第76話 ドラゴンの痕跡
翌朝。
俺とフェリシアは、ロゼッタ村の冒険者ギルド支所へ向かった。
昨日の受付嬢が待っていて、机の上に一枚の地図を広げる。
「こちらをお持ちください」
ロゼッタ村と、その北に広がる山々が描かれている。
今回の目撃地点には印がつけられていた。
「この辺りですね」
「はい。坑道へ続く道から、さらに北へ入った場所です」
地図を見る。
村からは、それなりに距離がある。
「分かりました」
地図を《収納》へ入れる。
「気をつけてください」
「はい。行ってきます」
俺たちはギルドを出た。
◇
村の北側から山へ向かう道に入る。
最初のうちは、鉱石を運ぶ荷車が通るため道幅も広く、きちんと整備されていた。
ただ、昨日まで狩りをしていた裏山とは方向が違う。
しばらく歩くと、建物も人の姿も見えなくなった。
「こっちの方が山深いですね」
「ですね」
道の両側には背の高い木が並んでいる。
鳥の声。
風で葉が擦れる音。
それ以外は静かだった。
一時間ほど進んだところで、ふと気づく。
「……フェリシアさん」
「はい」
「魔物、見ました?」
フェリシアが周囲を見る。
「いえ」
「俺もです」
昨日までいたゴブリンも、グレイウルフも、角ウサギすら見かけない。
《魔力感知》へ意識を向ける。
周囲の魔力を探る。
「どうです?」
「大きな反応はありません」
「やっぱり……」
フェリシアの声が少し低くなる。
「静かすぎませんか?」
「俺もそう思います」
昨日の裏山とは明らかに違う。
さらに北へ進んだ。
道は次第に細くなり、やがて人が歩ける程度になる。
その時だった。
前方の茂みが激しく揺れた。
「何か来ます」
ミスリルブレードへ手を掛ける。
フェリシアもミスリルロッドを構えた。
ガサガサッ!
飛び出してきたのは――。
「グレイウルフ?」
一体。
二体。
さらに三体。
灰色の狼型魔物がこちらへ走ってくる。
「来ます!」
剣を抜く。
でも。
「……え?」
先頭のグレイウルフは俺を見ても止まらなかった。
横を通り過ぎる。
二体目も。
三体目も。
俺たちには見向きもしない。
そのまま山を下る方向へ走り去っていった。
「襲ってこなかった……」
フェリシアが振り返る。
「俺たちから逃げたわけじゃないですね」
「じゃあ……」
二人でグレイウルフが来た方向を見る。
「何かから逃げてる?」
「たぶん」
さっきまでより、山が静かに感じた。
◇
さらに一時間ほど進んだ。
地図によれば、目撃情報があった辺りはもう近い。
「アレンさん」
フェリシアが足を止める。
「これ……」
道の脇。
土が大きくへこんでいた。
近づく。
「足跡?」
「だと思います」
俺の身体よりはるかに大きい。
三本の太い指のような跡があり、その先には深く土へ食い込んだ爪痕まで残っている。
しゃがんで確認した。
「こんなのが歩いてるんですか」
「ドラゴンなら、このくらいなんでしょうか」
「分かりません」
俺も本物のドラゴンを見たことはない。
足跡の横には折れた枝。
さらに先では、小さな木が根元から倒れていた。
「こっちにもあります」
少し離れた場所に、もう一つ足跡。
同じ形だ。
地図へ位置を書き込む。
「情報にあった場所と一致してますね」
「はい」
さらに少し進む。
今度は、何本もの木が黒く焦げている場所へ出た。
「これが……」
一本だけじゃない。
斜面の一部で、幹や枝が炭のようになっている。
近づいてみる。
すでに熱は残っていない。
「火事の跡には見えませんね」
フェリシアが周囲を見る。
「ここだけですからね」
焦げているのは一方向に偏っている。
山火事なら、もう少し広く燃えていてもおかしくない。
これだけでも十分不自然だ。
でも。
「もう少し先まで行ってみます?」
「はい」
俺たちはさらに山奥へ進んだ。
十分ほど歩いたところで、フェリシアが突然止まる。
「アレンさん」
「どうしました?」
「これ……さっきのとは違います」
見る。
一本の木の幹が黒く焼けている。
その後ろの草も一部だけ焦げていた。
さっき確認した場所とは離れている。
近づいた瞬間、焦げた匂いが鼻についた。
「匂いが強いですね」
「はい」
フェリシアが手を近づける。
「まだ少し温かいです」
「新しい?」
「たぶん、かなり」
つまり。
「今も、この辺りにいる可能性が高いですね」
「そう思います」
さっきまでとは違う緊張が走る。
◇
その先で、さらに痕跡を見つけた。
大きな獣の死骸。
鹿に似た魔物だった。
身体の半分近くがなくなっている。
「食べられたんでしょうか」
「たぶん」
周囲の地面には血の跡。
近くの土には、太い爪で抉られたような傷まで残っている。
フェリシアの顔から、さっきまでの軽い雰囲気が消えていた。
「アレンさん」
「はい」
「ここから先、もっと気をつけましょう」
「ですね」
《魔力感知》へ意識を向ける。
周囲の魔力を探る。
最初は何も感じない。
そのままゆっくり歩く。
五分。
十分。
そして。
「……待ってください」
俺は足を止めた。
「どうしました?」
「何かいます」
フェリシアも立ち止まる。
「どっちです?」
「北です」
山のさらに奥。
かなり距離があるはずなのに。
「大きい」
「魔物ですか?」
「分かりません」
「分からない?」
「こんな反応、今まで感じたことがないです」
ブラックキマイラも強い魔力を持っていた。
でも、今感じているものは違う。
遠い。
それなのに、そこに何かいるとはっきり分かる。
「戻りますか?」
フェリシアが聞く。
考える。
依頼は調査。
すでに足跡も焼け跡も見つけた。
しかも新しい痕跡まである。
ここで戻っても十分報告はできる。
でも、ドラゴンだと確定したわけじゃない。
「もう少しだけ」
「分かりました」
「姿が見えたら、それ以上は近づきません」
「はい」
慎重に進む。
道を外れ、木々の間を抜けた。
やがて山の斜面が急になる。
岩の多い場所まで来たところで、魔力の反応がさらに強くなった。
「近いです」
「どれくらい?」
「かなり」
声を落とす。
その時。
バサッ。
遠くから大きな音が聞こえた。
「……?」
もう一度。
バサッ。
風が来た。
木々の枝が大きく揺れる。
「上!」
フェリシアの声。
見上げる。
空を巨大な影が横切った。
「……っ!」
大きい。
前に戦ったストームワイバーンとは、比べものにならない。
赤い鱗。
長い尾。
太い脚。
巨大な翼が一度動くたび、空気そのものが押される。
「ドラゴン……」
フェリシアが呟いた。
本当にいた。
俺は岩陰へ身を寄せる。
フェリシアも隣へ入った。
ドラゴンはまだこちらに気づいていない。
「《鑑定》」
視界に文字が浮かぶ。
【レッドドラゴン】
【赤い鱗を持つ大型の竜種】
【高温の火炎を吐き、高い飛行能力を持つ】
「レッドドラゴン……」
「分かるんですか?」
「《鑑定》に出ました。高温の火炎を吐く大型の竜種だそうです」
フェリシアが息を呑む。
さっき見た焼け跡。
説明とも一致する。
間違いない。
あれを見れば、戦おうなんて考えは浮かばない。
ブラックキマイラとは違う。
空を飛んでいるだけなのに、身体が勝手に警戒している。
腰には新しいミスリルブレードがある。
昨日、岩を簡単に斬った剣だ。
でも、今は抜こうとも思わなかった。
レッドドラゴンが大きく翼を動かす。
そのまま山のさらに北側へ向かって飛んでいく。
「追いますか?」
フェリシアが小声で聞く。
すぐには答えなかった。
依頼はすでに達成できる。
姿を確認した。
種類まで分かった。
これ以上近づく必要はない。
「……いえ」
ミスリルブレードの柄から手を離す。
「戻りましょう」
「はい」
あれと戦うために来たわけじゃない。
新しい剣を手に入れたからといって、何でも斬れるわけでもない。
俺たちは来た道を戻り始めた。
その時。
山の向こうから――。
グオオオオオオオオッ!!
「っ!」
空気が震えた。
鳥が一斉に木々から飛び立つ。
足元の小石まで震えている。
フェリシアと顔を見合わせる。
あれがレッドドラゴン。
「急ぎましょう」
「はい」
俺たちは山を下り始めた。
まずはロゼッタへ戻って、このことを報告しないといけない。
この山に、本当にドラゴンがいることを。
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