第172話 戦いのあと
朝になった。
「……」
結局、一睡もできなかった。
テントの外が少しずつ明るくなっていく。
鳥の声。
兵士たちが動き始める音。
「……行こう」
身体を起こす。
疲れてはいない。
昨夜、《全回復》を使ったからだ。
身体だけなら、いつもと変わらない。
テントを出る。
「あ」
フェリシアがいた。
「おはよう、アレン」
「おはよう」
隣にはルナもいる。
「おはよう」
「うん」
フェリシアが俺の顔を見る。
「眠れた?」
「……うん」
「……」
ルナがじっと俺を見る。
「何?」
「寝てないでしょ」
「え?」
「顔見れば分かるよ」
「……実はあまり眠れなかったんだ」
「やっぱり」
フェリシアの顔が曇る。
「大丈夫?」
「うん」
反射的に答えた。
「行こう」
それ以上聞かれる前に歩き出した。
◇
昨日の戦場へ向かう。
もう剣の音はしない。
怒鳴り声も。
雷も。
代わりに聞こえるのは。
「こっちへ運べ!」
「負傷者を先に!」
「まだ名前が分からない者は?」
「こちらです!」
戦後処理をする兵士たちの声だった。
負傷者を運ぶ人。
武器を集める人。
捕虜を見張る人。
戦死者の身元を確認する人。
「……」
布を掛けられた人たちが並んでいる。
一人。
二人。
三人。
その先にも。
「……」
足が止まりそうになる。
昨日までは、その中を走っていた。
考える余裕なんてなかった。
「アレン?」
「うん」
フェリシアの声で前を向く。
「捕虜を北側へ移せ!」
「武器を持っていないか確認しろ!」
「はっ!」
少し離れた場所には、ドラン兵たちが座らされている。
昨日まで殺し合っていた相手。
今は武器も持たず、ただ地面に座っていた。
◇
「来たか」
簡単な天幕の中。
スコッティ公爵を中心に、生き残った指揮官たちが集まっていた。
ヴァルディス侯爵もいる。
その隣には。
「……」
カイル。
一瞬、目が合った。
向こうも驚いた顔をした。
「始める」
スコッティ公爵が地図を見る。
「まず帝国軍だ」
「降伏兵の収容は進んでおります。一部は西へ逃走しましたが、まとまった部隊は確認されておりません」
「追撃は?」
「停止しています」
「それでいい。深入りする必要はない」
「はっ!」
「トンプソン大橋は?」
「確保したままです」
「守備隊を残せ。帝国側の動きも監視する」
「承知しました」
次の報告へ移る。
「ジェリド皇子の遺体ですが」
「……」
一瞬、身体が固まった。
「現在、丁重に保管しています」
「そのままにしろ」
スコッティ公爵が答える。
「敵とはいえ帝国の皇子だ。こちらだけで処遇を決めるな。王都へ報告し、判断を仰ぐ」
「はっ!」
「それから……」
別の騎士が口を開いた。
「ドレイモンド公爵の死亡も正式に確認されました」
天幕が静かになった。
「……そうか」
スコッティ公爵が目を閉じる。
少しして顔を上げた。
「領内の治安維持を優先する。王都から指示が来るまで、こちらでも可能な限り支援しろ」
「はい」
「侵攻軍を退けても、それで領民の生活が元に戻るわけではない」
荒らされた村。
畑。
逃げた領民たち。
やることはいくらでも残っている。
「最後に」
スコッティ公爵が俺を見る。
「今回の戦功についてだ」
「俺ですか?」
「ああ」
周囲の視線が集まった。
「我が軍の救援。帝国軍中央の突破。バスク将軍の討伐。トンプソン大橋攻略」
そして。
「第十三皇子ジェリドの討伐」
「……」
「正式に王都へ報告する」
「はい」
「相応の評価が下されるだろう」
「ありがとうございます」
誰かが小さく呟いた。
「雷帝を討った英雄か……」
英雄。
「……」
その言葉を聞いても何も感じなかった。
◇
「兄さん」
会議を終えて外へ出ると、後ろから呼ばれた。
振り返る。
「カイル」
「……久しぶり」
「うん。久しぶり」
しばらく見ないうちに、少し大きくなった気がする。
「本当に兄さんだったんだ」
「何が?」
「ジェリド皇子を倒したの」
「ああ」
「雷帝だよ」
「うん」
「あれを……兄さんが?」
「最後はね」
「……」
カイルが黙る。
「俺は、何もできなかった」
「そんなことないでしょ」
「でも――」
「あそこにいた人たちが持ちこたえてたから、俺たちは後ろから回れたんだよ」
「……」
「カイルたちがいなかったら、ジェリドはもっと先まで進んでた」
「兄さん……」
「俺一人で勝ったんじゃない」
それだけだった。
「アレン」
別の声がした。
ヴァルディス侯爵。
「お久しぶりです」
「ああ」
短い沈黙。
「今回の戦い」
「はい」
「助かった。礼を言う」
「……」
「ありがとうございます」
一度だけ頭を下げる。
「ただ、俺一人で勝ったわけではありません」
会話はそれで終わった。
嬉しくもなかった。
腹も立たなかった。
昔はもっと、いろいろ思っていた気がする。
でも今は、何もなかった。
◇
「捕虜を移動させるぞ!」
「立て!」
ドラン兵たちが次々と立ち上がる。
その横を通り過ぎようとした時だった。
一人の若い兵士が急にしゃがみ込んだ。
「っ!」
地面へ手を伸ばす。
考えるより先に身体が動いた。
「アレン!?」
竜爪剣を抜く。
一気に距離を詰めた。
「ひっ!」
男が顔を上げる。
「違う!」
「……」
剣を止めた。
男の手元を見る。
「……水筒?」
落とした水筒。
それを拾おうとしていただけだった。
「ち、違います! 武器じゃない!」
「……」
周囲が静かになっていた。
男は完全に怯えている。
俺は何をしてるんだ。
「……ごめん」
剣を下ろす。
鞘へ戻そうとする。
カチャ。
「……?」
外れた。
もう一度。
入らない。
「アレン」
フェリシアが近づいてくる。
自分の右手を見る。
震えている。
「……」
剣を握っている手が。
「アレン」
ルナも俺の手を見た。
「震えてるよ」
「……うん」
「疲れてるだけ?」
「違う」
気づけば、そう答えていた。
昨夜、《全回復》を使った。
身体の疲れは消えた。
それでも眠れなかった。
今も手が震えている。
「……俺」
自分の手を見る。
「どうしたんだろう」
フェリシアもルナも、すぐには何も言わなかった。
ただ、二人とも俺のそばにいた。
「……」
この戦いは終わった。
もう剣を振るわなくていい。
それなのに剣から手を離しても震えは止まらなかった。
◇
その頃。
セイル川西側。
「ベルガント伯爵!」
一騎の馬が陣へ駆け込んだ。
「急報です!」
「何だ!」
ベルガント伯爵が立ち上がる。
隣にはクロードさんもいた。
「北部の帝国軍を撃破!」
「……!」
「第十三皇子ジェリドも戦死しました!」
「誰が討った?」
「アレン・ヴァルディスです!」
「……」
クロードさんの目が見開かれる。
そして笑った。
「やったか、アレン」
「バスク軍に続き、北部の帝国軍も崩壊! 我が軍の勝利です!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「うおおおおおおおっ!」
陣中に歓声が広がった。
「勝ったぞ!」
「帝国軍を退けた!」
「これで帰れる!」
「静まれ!」
ベルガント伯爵が声を張る。
歓声が少しずつ収まった。
「喜ぶのは構わん!」
周囲の兵士を見る。
「だが、まだ警戒を解くな! 帝国が正式に兵を退くまでは、セイル大橋を守る!」
「はっ!」
「斥候も引き続き出せ!」
「はい!」
命令を出し終えたベルガント伯爵が北を見る。
「……よくやった」
◇
二日後。
ベルガントの北東にあるサハル王都。
「急報!」
一頭の馬が城門を駆け抜けた。
「道を開けろ!」
伝令がそのまま王宮へ向かう。
「北部戦線より急報!」
王と重臣たちが顔を上げる。
「帝国侵攻軍を撃破!」
「……!」
「第十三皇子ジェリド、戦死!」
室内にざわめきが広がった。
「西部ではバスク将軍も戦死!」
「トンプソン大橋も確保しております!」
「では……」
一人の重臣が立ち上がる。
「侵攻を防いだのか?」
「はい!」
伝令が答えた。
「我が軍の勝利です!」
やがて、その知らせは王宮から街へ広がっていった。
「勝ったぞ!」
「帝国軍を追い返した!」
「侵攻を防いだ!」
市場。
酒場。
広場。
あちこちから歓声が上がる。
「雷帝も討たれたらしいぞ!」
「本当か?」
「誰がやったんだ?」
「アレン・ヴァルディスって冒険者らしい!」
遠く離れた王都で、俺の知らない人たちが俺の名前を口にしていた。
◇
そして、スコッティ領へ続く街道。
荷馬車がゆっくりと進んでいた。
その後ろにも、さらにその後ろにも。
老人。
子供。
家畜。
荷物を背負った人々。
帝国軍から逃れるため、領地を離れていた人たちだった。
「もう戻っていいんだよね?」
荷馬車の上で子供が聞く。
「ああ」
父親らしい男が答えた。
「帝国軍は追い返された」
「もう来ない?」
「……分からない」
男は少しだけ黙った。
「でも、今は帰れる」
「うん!」
街道を進む。
「あ!」
子供が前を指差した。
「見えた!」
「危ないぞ」
「町!」
遠くに建物が見えてきた。
「帰ってきた……」
誰かが呟く。
壊れた家。
焼けた建物。
荒れた畑。
元通りではない。
これから直さなければならないものがたくさんある。
それでも。
「帰ってきたぞ」
一人が泣いた。
隣の人も。
笑いながら泣いていた。
戦いは、多くのものを奪った。
傷ついたものが、すぐに元へ戻るわけでもない。
それでも、少しずつ人々の日常は戻り始めていた。
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