第十一章 御堂の計画
【証拠11】御堂恒一・私的メモリーカード復元データ(全文) 記載日:8月20日(死亡8日前) 分類:日記形式の私的記録
深夜、神谷は捜査本部の一室で、真帆とともに、復元されたメモリーカードのデータを、一行ずつ読み進めていた。
御堂恒一が、死の八日前に書き残した記録だった。
《ORACLEは、私が思っていた以上の力を持っている。当初は「予測モデル」としてしか考えていなかった。だが実際に運用テストを重ねるうちに、気づいてしまった。》
《予測は、いつしか、設計になる。》
《人間が何を信じるかを予測できるということは、裏を返せば、人間に何を信じさせるかを設計できる、ということだ。》
《私はこの力を、Kurose Projectという形で、限定的に実証しようとした。存在しない人物「黒瀬恒一」の情報を、少しずつ、慎重に、社会に埋め込んでいく実験。目的は、警告だった。この力がいかに危険か、経営陣に、そして社会に、示すためのものだった。》
《だが、実験データの一部が、外部に流出した。》
《誰が、いつ、どうやって流出させたのか――私にも分からない。だが、確かなことがある。流出したデータをもとに、誰かが「黒瀬恒一」という架空の存在を、実際の犯罪に利用しようとしている。》
《私は、それを止めなければならない。》
そこで、記述は途切れていた。
神谷は、しばらく画面を見つめたまま、動けなかった。
「これが、事件の真の始まりか」
「御堂は、自分の作った実験が、悪用されていることに気づいていた」
真帆が、感情を交えずに続けた。
「そして、それを止めようとした矢先に――殺害された」
橋本が、震える声で言った。
「じゃあ、御堂を殺したのは……黒瀬恒一のデータを悪用した、誰か、ってことですか」
神谷は、頭の中で、事件の構造を組み立て直していた。
御堂は、黒瀬恒一という架空の存在を作った。それは警告のための実験だった。だが、そのデータが流出し、何者かに悪用された。悪用した何者かは、黒瀬恒一という架空の存在を利用して、御堂を殺害し、その罪を、実在しない男に着せようとした。
だが――
「一つ、おかしい」
神谷は、つぶやいた。
「実行犯は誰だ」
「と、いうと」
「防犯カメラに映っていたのは、黒瀬恒一の顔をした人物だ。だが黒瀬恒一は実在しない。ならば、あの映像に映っていたのは、誰なんだ」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
「顔の生成AI合成という可能性は」
橋本が、恐る恐る言った。
「防犯カメラの映像自体は、リアルタイムのハードウェアが記録している。後から編集された痕跡はない、と鑑識が断言している」
「じゃあ……」
「誰かが、黒瀬恒一の顔になって、現場に立っていた、ということだ」
神谷は、資料の中の、黒瀬恒一の顔写真を、もう一度見つめた。
あの垂れた目尻。人懐こい笑顔。
その顔は、生成AIで作られた部分と、実写の部分が混在していた。真帆の解析が示した通りだ。
つまり――
「実在する誰かが、黒瀬恒一の顔を、被っていた」
神谷は、その言葉を、口に出した瞬間、自分の声が、自分のものではないように、遠く聞こえた。
「ディープフェイクマスク、あるいは高精度な特殊メイク。今の技術なら、決して不可能ではありません」
真帆が、抑えた声で言った。
「でも、それを可能にするには――ORACLEの技術に、直接アクセスできる立場の人間である必要があります」
神谷は、桐生修一の顔写真を、もう一度見つめた。
行方不明の、ORACLE開発責任者。
「桐生を、最優先で捜せ」
神谷は、低く命じた。
「この男が、すべての鍵を握っている」
桐生修一への指名手配が発令されたのは、その翌日のことだった。全国の警察に、彼の顔写真と経歴が回覧された。
皮肉なことに、その手配写真は、これまで日本中を騒がせてきた「黒瀬恒一」の顔写真とは、似ても似つかないものだった。多くの国民が、当惑した。
《黒瀬恒一の事件、桐生って人が新たな容疑者? 意味わからん》 《結局、黒瀬とこの桐生って人は、どういう関係なの》 《警察、話がコロコロ変わりすぎ。もう何を信じればいいのか分からない》
世論の混乱は、神谷たちの想定を超えていた。それまで一ヶ月半かけて「黒瀬恒一」という虚像を刷り込まれてきた社会は、突然現れた「桐生修一」という新たな名前を、すぐには受け入れられずにいた。
「係長、これ、まずいことになってます」
橋本が、SNSのトレンドを見せながら言った。
「一部で、『警察の陰謀論』が広がり始めてます。『本当は黒瀬が真犯人で、警察は世論の批判をかわすために、別の人間を身代わりにしている』とか」
神谷は、額を押さえた。
「事実を発表しても、信じてもらえないのか」
「一度定着した『物語』は、そう簡単には、覆らないんだと思います」
真帆の声は、いつもより低かった。彼女の表情には、深い疲労の色が浮かんでいた。
「係長、正直に言うと……私は今、少し、怖くなっています」
「何がだ」
「私は、この一ヶ月半、ずっとデータを解析してきました。証拠を疑い、情報の出所を遡り、真実を突き止めようとしてきました。でも――」
真帆は、自分の両手を見つめた。
「私自身が今、正しい情報を発信しても、それが正しく届かないという事実に、直面しています。私たちが真実を突き止めても、社会がそれを信じてくれるとは、限らない」
神谷は、しばらく、真帆の言葉を噛みしめていた。
「それでも」
神谷は、静かに言った。
「俺たちは、真実を追いかけるのを、やめるわけにはいかない」
「なぜですか。信じてもらえないなら、意味がないんじゃ」
「意味は、ある」
神谷は、まっすぐに真帆の目を見た。
「たとえ、すぐには信じてもらえなくても、誰かが、真実を記録し続ける必要がある。でなければ――噓が、永遠に、真実の座を占め続けることになる」
真帆は、しばらく神谷の顔を見つめていたが、やがて、小さくうなずいた。
「分かりました。続けます」
その日から、真帆の作業には、これまで以上の緻密さと、粘り強さが加わっていくことになる。




