第179話 南の海へ
翌朝。
宿の一階へ下りると、ルナとフェリシアが先に朝食を食べていた。
「アレン、おはよう!」
「おはよう」
「よく眠れた?」
フェリシアに聞かれて、少し考える。
「うん。夜中に目は覚めたけど、また眠れたよ」
「よかった」
俺が席に座ると、ルナが待ちきれない様子で身を乗り出した。
「ねえ! 昨日の話なんだけど!」
「うん?」
「やっぱり海に行こうよ!」
「海か」
「私、一度も見たことないんだもん!」
ルナの目が輝いている。
「フェリシアは?」
「アンカルジアも気になるけど、私も海を見てみたいな。港町なら珍しい魔道具もありそうだし」
「決まりだね!」
俺も異論はなかった。
「じゃあ、南へ行こう」
「やった!」
「ワフ!」
「キュ!」
テリーとステフまで声を上げた。
とはいえ、どこを目指せば海が見られるのか分からない。
朝食のあと、宿の主人に尋ねることにした。
◇
「南の海を見たいのかい?」
「はい」
「それならシリング公爵領だな。海洋貿易も漁業も盛んだし、塩もたくさん作っている」
「塩って、海で作れるんですか?」
ルナが驚く。
「ああ。海の水はしょっぱいからな。水を蒸発させて塩を取るんだ」
「へえ!」
「初めて行くなら、南西のミナリアがいい。外国の商船も集まる大きな港町だぞ」
「ミナリア……」
フェリシアが名前を繰り返す。
「ここからどれくらいですか?」
「歩いて十五日くらいだな」
「十五日かあ」
ルナが指を折り始めた。
宿の主人は簡単な地図を広げた。
「今いるバレインはセレド領だ。南下してハーシュハイザー伯爵領を越えれば、シリング公爵領に入る」
「途中に大きな町はありますか?」
「街道沿いに宿場町がある。そうそう、ハーシュハイザー領の西には王都があるぞ。西へ分かれる道を間違えないようにな」
「王都もあるんだね!」
ルナが地図を覗き込む。
「今回は海だよ」
主人は笑いながら、ミナリアへ続く道を指でなぞった。
「港に近づくと魚や塩を積んだ荷馬車が増える。道は分かりやすいはずだ」
「ありがとうございます」
俺たちは旅支度を整え、バレインを出発した。
◇
南へ続く街道は、畑や牧草地の間を通っていた。
「十五日もあったら、ステフもいっぱい飛べるようになるかもね!」
ルナが言った。
「キュ!」
ステフが小さな翼を動かし、ふわりと浮かぶ。
以前から俺の頭より高く飛べるようにはなっていた。
ただ、遠くまで飛び続けるのはまだ苦手だ。
「海の上も飛べるようになるかな?」
「まずは陸の上で長く飛べるようになってからだね」
フェリシアが笑う。
「ステフ、あそこの木まで行ける?」
「キュ!」
ルナが指差すと、ステフは羽ばたきながら飛び出した。
ところが途中で高度が下がり、草の上にぽすんと着地した。
「惜しい!」
「キュウ……」
「大丈夫だよ。昨日より遠くまで飛べたじゃん!」
ステフは気を取り直し、また羽を広げた。
「ワフ!」
今度はテリーが駆け出した。
ステフが上から追いかける。
「二匹とも元気だなあ」
「仲がいいよね」
フェリシアが笑った。
そのまましばらく二匹の追いかけっこが続いた。
◇
旅を始めて数日。
俺たちはセレド領を抜け、ハーシュハイザー伯爵領に入った。
道中、また眠れない夜もあった。
朝になって《全回復》を使ったのは三回。
一回五百Pだから、合わせて千五百Pだ。
エルフの里で眠れた夜は嬉しかった。
でも、まだ戦場のことを思い出してしまう。
今夜は眠れるだろうか。
そんなことを考える自分が、少し嫌だった。
◇
六日目の昼過ぎ。
林に挟まれた街道を歩いていると、前方から怒鳴り声が聞こえた。
「荷物を出せ!」
「勘弁してください! これを取られたら……!」
俺たちは足を止めた。
街道の先に荷馬車が三台。
その周りを、武器を持った男たちが取り囲んでいる。
盗賊だ。
数は五人。商隊の人たちは馬車の脇に集められていた。
「アレン」
フェリシアが俺を見る。
「うん。助けよう」
そう言ってから、自分の手に目がいった。
剣を抜けば、あの人たちは簡単に倒せる。
でも。
「……今回は、誰も斬らない」
「うん」
ルナがすぐに頷いた。
「私もそうする」
フェリシアも杖を構える。
「テリーとステフは、無理しないでね」
「ワフ!」
「キュ!」
俺たちは街道へ出た。
「おい!」
一人の盗賊がこちらを振り返る。
「何だ、お前ら!」
「その人たちを放してください」
「はあ? 何言ってやがる!」
男が剣を抜いた。
その刃を見た瞬間、戦場の光景が頭をよぎった。
血のついた剣。
倒れた兵士。
「アレン!」
ルナの声で我に返る。
盗賊が走ってきた。
俺は剣を抜かなかった。
振り下ろされた刃を横へかわし、男の手首を掴む。
「うわっ!」
腕をひねると、剣が地面に落ちた。
足を払って倒し、そのまま地面に押さえつける。
「動かないでください」
「ぐっ……!」
すぐに次の男が向かってくる。
「《魔弾》!」
フェリシアの魔弾が男の足元に着弾した。
「うおっ!」
男がひるんだところへ、テリーが飛び出す。
「ワフッ!」
「なっ、何だ!?」
テリーは勢いよく男の横へ回り込み、逃げ道を塞いだ。
男が反対側へ向き直る。
その隙に俺が近づき、武器を奪った。
「よし、テリー!」
「ワフ!」
テリーが尻尾を振る。
上手い。
ただ走り回っているわけじゃない。相手の動きを見て、行く手を塞いでいる。
その時、馬車の向こうから悲鳴が聞こえた。
「助けて!」
商人の一人が、盗賊に刃物を突きつけられていた。
「近づくな!」
盗賊が叫ぶ。
俺が動けば、商人が傷つくかもしれない。
どうする。
「キュッ!」
頭上で声がした。
ステフだ。
馬車の上を越えて、盗賊の背後まで飛んでいる。
いつもよりずっと長い距離だ。
「何だ!?」
盗賊が上を見た。
「キュウウッ!」
ぼっ。
小さな炎が、男の足元の土を焦がした。
「うわっ!」
男が思わず後ろへ飛び退く。
商人から刃物が離れた。
今だ。
俺は一気に距離を詰める。
男の腕を掴んで刃物を奪い、地面へ押さえつけた。
「離せっ!」
「暴れないでください!」
残った二人は逃げようとしたが、ルナの放った矢が前方の地面に突き刺さった。
「次は止まって!」
「ひっ!」
足を止めた二人を、俺とフェリシアで取り押さえた。
◇
盗賊五人を縄で縛り、商隊の人たちの無事を確かめる。
怪我をしている人はいたが、命に関わるほどではなかった。
「ありがとうございます!」
商隊を率いていた男が、何度も頭を下げる。
「本当に助かりました。もう駄目かと思いましたよ」
「皆さん無事でよかったです」
「それに……盗賊たちも、生きてるんですね」
「はい。あとは衛兵に引き渡しましょう」
盗賊たちは縛られたまま、おとなしくしていた。
その姿を見て、胸の奥が少し軽くなった。
俺は自分の手を見る。
さっきまで戦っていた。
でも、血はついていない。
人を助けた。
誰も殺さずに。
「アレン?」
フェリシアが近づいてきた。
「大丈夫?」
「……うん」
もう一度、盗賊たちを見る。
全員、生きている。
「剣を抜かなくても、助けられたね」
俺が言うと、フェリシアが頷いた。
「うん」
ルナもやって来た。
「テリーもステフも頑張ったよ!」
「ワフ!」
「キュ!」
「本当に助かった。ありがとう」
二匹の頭を撫でる。
ステフは得意そうに翼を広げ、テリーは尻尾を大きく振った。
その後、商隊と一緒に近くの宿場町へ向かい、盗賊たちを衛兵に引き渡した。
◇
その夜。
宿の寝台に横になる。
目を閉じると、昼間の盗賊たちの顔が浮かんできた。
剣を持って向かってきた男。
商人に刃物を突きつけていた男。
戦場のことも、少し思い出した。
「……」
だけど今日は、そこから先が違った。
テリーが盗賊の行く手を塞いだこと。
ステフが馬車を越えて飛んだこと。
ルナとフェリシアが、俺に合わせて戦ってくれたこと。
そして、無事に帰っていった商隊の人たち。
「……守れたんだな」
人と戦うことになっても、必ず殺さなければならないわけじゃない。
もちろん、いつでも今日のようにできるとは限らない。
それでも、こういう戦い方もある。
俺は自分の手を眺め、それから目を閉じた。
◇
「……ん?」
翌朝。
窓から光が差し込んでいた。
眠れた。
しかも、夜中に目が覚めた記憶もない。
「……よし」
身体を起こす。
今日は《全回復》を使わなくても大丈夫そうだ。
朝食の席でそのことを話すと、二人とも嬉しそうに笑った。
「よかったね、アレン!」
「うん」
「じゃあ、今日も海を目指して出発しようか」
フェリシアが言う。
「そうだね」
俺たちはまた南へ歩き始めた。
◇
旅の九日目。
街道は西と南に分かれていた。
「西へ行くと王都だって」
道標を読んだフェリシアが言う。
「セルヴァンの王都かあ」
ルナが西の道を見る。
「ちょっと行ってみたいね」
「でも、海が先でしょ?」
「もちろん!」
ルナは迷わず南を指差した。
俺たちは笑いながら南の道へ進んだ。
十日目にはシリング公爵領へ入った。
街道には魚や塩を積んだ荷馬車が増え、宿場町でも干物を売る店が目につくようになった。
ある日、休憩中にステフが翼を広げた。
「キュ!」
ふわりと浮かび、街道脇の畑の上を進んでいく。
前なら、あの辺りで一度着地していた。
でも、今日は違った。
「……あれ?」
ステフはそのまま遠くの木まで飛び、くるりと向きを変えた。
「キュウ!」
羽ばたきながら、こちらへ戻ってくる。
「すごい!」
ルナが手を振った。
「ステフ! 戻ってこられたね!」
「キュ!」
ステフは俺たちの前に降り立ち、得意そうに胸を張った。
「これなら海の上も少しは飛べるかもね」
フェリシアが笑う。
「でも、岸から離れすぎないようにしないと」
「うん!」
テリーも負けじと走り出した。
「ワフ!」
「テリーもすごかったよね。盗賊の動きをちゃんと見てたもん」
ルナに褒められ、テリーは嬉しそうに尻尾を振った。
二匹とも少しずつ成長している。
そういえば、盗賊に襲われた商隊を助けた夜から、俺は《全回復》を一度も使っていない。
戦場の記憶が消えたわけじゃない。
それでも夜には眠れる。
今は、それが嬉しかった。
◇
十五日目。
俺たちはミナリアへ向かう街道を歩いていた。
「もうすぐなんでしょ?」
ルナが何度目かの質問をする。
「今日中には着くはずだよ」
フェリシアが答えた。
街道は緩やかな丘へ続いている。
坂を登るにつれて、いつもとは違う匂いがしてきた。
「……何だろう?」
ルナが鼻を動かす。
「海の匂いじゃない?」
「海って匂いがするの?」
「私も初めてだから、分からないけど」
フェリシアが笑う。
丘の上に着いた。
「……あ」
ルナが立ち止まる。
俺も足を止めた。
目の前に青い水が広がっていた。
どこまでも。
遠くには空と水の境目があるだけだ。
「……これが海?」
俺が呟くと、ルナが大きく息を吸った。
「海だー!」
「ワフ!」
「キュ!」
テリーが跳ね、ステフがふわりと浮かび上がった。
「すごいね……」
フェリシアも海を見つめている。
陽光を受けて、水面がきらきらと輝いていた。
丘の下には大きな町がある。
港には何隻もの船が停まり、その向こうにも小さな帆が見えた。
「あれがミナリアかな?」
「きっとそうだね」
「早く行こうよ!」
ルナが歩き出しかける。
「ちょっと待って」
「どうしたの?」
「もう少し、ここから見ていたいな」
俺が言うと、ルナは振り返った。
「……うん!」
三人で並んで海を見る。
しばらくして、ステフが風に乗るように羽ばたいた。
俺たちの頭上を一回りして、すぐそばへ戻ってくる。
「キュ!」
「ステフも嬉しいのかな?」
「そうかもね」
ルナが笑った。
十五日かけて、ここまで来た。
誰かを倒すためじゃない。
ただ、海を見てみたかった。
「……来てよかった」
「まだ町にも入ってないよ?」
フェリシアが笑う。
「それもそうだね」
「じゃあ行こう! 魚も食べたいし!」
「ルナはそればっかりだね」
「だって楽しみなんだもん!」
俺たちは丘を下り始めた。
港からは人々の声と、船の帆が風を受ける音が聞こえてくる。
見たことのないものが、まだまだたくさんありそうだ。
「アレン、早く!」
「うん!」
俺も二人と二匹の後を追った。
丘を下りきると、ミナリアの城門が見えてきた。
衛兵に身分を示し、入町の手続きを済ませる。
門の向こうには港まで続く大通りが伸びていた。
「明日は海のすぐそばまで行こうね!」
「うん。船も見たいな」
フェリシアが頷く。
「じゃあ、まずは宿を探そうか」
「お魚が美味しいところがいい!」
「宿の話だよ、ルナ」
俺たちは笑いながら、初めての港町へ足を踏み入れた。
【保有:95,100P】
【累計獲得P:552,310P】
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