第87話 アズール準男爵領定例会議
人が増えたせいで、領主館の一番広い部屋でも、全員が集まると少し狭い。
机を二つつなげ、その周りに椅子を寄せる。座りきれない者のための椅子は壁際にも置かれていて、トマは入ってきた時からその一つを自分の席にしていた。ブルーノは毎回もっと入口に近いところへ座りたがるのに、ベルントに「報告するんですから前へ来てください」と言われて、今日も仕方なさそうに机の端へいる。
僕が帝都から戻って、ジーモンさんがザクセンで働くようになってから、もう数か月が経っていた。
その間に、全員でこうして集まることも珍しくなくなった。
最初の頃はノエルが一人で帳面を積んで、誰かが何かを言うたびに別の紙を探していた気がする。今は机の上にも、それぞれ持ってきた帳面や書き付けが分かれて置かれている。
ジーモンさんの後ろでは、帝都から呼ばれてきた二人の若者が、今日使う紙だけを置いて部屋を出ていった。二人とも僕が直接話す機会は少ないけれど、村へ確認に出たり、戻った内容を帳面へ移したりして、毎日のように領主館を出入りしている。
僕は全員が揃ったのを見てから、手元の紙を脇に寄せた。
「じゃあ、始めようか。ノエルからでいい?」
「いつも通り、全体のところから話します」
ノエルは自分の前に開いていた帳面を少しこちらへ向けた。
「食料は今の配分なら急に足りなくなるところはありません。ただ、南側の二村で屋根の修繕が増えてるので、板材は思ったより減ってます。農具は今のところ足りてますけど、刃の修理が少し溜まってます。それと、今月は荷車の修繕に鉄具をいつもより使いました」
「食べる方は大丈夫なんだね」
「今すぐは。ただ、余ってるわけじゃないので、秋まで同じ量を出せるかは別です。そこは作付けと、収穫の見込みを見ながらです」
「分かった。板は先に雨が入る家からでいいよ。農具は、使えないまま待ってるところがあるならそっちを先にして」
「その順で回してます。細かい家の割り振りはザイデルさんからお願いします」
少し前なら、ここから先もノエルが同じ帳面をめくっていた。今はザイデルが別の束を引き寄せる。
「居住の変更は、今月は大きなものはありません。家族の合流が三組、別の村へ移った者が二組です。空いていた家を使い始めたところもありますが、ジーモン殿の方で土地と旧利用者を見ていますので、こちらでは誰が住んでいるかだけを先に直しています」
「戻ってきた人と揉めてるところは?」
「今月は一件です。元の住人本人ではなく親類で、以前そこに住んでいたことまでは村でも確認できています。ただ、今いる家族をすぐ出す話にはしていません」
ザイデルが隣を見ると、ジーモンさんが自分の紙を開いた。
「その件はこちらで確認を続けています。家そのものより、周囲の畑を誰が使っていたかで話が混ざっています。今すぐ追い出したり、逆に現在の家族へ恒久的に渡したりする必要はありませんので、もう少し昔のことを知る方へ聞いてからでよいかと」
「今の家族は、そのままでも困らない?」
「少なくとも当面は。親類の方も、今日明日で家を空けろと言っているわけではありません」
「じゃあ、まだ決めないでいいね。分かってからにしよう」
言ってから、前に十村を見て回った時、オルステッドさんと話したことを少し思い出した。
土地を預かっていると、朝に持ち込まれた話を、その日のうちに決めてしまいたくなることがあるらしい。でも、明日まで待って困らないなら、一度聞いてからにした方がいい。後から違う話が出てきて決め直す方が、ずっと面倒になる。
その時は、そんなものなのかなと思って聞いていた。
今は少し分かる。
「それでお願いします。水路の方は、トルネ周辺は去年の記録と、昔の順番を知っている方の話がかなり揃いました。ただ、別の小村で昔の使い方が二通り出ているところがあります」
「それも急ぐ?」
「次の作付けまでには整理した方がいいですが、今週決める必要はありません。二人にもう一度聞きに行ってもらいます」
ジーモンさんが言う二人は、さっき部屋を出た若者たちだ。
最初に来た時は二人ともザクセンの道すらよく分からず、誰かに連れていってもらっていた。それが今では、村の名前を言えばどの道を使うか相談してから勝手に出ていく。
「じゃあ、そっちも確認してからで。ザイデルさん、他は?」
「こちらは以上です。人の出入りで大きく崩れているところはありません」
僕が頷くと、ガレスが手元の紙を持ち直した。
最初に「次は領兵隊でよろしいですか」と言われた時は、少し変な感じがした。
ガレスが僕に敬語を使うのは、帝都の人がいる前とか、誰かに紹介する時くらいだったからだ。
でも最近は、こういう場ではずっとそうしている。
「領兵隊は、今月も大きな問題はありません。第一小隊はマルクに北側の巡回を多めに回してもらっています。第二小隊はセオに、外周と細道の確認を続けてもらっています」
マルクはガレスの隣で帳面を開いたまま、こちらへ軽く頭を下げた。
「北側は、村の中より街道を見る時間を増やしています。荷車が増えてますので、通った数も分かる範囲で残しています」
少し離れたところにいるセオは、マルクよりさらに言葉が少ない。
「西の細道は変わりありません。雨の後だけ見張りを一人増やしています。崩れたところは、まだ荷車を通さない方がいいです」
「分かった。エルヴィンの方は?」
「南側の警戒も今の人数で足りています」
エルヴィンは机の端に置いていた小さな木札を一つ動かした。
「ただ、巡回路の一つを変えたいと思っています。トマさんからも後で出ると思いますが、北の小村へ入る道が荷車で荒れてきています。あそこを毎日歩かせる必要はありませんから、領兵は外側の細道へ一部回せます」
「それはあとで一緒に聞こうか」
「承知しました。ガレス隊長とも話してあります」
ガレスが頷いたところで、僕は少しだけ引っかかった。
隊長。
ガレスに役職がついてから何度も聞いているのに、幼馴染の名前の前後にそういう言葉が付くと、たまにまだ妙な感じがする。
本人はもう気にしていないらしい。
「領兵隊からは以上です。訓練中の怪我についてはニルスから報告させます」
「その前に、こっち……で、ございます」
ブルーノが割り込んだ。
部屋の中が少し静かになる。
ベルントが横から小さな声で言った。
「普通に『こちらから報告します』でいいです」
「今そう言おうと思ってたんだよ」
「それだと敬語がなくなってます」
「細けえな……細かいですね」
僕は笑いそうになったけれど、ブルーノがかなり真面目な顔をしているので我慢した。
昔なら絶対にこんな話し方はしなかった。
「無理しなくてもいいよ、ブルーノ」
「いや、それは駄目……です。こいつらがやってんのに、俺だけ昔のままだと変でしょうが」
「最後の方、もう普通に戻ってるよ」
「分かってますよ、領主様」
そこだけ妙に強く言ってから、ブルーノはベルントの前にあった紙を一枚引き寄せた。
「治安維持隊から……ですが、今月の揉め事は二件、ありました。……これでいいだろ?」
「私に聞かないでください」
「二件って、村の人との?」
「一つは酒です。領兵三人が飲んでいて、村の男と言い合いになった。もう一つは宿代で揉めたやつです。そっちはベルントが話しました」
僕がベルントを見ると、副隊長はすでに該当する紙を開いていた。
「酒の方は、先に手を出したのは領兵側でした。三人とも怪我は軽く、村側も一人が頬を腫らした程度です。酒代と壊した椅子の分は領兵側に払わせています。宿代の方は、泊まった兵が『領兵だから後でまとめて払える』と思い込んでいたのが原因でした。宿側とはその日のうちに支払いを済ませています」
「思い込んでたって、誰かそう言ったの?」
「誰も言ってません。本人が勝手にそう思っただけです」
「なら、そこはちゃんと言っておいて。領兵だから村の人より先にしてもらえるとか、払わなくていいとか、そういうのはなしで」
「もう言ってあります」
ブルーノが今度は早かった。
「武器持ってる側が偉そうにしてどうすんですか。そんな奴いたら、俺が――」
そこでベルントが横を向いた。
「隊長が殴る前に、まず私たちが話を聞きます」
「分かってる。だから二件とも俺は殴ってねえだろ」
「今回は、です」
「今回はって何だよ」
「会議中です」
「……何ですか」
最後だけまた敬語に戻したので、今度は僕だけじゃなく、ガレスまで口元を少し緩めていた。
「でも、そういう感じで続けて。兵の方が悪い時は兵を止める。村の人が悪い時は、その時また話を聞けばいいから」
「承知しました」
ベルントが答え、ブルーノも少し遅れて、
「分かり……ました」
と続けた。
そこまで聞いてから、ニルスが自分の紙に目を落とす。
「衛生隊の方は、今月は寝かせておく必要がある者が四人です。領兵の訓練で足をひねった者が一人、畑で鎌を滑らせた者が一人。残り二人は前から痛めていたところが悪くなっただけなので、急に増えた怪我ではありません」
「重い人はいない?」
「今のところはいません。鎌の傷だけは数日見ます。熱が出なければ大丈夫だと思いますが、作業へ戻すのはまだ早いです」
ニルスの横で、ルッツが紙の端を指で押さえた。
「四人とも寝る場所は確保しています。家族と暮らしている者はそのまま家で、領兵の一人は詰所側です。水運びと食事は交代を組みました。荷車を使うほどではありません」
「分かった。ニルスが戻していいって言うまでは休ませて」
「そのつもりです。本人はもう歩けるって言ってますけど、昨日も同じことを言ってましたから」
「じゃあ駄目だね」
「僕もそう思います」
その次にトマが、自分の膝に置いていた細長い板を机の上に出した。
道の形を簡単に描いたものらしい。
「輸送隊からは、これです。北の小村へ入る道なんですが、荷車の通るところが二か所かなり掘れてます。今すぐ通れなくなるほどじゃないですけど、このまま雨が続くと車輪を取られると思います」
「前に崩れてた道?」
「近いですけど、同じところじゃありません。今度は道そのものが沈んできてます」
トマは板の上を指でなぞった。
「ここが畑。こっちが浅い溝です。道を少し広げれば荷車は通しやすくなりますけど、畑側へ寄せることになるんで、勝手にはやってません」
ジーモンさんが身を乗り出した。
「その畑は、以前の境がまだ確認途中です。今使っている方はいますが、旧利用者の記録が二つ出ています。道を広げるなら、先にそちらを見た方がいいです」
「でも、荷車は止められないんでしょう?」
僕が聞くと、トマは少し考えた。
「全部止める必要はありません。ただ、今みたいに同じ日に何台も通すと傷みます。荷を分けるか、回数を減らすか。遠回りの道もありますけど、そっちは時間がかかります」
「領兵の巡回は外せます」
エルヴィンがさっきの木札をもう一つ動かした。
「荷車と同じ道を使う必要はありません。第二小隊の一部を外側へ回せば、その分は減らせます」
セオがすぐに続ける。
「外側の道は歩兵なら通れます。雨の後だけ足場を見れば問題ありません」
「ガレス、それで領兵の方は困らない?」
今度はガレスが僕を見る。
「巡回だけなら問題ありません。むしろ荷車と一緒になる方が遅れます。しばらく分けた方がいいでしょう」
「ノエル、直す材料は?」
「全部やり直すなら足りません。傷んでいる二か所だけなら、今ある板と石で応急にはできます。ただ、そのために南の屋根修理を遅らせるのは嫌です」
「屋根は遅らせたくないなあ」
僕はトマの板をもう一度見る。
道を広げれば早い。でもジーモンさんは、畑の境がまだ分からないと言っている。全部直す材料はない。巡回は別へ回せる。
「トマ、その二か所だけ直したら、荷車は通せる?」
「通せます。ただ、同じ数を一度に通したらまた掘れます」
「じゃあ、しばらく荷を分けよう。領兵の巡回はエルヴィンとセオの方で外へ回してもらって、荷車だけ今の道を使う。畑側には広げない。二か所だけ先に直して、それで次の会議まで様子を見るのはどう?」
トマは板の上で指を止めたまま考えてから、
「それなら回せます。荷の多い日は朝と午後に分けます」
と答えた。
ノエルも帳面を見直す。
「二か所だけなら、屋根の板を削らなくて済みます。石を運ぶ人手は必要ですけど、それは輸送隊と領兵で合わせられますよね?」
「こちらからも出せます」
ガレスが答え、エルヴィンも頷いた。
「じゃあ、それで一回やってみよう。畑の境が分かったら、また道をどうするか考える」
話が収まったところで、僕は少し肩の力を抜いた。昔なら、道を直すかどうか聞かれた時点で、ノエルかガレスの顔を見ていた気がする。
今も、僕一人で分かったわけじゃない。トマに聞いて、ジーモンさんに聞いて、ガレスとエルヴィンに聞いて、ノエルの帳面を見た。
でも、それでいいのだと思う。
「次は親衛隊からでよろしいでしょうか」
カインの声で、僕は机から顔を上げた。
「何かあった?」
「大きな問題はございません。ただ、今月はアズール様が行き先を告げずに領主館を出られたことが三度ほど」
「それ、ここで報告するの?」
「親衛隊としては、ここで報告することだと思っております」
カインの隣にいるミケルが、何も言わず少し視線を逸らした。
「倉を見に行っただけの時も入ってるでしょう」
「倉へ行かれること自体は問題ございません。戻られるまで、どこへ向かわれたのか分からないことが問題です」
「村の中なのに?」
「村の中でもです」
「ミケルもそう思う?」
急に振られたミケルは困ったように一度カインを見た。
「私は……副隊長ですので、隊長の意見に賛成します。少なくとも、どちらへ行かれるか一言いただければ、人を探しに出す必要はなくなります」
「探しに出てたの?」
「一度だけです」
「それは悪かったなあ」
「次からお声がけいただければ、それで十分です」
カインは相変わらず丁寧だった。
親衛隊長という名前が付いても、僕のそばにいること自体は前とあまり変わっていない。変わったのは、ミケルや何人かの若い兵が、カインの指示で僕の出入りを見るようになったことくらいだ。
会議の紙を一通り見たノエルが、残りを確かめる。
「大きな報告はこれで全部です。あとは細かい確認だけなので、各担当で処理して、兄上の判断が必要なものだけ次へ回します」
「分かった」
そこでブルーノが、さっきから何か考えていたらしく、椅子を少し鳴らした。
「そういや、俺らは何とか隊とか何とか官とか付いたけど、領主様は何を担当するんです?」
「ブルーノ、それを今聞くんですか」
ベルントが横から言う。
「いや、だって領主ってのは分かるけどよ。ノエルは領主補佐、ガレスは領兵隊長、俺は治安維持隊長だろ。アズールさ……領主様は、何すんのかなって」
「最後、言い直すなら最初から領主様でお願いします」
「うるせえな」
僕は笑いながら、少しだけ考えた。前なら、たぶん困った。領主は何をするのかなんて、準男爵になる前には考えたこともなかったからだ。
「みんなで決められないことを決める……のかな」
「それと、決めたことの責任を取る人です」
ノエルがすぐに足した。
「責任まで付くんだ」
「当たり前でしょう。僕らが勝手に全部決めていいなら、兄上はいらないです」
ジーモンさんも少し笑いながら口を挟む。
「政務側でも、こちらで整理できることと、領主の裁定が必要なことは分けています。村同士で利害がぶつかった時などは、私たちだけでは決められませんから」
ガレスも腕を組み直した。
「領兵も同じです。日々の訓練や巡回はこちらで決められますが、兵をどこまで動かすか、誰かと争うかどうかまで隊長が勝手に決めるわけにはいきません」
「じゃあ、やっぱり最後に決める人か」
「そういうことです」
ノエルが言う。
なんとなく大変そうだけど、前ほど嫌な感じはしなかった。分からないことがなくなったわけじゃない。むしろ、分からないことは増えている気もする。
でも、誰に聞けばいいのかは前より分かる。
「まあ、それは僕がやらないと駄目だね」
「今さら気づいたんですか、兄上」
「気づいてはいたよ。ちゃんと言葉にしたのが今なだけ」
「それならいいです」
会議はそこで終わりになった。
ガレスとエルヴィンが立つと、マルクとセオも自分たちの紙をまとめてその後へ続く。ブルーノは「俺の敬語、別に変じゃなかったよな」とベルントへ聞きながら出ていき、ベルントは答えずに紙を抱えていた。
ニルスとルッツは、昼の食事が来る前に怪我人をもう一度見ておくと言って外へ出る。トマは道路の板を持ったまま、修繕に出す荷車を先に決めるらしい。
ザイデルとジーモンさんは席を立たなかった。二人とも、会議が終わればそのまま帳面の続きに戻るつもりらしい。
カインとミケルも残っている。
「親衛隊は帰らないの?」
「私どもの持ち場はこちらですので」
「そうだったね」
数か月前までは、同じ部屋に集まっても、誰が何をするのかをその場で決めていた気がする。今は、会議が終わっただけで、それぞれ勝手に行く場所がある。
「なんか、ちゃんと家みたいになってきたね」
僕が言うと、ノエルは閉じかけた帳面をまた開いた。
「兄上が気づくのが遅いんです。役職を決めたの、昨日じゃないんですよ」
「分かってるって」
言い返したところで、廊下から足音が近づいた。開いた扉の向こうに、見覚えのある村の男が立っている。手には折り畳んだ紙を持っていた。
「領主様、お話ししてもよろしいですか。村の井戸のことで、少し相談がありまして」
僕はノエルの方を見る前に、空いた椅子を指した。
「うん。どうしたの? 座って話して」
男が入ってきて、さっきまでガレスが座っていた椅子を引いた。ノエルは帳面を閉じるのをやめ、ジーモンさんも紙から顔を上げる。
会議は終わったけれど、今日の仕事はまだ終わらないらしい。




