第3話 公爵家の美術品修復勝負で、昔から私を見下していた男に格の違いを教えてあげました
翌日。
出発を控えた私のもとに、ひどく厄介な客がやってきた。
グレープ王国の第一王子――かつての王太子である。
もちろん、お忍びだった。
グレープ王国の貴族は、原則として帝都に屋敷を持つことを許されていない。
その中で、バーントシェンナ伯爵家だけは古い縁によって、例外的にタウンハウスを持つことを認められている。
だからこそ、こういう迷惑な連中にまで目をつけられるのだ。
本来なら、王族がこんなふうに気軽に訪れていい場所ではない。
しかも第一王子には前科がある。
あまりに堂々と振る舞えば、魔法騎士団に目をつけられてもおかしくない。
けれど、当の本人はそういう加減がまるで分かっていなかった。
バーントシェンナ伯爵家のタウンハウスに当然のような顔で現れ、応接間に陣取るなり、私を呼び出して値踏みするような目を向けてきた。
こいつか。
顔を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
案の定、第一王子は偉そうに顎を上げる。
「聞いたぞ。アプリコット公爵領に行くそうだな」
「ええ、仕事ですので」
「命令だ。何とか機嫌をとって、グレープ王国を再び傘下に入れてもらえるようにするのだ」
私は無言になった。
無茶にもほどがある。
そもそも、あんたのやらかしのせいでしょうが。
ところが第一王子は、こちらの心境などまるで気にした様子もなく、さらに続けた。
「うまくいけば褒美に私の妃に迎えてやろう。離縁された女にしては、破格の待遇だろう?」
もうやだ、この王子。
離縁も上等。
あんたたちのために動く気なんて、これっぽっちもない。
第一、そんな力が私にあるわけがない。
「ありがたいお申し出ですが、遠慮しておきます」
私がにっこり笑って返すと、第一王子はあからさまに顔をしかめた。
「何?」
「私は公爵家に美術品監査の仕事で向かうのです。外交官ではありませんので」
「言い訳をするな。お前はプラチナ帝国に出入りできる立場だろう」
「だからといって、何でもできるわけではありません」
「使えん女だな」
あ、言った。
けれど私は、それ以上何も返さなかった。
こんな相手に言い返したところで、時間の無駄でしかない。
第一王子がようやく帰ったあと、私は予定どおり出発した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帝都プラチナムから数日。
馬車を乗り継ぎ、私はアプリコット公爵領へ入った。
公爵家の屋敷は、まるで城のようだった。
高い石壁。
整えられた庭園。
屋敷に近づくだけで、空気そのものがぴんと張り詰めているように感じる。
さすがは五大公爵家。
格が違う。
出迎えてくれた執事に案内され、応接間へ通される。
そこで待っていたのは、キャロット・アプリコット公爵令嬢だった。
次期当主。
切れ者で、冷静沈着。
その評判は帝都にいる私の耳にも届いていた。
そして、この方こそ、先ほどのグレープ王国元王太子が誘拐し、そのまま手込めにしようとした相手でもある。
私にとっては、最悪の意味で縁のある相手と言っていい。
私は恐縮の上に恐縮しながら、深く一礼した。
「内務省美術品管理課のミント・バーントシェンナです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
キャロット様は静かに私を見た。
その瞳は冷たく澄んでいる。
けれど、不思議とただ冷たいだけではなかった。
「キャロット・アプリコットです。あなたが美術品管理課の監査役ね。ウワサは聞いているわ。優秀だそうね」
え、誰からの評判だろう。
ほんとうに恐縮だわ。
「その鑑定眼をもって、我が公爵家が所有する美術品の監査をお願いしたいの」
その言葉に、私は不謹慎にもわくわくしてしまった。
これぞ監査役の醍醐味である。
ところが、その空気に待ったをかけるように声が飛んだ。
「お待ちを」
冷たい目をした男が一歩前へ出る。
見た瞬間、私は思わず眉をひそめた。
あ、こいつ。
見覚えがある。
「その者は、内務省の役人といえど、出身はあのグレープ王国。信用はできません」
「そんなものは承知の上よ」
キャロット様はあっさりと言った。
ああ、やっぱりちゃんと調べられていたのね。
それはそうか。
でも問題はそこじゃない。
目の前のこの男だ。
かつて魔法学園時代、美術品鑑定の実習で私に負けてから、ずっと突っかかってきた嫌な男。
美術品管理課の採用時にも最後まで競い合い、最終面接の日には使用人を使って私を足止めさせた。
いや、足止めどころではない。
危うく私は、娼館に売られかけた。
あの時は本当に危なかった。
たまたま通りかかった一人の令嬢が助けてくれなければ、今ごろ心も身体もめちゃくちゃにされて、ここには立っていなかったかもしれない。
その件が表沙汰になり、男は当然失格になった。
・・・・という回想を一瞬で終え、私は目の前の現実に戻った。
男は不敵に笑っている。
「何をぼうっとしている! そもそも、その者は夫に離縁された傷物ですぞ。とても信用できません!!」
傷物、ねえ。
私は少し目を細めたけれど、言い返す前にキャロット様が面倒くさそうに口を開いた。
「じゃあ、どうすれば納得するの?」
男は待ってましたとばかりに胸を張る。
「我が伯爵家の家臣たちには、美術品観察に優れた優秀な者がいます。その者に任せれば間違いありません」
キャロット様は少しだけ考え、それから言った。
「では、こうしましょう。我が家の美術品の監査も兼ねて、お二人に勝負してもらいます」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私は今、帝都プラチナムにいた。
向かう先は商業ギルドだ。
あのあと、キャロット様が提示した勝負の内容は、美術品の修復だった。
どちらがより美しく、より正確に修復できるか。
それで勝敗を決めるという。
私は修復そのものには多少の自信がある。
けれど、一つだけ問題があった。
修復には相棒が必要だった。
私が修復作業そのものに集中できるように、それ以外を完璧に補ってくれる相棒が。
修復そのものには自信がある。
けれど、魔力の繊細な扱い――つまり魔力制御は、あまり得意ではない。
上質な美術品は微細な魔力をまとっている。
これは、魔力を持つ者が絵を描いたり、彫像を刻んだりすれば、どうしても生じてしまう現象だ。
そして、それが破損してしまった場合は厄介だった。
いったん魔力を取り除き、修復し、再び魔力をまとわせる。
そういう繊細で、恐ろしくデリケートな作業が必要になる。
だからこそ、私は商業ギルドに来ていた。
「美術品の修復補助ができる商業人を探しているんです」
受付嬢に事情を説明すると、彼女は難しい顔をした。
「美術品・・・・ですか」
それもそのはず。
美術品は貴族の世界のものだ。
少しでも失敗すれば首が飛ぶ。
損害賠償だって莫大になる。
商業ギルドとしても、そうそう気軽に手を出せる分野ではない。
それでも私は引かなかった。
これは、私の問題だ。
美術品管理課という職場の看板を借りるのではなく、自分の力で勝ちたい。
すると受付嬢が、少し考え込んだあとで言った。
「難しいですが、この方なら、あなたの求める能力を満たしているかもしれません」
紹介されたのは、グリーンという少年だった。
歳は若く見える。
けれど、いろいろな分野で幅広く活躍している商業人らしい。
「はじめまして。グリーンと申します。初めてですが、破損の修復、お手伝い頑張ります」
・・・・初めて?
少し不安になったけれど、少なくとも態度は真面目そうだ。
「魔力制御が得意だと聞いたのだけど」
「はい。そこなら、たぶんお役に立てると思います」
それなら十分だ。
私はすぐに彼を連れてアプリコット公爵家へ向かった。
もっとも、屋敷に近づくにつれて、心なしかグリーンの表情が微妙になっていったのだけれど。
アプリコット公爵家で、キャロット様は私たちを見て小さく目を細めた。
気のせいか、親密な雰囲気のする声で、
「久しぶりね、グリーン」
「・・・・お久しぶりです」
知り合いなのね。
まあ、商業ギルドが押す優秀な商業人なら、五大公爵家とも知り合うこともあるのだろう。
「ふん!!さっそく勝負といこうじゃないか!」
あの男は相変わらず傲岸不遜だった。
その後ろには、十人もの使用人が並んでいる。
今回のために用意したのだろう。
「美術品鑑定では遅れをとったが、修復はそうはいかない。修復の専門家をこれだけ揃えたんだからな!!」
数で押し切るつもりらしい。
やな感じ。
そして、キャロット様が示した破損品を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
「なにこれ・・・・」
難物だった。
美術品の破損自体も厄介だが、それ以上に、魔力の波が破損箇所と重なっている。
修復と魔力制御の呼吸が少しでもずれれば、一発で失敗するタイプの品だ。
ちらりと相手方を見ると、あちらも戸惑っていた。
ただ、向こうには圧倒的に人手がある。
その分だけ、こちらは不利だった。
けれど、やるしかない。
「グリーン、お願い」
「はい」
作業が始まる。
そしてすぐに分かった。
グリーンの魔力制御は見事だった。
無駄がない。
乱れない。
必要なところに、必要なだけ魔力を流していく。
そういえば彼は、従者を連れてきていいかと聞いていた。
私は許可したのだけれど、その従者というのが妙だった。
あまり存在感がないのだ。
強く意識しないと記憶に残らないほどに。
けれど、確かにそこにいて、グリーンの補助をしている。
そのおかげか、こちらの作業は驚くほど滑らかに進んだ。
最大の難関は、魔力の波と破損部分が重なる瞬間だった。
ここだけは、ほんの少しでも呼吸がずれれば終わる。
慎重に。
慎重に。
私は息を整え、筆先を動かした。
隣でグリーンが魔力を制御する。
合わせて、私も動く。
気がつけば、数時間が経っていた。
不思議なほど集中できた。
まるで集中力を高める付与魔法でもかけてもらったみたいに、視界が澄んでいた。
やがて最後の工程を終え、私は大きく息を吐いた。
「・・・・できた」
目の前の美術品は、見事に修復されていた。
破損部分はほとんど分からず、乱れていた魔力の波長も静かに整っている。
キャロット様が一歩近づき、じっとそれを見つめた。
「見事ね」
その一言で、勝負は決まったも同然だった。
対する相手方の作業台では、男が真っ青な顔をして立ち尽くしていた。
修復途中の美術品には、明らかな綻びが残っている。
おまけに魔力の流れまで不自然に歪んでいた。
失敗だ。
誰の目にも明らかだった。
「ば、馬鹿な・・・・」
男の唇がわなわなと震える。
「こんなはずはない!人手も、技術者の数も、こちらのほうが上だったんだぞ!」
いや、数だけね。
私は心の中でそう呟いた。
キャロット様は冷えた声で告げた。
「勝負ありね」
その瞬間、男は顔を真っ赤にして叫んだ。
「くっそおおお!!なぜ失敗した!!お前のせいか!?お前のせいか!!」
後ろに控えていた使用人の一人を指さし、怒鳴り散らす。
「私は悪くない!私のせいじゃない!呼吸を合わせろと言っただろうが!!なぜ合わせられない!!」
言われた使用人は青ざめて震えていた。
私は思わず半目になる。
いや、無理でしょう。
十人も並べて、自分だけが怒鳴り散らしていたら、誰が呼吸を合わせられるのよ。
「みっともないわね」
私がぽつりと言うと、男がぎろりとこちらを睨んだ。
「何だと!?」
「だってそうでしょう?」
私は淡々と続けた。
「修復って、ただ人を集めればいいものじゃないもの。必要なのは、数じゃなくて、作品を見極める目と、連携する謙虚な姿勢よ」
「黙れ!!」
「それに、あなた、美術品鑑定の時もそうだったけれど」
私は少しだけ首を傾げた。
「美術品を前にしても、自分が勝つことしか考えてなかったでしょう」
男の顔が引きつった。
図星らしい。
「美術品はね、あなたが威張るための道具じゃないの」
静かに言ったその一言に、部屋の空気がぴんと張る。
キャロット様は、そんな私たちを黙って見ていた。
男はなおも何か言い返そうとしたが、言葉にならなかったらしい。
代わりに今度は部下へ怒鳴り散らした。
「お前たちが無能だからだ!私の指示は完璧だった!失敗したのは全部お前たちのせいだ!」
その瞬間、キャロット様の目がすっと冷えた。
「もういいわ」
それだけで、場が静まる。
「勝負はミント・バーントシェンナの勝ち。それに、今のでよく分かった」
男が息を呑む。
キャロット様はゆっくりと言った。
「あなたには、美術品を扱う資格がないわ」
「なっ・・・・」
「作品を守るより、自分の体面。失敗すれば他人に責任転嫁。しかも、内務省から正式に派遣された監査役に対し、出自と離縁歴を理由に侮辱までした」
男の顔色がみるみる悪くなっていく。
「我が公爵家の場で、それをした意味、分かっているのかしら?」
「そ、それは・・・・」
「伯爵家にも正式に抗議を入れます。今後、あなたと、あなたが率いる者を我が公爵家の美術品管理に関わらせることはありません」
それはつまり、終わりだった。
この男が誇っていた“美術品に強い伯爵家の人脈”は、この瞬間に大きく傷ついたのだ。
男は口をぱくぱくさせた。
「ま、待ってください!これは、その・・・・少し感情的に・・・・!」
「少し?」
キャロット様が冷たく言う。
「あなた、さっき自分で使用人に向かって『私は悪くない』と叫んでいたわよね」
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだった。
男は完全に言葉を失った。
私はそんな彼を見て、静かに息を吐いた。
長かった因縁も、これでようやく終わりかもしれない。
「あと」
キャロット様が私へ視線を向ける。
「ミント・バーントシェンナ」
「はい」
「出自に問題があると言われていたけれど、少なくとも今日この場では、それがどれほど無意味な話かよく分かったわ」
その一言に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
私は背筋を伸ばす。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらよ。見事な仕事だったわ」
そこでようやく、私は少しだけ笑った。
対して男は、唇を噛みしめたまま俯いている。
その姿に、もうかつての尊大さはなかった。
私は最後に、彼へ向かってひとことだけ告げた。
「あなた、昔からそうだったわね」
男がびくりと肩を震わせる。
「観察でも、鑑定でも、修復でも。いつも本物を見る前に、自分が上だって証明したがっていた」
「・・・・」
「だから勝てないのよ」
静かな声で言い切ると、男は何も返せなかった。
顔を真っ青にしたまま、ただ立ち尽くすだけだ。
私は修復された美術品を見つめ、そっと微笑んだ。
やっぱり私は、この仕事が好きだ。
美しいものを見て、守って、取り戻す。
そのついでに、こういう勘違いした人たちが勝手に転ぶのだから、悪くない。
キャロット・アプリコット公爵令嬢と商業人グリーンの関係は、シリーズ本編第1作目「僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です1」の第2部に書かれています。気になった、という方はぜひご覧ください。




