第七章 一人ではない
【証拠07】黒瀬恒一・画像フォレンジック解析結果(白石真帆作成) 対象:SNS投稿写真、証明写真、卒業アルバム掲載写真、計37枚 解析手法:ピクセル単位のノイズパターン分析、生成AI特有の周波数特徴検出 結果:うち14枚に、生成AIによる合成の痕跡を検出。残り23枚は、実写と判定。
白石真帆が捜査本部に、大量の写真プリントを持ち込んできたのは、事件発生から二週間目のことだった。
「解析結果が出ました」
彼女の声は、いつもより張りつめていた。感情を表に出さない彼女にしては、珍しいことだった。
机の上に並べられた写真は、すべて黒瀬恒一が写っているとされるものだった。証明写真、SNSの投稿写真、卒業アルバムの集合写真。真帆はその一枚一枚に、赤と青の付箋を貼っていった。
「赤が、AI生成の痕跡があるもの。青が、実写と判定されたものです」
神谷は写真を見比べた。素人目には、どちらも見分けがつかない。だが真帆の解析データには、ピクセル単位のノイズパターンの違いが、グラフとして明確に示されていた。
「三十七枚中、十四枚が、生成AIによる合成です」
「残りの二十三枚は」
「本物です。実際に、カメラで撮影された、実在の何かを写しています」
橋本が困惑した声を上げた。
「本物と偽物が、混ざってるってことですか」
「はい」
真帆は、赤い付箋の貼られた写真を一枚手に取った。居酒屋での集合写真。橋本たちが「同僚の証言が取れた」と喜んでいたあの写真だった。
「この写真、背景と、他の三人の人物は実写です。実在するお店で、実在する三人が、実際にその場にいました。でも――」
真帆は、写真の中央を指差した。
「黒瀬恒一とされる人物だけが、生成AIによって、後から合成されています」
誰も、しばらく口を開かなかった。
「じゃあ、あの同僚たちの証言は……」
橋本の声が上ずった。
「彼らは嘘をついていたわけじゃありません。おそらく本当に、その場に、誰かと一緒にいたんだと思います。でも、その『誰か』の顔が、記憶の中で、後から差し替えられた可能性があります」
「記憶が、差し替えられる?」
神谷が眉をひそめた。
「これは仮説ですが」
真帆は慎重に言葉を選んだ。
「証明写真、卒業アルバム――こういった『公式な記録』とされる写真ほど、合成の痕跡が濃い。逆に、居酒屋の写真のように、複数人が写っている『生活の一部』のような写真ほど、実写の割合が高い」
「意味が分からないんだが」
「つまり」
真帆は一度、深呼吸をした。
「この人物は、ゼロから作られたわけじゃありません」
その一言が、会議室の空気を凍りつかせた。
「ゼロから、じゃない?」
「土台になった、実在の誰かがいる可能性があります。その誰かの人生の断片――写真、記録、記憶の一部を素材にして、そこに『黒瀬恒一』という名前と人格を、上書きしていった」
神谷は、机の上の写真を、もう一度見つめた。居酒屋で笑う男。あの垂れた目尻。あの人懐こい笑顔。
それは、本当に「作られたもの」なのか。それとも――誰かの、本物の顔の上に、別の名前が貼り付けられただけなのか。
「橋本」
神谷は静かに言った。
「あの居酒屋の写真、他の三人にもう一度話を聞いてくれ。写真の中の『黒瀬』の顔について、詳しく」
「詳しく、というと」
「その顔に、見覚えがないか聞くんだ。――黒瀬恒一としてではなく、別の誰かとして」
橋本は一瞬、意味を測りかねる顔をしたが、やがてハッとしたように目を見開いた。
「まさか、その中に……本物の被害者がいるってことですか」
神谷は答えなかった。ただ、赤い付箋の貼られた写真を、もう一度、じっと見つめていた。
この男の顔の下に、何かが隠れている。
その予感が、今や確信に近いものに変わりつつあった。
橋本が、居酒屋の写真に写る三人への再聴取から戻ってきたのは、その二日後のことだった。彼の顔は、青ざめていた。
「係長、変なことになりました」
「どうした」
「三人とも、口を揃えて言うんです。写真の中の『黒瀬』の顔を、よく見せてほしいと」
橋本は、拡大コピーした写真を、机の上に広げた。
「一人目は、はっきりとは思い出せないと言いました。でも、二人目が、こう言ったんです」
橋本は、聴取メモを読み上げた。
『言われてみると……この顔、なんか違う気がします。俺の記憶の中の「黒瀬さん」の顔と、微妙に、輪郭が違うような』
「三人目は」
「もっとはっきりしてました」
橋本は、深呼吸をしてから続けた。
『正直に言います。俺、この写真の顔、あんまりよく覚えてないんです。でも、あの日、居酒屋で一緒に飲んだ「黒瀬さん」の話し方とか、笑い方は、はっきり覚えてる。声も、笑い声も。でも……顔だけが、なんか、うまく思い出せないんです』
「顔だけが、思い出せない」
神谷は、その言葉を繰り返した。
「まるで、記憶の中の『声』や『雰囲気』は本物なのに、『顔』の部分だけが、後から差し替えられたみたいだ」
真帆が、深くうなずいた。
「記憶の書き換えは、一度に、すべてを均等に上書きするわけではありません。人間の記憶は、視覚情報、聴覚情報、感情の記憶が、それぞれ別々の場所に保存されています。もし何者かが、意図的に『顔』の記憶だけを、慎重に、繰り返し上書きしていたとしたら――」
「他の記憶は、本物のまま残る、ということか」
「はい。声、話し方、性格の印象――そういったものは、本物の『誰か』との思い出です。ただ、その人物の『顔』の部分だけが、黒瀬恒一という、存在しない顔に、置き換えられている」
橋本が、ぞっとしたように呟いた。
「じゃあ……あの居酒屋にいたのは、本当は、別の誰かだったってことですか」
「おそらく」
神谷は、写真の中の顔を、もう一度、じっと見つめた。
垂れた目尻。人懐こい笑顔。それは、誰かの本物の記憶を土台にしながら、丁寧に、丁寧に、塗り替えられた仮面だった。
――この写真の中に写っているのは、本当は、誰なのか。
その問いへの答えは、まだ、遠かった。だが確実に、事件は、より深い闇へと、その姿を沈めていった。




