第175話 テリーのお母さん
数日後。
俺たちはベルガントを南へ向かっていた。
「もうすぐだね」
フェリシアが前を見る。
「うん」
遠くに大きな森が見えてきた。
以前、ベルガント伯爵から依頼を受けて調査した森だ。
さらに南へ抜ければミラディアがある。
「ワフ!」
テリーが元気よく走っている。
その横ではステフが飛んでいた。
以前よりも上手に飛べている。
「キュ!」
少し後ろからは、テリーのお母さんがついてきている。
薬で操られていた時とは全然違う。赤かった目は元に戻り、足取りもしっかりしていた。
傷もほとんど治っている。
もう俺たちが守らなくても大丈夫そうだ。
◇
以前、調査した場所から離れた位置で足を止めた。
「ここ?」
ルナが聞く。
「うん」
木々がどこまでも続いている。
中へ入った時にも思ったが、かなり大きな森だ。
川もあり、魔物もいる。人の住む町からも離れている。
テリーのお母さんが暮らすなら、多分ここがいい。
「グル……」
母フェンリルが森を見る。
ルナがその横へ歩いていった。
「ねえ」
「グル?」
「もう体は大丈夫?」
母フェンリルがルナを見る。
少し歩いてから、もう一度ルナへ顔を向けた。
「大丈夫そうだね」
「グル」
ルナが少し笑う。
それから森を見た。
「ここなら暮らせると思う」
「……」
「ずっと私たちと一緒にいるわけにもいかないもんね」
母フェンリルは従魔じゃない。
巨大なフェンリルを連れて町へ入れば、そのたびに騒ぎになる。王都でもそうだった。
それに何より、元々は野生で生きていた魔物だ。
「どうしたい?」
ルナが聞く。
もちろん、言葉で答えるわけじゃない。
母フェンリルはルナを見たあと、テリーへ視線を移した。
「ワフ?」
テリーが首を傾げる。
母フェンリルがゆっくり森へ向かって歩き始めた。
十歩ほど進んだところで立ち止まり、振り返る。
「グル」
「ワフ!」
テリーが走った。
「テリー」
ルナは呼び止めなかった。
母親のところまで走っていく。
「ワフ! ワフ!」
「グル……」
二匹が顔を寄せる。
母フェンリルがテリーの顔を舐めた。
ルナは黙って見ていた。
フェリシアも、俺も何も言わない。
テリーは母親と一緒に行くかもしれない。
それなら、それでいい。
ずっと離れていた母親と、ようやく会えたんだから。
「ワフ」
テリーが母フェンリルの横に並んだ。
そのまま二匹で森へ向かって歩き始める。
ルナの手が少しだけ動いた。
「ルナ」
フェリシアが小さく名前を呼ぶ。
「大丈夫」
「……うん」
「テリーが決めることだから」
ルナは笑った。
少し寂しそうだった。
テリーの姿が木々の近くまで進んだ。
このまま行くのかな。
そう思った時、母フェンリルが止まった。
「グル」
「ワフ?」
テリーを見る。
鼻先を寄せ、もう一度顔を舐めた。
「グル……」
「ワフ……」
テリーが小さく鳴く。
そして、こっちを見た。
ルナと目が合う。
「テリー」
それでもルナは呼ばなかった。
テリーが母親を見る。
次にルナを見る。
もう一度、母親を見る。
「ワフ!」
走り出した。
「え?」
こっちへ。
「ワフ! ワフ!」
「テリー!」
ルナのところまで戻ると、そのまま飛びついた。
「うわっ!」
ルナが受け止める。
「ワフ!」
「テリー……」
ルナがぎゅっと抱きしめた。
「こっちでいいの?」
「ワフ!」
「お母さんと行かなくていいの?」
「ワフ!」
「……そっか」
ルナが笑う。
今度はちゃんと嬉しそうだった。
「ありがとう」
「ワフ!」
「キュ!」
ステフもテリーの周りを飛ぶ。
「キュ! キュ!」
「ワフ!」
フェリシアが笑った。
「ステフも嬉しそう」
「うん」
俺も少し笑った。
◇
母フェンリルはまだそこにいた。
「グル」
「ワフ!」
テリーが鳴く。
「グル……」
母フェンリルが返す。
何を言っているのか、俺には分からない。
でも、多分これでいいんだと思う。
母フェンリルがルナを見る。
「?」
ゆっくり近づいてきた。
「え?」
ルナの前で止まり、大きな顔を近づける。
ルナも動かない。
母フェンリルがルナの頬を一度だけ舐めた。
「わっ」
そして離れる。
「もしかして」
フェリシアが言った。
「テリーをお願いってことかな?」
「……そうだったら嬉しいな」
ルナがテリーの頭を撫でる。
「大事にするから」
「ワフ!」
母フェンリルが森へ向き直った。
今度は振り返らずに歩いていく。
大きな体が木々の間へ入り、少しずつ遠ざかっていった。
テリーは追いかけなかった。
ルナの隣に座っている。
「ワフ……」
少しだけ寂しそうな声だった。
ルナがしゃがむ。
「また会いに来ようね」
「ワフ?」
「ここなら、また来られるから」
「ワフ!」
「うん」
やがて母フェンリルの姿は森の奥へ消えた。
「……行っちゃったね」
フェリシアが言う。
「うん」
ルナはしばらく森を見ていた。
「寂しい?」
「うん。でも、これでよかったと思う」
ルナがテリーを見る。
「ワフ!」
「お母さんも自由になれたし」
「うん」
薬で操られ、戦わされて、自分の子供まで襲いかけた。
もう、そんなことはない。
これからは自分の好きな場所で生きられる。
「行こうか」
俺が言った。
「うん」
「ワフ!」
「キュ!」
ルナの横をテリーが歩き、その近くをステフが飛んでいる。
「アレン」
「何?」
フェリシアが聞いた。
「これからどうする?」
「これから?」
「うん」
「……」
少し考える。
戦争は終わった。
依頼も終わった。
ずっと目標にしていたSランクにもなった。
今までは、次にやることがいつもあった。
でも今は違う。
「……まだ分からない」
「そっか」
「うん」
「じゃあ、ゆっくり考えればいいんじゃない?」
フェリシアが笑う。
「そうだね」
ルナも頷いた。
「急がなくてもいいと思う」
「うん」
森を一度振り返る。
もう母フェンリルの姿は見えなかった。
俺たちは再び歩き始めた。
次にどこへ向かうのかは、まだ決まっていない。
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