第158話 反撃の糸口
東へ向かう。
帝国軍の追撃はない。
それでもスコッティ公爵は何度も後方へ斥候を出していた。
「追撃部隊は確認できません」
「そうか」
報告を聞いても、公爵の表情は緩まない。
「もう追ってこないんでしょうか?」
俺が聞く。
「いや」
スコッティ公爵が西を見る。
「奴らもかなり損害を受けた。まずは部隊を立て直しているんだろう」
「なるほど……」
「西から増援が来れば、また動く」
公爵が前を向く。
「今のうちに少しでも距離を取るぞ」
「はい」
再び歩き出す。
スコッティ軍には負傷者が多い。
進む速度は遅かった。
「少し止まって」
ルナの声が聞こえる。
道端に一人の兵士を座らせ、その足へ手を当てていた。
淡い光が広がる。
「……痛くない」
兵士が驚いた顔をする。
「歩けそう?」
「あ、ああ」
「無理はしないで」
「ありがとう」
「次はこちらです!」
「分かった」
ルナはすぐに次の兵士へ向かった。
テリーもその後ろをついていく。
「ワフ」
何人治したんだ?
「ルナ」
「何?」
「少し休んだ方がいいよ」
「大丈夫」
「でも――」
「あと一人」
そう言って、また治療を始める。
「……」
まあ。
ルナらしいか。
「キュ」
足元でステフが鳴いた。
「お前は元気だな」
「キュ!」
そのまま東へ進んだ。
◇
夜。
街道から少し離れた場所で野営することになった。
焚き火は最小限。
食料も十分ではない。
兵士たちは固いパンを分け合っている。
「生きてるな」
「ああ」
近くから声が聞こえた。
「正直、あの砦で終わると思った」
「俺もだ」
「公爵閣下も生きてる」
「……ああ」
二人が小さく笑う。
少し離れた場所では、別の兵士たちが俺たちを見ていた。
「あの二人が残ってくれなかったら……」
「追いつかれてたな」
「間違いない」
声が小さくなる。
「アレン」
「ん?」
フェリシアが隣に座った。
「聞こえてた?」
「少し」
「もっと喜んでもいいんじゃない?」
「そうかな」
周囲を見る。
包帯を巻いた兵士。
腕を吊っている兵士。
横になっている者もいる。
「勝ったわけじゃないし」
「……うん」
「逃げ切っただけだから」
フェリシアも周囲を見た。
「でも、逃げ切れた」
「うん」
それはそうだ。
あの砦にいた三百人はまだ生きている。
今はそれで十分だ。
少し離れた木の下では、ルナが眠っていた。
テリーがその隣で丸くなっている。
さすがに疲れたみたいだ。
「今日は休もう」
「そうだね」
俺も横になった。
◇
二日後。
「前方に軍勢!」
先頭から声が飛んだ。
全員が止まる。
「軍勢?」
遠くを見る。
丘の向こうに人影がある。
かなり多い。
騎士が目を凝らす。
しばらくして。
「あっ!」
「どうした!」
「サハル王国軍です!」
「……」
一瞬だけ静かになった。
次の瞬間。
「援軍だ!」
「援軍が来たぞ!」
歓声が上がった。
「助かった……」
その場に座り込む兵士。
顔を覆う兵士。
「帰れる……」
近くにいた年配の兵士が呟いた。
その声が震えている。
「俺たち、生きて帰れるぞ……」
別の場所から、
「うおおおおっ!」
大きな声が上がった。
次々と歓声が広がっていく。
丘の向こうからサハル王国の旗が現れる。
一つ。
また一つ。
その下を、多くの兵士たちがこちらへ向かっていた。
「よかったね」
フェリシアが笑った。
「うん」
「ワフ!」
「キュ!」
テリーとステフも声を上げる。
本当に助かったんだ。
向こうの軍から数騎がこちらへ走ってきた。
先頭の男がスコッティ公爵を見て、目を見開く。
「スコッティ公爵!?」
馬から飛び降りた。
「ご無事だったのですか!」
「ああ」
「我々には、スコッティ軍壊滅との報告しか届いておりませんでした」
「壊滅したのは事実だ」
スコッティ公爵が後ろを見る。
生き残った兵士たち。
三百人。
しばらく黙る。
「……三百人しか、連れて帰れなかった」
「閣下……」
「もっといた」
公爵の声が低くなる。
「私についてきた兵が、もっといた」
誰も何も言わない。
スコッティ公爵は拳を握った。
「だが」
顔を上げる。
「このままでは終わらんぞ」
援軍の男が深く頭を下げた。
「承知しました」
「ああ」
「負傷者はこちらで預かります。食料もあります」
「頼む」
スコッティ軍の兵士たちから、また安堵の声が漏れた。
◇
負傷兵たちが次々と援軍側へ運ばれていく。
食料も配られ始めた。
ルナが治療していた兵士たちの中には、自分の足で歩いている者も多い。
「ところで」
援軍を率いていた男が俺たちを見る。
「彼らは?」
「冒険者だ」
スコッティ公爵が答えた。
「アレン。フェリシア。ルナ」
俺たちは頭を下げる。
「彼らがいなければ、我々はここにはいない」
男が俺たちを見る。
「どういうことです?」
「帝国軍千以上の攻撃を止めた」
「……」
「その後の撤退では、アレンとフェリシアが殿を務めた。ルナも負傷兵を治療しながら、遠距離から援護してくれた」
男が俺たちを見る。
周囲も静かになった。
「三人で……?」
その時。
「本当です」
後ろから声がした。
見ると、片腕に包帯を巻いた兵士が立っていた。
「あの二人が残ってくれなかったら、俺たちは追いつかれていました」
別の兵士も頷く。
「ルナ殿がいなければ、ここまで歩けなかった者も大勢います」
「俺もです」
さっき治療されていた兵士が自分の足を見る。
「三人がいなかったら、俺たちはここにいません」
また視線が集まる。
「……」
困るな、こういうのは。
「アレン・ヴァルディス……」
一人の騎士が呟いた。
「ヴァルディス家の嫡男では?」
「知っているのか?」
「はい。ですが、確か家を出たと……」
騎士が俺を見る。
「それに、帝国の《剣聖》を倒した冒険者も同じ名前だったはずです」
「……まさか」
周囲の視線が集まる。
「あのアレン・ヴァルディスか?」
空気がまた変わった。
俺は慌てて口を開く。
「俺たちだけじゃありません」
「ん?」
「最後まで戦っていたのはスコッティ軍の皆さんです」
兵士たちを見る。
「俺たちは少し手伝っただけです」
「少し、か」
スコッティ公爵が小さく笑った。
「そういうことにしておこう」
「はい」
◇
その日の午後。
簡易の天幕に集まった。
中央には大きな地図が広げられている。
スコッティ公爵。
援軍の指揮官。
何人かの騎士。
そして俺たちも呼ばれていた。
「現在の状況を確認する」
援軍の指揮官が地図の西端を指した。
「帝国軍は、ここからセイル川を渡りました」
指が東へ動く。
「現在確認できている部隊は、この辺りまで入り込んでいます」
スコッティ公爵領の中ほどで指が止まった。
「国境付近の部隊はほぼ壊滅。町や村も多数放棄されています」
スコッティ公爵が険しい顔で地図を見る。
「こちらの兵は?」
「王都軍に加え、各地からの部隊も集まりつつあります」
「そうか」
「まだ全軍ではありませんが、これ以上好きには進ませません」
スコッティ公爵はしばらく地図を見ていた。
「……帝国軍は深く入りすぎた」
「深く?」
俺が聞く。
公爵がセイル川を指差す。
「昨日、奴らは大量の矢を惜しまず撃ってきただろう」
「はい」
フェリシアが全部撃ち落とした矢。
あれか。
「それができるのは、矢が届いているからだ」
「あ……」
「兵だけではない。食料も、武器も、馬の餌も、全部ここを越えてくる」
指がセイル川から東へ動いていく。
「帝国軍は強い」
「はい」
「だが、前へ進めば進むほど、この道は長くなる」
「補給……」
「ああ」
スコッティ公爵が頷いた。
「昨日のように矢を使い続けるにも、兵に飯を食わせるにも、後ろから物を運び続ける必要がある」
援軍の指揮官が続ける。
「今まで我々が押され続けたことで、敵は本陣から遠くなったはず」
「なるほど……」
俺は地図を見る。
今まで帝国軍の強いところばかり見ていた。
兵が多い。
装備も整っている。
どんどん東へ進んでくる。
でも、その兵が多ければ多いほど、前へ進めば進むほど、必要な物も増える。
「補給が止まれば?」
俺が聞く。
「すぐに全軍が止まるわけではない」
スコッティ公爵が答える。
「だが、今までと同じようには戦えなくなる」
「……」
その時。
「失礼します!」
天幕の外から声がした。
一人の騎士が入ってくる。
「報告します!」
「何だ?」
「セイル川東岸に新たな動きがあります!」
スコッティ公爵の顔が上がった。
「増援か?」
「兵も確認しています! ですが、それ以上に――」
騎士が息を整える。
「大量の馬車です!」
「馬車?」
「はい! 数十台!」
天幕の空気が変わった。
「積み荷は?」
「遠距離からの確認ですが、食料、矢、武器と思われます!」
「護衛は?」
「多数ついています!」
スコッティ公爵が地図を見る。
「……やはりな」
「前線への補給ですね」
「ああ」
俺も地図を見る。
セイル川。
そこから東へ伸びる道。
その上を大量の馬車が進んでくる。
食料。
矢。
武器。
それが帝国軍へ届く。
「もう一つあります」
騎士が言った。
「何だ?」
「馬車隊は一つではありません」
「……?」
「セイル川を越えたあと、三つに分かれています」
「三つ?」
「はい」
騎士が地図へ近づいた。
三本の道を指す。
「北」
一つ。
「中央」
二つ。
「南」
三つ。
「それぞれに馬車と護衛兵がいます」
スコッティ公爵が目を細める。
「……全部が本隊とは思えんな」
「はい」
援軍の指揮官も頷く。
「囮を混ぜている可能性があります」
「囮……」
三本の道。
三つの馬車隊。
どれかが本物。
いや。
全部に物資を分けている可能性もある。
俺は地図を見つめた。
帝国軍そのものを全部倒す必要はない。
狙う場所は分かった。
しかし、どこを狙う?
「……狙う場所は分かった」
「アレン?」
フェリシアが俺を見る。
俺は三本の道から目を離さなかった。
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