第92話 泉の上流
翌朝。
朝食を済ませた俺たちは、泉へ流れ込む水の上流を調べるため、三人で村を出た。
先頭を歩くのはルナだ。
昨日村へ入ってきた道とは違い、今度は完全に森の中を進んでいる。
人が歩くための道はなく、木々の間には腰ほどの高さまで草が伸びていた。
「こっち」
ルナが迷うことなく進んでいく。
「道、ないですよね?」
「ないよ」
「それで分かるんですか?」
「ずっとこの森で育ってるからね。それに、水の流れを追えばいいだけでしょ」
ルナが少し離れた場所を指す。
木々の向こうから、水の流れる音が聞こえていた。
俺には《魔力感知》があるので、周囲に魔物がいるかどうかは分かる。
でも、道のない森を迷わず進むことに関してはルナの方が圧倒的に慣れている。
「そこ、滑るから気をつけて」
「はい」
言われた場所を見ると、落ち葉の下に濡れた岩が隠れていた。
俺には分からなかった。
森の中では本当に頼りになる。
細い水の流れに沿って東へ進む。
村の近くでは人の足首ほどの深さしかなかった水路も、上流へ向かうにつれて岩の間を流れる小川へ変わっていった。
水は相変わらず澄んでいる。
「一度調べてみます」
木の器に水を汲む。
「《鑑定》」
【泉の水】
【毒ゴケの毒素が混入している】
「まだ毒が入ってます」
「じゃあ、もっと上だね」
ルナが再び歩き始める。
しばらくすると、川辺の景色に変化が現れた。
「あれ、昨日見たのと似てませんか?」
フェリシアが水際の岩を指す。
黒っぽい緑色の苔が張り付いている。
しゃがんで確認する。
「《鑑定》」
【毒ゴケ】
【毒素を含む苔】
【通常は湿った岩場などに少量生える】
「毒ゴケで間違いありません。本来は少量しか生えないみたいです」
「少量って……」
ルナが上流を見る。
最初は岩の一部を覆っているだけだった毒ゴケが、進むにつれて明らかに増えている。
岩だけじゃない。
水際の倒木や木の根元にも黒緑色の苔が広がり、さらに先では川岸そのものが同じ色に染まり始めていた。
「こんなの、前はなかったよ」
「いつ頃まで?」
「一か月くらい前にもこの近くまで来たけど、その時は見なかった」
「一か月でここまで増えたんですか」
自然に増えただけとは思えない。
さらに上流へ進もうとしたところで、《魔力感知》に大きな反応が入った。
「止まってください」
ルナとフェリシアがすぐに足を止める。
「何かいるんですか?」
「前です。それも地面の下を動いてます」
「地面の下?」
ルナが弓へ手を伸ばす。
反応が近づいてくる。
「来ます!」
三人で左右へ飛んだ。
直後、地面が大きく盛り上がり、土と落ち葉を吹き飛ばしながら巨大な魔物が姿を現した。
「何これ……」
太く、長さは五メートル以上ある。
茶色と黒が混じった身体はいくつもの節に分かれ、表面は硬そうな外皮に覆われている。
その隙間から、濁った緑色の液体が垂れていた。
「《鑑定》」
【ポイズンワーム】
【毒を持つ大型魔物】
【地中を移動し、毒性の体液を周囲へ残す】
【体液の影響で周辺植物が変質する場合がある】
「こいつです」
「何が?」
「体液に植物を変質させる毒があるみたいです」
周囲を見る。
ポイズンワームが出てきた穴の周辺には、他の場所よりさらに大量の毒ゴケが広がっている。
「ここが一番多いですね」
「じゃあ、こいつのせいで……」
ルナも気づいたようだ。
「可能性はかなり高いです」
「だったら倒す!」
ルナがすぐに矢をつがえた。
弦を引き絞り、放つ。
ヒュッ!
矢は正確にポイズンワームの胴体へ飛んだ。
カンッ!
「え?」
硬い音を立てて矢が弾かれた。
外皮には傷一つついていない。
「硬っ……!」
ポイズンワームが身体を大きく捻り、俺へ向かって頭部を振り下ろす。
横へ避ける。
ドンッ!
さっきまで立っていた地面が大きくえぐれた。
「アレン!」
「大丈夫です!」
すぐに踏み込む。
剣へ魔力を流すと、刀身が青白い光を帯びた。
「はっ!」
振り抜く。
ザンッ!
硬い外皮ごと胴体が大きく裂け、緑色の体液が飛び散る。
「ギィィィィッ!」
ポイズンワームが甲高い声を上げた。
「…………」
ルナがこちらを見ている。
「どうしました?」
「私の矢じゃ傷一つつかなかったんだけど……」
「この剣、かなり良い剣なので」
「剣だけの問題じゃないでしょ、それ」
ポイズンワームが再び身体を持ち上げる。
「来ます!」
今度はフェリシアがミスリルロッドを向けた。
「《魔弾》!」
圧縮された魔力の塊が飛ぶ。
ドォンッ!
直撃した場所の外皮が砕け、巨大な身体が横へ吹き飛んだ。
「……え?」
ルナが今度はフェリシアを見る。
「今の何?」
「《魔弾》です」
「魔弾って、そんな威力だった?」
「フェリシアさんのはかなり強いです」
「かなりって……」
ポイズンワームが身体を起こす。
外皮の一部が大きく砕け、中の肉が露出していた。
それでもまだ動く。
身体を大きく震わせると、傷口から緑色の液体が周囲へ飛び散った。
「毒です!」
後ろへ下がる。
ほとんど避けたが、一滴だけ左腕にかかった。
「っ」
すぐに皮膚が痺れ始める。
「アレン!」
ルナが駆け寄ってきた。
「これくらいなら――」
「毒をなめちゃダメよ!」
強い口調で止められた。
ルナが俺の腕へ手をかざす。
「じっとしてて」
淡い緑色の光が広がり、痺れていた感覚が少しずつ戻ってくる。
その間にもポイズンワームがこちらへ身体を向けた。
「まずい!」
ルナが顔を上げる。
でも、その前にフェリシアが杖を向けていた。
「《魔弾》!」
再び魔弾が炸裂する。
ドォンッ!
ポイズンワームの頭部が横へ弾かれ、巨体が近くの木へ叩きつけられた。
「治療を続けてください!」
「分かった!」
ルナが俺の腕へ集中する。
柔らかな光に包まれ、残っていた痺れも消えた。
「もう大丈夫。でも、次はちゃんと避けてよ」
「ありがとうございます」
竜爪剣を握り直す。
ポイズンワームが身体を起こした。
フェリシアの《魔弾》を二発受け、外皮のかなりの部分が砕けている。
「しぶといですね」
「アレンさん!」
「はい!」
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
ポイズンワームが頭部を振り下ろしてきた。
今度は大きく避けず、横へ半歩だけずれて攻撃を外す。
そのまま竜爪剣を振り上げた。
ザンッ!
頭部が大きく斬り裂かれる。
さらに踏み込み、魔力を刀身へ流しながら頭部の付け根へ剣を振り抜いた。
硬い外皮も、今の竜爪剣なら問題なく斬れる。
刃が深く入り、そのまま巨体を断ち切った。
ポイズンワームが地面へ倒れる。
何度か大きく身体を震わせたあと、動かなくなった。
【ポイズンワームを討伐しました】
【5,000P獲得】
【保有:36,930P】
【累計獲得P:315,140P】
「……倒した」
ルナが呟く。
「終わりましたね」
ポイズンワームの死体を《収納》へ入れる。
ルナはまだ、さっき俺が斬った場所を見ていた。
「どうしました?」
「……二人って、本当にAランク?」
「冒険者証見せましたよね?」
「そうじゃなくて」
ルナが俺を見る。
「私の矢じゃ傷一つつかなかったのに、アレンはあの外皮を普通に斬ってたし……」
今度はフェリシアを見る。
「フェリシアの《魔弾》も何なの? あんな威力の《魔弾》、見たことないんだけど」
「私も前はこんなに強くなかったんです」
「前?」
「色々ありまして」
フェリシアが俺を見る。
ルナまでこちらを見る。
「何で二人とも俺を見るんですか?」
「何となくです」
「私も」
「それより、毒ゴケを何とかしましょう」
話を変える。
「誤魔化した?」
「行きますよ」
「絶対誤魔化したよね?」
ルナの声を聞きながら、さらに上流へ向かった。
◇
ポイズンワームが潜んでいた場所の先には、さらに大量の毒ゴケが広がっていた。
岩や倒木、水際の地面まで黒緑色に覆われている。
「これが全部、水に毒を流してたんですね」
「多分そうだと思います」
ルナがしゃがみ込み、毒ゴケを見る。
「これ、全部取るの?」
「水に触れているものだけでも取り除いた方がいいでしょうね」
「かなりあるよ?」
「三人でやりましょう」
直接触れないよう厚手の布を使い、岩から毒ゴケを剥がしていく。
そこで、ふと思った。
「これ、《収納》に入るかな」
「苔を?」
「採った薬草と同じ扱いなら入るかもしれません」
岩から剥がした毒ゴケに触れる。
「《収納》」
毒ゴケが消えた。
「入りましたね」
「毒ゴケまで入るの?《収納》ってとんでもないスキルね」
「岩に生えている状態では分かりませんけど、剥がして採取した後なら物として扱われるみたいですね」
「本当に便利……」
三人で作業を再開する。
剥がした毒ゴケは俺が順番に《収納》へ入れていった。これならその辺へ捨てて、別の場所を汚染する心配もない。
量は多かったが、三人なら作業は早い。
水に触れていた毒ゴケをほぼ取り除いたところで、さらに上流の水を汲む。
「《鑑定》」
【泉の水】
毒素の表示はない。
「上から流れてくる水は大丈夫です」
「本当?」
「はい」
ルナが大きく息を吐いた。
「よかった……」
「ただ、村までの水路にはまだ毒が残っているはずです」
「じゃあ、すぐには飲めないね」
「しばらく別の水を使って、水路の水が入れ替わるのを待った方がいいと思います」
「分かった。早く村に戻って伝えよう」
俺たちは来た道を戻った。
◇
村へ着くと、ルナはすぐにマリエルさんへ状況を説明した。
「原因は上流にいた魔物だったの?」
「多分ね。そいつの毒で毒ゴケが大量に増えて、水に毒が混じってたみたい。アレンたちが倒してくれた」
「三人で倒しましたよ」
「私はほとんど何もしてないけど」
「森を案内してくれたじゃないですか。それに俺も毒を治してもらいました」
「毒?」
マリエルさんの顔が変わる。
「大丈夫です。すぐルナに治してもらいました」
「もう……」
ルナが呆れたように俺を見る。
「だから毒をなめちゃダメって言ったでしょ」
「気をつけます」
「それより患者さんたちは?」
「まだ症状が残っている人がいるわ」
「そしたら治療しなきゃ」
ルナがすぐ建物の中へ入っていく。
俺とフェリシアも後を追った。
昨日から横になっている人たちの中には、まだ顔を赤くして苦しそうにしている者もいる。
ルナとマリエルさん、それから村にいる何人かのエルフたちが患者のそばへ集まった。
マリエルさんが一人の患者へ手をかざす。
白に近い淡い光が広がった。
ルナも別の患者の前へ座る。
「まず毒を抜くよ」
光が患者の身体を包んでいく。
しばらくすると、苦しそうだった男の呼吸が少しずつ落ち着き始めた。
「熱が下がってきてる!」
近くにいた女性が声を上げる。
「こっちも!」
あちこちから安堵の声が聞こえてくる。
解毒魔法で身体から毒を抜き、そのあとに回復魔法で弱った身体を治していく。
一人、また一人と顔色が戻っていった。
「……よかったですね」
隣にいるフェリシアが言う。
「はい。しばらく原因の泉の水を飲まなければ大丈夫そうですね」
昨日までは原因すら分からなかった。
このまま水を飲み続けていたら、もっと多くの人が倒れていたかもしれない。
でも、もう大丈夫そうだ。
奥を見る。
ルナが子供の手を握りながら回復魔法を使っている。
昨日初めて会った時は、生意気な弓使いだと思った。
今も生意気なのは変わらない。
でも、森のことをよく知っていて、弓の腕も高く、解毒や回復魔法まで使える。
頼りになる冒険者なのは間違いない。
しばらくして治療を終えたルナが、こちらへ歩いてきた。
「みんな大丈夫そう。毒が抜ければ、あとは回復魔法で治せるって」
「よかったです」
「……うん」
ルナは俺とフェリシアを見てから、少しだけ視線を逸らした。
「二人とも、ありがと。二人が来てくれなかったら、原因を見つけるのにもっと時間がかかってたと思う」
「俺たちもルナがいなかったら、森の奥まで行くのに苦労してましたよ」
「私もそう思います」
フェリシアが頷く。
「三人で解決したんです」
ルナが少しだけ目を丸くしたあと、笑った。
「……そっか」
原因は取り除いた。
患者たちも回復し始めている。
村を苦しめていた泉の異変は、これでようやく解決しそうだった。
【保有:36,930P】
【累計獲得P:315,140P】
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