第49話 故郷
ベルガントを出てから数日後。
乗合馬車が緩やかな坂を越えたところで、御者が前を指した。
「ここからヴァルディス領だ」
街道の脇に、領境を示す石柱が立っている。
窓の外を見る。
街道が伸び、その両側には畑が広がっていた。
特別なものがあるわけじゃない。
それでも見覚えがある。
遠くの低い丘も、街道沿いに並ぶ木々も、昔から見ていた景色だ。
「入ったんですね」
隣に座るフェリシアが言った。
「はい」
「どうですか?」
「思ってたより普通です」
「普通?」
「もっと色々思い出すかと思ってました」
家を追い出された時のこと。
《剣聖》を授かったカイルに負けたこと。
父上に言われたこと。
領内へ入れば嫌でも思い出すと思っていた。
でも、実際に戻ってみると、目の前にあるのは昔と変わらない景色だった。
「あの辺りも昔から畑でしたし、あっちの丘も覚えてます」
窓の外を指す。
「子供の頃、この辺りにも来たんですか?」
「何度か。領内を移動する時に通りました」
馬車が街道を進んでいく。
畑で働く人がいて、荷車がすれ違う。遠くでは子供たちが走っていた。
俺がいなくなった後も、この場所では普通に時間が流れている。
当たり前のことなのに、少しだけ不思議だった。
「アレンさん、ずっと外見てますね」
「久しぶりなので」
「やっぱり気になります?」
「少しは」
フェリシアも窓の外を見る。
「私は初めてです」
「そうですよね」
「知ってる場所があったら教えてください」
「通ったことがあるところくらいしか分かりませんよ」
「それで十分です」
そんな話をしているうちに、馬車は領内の町へ入った。
◇
「ここで休憩だ!」
御者の声で、乗客たちが馬車を降りていく。
俺たちも外へ出た。
ここにも見覚えがある。
大きな町ではないが、街道沿いにあるため宿や食堂が多い。
「どこか入りましょうか」
「そうですね」
馬車から近い食堂へ入った。
店内には旅人や商人が何人もいる。
空いている席へ座り、肉と野菜を煮込んだ料理とパンを頼んだ。
「おいしいですね」
「昔もこういう料理だった気がします」
「ここに来たことあるんですか?」
「子供の頃に何度か。でも、味までは覚えてません」
食事を続けていると、近くの席から話し声が聞こえてきた。
「カイル様はまだ戻ってこないのか?」
手が少し止まった。
「まだアルスレイン王国だろ。侯爵様と一緒に向こうへ行ってるって聞いたぞ」
「第一王女殿下の護衛だったよな」
「ああ。《剣聖》がいるんだ。これ以上ない護衛だろ」
カイルの話だ。
父上も、まだアルスレイン王国にいるらしい。
「カイル様が戻ってきたら、また盛大に迎えるんだろうな」
「当然だろ。ヴァルディス家から《剣聖》が出たんだ。領民としても誇らしいさ」
昔なら、その言葉を聞くだけで色々考えていたかもしれない。
でも今は違う。
カイルはカイルで、《剣聖》として自分の役目を果たしている。
それだけだ。
向かいに座るフェリシアが俺を見た。
「大丈夫ですよ」
小さな声で答える。
その時、別の男が会話に加わった。
「《剣聖》といえば、ドラン帝国との戦争でもすごい話があっただろ」
「ああ。敵にも《剣聖》がいたってやつか?」
「そのうち一人を若い冒険者が倒したらしい」
「名前、何だった?」
「確か……アレン・ヴァルディス」
フェリシアと目が合った。
「ヴァルディス?」
「カイル様と同じじゃないか」
「侯爵家と何か関係あるのか?」
「そこまでは知らん。ただ、まだかなり若いらしいぞ」
俺の噂だけが、先に故郷へ戻ってきていたらしい。
もちろん、誰もその本人がすぐ近くに座っているとは思っていない。
「有名ですね」
フェリシアが小声で言った。
「やめてください」
「本当のことじゃないですか」
「本人が聞くと変な感じなんですよ」
フェリシアが少し笑った。
周囲の話題は、そのまま戦争の話へ移っていく。
俺たちも食事を終えた。
店を出ながら、さっきの話を思い返す。
カイルは《剣聖》として自分の道を進んでいる。
俺にも俺のやることがある。
王都へ行って、Aランクを目指す。
今はそれでいい。
◇
休憩が終わり、再び馬車へ乗った。
町を出ようとしたところで、馬車が止まる。
「何です?」
「この先へ出る馬車の確認だ」
御者が答えた。
数人の領兵が荷物と乗客を順番に確認している。
やがて俺たちのところへ、一人の年配の領兵がやってきた。
「冒険者か?」
「はい」
「冒険者証を見せてもらえるか?」
「分かりました」
二人で冒険者証を出す。
領兵は先にフェリシアのものを確認し、それから俺の冒険者証を見た。
その動きが止まった。
「……アレン・ヴァルディス?」
「はい」
領兵が顔を上げる。
俺を見る。
そして、もう一度冒険者証へ目を落とした。
「もしかして……」
俺もその顔を見る。
見覚えがある。
屋敷で何度か見かけたことがある人だ。
領兵の表情が変わった。
「アレン様?」
「え?」
「やはり、アレン様ですよね?」
周囲にいた領兵たちがこちらを見る。
「知ってる人ですか?」
フェリシアが聞く。
「屋敷で見たことがあります」
年配の領兵が一歩近づいた。
「以前、侯爵家の屋敷で門衛をしておりました」
「やっぱり」
「本当にアレン様だったとは……」
領兵の視線が俺の装備へ移る。
腰には炎牙剣。
身体にはブラックスチールリザードの軽鎧。
そして手にしている冒険者証には、Bランクと記されている。
「Bランク……」
「今は冒険者をしています」
「では、もしかして……」
領兵が息を呑む。
「ドラン帝国との戦いで《剣聖》を倒したアレン・ヴァルディスというのは……」
「俺です」
領兵が何も言わなくなった。
家にいた頃、俺は《剣聖》を得たカイルに敗れ、その後、家を追い出された。
その俺がBランク冒険者になり、敵の《剣聖》を倒したと聞けば、驚くのも無理はない。
「お戻りになったのですか?」
「いえ」
首を振る。
「王都へ行く途中です。この領地は通るだけです」
「そう……なのですか」
「父上とカイルも、まだアルスレイン王国にいるんですよね?」
「はい。侯爵様とカイル様は、まだ向こうにいらっしゃいます」
食堂で聞いた話は本当だったらしい。
「なので、そのまま王都へ向かいます」
「しかし、アレン様が領内に入られたとなれば……」
「俺はもう屋敷へ戻るつもりはありません」
領兵が言葉に詰まった。
「ですが、侯爵家へ報告しないわけにはいきません」
「俺がここにいたことを?」
「はい」
別に隠しているわけではない。
知らせるなと言うつもりもなかった。
「分かりました。でも、俺たちはこのまま王都へ向かいます」
「屋敷へは寄られないのですか?」
「そのつもりはありません」
領兵は何か言いたそうだったが、やがて冒険者証を返した。
「承知しました。お引き止めして申し訳ありません」
「いえ」
馬車が再び動き出す。
窓から後ろを見ると、さっきの領兵が若い兵士に何かを伝えていた。
若い兵士はすぐに馬へ飛び乗る。
「どこへ行くんでしょう?」
フェリシアも後ろを見ていた。
「たぶん、屋敷じゃないですか?」
兵士が馬を走らせていく。
向かったのは、ヴァルディス家の屋敷がある方角だった。
「通るだけのつもりだったんですけどね」
「そう簡単にはいかなそうですね」
「みたいです」
俺たちを乗せた馬車は、そのまま王都へ続く街道を進んでいく。
俺がヴァルディス侯爵領へ戻ってきたことは、もうすぐ屋敷にも伝わる。
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