第7話 恋人に贈れなかった宝石箱
クレマチス侯爵家へ向かう馬車の中で、私は膝の上の包みを見つめていた。
第二王子から渡された、錬金術に使う希少な素材。
正直、気が重い。
クレマチス侯爵家に近づくための“手土産”としては、これ以上ないほど都合がいい。
けれど、それを用意したのがあの第二王子だと思うと、素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「・・・・まったく」
私は小さく息をついた。
錬金術に用いる希少な素材。
相手が喜びそうなものを、ちゃんと選んで持ってくるあたりが実に嫌らしい。
第一王子なら、権威をかさに着て無理やり押しつけてくるところだろう。
けれど第二王子は違う。
こちらに必要なものを差し出して、借りを作る。
静かで。
礼儀正しくて。
そのぶん、底が見えない。
馬車の窓の外では、帝都の賑わいがだんだんと遠ざかっていく。
私はもう一度、懐にしまった小ぶりの宝石に触れた。
この宝石の正体。
そして、この宝石がつけられていた額縁に飾られていた絵。
それがどこから来たものなのか。
それを知るために、私は今、クレマチス侯爵家へ向かっている。
願わくば、その正体が解明できますように。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
クレマチス侯爵家の屋敷は、アプリコット公爵家とはまた違う意味で異様だった。
広い。
古い。
そして、庭にも廊下にも、妙なものが多い。
奇妙な色の草花。
金属とも石ともつかない塊。
何に使うのか分からない器具。
飾りというより、研究の途中で置きっぱなしにされたような品が、そこかしこに見える。
「・・・・ウワサどおりね」
私は内心でつぶやいた。
変人。
錬金術狂い。
珍しい素材があると聞けば自分の足で探しに行く侯爵。
冒険者ギルドでも話題になるぐらいだから、よほどなのだろう。
案内の使用人に通された応接間も、普通の貴族の部屋とは違っていた。
美しい家具や絵画もあるにはある。
けれど、その横に平然と、鉱石の標本や見たこともない保管容器が並んでいる。
そして、その部屋の主もまた、いかにもそれらしい人物だった。
「ようこそ。バーントシェンナ伯爵令嬢」
クレマチス侯爵は、まだ四十代半ばほどに見えた。
目は鋭く、衣服は上等。
なのに袖口に、何かの薬液でも飛んだような跡が残っている。
貴族として整っているはずなのに、どこか研究室からそのまま出てきたような空気があった。
「本日は突然のお願いにもかかわらず、お時間をいただき、ありがとうございます」
私が一礼すると、侯爵は軽く手を振った。
「かまわんよ。先触れでずいぶん興味深い品が届くと聞いたものでね。楽しみで仕方なかったよ」
やっぱり、そっちに興味が偏っているのね。
「こちらが、その素材です」
私は第二王子から預かった包みを差し出した。
侯爵は布を解いた瞬間、目の色を変えた。
「ほう」
それだけで、この品が本物だと分かる。
侯爵は素材を手に取り、角度を変えて光にかざし、それから満足そうにうなずいた。
「なるほど。たしかにこれは、最近ではまず手に入らない」
よかった。
門前払いは避けられそうだわ。
「それと、もう一つ」
私は懐から小ぶりの宝石を取り出し、柔らかな布の上に載せた。
侯爵の視線が、すっと細くなる。
「・・・・これを、どこで?」
「ある貴族家の保管庫にあったものです」
「ふむ。いわくありげだな?」
「はい。私は、この宝石の来歴を調べています。クレマチス侯爵家に返却された図鑑に、似た意匠の記述があるかもしれないと聞きました」
「不躾なお願いですが、その図鑑を拝見できればと思い・・・・」
侯爵は宝石を手に取らず、まず目だけで観察した。
それから、机上の細い器具を一本使って、そっと裏返す。
「加工に見覚えはある」
私は少し身を乗り出した。
「本当ですか?」
「だが、断定はできん」
侯爵はすぐにそう続けた。
「この切り方、その小ささのわりに妙に強い魔力の残り方・・・・錬金術系の細工に近いが、私の知る系統とは少し違うように思える」
侯爵は眉を寄せる。
「少なくとも、我が家の図鑑に載る“素材そのもの”とは、扱いが違う気がするな。宝石単体というより、別の大きな品の一部だったのではないか?」
その言葉に、私の背筋がわずかに粟立った。
やっぱり。
額縁についていた、という線は当たっている。
「では、図鑑を・・・・」
「見せてもいい」
侯爵はあっさり言った。
「ただし、その前に、こちらの頼みも聞いてもらいたいね」
・・・・来たわね。
「私の力の及ぶものであれば」
私がそう返すと、侯爵は面白そうに口の端を上げた。
「用心深い。いいことだ」
そう言って彼が合図すると、使用人がひとつの箱を運んできた。
布で幾重にも包まれている。
心なしか、持っている使用人の顔色が悪い。
机の上にそれが置かれた瞬間、私は思わず息をひそめた。
「なに、これ・・・・」
布越しでも分かる。
おどろおどろしい魔力の波動が、じわじわとにじんでいる。
侯爵は静かに言った。
「錬金術の研究素材を求めて遠出した折、廃屋跡で見つけたものだ」
使用人が慎重に布を外していく。
現れたのは、宝石箱だった。
掌に載せるには少し大きい。
けれど持ち運べないほどではない、小ぶりで上品な箱。
表面には細かな装飾がびっしりと施され、蓋には花蔓と鳥、それに交差する蔦文様が絡み合っている。
一見すれば、恋人への贈り物にでも使われそうな、美しい工芸品だった。
けれど、その美しさの奥に、黒く濁ったものがまとわりついている。
私は顔をしかめた。
「呪い、ですね」
「そう見えるだろう?」
侯爵は満足そうでもあり、困ったようでもある顔をした。
「調べようとした。だが、我が家の術者でも、どうにもならんかった」
「開けようとすると、気分を悪くする者が出る。幻を見た者もいるそうだ」
「・・・・持ち出そうとして命を落とした者までいるのだ」
ああ。
それは面倒なタイプだ。
私は小ぶりの宝石を見た。
こちらも呪いめいたものを帯びている。
けれど性質は違う。
この宝石は、持ち主に悪夢を見せ、精神をじわじわ削るタイプ。
こちらの宝石箱は、もっと湿っていて、人の感情に近い。
「この箱は、表に出せない」
侯爵は低く言った。
「私が拾った品だ。変な噂になれば、またクレマチス侯爵家が妙な呪物を集めてきたと騒がれる」
また、ね。
「そちらの宝石も同様だろう?」
私は黙った。
侯爵は肩をすくめた。
「分かるよ。その宝石も、ただの品ではなさそうだ」
でも、言いたいことは分かる。
この宝石も、あの絵も、軽々しく人に見せられるものではない。
「解呪、あるいは鎮静化できるならしてほしい」
侯爵はそう言った。
「私は図鑑を見せる。そちらは、この箱の件を内々に収める」
なるほど。
対価としては悪くない。
私は宝石箱へ視線を落とした。
禍々しい。
けれど、どこかで見たような気もする。
呪いそのものというより、感情が染みついている感じ。
愛情か。
執着か。
あるいは、もっとねじれた何かか。
「分かりました」
私は答えた。
「ただし、私一人で解けるかは分かりません。まずは来歴を調べます」
「それでいい」
侯爵はうなずいた。
「むしろ、そこを見てほしい。私は術の仕組みには手を出せるが、人の感情が絡むとどうも苦手でね」
変人侯爵のくせに、そこは自覚があるのね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宝石箱は、その日のうちに私の手元へ預けられた。
もちろん、厳重な封印付きで。
侯爵家の使用人たちでさえ、できれば早く持っていってほしいという顔をしていた。
私はタウンハウスへ戻ると、まず信頼できる人脈を総動員した。
バーントシェンナ伯爵家の名で動ける者。
商業ギルド。
それから、美術品管理課の同僚で呪物や魔道具に強い者たち。
こういう時、課長も心得たもので、表に出せない訳ありだと察すると見て見ぬふりをしてくれる。
公にはできないが、一人で抱えるには危険すぎる宝飾品は、美術品管理課に不思議なほど集まってくるのだ。
そして・・・・
調べるうちに、少しずつ見えてきた。
まず、意匠。
この宝石箱は、ただの小物入れではない。
贈答用だ。
しかもかなり私的な。
蓋の花蔓は結びつき。
鳥は対になる存在。
蔦は離れがたい執着。
恋人か、婚約者か。
かなり親密な相手に贈るために作られた品で間違いない。
さらに内部の仕切りが不自然だった。
本来なら化粧道具を入れるには浅すぎる。
装飾品をまとめるには、逆に区切りが細かい。
「・・・・これ、最初から“特定のもの”を入れるために作られてるわね」
指輪か。
手紙か。
髪か。
あるいは、その全部か。
私はそっと蓋に触れた。
指先に、ぞわりと嫌な感覚が走る。
瞬間、脳裏に何かがよぎった。
暗い部屋。
泣いている女。
開かない箱。
叩きつけられる言葉。
ほんの一瞬。
けれど、十分だった。
「未練・・・・」
これは、ただの呪いじゃないわね。
強い負の感情が、箱に纏わりついている。
裏切られたのか。
奪われたのか。
あるいは、渡せなかったのか。
愛情と、その反転。
だからこんなに、湿っていて重い。
数日かけて来歴を洗うと、古い屋敷跡で見つかったこの箱には、ある令嬢の話が付きまとっていた。
婚約をした相手がいた。
けれど男は、もっと家格の高い女へ乗り換えた。
残された令嬢は、それでも最後に渡そうとしていた品を諦めきれず、そのまま病んで死んだそうだ。
伝聞に尾ひれはついているだろう。
けれど、箱に染みついた感情の気配とは妙に合っていた。
私は静かに目を閉じた。
「恋人に贈るはずの箱、だったのね」
贈れなかった。
許せなかった。
忘れられなかった。
だから箱だけが残って、持ち主の執着を抱え込んでしまったのだろう。
呪いというより、未練や執着が形になったものに近い。
私は箱の内側を整え、残っていた古い布を外した。
そのうえで、呪物や魔道具に詳しい管理課の協力者に頼み、内部にこびりついた魔力の澱みを少しずつ鎮めてもらう。
私が引き受けたのは、来歴に沿って箱に残った未練を静めるための最後の手順だけだった。
人の感情は術式より厄介だ。
形がないぶん、ほどくのが難しい。
けれど、完全に消す必要はない。
だからこそ、力で消すより、静かに眠らせる方がいい。
作業が終わったときには、もう夜が深かった。
箱の周囲に漂っていた嫌な波動は、だいぶ穏やかになっている。
私は疲れきった体を椅子に預けた。
「・・・・終わった」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後、私は再びクレマチス侯爵家を訪れた。
侯爵は、宝石箱の変化を見て、わずかに目を見開いた。
「軽くなっているな」
「完全に消えたわけではありません。でも、もう人に害を及ぼすほどではないと思います」
「どう見た?」
私は箱の蓋をそっと撫でた。
「術式だけではありませんでした。たぶん、持ち主の感情が残っていたんです」
侯爵は黙って聞いている。
「恋人か婚約者に贈るはずの品だった。けれど裏切られた。渡せなかった。諦められなかった。そういう未練が、箱そのものに染みついていたんだと思います」
侯爵は長く息を吐いた。
「・・・・なるほど。だから私の術者たちでは、うまく扱えなかったのか」
「呪いというより、未練という感情の残滓のようなものです。術として組まれたものだけ見ていては扱えなかったでしょう」
侯爵はしばらく箱を見つめていたが、やがて静かに笑った。
「面白い」
面白いのね。
「いいだろう。約束だ。図鑑を見せよう」
私はようやく本題にたどり着いた気がして、少しだけ背筋を伸ばした。
案内された書庫は、半分が図書館で、もう半分が錬金術の倉庫だった。
棚には、魔力草の図鑑、鉱石の図譜、古い処方書、封呪や保存に関する記録が並んでいる。
私は小ぶりの宝石を手元に置き、侯爵家の図鑑を次々にめくっていった。
切り方。
素材。
意匠。
封じ方。
額飾り。
宝石留め。
時間を忘れて調べ続けた。
けれど――
「・・・・ない」
私は手を止めた。
侯爵が振り返る。
「見つからなかったか」
「ええ。似た細工はあります。でも、この宝石そのものに一致する記述はありません」
私はもう一度、宝石を見た。
確かに、周辺の技法には近い。
けれど決定打がない。
図鑑には載っていなかった。
侯爵は腕を組んだ。
「となると、宝石自体の記録ではなく、別の品の付属物として扱われていた可能性が高いな」
別の品。
私は、その言葉をゆっくり噛みしめた。
額縁。
絵画。
借り受けた品。
そういう形なら、宝石単体では図鑑に残らない。
私は図鑑を閉じた。
「無駄ではありませんでした」
「ほう?」
「ここに載せない、という扱いがされていることが分かりましたから」
侯爵は少しだけ口元を緩めた。
「前向きだな」
前向きでいないと、こういう調べものはやっていられないのよ。
とはいえ、肩透かしを食らった気分なのは確かだった。
ようやくたどり着いたと思ったのに、宝石そのものは載っていない。
私は内心焦った。
これでまた手掛かりが消えてしまったからだ。
ぐうう。
その時、侯爵がぽつりとつぶやいた。
「・・・・母なら、何か知っているかもしれん」
私は息を止めた。
「前侯爵夫人が?」
なぜ?
しかし、侯爵は思案するように眉を寄せ、それでも何か思い当たる節があるようだった。
「もしかすると・・・・いや、やはり母ならもっと確実なことが言えるかもしれん」
「私より昔の収蔵品や、古い贈答品の話に妙に詳しい。正直、私は研究素材しか見ていないからな」
それ、侯爵としてどうなの。
でも今は、そこを突っ込む場面ではない。
私は宝石を握りしめた。
図鑑にはなかった。
けれど、次の手は見えた。
前侯爵夫人。
この宝石が、もし本当に何かの額縁についていたものなら。
そしてその何かが、家と家の間を渡った絵画なら。
古い時代を知る人の記憶の方が、図鑑より先に答えへ届くかもしれない。
私は静かに頭を下げた。
「もう少し、お力をお借りしてもよろしいでしょうか」
侯爵は渋い顔をしたが、拒む気はないようだった。
「・・・・仕方あるまい」
ここまで来たら進むしかない。
小ぶりの宝石の正体。
呪われた絵画。
百年前の因縁。
全部が、もう少しでつながりそうな気がした。
――けれど、その“もう少し”が一番遠いのよね。
私は心の中でそうつぶやきながら、宝石をそっと布に包み直した。




