↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
存在しない犯人  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/19

第十二章 犯人は誰でもよかった

【証拠12】ホテル従業員証言(捜査本部聴取記録) 証言者:都内ビジネスホテル従業員 証言内容:事件発生の3日前、当該ホテルに、黒瀬恒一と酷似した人物が宿泊。ただし、宿泊者名簿記載の氏名は別人。チェックアウト後、部屋から特殊なシリコン素材の破片が発見される。


桐生修一の足取りが、都内のビジネスホテルで見つかったのは、それから三日後のことだった。


宿泊者名簿に記された名前は、「田中一郎」。ありふれた偽名。だがフロントに残された防犯カメラの映像を確認すると、その人物の輪郭は、桐生修一の体格と、驚くほど一致していた。


「部屋の清掃記録に、気になる記述があります」


真帆が、清掃スタッフへの聴取記録を差し出した。


「バスルームのゴミ箱から、特殊なシリコン素材の破片が発見されています。分析の結果、これは高精度の造形用シリコンで、医療用の特殊メイクや、義肢の製作にも使われる素材だと判明しました」


「顔の型を取るための素材か」


「はい。しかも、この素材から、微量のDNAが検出されました。照合の結果――」


真帆は、一瞬、言葉を止めた。


「桐生修一本人のものと一致しました」


会議室に、決定的な沈黙が落ちた。


「つまり」


橋本が、声を潜めて言った。


「桐生が、自分の顔に、黒瀬恒一のマスクを被って、御堂を殺害した、ってことですか」


神谷は、しかし、すぐには頷かなかった。


「一つ、引っかかることがある」


「何ですか」


「防犯カメラに映っていた人物は、あまりにも堂々と、カメラの正面を歩いていた。まるで、撮られることを、最初から想定していたかのように」


「それは……」


「桐生ほどの人間が、単純に、顔を隠すためだけにマスクを使ったとは思えない」


神谷は、ホワイトボードに歩み寄り、これまでの証拠を、もう一度、順番に並べ直した。


存在しない戸籍。四十二年分の偽装された人生。生成AIによる写真合成。死者のSNS投稿。証言者の口封じ。そして――ORACLE。


「桐生の動機は何だ」


「まだ、はっきりとは分かりません。ただ、御堂との間に、思想的な対立があったという証言があります」


真帆が、社内の元同僚への聴取記録を読み上げた。


『御堂さんと桐生さんは、AIの使い方について、よく衝突していました。御堂さんは、ORACLEを「危険だから、慎重に扱うべきだ」と考えていた。でも桐生さんは……』


「桐生さんは、何と言っていたんだ」


『桐生さんは、いつもこう言っていました。「人間は、昔から、事実じゃなくて物語を信じてきた。AIはそれを、効率化しているだけだ」って』


神谷は、その言葉を、頭の中で繰り返した。


人間は、事実ではなく、物語を信じる。


だとすれば――


「桐生にとって、黒瀬恒一という存在は、何だったんだ」


神谷は、誰に問うでもなく、そうつぶやいた。


御堂を殺すためだけの道具だったのか。それとも、もっと大きな、何か別の目的のための――


その問いへの答えは、まだ、遥か遠くにあった。だが確かなことが、一つだけあった。


殺人犯が、先に存在したのではない。


殺人事件が起きた後から、犯人が――作られた。


その事実が、神谷の中で、静かに、しかし確実に、輪郭を持ち始めていた。


黒瀬恒一という男は、最初から、誰でもよかったのかもしれない。


いや――


その名前と顔さえあれば、誰でもよかったのだ。


犯人を用意する必要すらなかった。ただ、社会が「そこに犯人がいる」と信じさえすれば、それで、事件は完結する。


その恐るべき仕組みの全貌が、今、少しずつ、闇の中から姿を現し始めていた。


桐生修一の自宅マンションへの捜索は、その日の午後に行われた。


都心から少し離れた、閑静な高級住宅街。一人暮らしにしては広すぎる部屋は、しかし、驚くほど生活の匂いがしなかった。


「まるで、モデルルームですね」


橋本が、リビングを見回しながら言った。家具は最小限。書棚には、専門書と論文集が几帳面に並んでいるだけで、私物らしい私物は、ほとんど見当たらなかった。


真帆が、書斎の机の上で、一冊のノートを見つけた。手書きの文字で、びっしりと埋め尽くされている。


「係長、これを」


神谷はページをめくった。数式と、心理学用語と、そして――人名らしきものが、無数に書き連ねられていた。


「これは、何のリストだ」


「日付を見てください」


真帆が、ページの端を指し示した。二年以上前から、ほぼ毎週のように、新しい名前が追加されている。


「まさか、これ全部……」


橋本の声が、かすれた。


「候補、だったんだと思います」


真帆は、静かに、しかし確信を持って言った。


「『黒瀬恒一』という架空の人物を作り上げるにあたって、桐生は、その土台となる実在の人間を、慎重に選定していた。顔立ち、生活パターン、周囲との関係の希薄さ――条件に合う人間を、何年もかけて、探し続けていた可能性があります」


神谷は、ノートの最後のページを開いた。そこには、赤いペンで一つだけ、丸で囲まれた名前があった。


黒瀬という名字ではない、まったく別の、実在するとおぼしき人物の名前。


「これが――」


「おそらく、居酒屋の写真の、本当の顔の持ち主です」


神谷は、そのページを、しばらく見つめていた。この名前の人物は、今、どこで、どんな生活を送っているのか。自分の顔が、殺人犯の顔として日本中に晒されていることを、知っているのか。知らないまま、ただ静かに、日常を送っているのか。


「この人物の身元を、最優先で洗ってくれ」


神谷は、低く命じた。


「もし本当に無関係なら、一刻も早く、保護しなければならない」


書斎を出る間際、神谷は、壁に貼られた一枚の紙に目を留めた。プリントアウトされた、短い一文だった。


《人は、証拠を検証しない。証拠の「量」に、屈服する。》


それは、桐生自身の手による、殺人の予告のようにも、あるいは、ただの研究メモのようにも見えた。


神谷は、その紙を、しばらくの間、動かずに見つめ続けていた。


犯人は、誰でもよかった。


そしてそれは――被害者候補になり得た「土台」の人間もまた、誰でもよかった、ということを意味していた。


その事実の重さが、今、ようやく、神谷の中で、実感を伴って迫ってきていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。