、原因となった魔物まで突き止められたのは、お二人の力があったからこそです。
早期に解決できたのは間違いなく、お二人のおかげです」
「そう言ってもらえるなら」
「それに、今日も泉の水を調べてくださるそうですね」
「はい。原因は取り除きましたけど、本当に毒がなくなったのか確認してから出発したいので」
ルナが横から口を挟む。
「昨日も何回か調べてたのに?」
「一回大丈夫だったからって、安心するのは早いでしょう」
「慎重だね」
「また誰か倒れたら意味がないですから」
村長が静かに頷いた。
「では、もう少しだけ力を貸してください」
「もちろんです」
◇
午前中、ルナとフェリシアと一緒に村の泉へ向かった。
昨日まで毒ゴケの毒素が混じっていた水だ。
見た目には何も変わらない。
底にある小石まで見えるほど澄んでいて、これだけを見れば毒が入っていたとは思えなかった。
「ここから調べます」
木の器で水を汲む。
「《鑑定》」
【泉の水】
昨日まで表示されていた毒ゴケの毒素についての記述はない。
「毒の表示はありません」
「じゃあ、もう大丈夫?」
「今のところは。でも、まだ一日目ですからね」
「やっぱりまだ調べるんだ」
「念のためです」
村の中を流れる水路でも何か所か水を汲んで《鑑定》したが、結果はすべて同じだった。
【泉の水】
毒についての表示はない。
その日は一日、村の人たちに泉の水を飲まないようにしてもらった。
翌日も上流に近い場所、村の中央、水路の下流側と場所を変えて確認したが、毒の表示は一度も出なかった。
三日目も同じだった。
最後に村の泉から汲んだ水を《鑑定》する。
【泉の水】
「三日間、どこを調べても毒は出ませんでした。もう問題なさそうですね」
「やっと言った」
ルナが大きく息を吐く。
「これで泉の水を使えるね」
「少なくとも、毒ゴケの毒素はもう混じっていません」
「十分だよ」
近くで結果を待っていた村の人たちから、安堵の声が上がった。
泉の水を再び使えるようになったことは、すぐに村中へ伝わった。
体調を崩していた人たちも、解毒魔法と回復魔法のおかげで全員回復していた。
数日前まで寝込んでいた男が薪を運び、腕の痺れを訴えていた女性も普通に歩いている。
治療所の前では、寝込んでいた子供たちが森の中を走り回っていた。
「元気になりましたね」
フェリシアが嬉しそうに言う。
「はい」
その中の一人が俺たちに気づき、大きく手を振る。
「アレン兄ちゃん!」
「はい?」
「もう元気だよ!」
「よかったですね」
「うん!」
子供はそれだけ言うと、友達のところへ走っていった。
「アレン兄ちゃんだって」
ルナが隣で笑っている。
「何ですか?」
「別に。似合わないなと思って」
「ひどくないですか?」
「褒めてるんだけど?」
「どこがです?」
ルナが笑いながら先へ歩いていく。
数日前には大勢が寝込んでいた村とは思えない。
今度こそ、本当に問題は解決した。
◇
三日目の夕方。
「今夜、村のみんなで祝いをすることになったわ」
マリエルさんがそう言った。
「祝い?」
「泉が元に戻ったお祝い。それと、二人へのお礼も兼ねてね」
「そこまでしてもらわなくても」
「駄目」
ルナがすぐに言う。
「村長がもう決めたから」
「もう決まってるんですか?」
「決まってる」
「最初から断らせる気ないですよね?」
「ないよ」
日が落ちる頃、村の中央に大勢の人が集まり始めた。
木々の間に吊るされた灯りが一つずつ灯り、淡い橙色の光が巨木の幹や吊り橋を照らしている。
広場には長い木の机が何台も並べられ、その上へ料理が次々に運ばれてきた。
川魚の香草焼き、キノコをたっぷり使った煮込み料理、木の実を練り込んだパン、山菜と肉を炒めた料理。
見たことのない赤い果実まで並んでいる。
「すごいですね……」
フェリシアの視線が料理から動かない。
「フェリシアさん」
「何ですか?」
「もう料理しか見てませんよね?」
「そんなことないですよ」
「じゃあ、今何見てました?」
「……あの魚、美味しそうですね」
「やっぱり料理じゃないですか」
ルナが吹き出す。
「フェリシア、本当に食べるの好きだね」
「美味しいものは大事です」
「それ前にも聞いた」
やがて村長が広場の前へ出ると、賑やかだった声が少しずつ静かになった。
「皆、聞いてくれ」
村長の声が広場に響く。
「数日前、この村では原因不明の症状に倒れる者が相次いだ。
幸い、ここにいるアレン殿、フェリシア殿、そしてルナのおかげで原因を突き止めることができた」
集まった人たちが俺たちを見る。
「泉の水にも三日間、毒は見つかっていない。そして倒れていた者たちも全員回復した」
歓声が上がる。
「今夜はその祝いだ!」
さらに大きな声が広場に響いた。
村長がこちらを見る。
「アレン殿、フェリシア殿。本当にありがとう」
周囲から拍手が起こる。
「三人で解決したことですから」
「そうです。ルナが森を案内してくれなかったら、もっと時間がかかっていました」
フェリシアも頷く。
「二人とも……」
ルナが少し困ったような顔をする。
「もちろん、ルナにも感謝している」
村長が笑う。
「分かってるよ」
「ならいい」
村長が片手を上げた。
「では、始めよう!」
再び歓声が上がり、宴会が始まった。
◇
「これ、美味しいです!」
フェリシアが川魚を食べながら目を輝かせている。
「でしょ?」
ルナが得意そうに言う。
「川で今朝獲れたやつだよ」
「香草も合いますね」
「この辺で採れるやつ」
「これも食べてみていいですか?」
「好きなだけ食べれば?」
「ありがとうございます」
楽しそうだ。
俺も木の実を練り込んだパンを食べてみると、少しだけ甘みがあった。
「アレンさん、こっちも美味しいですよ」
「いただきます」
フェリシアから皿を受け取ったところで、一人のエルフが木の瓶を持ってやってきた。
「二人も飲むか?」
「何ですか?」
「酒だよ。この里で作ってる」
瓶の栓を抜くと、甘い果実の香りが漂ってきた。
「果実酒ですか?」
「森で採れる実を使ってる。祝いの時くらいしか出さない酒だ」
ルナが瓶を覗き込む。
「あ、それ出したんだ」
「珍しいんですか?」
「村のお祝いの時くらいしか飲まないよ」
男が俺たちの前へ杯を置こうとする。
「ありがとうございます。でも、俺たちは遠慮しておきます」
「飲まないのか?」
「はい」
フェリシアを見る。
「フェリシアさんもいいですよね?」
「はい。私も遠慮しておきます」
「せっかくなのに?」
ルナが聞く。
「旅の途中ですし、飲まなくても十分楽しめますから」
「真面目」
「悪いですか?」
「別に悪いとは言ってないよ」
ルナは自分の杯へ少しだけ酒を注いだ。
「ルナは飲むんですか?」
「今日はお祝いだからね」
一口飲み、満足そうな顔をする。
「美味しい?」
フェリシアが聞く。
「うん。甘いよ」
「少し気になりますね……」
「フェリシアさん?」
「飲みませんよ!」
慌てて首を振るフェリシアを見て、ルナがまた笑った。
宴会が進むにつれ、村の人たちが次々に俺たちのところへやってきた。
「あの時は本当に助かった」
「子供が元気になりました」
「原因が分からないままだったら、どうなっていたか……」
そのたびに俺たちは、ルナや治療をした村の人たちのおかげでもあると答えた。
昼間走り回っていた子供たちもやってくる。
「アレン兄ちゃん、剣見せて!」
「駄目」
「何で?」
「危ないからだよ」
「じゃあ持つだけ!」
「もっと駄目」
「けち!」
走り去っていく子供たちを見ていると、横でフェリシアとルナが笑っていた。
「そんなに面白かったですか?」
「ちょっとだけ」
「似合ってましたよ、アレンさん」
「何がです?」
「アレン兄ちゃん」
「フェリシアさんまで……」
しばらくして宴会が少し落ち着いた頃、ルナが俺たちの隣へ座った。
「ねえ」
「何です?」
ルナはしばらく広場を眺めていた。
笑っている村の人たち。
元気になった子供たち。
その向こうでは、マリエルさんが他のエルフたちと楽しそうに話している。
「あなたたち、いい人ね」
「急にどうしたんですか?」
「別に。ここ数日見てて思っただけ」
ルナがこちらを見る。
「村を助けてくれたのに、自分たちだけのおかげじゃないってずっと言ってるし、泉の水だって三日も残って調べてくれたでしょ」
「途中で帰って、また誰か倒れたら嫌ですから」
「そういうところだよ」
今度はフェリシアを見る。
「フェリシアも、知らない村のために当たり前みたいに森の奥まで来てくれた」
「困っている人がいたら、できることはしたいですから」
「うん」
ルナが少しだけ笑う。
「母さんが、私を一緒に連れていってほしいって二人に頼んだでしょ?」
「はい」
「私も外へ行きたいとは思ってた。でも、誰とでもいいから行きたかったわけじゃない」
ルナが一度言葉を止めた。
「二人と冒険したい」
フェリシアが少し目を見開く。
「俺たちと?」
「うん。セルヴァンも見てみたいし、その先にも行ってみたい。それに、二人と一緒なら面白そうだから」
「私は嬉しいです」
フェリシアがすぐに笑った。
「これからよろしくお願いします、ルナ」
「うん。よろしく、フェリシア」
二人がこちらを見る。
「アレンは?」
「もちろんです。一緒に行きましょう」
「じゃあ決まりね」
ルナが嬉しそうに笑った。
母親に頼まれたからではない。
ルナ自身が、俺たちと一緒に冒険したいと言った。
ベルガントを二人で出た旅は、これから三人になる。
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