第164話 勝利の夜
太陽が西へ沈み始めていた。
「退け!」
「橋を渡れ!」
ドラン兵たちが次々とセイル大橋へ入っていく。
こちらも追う。
「押せ!」
「川の向こうまで追い返せ!」
「おおおおおっ!」
俺もクロードさんと一緒に走った。
橋までもう少し。
先頭のドラン兵はすでに向こう岸へ渡っている。
「このまま行きましょう!」
「ああ!」
さらに走ろうとした時だった。
「止まれ!」
後ろからスコッティ公爵の声が響いた。
「全軍、追撃中止! 橋は渡るな!」
「え?」
サハル兵たちが次々と足を止める。
俺も振り返った。
スコッティ公爵が馬でこちらへ来る。
「公爵、今ならまだ追えます」
「もう日が暮れる」
西を見る。
太陽はかなり低い。
「ここから先はドラン帝国側だ。暗くなってから狭い橋を渡れば、向こう岸で待ち構えられた時に逃げ場がない」
「……確かに」
「今回の目的は、奴らを我が領地から追い出すことだ」
スコッティ公爵が橋を見る。
残っていたドラン兵たちも次々と西岸へ消えていく。
「それは達成した」
やがて、橋の上からドラン兵がいなくなった。
「……」
一瞬、戦場が静かになる。
誰かが呟いた。
「追い返した……」
別の兵士が拳を上げる。
「ドランを追い返したぞ!」
「勝った!」
「奴らを領内から追い出した!」
「うおおおおおおおっ!」
一斉に歓声が上がった。
剣や槍が掲げられる。
「やったぞ!」
「勝ったんだ!」
俺もセイル大橋を見る。
向こう岸には、まだドラン軍がいる。
戦争そのものが終わったわけじゃない。
それでも。
「……追い返したんだ」
「ああ」
隣にいたクロードさんが頷いた。
「少なくとも、今日は俺たちの勝ちだ」
「はい」
ようやく肩の力が抜けた。
◇
日が沈む前に、橋の東側へ見張りが配置された。
負傷者が後方へ運ばれ、戦場に残っていた武器や装備も集められていく。
気絶している魔物たちもそのままにされることはなく、一か所へ集められていた。
「テリー!」
「アレン!」
ルナのところへ戻る。
「ワフ!」
テリーは母親のそばにいた。
俺を見ると一度だけ鳴き、すぐ母親へ顔を戻す。
「まだ起きない?」
「うん。でも、呼吸は落ち着いてるよ」
「そっか」
隣にはステフもいた。
「キュ!」
「ずっと見ててくれたんだね。ありがとう」
「キュ!」
しゃがんでフェンリルを見る。
さっきまで荒かった呼吸はかなり落ち着いていた。
「薬の効き目も弱くなってるといいけど」
「うん」
その時。
「……グル」
「あ」
フェンリルの身体が動いた。
「お母さん!」
「テリー、待って」
念のため竜爪剣に手を置く。
ゆっくり目が開いた。
「……」
赤くない。
フェンリルが顔を上げる。
俺を見る。
ルナを見る。
そして。
「ワフ!」
テリーが駆け寄った。
「テリー!」
でも、フェンリルは襲わなかった。
「……クゥン」
大きな顔を下げる。
「ワフ!」
テリーが鼻先へ身体を擦りつけた。
フェンリルがその顔をゆっくり舐める。
「よかった……」
ルナが笑った。
「もう大丈夫そうだね」
「うん」
俺も竜爪剣から手を離した。
テリーは嬉しそうに母親の周りを動いている。
「ワフ! ワフ!」
「グル……」
今度の声には敵意がない。
本当に助けられた。
そう思ってフェンリルを見る。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「ここ」
首の毛を少し見る。
擦れたような傷が残っていた。
脚にも似た跡がある。
「これって……」
「多分、何かで拘束されてた跡だと思う」
「……」
周囲にいる他の魔物を見る。
身体に似たような傷を残している魔物もいた。
捕まえて、薬を使って、戦場へ連れてきた。
「……ひどい」
ルナが呟いた。
「うん」
また腹の奥が熱くなる。
でも、クロードさんに言われたことを思い出した。
冷静さを失うな。
息を吐く。
「アレン?」
「大丈夫」
ドランが何をしていたのか。
それは後でちゃんと確かめよう。
◇
「アレン!」
「はい?」
声をかけられて振り返る。
鎧を着た男性がこちらへ歩いてきた。
スコッティ公爵も一緒だ。
ベルガント伯爵だ
「話は聞いたぞ!大活躍だったみたいじゃないか!」
「ありがとうございます」
「前線から戻ってきた兵たちが皆、同じ話をする」
「同じ話?」
「アレンとクロードが中央を崩したとな」
「……」
「敵の魔法を撃ち落とした魔法使い、遠距離から魔法士を仕留めた弓使いも話題になっていたぞ」
ベルガント伯爵が少しだけ笑う。
「君たちに来てもらって良かった」
スコッティ公爵が俺を見る。
「お前たちがいなければ今日ここまで押し返すことはできなかった」
「……はい」
「改めて礼を言う。助かった」
「俺たちも、皆さんがいなければ戦えませんでした」
スコッティ公爵が頷いた。
「そうだな」
◇
完全に日が沈んだ。
セイル川から少し東へ離れた場所に野営地が作られている。
いくつもの火が焚かれ、兵士たちは食事を取り、負傷者は治療を受けていた。
大きな天幕の中。
机の上に地図が広げられている。
スコッティ公爵。
ベルガント伯爵。
王国騎士団の指揮官たち。
クロードさん。
俺もそこにいた。
「ドラン軍は現在、西岸で部隊を立て直している」
スコッティ公爵が地図を指す。
「こちらから今夜、橋を渡ることはしない」
ベルガント伯爵も頷く。
「兵はかなり疲弊しています。負傷者の処置も必要です」
「ああ。今夜は休ませる。ただし橋の監視は続けろ。夜襲にも備える」
「承知しました」
「明朝、敵の動きを見てから次を決める」
俺は地図を見る。
「向こうまで追いかけないんですか?」
「今はな」
スコッティ公爵が俺を見る。
「敵を押し返した直後ほど慎重にならなければならん」
「どうしてですか?」
「勝ったと思って追いすぎれば隊列が伸びる。そこを反撃されれば、今度はこちらが崩れる」
「あ……」
「勝っている時ほど、次の一手を間違えるなということだ」
「なるほど……」
その時。
「失礼します!」
天幕の外から大きな声がした。
「入れ」
一人の騎士が入ってくる。
泥だらけだった。
かなり急いできたらしい。
「北部から急報です!」
「北部?」
スコッティ公爵の表情が変わった。
「言え」
「ドレイモンド公爵領の戦線が……崩壊しました」
「何?」
天幕の空気が変わる。
「崩壊?」
ベルガント伯爵が身を乗り出した。
「はい。ドレイモンド公爵軍は壊滅状態です」
「公爵は?」
「……討ち取られた模様です」
「なっ……」
誰も声を出さない。
ドレイモンド公爵。
北部でドラン軍を迎え撃っていた公爵だ。
「確かな情報か?」
「戦場が混乱しており、正式な確認はまだです。ただし、複数の部隊から同じ報告が届いています」
「……そうか」
スコッティ公爵が地図の北側を見る。
「援軍はどうした?」
「すでに各領から入っています」
「それでも崩れたのか?」
「はい」
騎士が続ける。
「ヴァルディス侯爵家の部隊も、ドレイモンド公爵領へ増援として入っています」
「え?」
思わず声が出た。
「ヴァルディス侯爵家?」
「はい」
父上だ。
今。
北にいる。
「父上も……」
ベルガント伯爵が騎士を見る。
「そこまで兵力差があるのか?」
「兵の数だけが原因ではありません」
「では何だ?」
騎士の表情が強張る。
「敵軍を率いているのは、ドラン帝国第十三皇子ジェリドです」
「第十三皇子……」
スコッティ公爵が名前を繰り返す。
「皇子本人が前線に出ているのか?」
「はい」
「それほどの男なのか?」
騎士が一瞬黙った。
「……異常です」
「異常?」
「騎士が何人で囲んでも止められません。ジェリド皇子が前へ出るたび、こちらの部隊が崩されています」
「……」
「ドレイモンド公爵軍が壊滅した最大の原因も、ジェリド皇子だと」
誰も喋らなかった。
こっちでは俺たちがドラン軍を追い返した。
でも、同じ頃、北では公爵が討ち取られた。
しかも、父上もその戦場にいる。
「アレン」
クロードさんが俺を見る。
「……はい」
拳を握った。
さっきまで勝ったと思っていた。
だけど、この戦争は終わっていない。
北では今も戦いが続いている。
ドラン帝国第十三皇子。
ジェリド。
勝利の夜。
俺は初めて、その名前を知った。
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