第56話 幻惑の森
「アレン。こっちへ来い」
森の奥から、もう一度父上の声が聞こえた。
でも、父上がここにいるはずがない。
「やっぱり、この声は偽物です」
「知っている人の声だったのか?」
エリオットが聞く。
「父です。今はアルスレイン王国にいるので、ここにいるはずがありません」
「なら間違いないな」
エリオットが森の奥を見る。
「俺たちが知っている人間の声を聞かせる何かがいる」
木々の間を銀白色の粉がゆっくりと舞っている。
俺たちは口と鼻を濡らした布で覆ったまま、さらに奥へ進んだ。
◇
しばらく歩いたところで、先頭のノエルが突然足を止めた。
「待って」
「どうした?」
エリオットが聞く。
ノエルは右前方を見ている。
「……誰かいる」
俺もそちらを見る。
木。
草。
それ以外は何も見えない。
「どこですか?」
「あそこ。木の横に女の人が立ってる」
「俺には見えない」
ダリオが言う。
「私にも見えません」
フェリシアも首を振る。
ノエルだけが、何もない場所をじっと見ていた。
「ノエル」
エリオットが肩を掴む。
「こっちを見ろ」
「でも、あそこに……」
「俺たちには誰も見えてない」
ノエルの表情が変わった。
「……本当に?」
「ああ」
ノエルがもう一度森を見る。
「昔、一緒にパーティーを組んでた子なの。二年前に王都を離れたはずなのに……」
声だけじゃない。
姿まで見える。
「布をしてても駄目か」
ダリオが口元を押さえる。
「もう吸い込んでしまった分が影響してるのかもしれません」
フェリシアが言った。
「そうかもしれません」
俺は《魔力感知》へ意識を向ける。
銀白色の粉が多く舞っている場所ほど、あの異質な魔力も濃い。
「やっぱり、この粉だと思います」
「声も幻も?」
「たぶん。この粉に込められている魔力が、人に何か影響を与えてるんだと思います」
エリオットが周囲を見る。
「原因はかなり絞れたな」
少し考えた後、俺たちを見る。
「一度戻る手もある」
「戻る?」
「ああ。俺たちの任務には原因の特定も含まれてる。
完全には分かってないが、ここが危険なのは十分確認できた」
正しい判断だと思う。
Aランクの査定だからといって、無理に進む必要はない。
でも、地面にはBランク冒険者たちの足跡がまだ続いている。
「調査隊の人たち、まだ生きてるかもしれません」
エリオットが俺を見る。
「そうだな」
「ここまで来たなら、もう少しだけ探したいです」
しばらく考えた後、エリオットが頷いた。
「分かった。ただし条件をつける」
「条件?」
「次に誰かが、自分の見ているものを疑えなくなったら撤退する」
「分かりました」
「何が聞こえても、一人で動くな。必ず他の誰かに確認しろ」
全員が頷いた。
「進もう」
◇
奥へ進むにつれて、銀白色の粉は明らかに増えていった。
葉。
木の幹。
地面。
あちこちに薄く積もっている。
《魔力感知》でも、森に混じっている何者かの魔力が徐々に強くなっていた。
「近づいてる気がします」
「何に?」
「この魔力を出してる何かにです」
エリオットが剣の柄へ手を置く。
「全員、警戒しろ」
ノエルが足跡を追う。
「こっち」
草をかき分け、さらに進む。
やがて木々の間が少し開けた。
「……何だ、あれ」
ダリオが呟いた。
白いものがあった。
一つじゃない。
木の枝や幹の間に、大きな繭のようなものがいくつもぶら下がっている。
「繭?」
フェリシアが近づこうとする。
「待って」
俺も警戒しながら進んだ。
人より少し大きい。
白い糸のようなものが何重にも巻かれている。
その一つに、小さな隙間があった。
「……え?」
中に顔が見える。
「人です!」
駆け寄る。
白い糸の中に男がいた。
目を閉じたまま動かない。
「生きてる?」
フェリシアが近づき、繭の中に手を伸ばし首元に手を当てる。
「脈があります」
「生きてるのか!」
ダリオが声を上げた。
「こっちにも!」
ノエルが別の繭を見る。
その中にも人。
さらに奥にも。
一つ。
二つ。
三つ。
十を超えている。
「商隊の人たち?」
「それだけじゃない」
エリオットが一つの繭を見ていた。
中の男が身につけている防具。
胸元に冒険者ギルドの印がある。
「調査隊だ」
「Bランクの?」
「ああ」
四人。
全員いる。
フェリシアが順番に確認していく。
「全員、生きてます」
エリオットが小さく息を吐いた。
「よかった」
商人らしい人。
旅人。
調査隊。
一か月前に消えた人間もいるはずだ。
「どうして、まだ生きてるんでしょう」
俺は繭へ《魔力感知》を使う。
「この糸にも魔力があります」
「粉と同じ?」
「少し違います」
フェリシアが繭の中の男を見る。
「呼吸も脈もかなりゆっくりです」
「眠らせてる?」
ノエルが言う。
「すぐに殺すんじゃなくて、こうして保存してるのかもしれないな」
エリオットの言葉に、全員が繭を見る。
あとで食べるために生かしておく。
そう考えれば、一か月前に消えた人間が生きていることにも説明がつく。
「まず助けましょう」
俺が炎牙剣へ手を伸ばす。
「待て」
エリオットが止めた。
「中の人まで斬るなよ」
「分かってます」
「ノエル、糸の薄い場所を見てくれ。フェリシアは中の人の位置を確認して」
「分かった」
「はい」
ノエルが繭の周囲を見る。
「こっちなら薄い」
「身体からも離れてます」
フェリシアが言う。
「じゃあ、切ります」
炎牙剣を抜く。
火は使わない。
白い糸だけを慎重に斬っていく。
何度か刃を入れると、繭が開いた。
中の男が倒れそうになる。
「おっと」
ダリオが受け止めた。
「意識は?」
「まだ戻りません。でも呼吸は安定してます」
フェリシアが答える。
「全員連れて帰れるか?」
ダリオが周囲を見る。
十人以上いる。
俺の《収納》は生物を入れられない。
「この人数は厳しいですね」
「まずは一人ずつ状態を確認しよう」
エリオットが言う。
「一度に全員出したら、何か来た時に守りきれない」
その時だった。
バサッ。
大きな音がした。
全員が止まる。
「今の……」
バサッ。
今度はもっと近い。
羽音。
「上!」
ノエルが叫んだ。
見上げる。
木々のさらに上で、大きな影が動いた。
次の瞬間。
銀白色の粉が大量に降ってくる。
「離れろ!」
エリオットの声。
全員が繭から距離を取った。
俺は《魔力感知》を使う。
「……これだ」
今まで森全体に薄く広がっていたものと、まったく同じ魔力。
それが頭上から強く感じられる。
「上にいます!」
木の枝が大きく揺れた。
バサッ!
巨大な羽が開く。
「何だ、あれ……」
ダリオが見上げる。
巨大な蛾だった。
羽を広げれば五メートル近くある。
銀白色の羽から、絶えず粉が舞い落ちている。
赤黒い複眼がこちらを見下ろしていた。
「……ファントムモス」
エリオットが呟く。
「知ってるんですか?」
「ああ。幻惑の鱗粉を撒く魔物だ」
「じゃあ、やっぱりあの粉が?」
「間違いない」
エリオットが剣を構える。
だが、すぐに表情が険しくなった。
「まずいな」
「何がです?」
「ファントムモスは、まともに討伐するならAランクパーティーが必要な魔物だ」
「Aランク……」
「幻惑を受けながら戦わなきゃならない。しかも、こいつは俺が知ってる個体より明らかに大きい」
エリオットが周囲を見る。
助け出した男。
まだ繭に包まれた十人以上の人たち。
そして頭上のファントムモス。
「撤退する」
「え?」
「査定どころじゃない。俺たちは全員Bランクだ。
救出できた一人を連れて戻って、Aランクの討伐隊を呼ぶ」
誰も反論しない。
正しい判断だ。
俺もそう思う。
でも。
頭上でファントムモスが羽ばたく。
銀白色の粉が一気に広がった。
それを見て、ふと思った。
「フェリシアさん」
「はい?」
「魔弾を一発、あの粉が濃いところへ撃ってもらえますか?」
「ファントムモスじゃなくて?」
「はい。粉の中を通す感じで」
「分かりました」
フェリシアが杖を向ける。
「《魔弾》!」
青白い光が飛んだ。
銀白色の粉の中を突き抜ける。
「……あ」
魔弾が通った場所。
そこだけ粉が大きく乱れた。
一瞬だが、銀白色の粉が左右へ散っている。
「アレン?」
エリオットが俺を見る。
「これ、使えるかもしれません」
「何をするつもりだ?」
「この魔物が強いのって、鱗粉で幻惑されるからですよね?」
「それだけじゃないが、大きな理由ではある」
フェリシアを見る。
「フェリシアさん。さっきみたいに五発同時に出せますよね?」
「できます」
「敵に当てなくていいです。俺たちの周りと、ファントムモスまでの間に魔弾を何発も通してください」
「粉を散らすんですか?」
「はい」
森全体から消す必要はない。
戦う場所だけ。
俺がファントムモスへ近づくまでの間だけ、鱗粉を薄くできればいい。
「でも、すぐまた撒かれるぞ」
エリオットが言う。
「その前に倒します」
「……簡単に言うな」
「俺一人じゃ無理です」
エリオットを見る。
「だから、みんなでやりませんか?」
エリオットが俺を見る。
次にフェリシア。
ダリオ。
ノエル。
最後に、頭上のファントムモスを見た。
「……本当にいけると思ってるのか?」
「やってみる価値はあると思います」
しばらく沈黙した後。
エリオットが剣を握り直した。
「分かった」
「いいんですか?」
「ただし、一度やって無理だと思ったら即撤退だ」
「はい」
「Aランクの査定で死んだら笑えないからな」
エリオットが笑う。
「作戦を聞かせてくれ」
頭上でファントムモスが再び羽ばたいた。
銀白色の鱗粉が舞う。
俺は炎牙剣を抜いた。
累計獲得P=93,145P
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




