第145話 二十四日の旅
翌朝。
宿を出た俺たちは、まずベイルン家の王都屋敷へ向かった。
「ミラディアへ向かわれるのですか?」
「はい」
昨日、王宮からの返答を伝えてくれた男性が聞き返す。
「アルスレインからドラン帝国へ入るのは諦めます。聖教領ミラディアから入る方法を探してみようと思います」
「そうですか」
男性が頷いた。
「承知しました。バルド様にもお伝えしておきます」
「お願いします。それと、色々調べてもらってありがとうございましたって」
「必ずお伝えします」
「ガイルにも、また会ったらよろしくって伝えてください」
「かしこまりました」
これでアルスレイン王国での用事は終わった。
屋敷を出る。
「次は買い物だね」
ルナが言う。
「うん」
ここからミラディア中央部までは遠い。
地図を見る限り、二十日以上はかかりそうだった。
保存食。
水。
薬。
包帯。
雨具。
それから、テリーとステフ用の肉。
「肉、多めにしないとね」
「ワフッ!」
「キュ!」
二頭が同時に声を上げた。
必要なものを買い、《収納》へ入れていく。
昼前。
準備を終えた俺たちは、アルスレイン王都の東門を出た。
◇
王都を離れていく。
振り返ると、高い城壁がまだ遠くに見えた。
「結構いたね」
ルナが言う。
「うん」
「最初はドランに行くために寄っただけだったのに」
「色々あったね」
王都での出来事を思い出す。
「南西の掃除屋か……」
「それはいらない」
ルナがすぐに言った。
フェリシアが笑う。
春の風が吹いた。
朝はまだ少し冷える。
でも、昼の日差しは暖かい。
街道の両側には畑が広がり、伸び始めた草が風に揺れていた。
ところどころに黄色や白の小さな花も咲いている。
「春って気持ちいいね」
ルナが言う。
「うん」
「キュ!」
肩にいたステフが浮かんだ。
ふよ。
ふよ。
俺の横を飛ぶ。
「前より安定してる」
フェリシアが言った。
「キュ!」
「ワフッ!」
テリーが走り出す。
「キュ!」
ステフも追いかけた。
でも、まだテリーの方がずっと速い。
ステフは低いところをふよふよ進み。
しばらくすると。
ぽてっ。
地面へ降りた。
「ワフ!」
テリーが戻ってくる。
「キュ!」
ステフがまた追いかける。
「全然諦めないね」
ルナが笑った。
◇
旅を始めて四日。
ローヴェル領へ入った。
王都周辺ほど人は多くない。
街道沿いに続いていた畑も少しずつ途切れ、代わりに森や低い丘が増えていった。
朝の木々の間には薄い霧が残っている。
若い葉の先についた水滴が、差し込んだ朝日に光っていた。
昼になれば霧は消え、鳥の声が森の奥から聞こえてくる。
風が吹くたび、柔らかい葉が擦れ合った。
湿った土と草の匂い。
「王都の近くとは全然違うね」
フェリシアが森を見上げる。
「うん」
夜は町や村の宿を使う日もあれば、野営する日もあった。
◇
六日目。
その日は予定していた町まで辿り着けなかった。
「暗くなってきたね」
ルナが空を見る。
「今日はこの辺りで野営した方がいいかも」
「そうしよう」
街道から少し外れた場所を探す。
森の近くは、昼間とはまるで違っていた。
高い木々が空を覆い、夕方の光を遮っている。
少し前まで聞こえていた鳥の声も、いつの間にか消えていた。
「静かだね」
フェリシアが小さな声で言う。
「うん」
その時。
《魔力感知》に反応があった。
「……いる」
「魔物?」
「うん」
立ち止まる。
右。
左。
後ろ。
「たくさんいるな」
ルナが弓を構えた。
フェリシアも杖を持つ。
「何体?」
「六体」
茂みの奥。
何かが動いた。
ゆっくりと姿を現す。
黒い毛。
大きな身体。
暗い森の中では、ほとんど姿が見えない。
「何、あれ」
ルナが呟く。
《鑑定》。
【シャドウウルフ】
【夜間や暗い森を好む狼型の魔物】
【群れで獲物を囲み、死角から襲う】
「シャドウウルフ」
「初めて見るね」
低い唸り声が聞こえた。
「グルルル……」
六体が少しずつ距離を詰めてくる。
「ワフ……」
テリーも低く唸った。
いつもの鳴き方じゃない。
「キュ……」
ステフがテリーを見る。
それから俺を見た。
「ステフは後ろにいて」
「キュ」
前を見る。
一体が地面を蹴った。
「来る!」
速い。
黒い影が一気に近づいてくる。
竜爪剣を抜く。
一歩踏み込む。
斬る。
「ギャウッ!」
一体目。
【シャドウウルフを討伐しました】
【200P獲得】
左右から二体。
「《魔弾》!」
フェリシアの魔弾が一体を吹き飛ばす。
もう一体へルナの矢が刺さった。
「ワフッ!」
テリーが別の一体へ飛びかかる。
残り二体。
一体が俺へ。
もう一体が横へ回る。
「アレン、右!」
「分かってる!」
正面の一体を斬る。
【シャドウウルフを討伐しました】
【200P獲得】
その瞬間。
「キュ!」
「え?」
ステフが俺の前へ飛び出した。
「ステフ!」
横から回り込んだシャドウウルフが迫る。
「キュウウウ……!」
ステフが大きく口を開いた。
ぷすっ。
煙。
「キュ!?」
「下がれ!」
ステフを抱えて横へ跳ぶ。
牙が目の前を通り過ぎた。
着地。
すぐに竜爪剣を振る。
「ギャッ!」
【シャドウウルフを討伐しました】
【200P獲得】
最後の一体も。
「ワフッ!」
テリーが地面へ押さえ込んだ。
フェリシアの魔弾が飛ぶ。
静かになった。
「……終わった?」
「うん」
周囲を確認する。
反応はない。
腕の中を見る。
「ステフ」
「キュ?」
「危ないだろ」
「キュ……」
「俺を守ろうとしたの?」
「キュ!」
「……」
小さな身体。
まだまともに飛ぶこともできない。
火だって出ない。
それでも俺の前へ出ようとした。
「ありがとう」
頭を撫でる。
「でも、まだ危ないからね」
「キュ!」
分かってるのかな。
「びっくりした」
ルナが近づいてくる。
「私も」
フェリシアが笑った。
「でも、ステフなりにアレンを守ろうとしたんだろうね」
「多分」
「キュ!」
得意そうに鳴いた。
「そこは得意になるところじゃないよ」
ルナが笑う。
【保有:87,610P】
【累計獲得P:417,320P】
◇
八日目。
ベイルン領へ入った。
景色はまた変わる。
柵に囲まれた牧草地。
その向こうには牛や羊の群れ。
「あ、羊」
ルナが指を差した。
「いっぱいだね」
「ガイルの家で肉ばっかり出てきた理由、分かる気がする」
「確かに」
街道沿いの町では、肉を焼く匂いが漂っている。
革製品の店。
馬具を扱う店。
アルスレイン王都とは違う、ベイルン領らしい景色だった。
「ガイルたち、もう目的地に着いたかな」
フェリシアが言う。
「着いてると思うよ」
「ナッシュ、元気かな」
「元気だといいね」
「キュ?」
ステフが俺を見る。
「ナッシュの話だよ」
「キュ!」
羽をぱたぱた動かした。
◇
十一日目。
遠くから水音が聞こえてきた。
街道を進む。
木々が途切れる。
その先に。
「見えた」
ラグナ河。
広い水面。
ゆっくりと流れる大河。
春だからなのか、以前より水量が多いようにも見える。
陽の光が水面で細かく揺れていた。
川を渡ってくる風は冷たい。
「戻ってきたね」
フェリシアが言う。
「うん」
前はセルヴァンからここを渡って、アルスレインへ入った。
でも今回は。
「河を北へ進むんだね」
「うん」
東へ進めばセルヴァン王国。
北へ進めば聖教領ミラディア方面。
渡し船へ乗る。
「キュ?」
ステフが船の縁から水面を覗き込んだ。
「落ちるなよ」
「キュ!」
船がゆっくり進む。
船底へ当たる水の音。
川の上を吹き抜ける風。
対岸が少しずつ近づいてくる。
「今度はミラディアだね」
ルナが言った。
「うん」
ここまで、かなり来た道を戻ってきた。
渡し船がミラディアの岸へ着く。
俺たちは北へ向かう街道へ入った。
◇
その日の夜。
街道から少し離れた場所で野営する。
空には星。
昼間は暖かくても、日が沈むとまだ肌寒い。
焚き火の近くへ座る。
「ワフ……」
テリーはルナの横で丸くなっている。
ステフは俺の足に身体を寄せていた。
「キュ……」
眠そうだ。
少し前のことを思い出す。
俺の前へ飛び出したステフ。
「アレン」
「何?」
ルナがステフを見る。
「ステフとは、まだ従魔契約してないじゃない?」
「うん」
ギルドでは従魔登録した。
でも、契約はしていない。
「そろそろ契約しても良いんじゃない?」
「俺はしたいけど」
ステフを見る。
「ステフが嫌ならしたくない」
「聞いてみたら?」
フェリシアが言った。
「分かるかな」
「多分」
ステフの前へしゃがむ。
「ステフ」
「キュ?」
「俺と従魔契約する?」
「キュ?」
首を傾げる。
「これからも、一緒に旅するってこと」
ステフが俺を見つめた。
「嫌ならしなくていいよ」
少し待つ。
「……キュ」
一歩。
また一歩。
ステフが近づいてくる。
そして、俺の胸へ額を押しつけた。
「キュ!」
「……いいの?」
「キュ!」
羽をぱたぱた動かす。
「大丈夫そうだね」
ルナが笑った。
「うん」
ステフの頭へ手を置く。
「じゃあ、これからもよろしく、ステフ」
「キュ!」
意識を集中する。
手のひらから魔力を流す。
ステフの身体が淡く光った。
「キュ……」
光が俺の腕へ移る。
温かい。
ほんの一瞬。
光が消えた。
「終わった?」
フェリシアが聞く。
「うん」
何かが大きく変わったわけじゃない。
ステフも、いつものステフだ。
でも、前より少しだけ近くに感じる。
「これで正式に従魔だね」
ルナが言った。
「うん」
抱き上げる。
「これからもよろしく」
「キュ!」
「ワフッ!」
「テリーもね」
「ワフ!」
ルナが笑った。
◇
十三日目。
聖教領ミラディア南部。
畑。
村。
街道。
アルスレインと大きく変わったようには見えない。
でも、少し進むと違いが見えてきた。
「あ!」
道の脇。
白い石で作られた小さな像が立っている。
両手を胸の前で合わせていた。
通り過ぎようとした旅人が立ち止まる。
像へ頭を下げてから、また歩き出した。
「祈ってるのかな」
「聖教領だから?」
「神様に旅の無事を祈ってるんだよ」
ルナが答えた。
次に通った村。
中央には高い鐘楼があった。
しばらくすると。
カーン。
カーン。
鐘の音が空へ広がる。
作業をしていた人たちが手を止め、胸の前で手を合わせた。
「鐘の音を聞くのも久しぶりだな」
ルナが言う。
「ルナの故郷だもんね」
「私の住んでたのはもっと森の中だけどね」
◇
十五日目。
「キュウウウ……!」
朝からステフが火を吐く練習をしていた。
「頑張るね」
フェリシアが言う。
「キュウウウ!」
ぷすっ。
「今日も煙だ」
「キュ……」
「もう一回やる?」
「キュ!」
大きく息を吸う。
「キュウウウ……!」
ぼっ。
「え?」
一瞬だけ。
本当に小さな炎が出た。
「出た!」
ルナが声を上げる。
「キュ?」
ステフ自身が驚いている。
「今、火出たよ!」
「キュ!」
嬉しそうに羽を広げた。
「もう一回!」
「キュウウウ!」
ぷすっ。
今度は煙だけ。
「……」
「キュ……」
「一回出たんだから、そのうちできるよ」
頭を撫でる。
「キュ!」
「ワフッ!」
テリーが駆け出した。
「キュ!」
ステフも追いかける。
今度は地面を走らない。
ふわっ。
低いところを飛んでいく。
「あ」
「結構飛べるようになったね」
「うん」
でも、テリーは速い。
「ワフッ!」
「キュウ!」
あっという間に引き離される。
「まだ勝てないね」
ルナが笑った。
◇
旅は続いた。
雨の日もあった。
朝から細い雨が降り続き、土の街道が濃い色へ変わる。
葉に雨粒が落ちる。
ぽつ。
ぽつ。
「キュ……」
ステフは俺の雨具の中から顔だけ出していた。
「今日は飛べないね」
「キュ」
「ワフッ!」
テリーは雨の中でも元気に走っている。
「テリー、濡れるよ!」
「ワフ!」
「絶対聞いてない」
翌日は晴れた。
雨上がりの森。
葉に残った水滴。
湿った土の匂い。
枝の間から差し込む陽の光。
小さな川には、昨日の雨で増えた水が勢いよく流れていた。
また別の日。
丘の上へ出る。
眼下に広がる畑。
春の緑。
淡い黄色。
白い花。
その中を一本の街道が遠くまで続いている。
「ずっと先まで見えるね」
ルナが言う。
「まだ歩くけどね」
「あと五日くらい?」
「うん。今の感じだとそれくらいかな」
「長いね」
「でも楽しいよ」
フェリシアが言った。
「毎日景色が違うしね」
「キュ!」
「ワフッ!」
二頭も元気そうだった。
◇
二十二日目。
街道を行き交う人が増えてきた。
白や灰色の服を着た聖職者。
荷物を背負った巡礼者。
商人。
旅人。
「中央が近いのかな」
「もうあと少しよ」
道沿いの石像も増えた。
小さな礼拝所も何度か見かける。
夕方。
遠くに高い塔が見えた。
「あ、教会だ」
ルナが指を差す。
「教会?」
「かなり大きくない?」
まだ遠い。
それでも見える。
「中央部に近づくとああいう建物が増えてくるよ」
「そうなんだ。機会があれば行ってみたいな」
◇
二十四日目。
朝からよく晴れていた。
風も暖かい。
街道を進むにつれて、人の数がさらに増えていく。
荷馬車。
旅人。
聖職者。
巡礼者。
そして。
「あ」
フェリシアが立ち止まった。
丘の向こう。
大きな街が見えた。
白い石造りの建物。
いくつもの高い塔。
そのさらに奥。
ひときわ大きな建物がある。
「すごい……」
フェリシアが呟く。
巨大な聖堂。
何本もの白い塔が空へ伸びている。
春の日差しを受け、白い壁が明るく輝いていた。
風に乗って鐘の音が聞こえてくる。
カーン。
カーン。
遠いのに、はっきり聞こえた。
「ここが……」
地図を見る。
間違いない。
「ミラディア中央部だ」
「やっと着いたね」
「うん」
「ワフッ!」
「キュ!」
アルスレイン王都を出て、二十四日。
ローヴェル領。
ベイルン領。
ラグナ河。
ミラディア南部。
長い旅だったな。
「行こう」
「うん」
「行くよ。テリー、ステフ」
「ワフッ!」
「キュ!」
俺たちは、聖教領ミラディアの中央部へ向かって歩き出した。
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