第十四章 誰が殺したのか
【証拠14】桐生修一・供述調書(抜粋) 聴取日:事件発生から48日後 聴取場所:長野県内の廃業した保養所(潜伏先にて身柄確保) 供述概要:御堂恒一殺害を認める供述。動機については「思想的な確信に基づく行為」と説明。
桐生修一は、長野県内の、廃業して久しい保養所に潜伏していた。発見時、彼は抵抗せず、静かに両手を差し出したという。
取調室で、桐生は淡々と語り始めた。
「御堂を殺したのは、私です」
前置きも、言い訳もなかった。橋本が思わず身を乗り出したが、神谷は表情を変えず、じっと桐生の顔を見つめていた。
「なぜです」
「御堂は、Kurose Projectを、止めようとしていました」
桐生は、まるで講義でもするかのような、落ち着いた口調で続けた。
「私は、それを許せなかった。あの実験は、人類にとって、極めて重要な発見でした。人間は、事実を信じているのではない。物語を信じているのです。よくできた物語であれば、それがどれほど根拠のないものでも、人は喜んでそれを信じる」
「だから、殺したと」
「御堂は、その発見を、危険なものとして、闇に葬ろうとしていました。私は、逆でした。この発見こそ、公にすべきだと考えていた」
「公にする、とは」
「黒瀬恒一という存在を、最後まで走らせることです。存在しない人間が、社会の中で、実在する人間として、裁かれる。逮捕され、報道され、忘れられていく。そのすべての過程を、社会実験として、最後まで見届けること」
橋本の顔が、怒りで紅潮した。
「そのために、水野さんまで殺したのか」
「彼女は、黒瀬恒一の実在を証言できる、最後の障害でした。取り除く必要がありました」
桐生の声には、罪悪感の欠片も感じられなかった。
神谷は、静かに尋ねた。
「防犯カメラに、堂々と顔を晒したのは、なぜだ」
桐生は、初めて、うっすらと笑みを浮かべた。
「あなたなら、分かってくれると思っていました」
「聞かせてくれ」
「隠す必要が、なかったからです」
桐生は、指を組んだ。
「私は、黒瀬恒一の顔になって、そこに立っていた。防犯カメラに映っていたのは、私ではありません。黒瀬恒一、その人です。私は、ただの――媒体に過ぎなかった」
「馬鹿げた話だ」
橋本が、思わず声を荒げた。だが桐生は、動じなかった。
「馬鹿げていると思いますか。でも、事実、社会はそれを信じました。あなた方警察でさえ、一ヶ月半もの間、実在しない男を追い続けた。それが、私の言う『物語の力』です」
「一つ、聞かせてくれ」
神谷は、静かに切り出した。
「御堂は、あの夜、三枝俊介への留守電に『今夜は誰も部屋に入れない』と残している。それでも、あんたを――見知らぬ黒瀬の顔をした人物を、なぜ、疑いもせず招き入れたんだ」
桐生の口元に、初めて、はっきりとした笑みが浮かんだ。
「インターホンの応答は、声だけです。あの部屋のインターホンには、映像はありません。旧式のビル管理システムのままにしていた。御堂は、意外と、そういう部分には無頓着でした」
「声で、あんただと分かった、と」
「はい。私は、いつも通りの声で名乗りました。『桐生です、緊急の話がある』と。御堂は、私を部屋に入れました。彼が本当に警戒していたのは、見知らぬ他人であって――長年の同志だった、私ではなかった」
神谷は、拳を握りしめた。
「部屋に入った後、あんたは、御堂の前で、その顔に変わったのか」
「ええ。話の途中で、静かに」
桐生は、感情の読めない目で、神谷を見つめ返した。
「御堂は、最後まで、その意味を、正確には理解できなかったと思います。ただ、恐怖だけが、彼の顔に浮かんでいました」
「凶器は」
神谷は、低く尋ねた。
「現場から、何も見つかっていない」
「持ち帰りました」
桐生は、あっさりと答えた。
「特注の折り畳み式の刃物です。血液が付着した部分ごと、その夜のうちに、焼却処分しました。争う時間を与えるつもりは、最初からありませんでした。一撃で終わらせる。それだけを、決めていました」
その言葉を最後に、取調室に、しばらく重い沈黙が流れた。
神谷は、気を取り直すように、次の問いへと移った。
「もう一つ、教えてくれ。あんたは、御堂のスマートフォンから、死後に投稿を行った。あれは、どうやった」
「単純な話です」
桐生は答えた。
「御堂の指紋データ、生体認証データは、社内システムに、開発段階から登録されていました。特殊な複製デバイスを使えば、指紋認証は突破できます。あの投稿は、私が、御堂のスマートフォンを使って、直接書き込みました」
「水野由紀のケースも、同じ手口か」
「彼女のスマートフォンにも、事前に、遠隔操作用のプログラムを仕込んでいました。あの投稿と、彼女の転落死は、ほぼ同時に、私が実行しました」
橋本が、拳を握りしめた。
「あんたは、二人も殺しておいて、それを『実験』とか、『物語の力』とか……よくそんな言い方ができるな」
桐生は、初めて、感情らしきものを見せた。だがそれは、怒りでも、後悔でもなかった。
哀れみに近い、奇妙な表情だった。
「刑事さん。あなたは、黒瀬恒一が実在しないと、いつ確信しましたか」
橋本は、言葉に詰まった。
「戸籍がないと分かったとき? 写真が合成だと分かったとき? それとも、今、この瞬間ですか」
桐生は、ゆっくりと続けた。
「多くの人は、まだ信じています。黒瀬恒一は、実在する殺人犯だと。あなた方が、いくら『存在しない』と発表しても、その情報が、これまでの物語と同じ速度で広がることは、決してありません。訂正情報は、常に、誤情報よりも拡散が遅い。それが、この社会の、揺るぎない性質です」
神谷は、桐生の目を、まっすぐに見つめた。
「一つだけ、聞かせてくれ。あんたは、本当にこれが、正しいことだと思っているのか」
桐生は、しばらく沈黙した。
「正しいかどうかは、分かりません」
その答えは、意外なほど、静かなものだった。
「ただ、私は、証明したかっただけです。人間が、いかに簡単に、物語に呑まれるか。そして――」
桐生は、初めて、視線を落とした。
「その物語を作ったのが、AIであれ、人間であれ、結果は同じだということを」
聴取を終える前に、神谷は、最後にもう一つだけ、桐生に尋ねた。
「あんたは、御堂を、憎んでいたのか」
桐生は、少し驚いたような表情を見せた。予想していなかった質問だったのかもしれない。
「憎んでは、いませんでした」
桐生は、静かに答えた。
「むしろ、尊敬していました。御堂は、私が思いつかなかった発想を、いつも持っていた。ビジネスとしての嗅覚も、人間としての誠実さも、私にはないものを、彼は持っていました」
「なら、なぜ」
「だからこそ、です」
桐生は、初めて、感情のこもった声で言った。
「御堂が、あの技術を、恐れて、闇に葬ろうとしたことが――許せなかった。もし彼が、あの技術の可能性を、正面から受け止めていたら。危険性と同時に、その本質的な意味を、社会に問うていたら。私は、こんな方法を、選ばなかったかもしれません」
「つまり、あんたは」
神谷は、低く言った。
「御堂を、失望させられたと思っていたわけか。あんたが最も認めてほしかった相手に」
桐生は、しばらく黙っていた。
「刑事さんは、鋭いですね」
その一言だけを残し、桐生は、それ以上、何も語らなかった。
取調室を出た後、橋本が、複雑な表情で言った。
「係長、あいつの言ってること、少しでも、理解できましたか」
神谷は、しばらく考えてから、答えた。
「理解できる部分と、絶対に理解できない部分が、両方ある」
「どういうことですか」
「人間が、証拠よりも物語を信じてしまう生き物だ、という指摘そのものは、間違っていない。俺自身、この事件を通して、嫌というほど思い知らされた」
神谷は、廊下の窓から、夕暮れの空を見上げた。
「だが、その指摘が正しいことと、それを利用して、二人の人間を殺していいことは、まったく別の話だ。桐生は、その境界線を、自分で勝手に、消し去ってしまった」
「境界線、ですか」
「ああ。証明したいことがあるからといって、何をしてもいいわけじゃない。それを、あの男は、最後まで、理解できなかったんだろうな」
橋本は、しばらく神谷の横顔を見つめていたが、やがて、小さくうなずいた。
「そう、ですね」
夕日が、二人の影を、長く、廊下に伸ばしていた。




