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存在しない犯人  作者: キロヒカ.オツマ―


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最終章 検索結果

【証拠・最終】捜査結果報告書(公表版・抜粋) 被疑者:桐生修一(56歳) 容疑:御堂恒一氏殺害、水野由紀氏殺害、その他複数の名誉毀損・電子計算機使用詐欺 特記事項:「黒瀬恒一」は実在しない人物であることが、捜査の結果、確定した。


事件は、表向き、解決した。


桐生修一は逮捕され、送検された。三枝俊介への疑いは、最終的に晴れた。彼は、桐生の暴走を薄々察知しながらも、確証を得られず、また御堂への複雑な感情から、動くに動けずにいただけだった。事件解決後、彼は静かにオルタナ・テクノロジーズの経営から身を引いた。


だが、事件の「後始末」は、誰も予想しなかった形で、長く尾を引くことになった。


捜査本部は、記者会見を開き、黒瀬恒一という人物が実在しないことを、正式に発表した。マスコミ各社は、一斉にそれを報じた。


《「黒瀬恒一」は存在しなかった――衝撃の真相》


そのニュースは、確かに大きく報じられた。だが、桐生が予言した通りのことが起きた。


訂正記事の拡散速度は、最初の誤情報の、十分の一にも満たなかった。


《黒瀬恒一の正体、結局よく分からない》 《実在しないって言われても、あんだけ証言あったじゃん》 《結局、警察が事件を揉み消すために「存在しない」ってことにしたんじゃないの》 《陰謀論はよせ。黒瀬恒一は実在した殺人犯。警察の発表なんて信じるな》


削除を試みても、無数のコピーが残っていた。ニュース記事のアーカイブ。SNSの投稿。まとめサイト。海外の掲示板への転載。動画サイトのコメント欄。そして――生成AIの学習データ。


黒瀬恒一という名前は、もはや、誰かのコントロールが及ぶ範囲を、完全に超えていた。


事件から半年後。


神谷玲司は、久しぶりに白石真帆と、庁舎の食堂で顔を合わせた。


「異動になったんだって?」


「はい。デジタル犯罪対策の、新設部署に」


真帆は、いつもと変わらない、抑揚のない声で言った。だが、その口元には、わずかな緊張の色があった。


「ORACLEは、どうなった」


「開発は凍結されています。ただ――」


真帆は、言葉を選ぶように、少し間を置いた。


「同種の技術が、すでに他の企業や、他国の研究機関でも、独自に開発されているという情報があります。ORACLE単体を止めても、根本的な解決には、なりません」


「そうか」


神谷は、それだけ答えた。予想していた答えだった。


しばらく、二人は無言でコーヒーを飲んだ。


「係長」


真帆が、ふと口を開いた。


「あの後、ご自身のことは、調べましたか」


神谷は、少し苦笑した。


「調べたさ。だが、結局、確証は得られなかった。俺の過去の一部が、本当に、誰かに操作されたものなのか。それとも、単なる記憶の欠落や、記録の不備なのか」


「気になりませんか」


「なる」


神谷は正直に答えた。


「だが、それを追いかけ続けたら、俺は、俺自身を信じられなくなる。それは、この事件が教えてくれた、一番大きな教訓だ」


「どんな教訓ですか」


「証拠は、真実じゃない。真実に見えるものだ。俺は、ずっとそう思ってきた。だが今回、それだけじゃ、足りないと分かった」


「足りない、とは」


神谷は、窓の外を見つめた。夕暮れの光が、庁舎の廊下に、長い影を落としている。


「証拠がなくても、人は、何かを信じることができる。逆に言えば――証拠が積み重なっても、それが真実だとは限らない」


「二つとも、同じことを言っているように聞こえます」


「いや、違う」


神谷は、静かに首を振った。


「大事なのは、証拠の量じゃない。証拠が、どこから来たのか、だ。一つの根っこから伸びた、百本の枝は、結局、一つの証言に過ぎない。百人の証言に見えても、根っこが一つなら、それは、一人の声だ」


真帆は、しばらく神谷の顔を見つめていたが、やがて、小さくうなずいた。


「係長らしい、答えですね」


「らしい、というのは、俺という人間が、確かに存在するという前提での話だがな」


神谷は、自嘲気味に笑った。真帆は、珍しく、その言葉に、小さく笑みを返した。


その夜、自宅に戻った神谷は、いつものように、スマートフォンを手に取った。


指が、無意識のうちに、検索窓に、あの名前を打ち込んでいた。


「黒瀬恒一」


検索結果は、数十万件を表示していた。


一番上には、AIによる要約が表示されていた。


《黒瀬恒一は、御堂恒一氏を殺害した人物として知られています。ただし、後の捜査により、実在しない人物であった可能性が高いとされています。》


矛盾した二つの情報が、たった二行の中に、同居していた。


神谷は、画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


やがて、静かに、検索履歴を閉じた。


翌朝、真帆にメッセージを送った。


《黒瀬は、死んだのか》


しばらくして、返信が届いた。


《いいえ》


神谷は、その一言を、何度も読み返した。


窓の外、朝の光が、東京の街並みを、静かに照らし始めていた。無数のビル、無数の窓、無数のスマートフォンの画面。その一つ一つの中で、今この瞬間も、誰かが「黒瀬恒一」という名前を、検索しているかもしれない。


神谷は、画面を見つめながら、小さくつぶやいた。


「まだ、一度も、生きていません」


その言葉は、誰に届くこともなく、静かな部屋の中に、溶けて消えていった。

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