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エルダニア大戦記〜敗残兵に飯と役目を与えていたら、乱世の国づくりが始まりました〜  作者: 志摩 伊純
第3章:灰衣大乱

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第82話 ザクセン村


 帳面に増えた欄は、翌朝になっても空いたままだった。


 書けることがないわけではない。出身地が分かる者もいれば、家族の名前を答えられる者もいる。ただ、その村が今も残っているのか、そこへ戻れる道があるのかまでは誰にも分からない。


 僕の前に座っていた男もそうだった。


「村へ戻れるなら戻りたいです。ただ、妻の妹が一緒にいまして。あいつの家は別の村なんです」


 男の少し後ろには、灰色の布を肩から外した女と、小さな子供が待っている。ザイデルが村の名前を二つ聞き取り、ノエルが帳面の横に書き足した。


「では、今は帰還希望に印を付けます。ただし、ここで分けるわけではありません。家族の確認ができるまでは同じ組でいてください」


「新しい土地へ行くって話は、俺たちもですか?」


「今ここにいる人は、いったん一緒に動かすつもりです。正式な返事が来れば、ですが」


 ノエルがそこまで言ったところで、机の向こうから声がした。


「その返事なら来た」


 オルステッド殿が、ヴェルナー家の書記を一人連れて歩いてくる。書記は抱えていた机の端に置き、ノエルが広げていた帳面を避けるように一歩下がった。


「子爵殿は、お前たちの案で進めてよいとのことだ。ここで一人ずつ抜いて組を崩すより、まず新領予定地へ移せ。その上で帰還先を調べ、帰れる者から帰す」


「全員、ですか?」


 僕が聞くと、オルステッド殿は机の上に並んだ札を見た。


「今ここで預かっている後送者は、だ。ただし、向こうへ移しただけでアズール殿の領民になったことにはならない。元の村へ帰れる者もいるだろうし、家族が別の土地で見つかる者もいる。そこは今まで通り帳面を残せ」


「それなら、こっちはこのまま続けられます」


 ノエルは新しく増やした欄の上を指でなぞった。


「帰りたい、残りたい、まだ分からない。今は意思だけ聞きます。実際に帰れるかどうかは向こうで確認する。それなら組番号も配給も崩さずに済みます」


「そうしろ。こちらからも書記を残す。ただし、移す先が本当に足りるかは別の話だ」


 そこでオルステッド殿が僕を見る。なんとなく嫌な予感がした。


「……僕?」


「お前の土地だろう」


「まだ正式に引き渡されてないですよね」


「だから見に行くだけだ。誰を何人入れられるかも分からんまま、二千人を超える人間を動かすつもりか?」


「二千人、超えてるんですか」


 思わずノエルを見ると、弟は困ったように帳面を押さえた。


「まだ締めている途中です。兄上が聞き取りを始める前よりは、だいぶ近づきましたけど」


「じゃあ僕が戻ってくるまでに終わる?」


「終わらせます。その代わり兄上は、向こうで家が何軒残っていた、だけで帰ってこないでくださいね。水場と道と畑も見てください」


「分かってるよ。畑も見る」


「その返事が一番心配なんですけど」


 ガレスが少し離れたところで聞いていて、剣帯を締め直した。


「俺も行く。エルヴィンとトマも連れていけ。家が残っていても、夜に見張れない場所では困る。荷車が入って出られなければ、移動も止まる」


 その言葉を聞いたトマが、荷車の車輪を確認する手を止めず、顔だけこちらへ向ける。


「道は見たいです。荷車が一台通れるのと、列で入れるのは違いますから。荷を下ろした後に返せる場所があるかも見ないと」


「じゃあ、お願い。エルヴィンも?」


「行こう。村の外も見ておいた方がいいだろう。人が増えてから、夜に出入りできる道が三本も四本も見つかる方が面倒だしな」


 決まる時は、僕が決める前にだいたい決まる。


 ブルーノは水桶の向こうからこちらへ来ようとしたけれど、ガレスが先に止めた。


「お前は残れ。全員で草地を空けてどうする」


「俺も土地見てえんだけどな。荒れてるなら、何か壊せば直るだろ」


「荒れた畑を殴っても戻らないよ」


「分かってる。例えだ」


 たぶん半分くらいは本気だったと思う。

 僕たちは翌朝、新領予定地へ向かった。


*


 最初に見た村には、人がいた。それだけで、少し安心した。街道から外れて畑の間へ入ると、低い家がまとまって並び、その向こうには納屋らしい建物も見えた。畑はところどころ土がむき出しで、使われていない場所には背の高い草が伸びている。それでも、鍬を持っている人がいて、家の前には薪が積まれ、井戸から桶を運ぶ女もいた。


「トルネ村です」


 案内についてきたヴェルナー家の兵が言った。


「以前はこの辺りでは大きい方の村でした。今残っているのは、騒ぎの前の半分ほどと聞いています」


 僕たちが村へ入ると、畑にいた男が鍬を土に立てたままこちらを見た。家の前にいた女は、隣にいた子供の肩を押して戸口の中へ入れる。誰も逃げない。でも、近づいてもこない。


「……怖がられてるよね」


「当然だろう」


 ガレスは前を向いたまま答えた。


「見たことのない男が武装した連中を連れてきて、今日からここの領主になると言われれば、俺でも警戒する」


「僕、一応準男爵なんだけど」


「向こうが知っていると思うか?」


「思わない」


 村の中央らしいところまで行くと、年嵩の男が二人、こちらへ出てきた。後ろにはもう何人かいたけれど、距離を詰めてくるのはその二人だけだった。


 オルステッド殿が先に話をした。ルミナ沿海伯家の決定で、この土地が僕に預けられること。まだ細かな引き渡しは残っていること。戦で家を失った者たちを、これからこの土地へ移す予定であること。


 僕の名前も紹介された。二人は頭を下げたけれど、僕の名前に反応した様子はなかった。

 やっぱり知らないらしい。少し話したあと、年上に見える方が、何度か口を開きかけてから聞いてきた。


「領主様。今、我々が住んでいる家についてですが……」


「そのまま住んでください」


 思ったより早く言葉が出たので、相手の方が少し戸惑った。


「畑も、今耕してるところを取り上げて、後から来る人へ渡すつもりはありません。空いてる村や家があるって聞いてるので、まずそっちを使います」


「後から来る方々は、どれほどでしょう」


「まだ正確には分からないんです。二千人を少し超えてるみたいで」


 僕が答えると、後ろにいた男が、持っていた帽子を握り直した。その隣では女が一度家の方を振り返り、何か言われる前に中へ入っていった。


 年嵩の男も、さっきより声が小さくなった。


「それほどの方が、こちらへ……」


「全部この村へ入れるわけじゃないです。人がほとんどいなくなった村があるなら、そちらを中心に使うつもりです」


「……それでしたら」


 そこで言葉が途切れた。安心した、とまでは言えないらしい。

 もう一人の男が、今度は税について聞いてきた。


「沿海伯様の役人から、しばらく税を取らないという話も聞きました。あれは、新しく来られる方々だけのことでしょうか。我々は、これまで通り……」


 僕は答える前にオルステッド殿を見た。これは勝手に答えたらまずいやつだ。


「新領全体だ」


 オルステッド殿は短く答えてから、僕ではなく村人の方へ向き直った。


「復旧を始めてから三年を大枠とする。その間は税を取らず、食料や農地を戻すための物も支援する。ただし何でも三年間同じだけ配る話ではない。村ごとの状態はこれから見る」


「我々も、三年ですか」


「その前提で話が来ている」


 村人はすぐには何も言わなかった。僕たちの後ろを通ろうとしていた老人が、その言葉を聞いて足を止めた。少し離れた畑では、鍬を持った男がまだこちらを見ている。


 歓迎されている感じはしない。でも、さっきよりは少しだけ、僕たちを見る目が近くなった気がした。


 その日のうちにトルネを出て、次の村へ向かった。十の村を全部回るのには何日かかかった。


 人が残っている村は、どこも似たようなものだった。家の半分ほどが使われていなかったり、畑の端が草に戻っていたりする。それでも井戸の周りには桶があり、夕方になれば家から煙が上がる。


 逆に、人がほとんどいない村では、家が残っていても音がなかった。戸が外れた家の前に古い荷車が傾いたまま置かれ、畑だった場所には人の膝より高い草が生えている。井戸だけは使えそうでも、桶がなかった。道は残っていても、両側から枝が伸び、荷車の車輪が通れる幅しかないところもあった。


 トマは村へ着くたび、家より先に道を見た。


「ここは一台なら入れます。でも、向こうで荷を下ろしたら戻す場所がないです。先にあの柵を外して、荷車を回せるところを作った方がいいですね」


 エルヴィンは村の外を歩き、林へ続く細道や崩れた柵を確認する。


「見張りを置くなら、家の真ん中よりこっちだろうな。向こうの道は夜でも人が入れるだろう。今は誰も住んでいないから問題になっていないが、人が増えたら閉じるか見張るかした方がいい」


 僕はノエルに言われた通り畑も見た。見たけれど、正直、どの畑がどのくらい使えるのかまでは分からない。土を踏んでみても土は土だったし、草が多い畑と少ない畑くらいしか僕には見分けがつかなかった。


「これ、戻せるのかな」


「俺に聞くな」


 ガレスも分からないらしい。


 オルステッド殿が、先行していたヴェルナー家の作業者を呼んだ。男は遠くの畑を指しながら、去年まで使われていた場所、戦で踏み荒らされた場所、水路が詰まっている場所を一つずつ説明した。


 聞けば聞くほど、家が空いているから人を入れれば終わり、という話ではなかった。


 人が住めても、食べる物が勝手に生えてくるわけじゃない。たぶんノエルに言ったら、最初からそう言ったでしょう、と返される。


 最後に回った大きめの村が、ザクセンだった。トルネと同じくらい家が集まっているのに、人の姿がほとんどない。


 広場の端にいたのは、ヴェルナー家から先に入っていた兵と書記、それに屋根を直している作業者くらいだった。倉は一つ、扉を直せばすぐ使えるらしい。井戸も水が出る。村の中まで荷車を入れられ、少し先には車を返せるだけの広さもあった。


 空き家の数も、これまで見た小村より多い。


「ここですね」


 トマが道の広さを見ながら言った。


「全部の荷をここへ入れるのは無理でも、一度ここへ集めて、周りの村へ分けるならやりやすいです。荷車を戻す場所もあります」


 エルヴィンも、村の外側から戻ってきた。


「西側に細い道が一本、今のところ大きな問題はなさそうだ。夜は閉じるか、一人置けば足りるだろう。人が増えれば見直しは必要だろうが」


 僕は倉の前に立って、村を見回した。人がいないから静かなだけで、家はある。ここに帳面を持ってきて、食料を置いて、連絡する人を置けば、たしかに使いやすそうだった。


「じゃあ、ここを中心にする?」


「受け入れの中心には一番向いているだろうな」


 ガレスが答えた。

 オルステッド殿も異論はないらしい。


「書記もここへ置きやすい。ヴェルナー領との連絡も取れる。アズール殿がここに詰めるなら、政務の中心もここになる」


「僕もここに住むの?」


「自分の領地だろう」


「そうなんだけど」


 まだ、自分の領地と言われるたびに少し変な感じがする。僕が何も言わずにいると、トマが倉の扉を押して具合を確かめながら言った。


「領主様がいる村なら、一応ここが領都になるんじゃないですか」


「ここが領都?」


 周りを見る。屋根を直している人が三人。ヴェルナー家の兵が二人。犬もいない。


「村だけど」


「村だな」


 エルヴィンが普通に答えた。ガレスは笑わなかった。


「領都にしたければ、まず人を入れろ」


「それはこれからやるよ」


 そういうことになった。

 新しい領都は、ほとんど誰も住んでいない村だった。


*


 草地へ戻った時、青い布の横にあった机は、僕たちが出た時よりさらに狭くなっていた。


 帳面が増えたわけではない。一冊の横に紙が足され、札が組ごとに束ね直され、その周りに木片や紐が置かれている。


 僕が近づくと、ノエルは書記から受け取った紙を帳面へ挟んだ。


「お帰りなさい。そっちはどうでした?」


「村が十あった」


「そこからですか」


「大事だよ。中くらいの村が二つで、小さい村が八つ。人が残ってるところと、ほとんどいないところがだいたい半分ずつ」


 ザイデルが手元の札を置き、こちらへ体を向けた。


「人が残っている村へ、こちらの後送者を多く入れるのは難しそうですか」


「できないわけじゃないと思う。でも、かなり怖がられてた。家や畑を取られるのかって聞かれたよ」


「そりゃ聞くだろ」


 近くで水桶を運んでいたブルーノが、そのまま会話へ入ってきた。


「知らねえ奴が領主ですって来て、後ろから何千人も連れてくるんだろ。俺でも嫌だ」


「ブルーノに言われると、すごく嫌なことしてる気がする」


「実際、向こうから見りゃ似たようなもんだろ」


 ガレスが荷車脇へ荷を置きながら、トルネで話したことを補った。


「今住んでいる家と畑には手をつけないと伝えた。新しく来る人間は、人のいなくなった村へ入れるともな。完全に安心したわけではないが、最初よりは話を聞くようになった」


「三年無税の話も、今いる人たちに適用されるって確認した」


「それなら大きいですね」


 ノエルはすぐ帳面の端へ何か書こうとして、途中で止めた。


「……それも別に記録します。あとで村ごとに、今いる家族と使っている畑を確認しないと。空いているように見えて、誰かが使っている土地だと困ります」


「また増えるの?」


「増えます。兄上が領地をもらったので」


「僕のせいみたいに言わないでよ」


「兄上の領地ですから」


 反論しづらい。


「それで、人数は?」


 僕が聞くと、ノエルはザイデルと一度帳面を確認した。


「今ここにいる後送者は、二千人を少し超えています。正確な数は今日の分まで締めれば出せます。ただ、今回知りたかったのは総数だけじゃありません」


 帳面の横に増えた欄を指す。


「新しい土地へ残りたい、帰る場所がない、今のところ残るしかない。そう答えている人を合わせると、千六百八十四人です」


「そんなに?」


「今の意思では、です」


 ザイデルがこちらを見た。


「帰りたいと言っている者でも、村がなくなっていれば戻れません。逆に、今は残ると言っていても、家族の所在が分かれば帰るかもしれません。千六百八十四は、今ここで聞いた答えを数えた数字です」


「じゃあ、三か月後に同じ数字とは限らないんだ」


「限りません」


「それでも、かなり残るね」


 僕は草地の向こうを見た。人が多いのは毎日見ていた。でも、千六百八十四と数字にされると、急に多く感じる。


 ノエルがさらに帳面をめくった。


「その中で、武器を持っていた者、元の兵として分けている者が五百人ほどいます。こちらは残る意思が強い人が多いです」


「兵として?」


「そう希望している人が多いです」


 そこで、また話し合いが必要になった。


*


 日が傾く前に、主だった者を荷車の周りへ集めた。


 アズール隊の百人全部を呼んだわけではない。ガレス、ブルーノ、ノエル、カイン、エルヴィン、ニルス、トマ、マルク、ザイデル、オルステッド殿。それに元兵側から、組をまとめている男を二人呼んだ。


 僕たちが見てきた土地の話から始めた。


「村は十。トルネっていう大きめの村と、小さい村四つには人が残ってる。だいたい前の半分くらい。ザクセンっていうもう一つの大きめの村と、小さい村四つは、ほとんど人がいない」


 ノエルは紙に五つずつ印をつけた。


「後送者を入れるなら、人のいない五村を先に使う方がいいですね。今いる住民のところへ、いきなり何百人も入れる必要はありません」


「僕もそう思う。ザクセンが一番大きくて、倉と水場もある。荷車も入りやすいから、そこを中心にしたい」


「兄上もそこへ?」


「そうなるみたい。領都らしいよ」


 ブルーノが笑った。


「もう町になったのか」


「村だよ」


「じゃあ村じゃねえか」


「僕もそう言った」


 笑っているのはブルーノだけで、ノエルはもう次の話へ進んでいた。


「では、帳面と配給の中心もザクセンへ移します。最初から全部の物資を一か所に積むと詰まるので、周りの四村へ分ける分はトマさんと先に決めましょう」


「道を見た限り、一度に全部入れるのはやめた方がいいです」


 トマが地面に指で簡単な線を引いた。


「ザクセンは荷車を返せます。でも小村の方は、道が狭いところがあります。先に空の荷車を戻せる場所を作って、それから荷を入れた方が早いです。移動そのものは全員でいいですが、列の前後は分けたいです」


「負傷者は荷車の数を先にください」


 ニルスがその線の横に指を置いた。


「歩ける人でも、丸一日歩かせたら次の日動けなくなる人がいます。戻ってきた三人も同じです。一番悪い人を先に荷車へ乗せて、途中で交代できるようにしてください」


「夜までに入り切らないなら、途中で止める場所も要る」


 エルヴィンが続ける。


「ただ、できるなら草地と新領に二つの集団を何日も置かない方がいい。見張りも配給も二重になる」


「じゃあ、何日もかけて少しずつ残すんじゃなくて、全体を一回の移動として動かす。前の方に準備できる人を置いて、後ろから家族や負傷者が来る形かな」


 僕が言うと、トマが頷いた。


「それならできます。先頭へ修繕と荷下ろしができる人を入れてください。後ろが着くまでに、少しでも空けられます」


 そこまでは、思ったよりすんなり決まった。


 問題は、その次だった。

 ノエルが元兵側の二人を見る。


「それで、残ると答えている元兵が五百人ほどいます。この人たちは、今後も兵として扱ってほしいという希望が多いです」


 年上の方の男が、すぐに言った。


「俺たちは、そのつもりです。武器を置いたのは戦が終わったからで、農民に戻ると決めたわけじゃありません」


「元は農民だった人もいるんじゃない?」


 僕が聞くと、男は少し困った顔をした。


「います。俺もそうです。でも、今さら村へ戻れるか分からない。ここへ残るなら、兵として使ってもらえると思ってました」


 もう一人も同じらしい。


「戦える者がいるのに、わざわざ解く必要はないと思います。村の見張りも要るんでしょう」


 ガレスは否定しなかった。


「五百人全部を常に同じ場所へ置く必要はないが、兵としてまとめておけるなら使い道はある。新しい土地の治安もまだ分からん」


「僕も兵でいてもらうのはいいと思う」


 そう言うと、二人の顔が少し楽になった。

 そこでノエルが帳面を閉じた。


「では、食事はどうします?」


 二人が黙った。


「今は沿海伯家とヴェルナー家から支援が来ます。でも、五百人をずっと兵として座らせて、毎日食料を出してもらうつもりですか。三年後には税も始まります」


「それは……」


「畑があります」


 ノエルは淡々と続ける。


「人がいなくなった村には、荒れていても農地が残っています。兵として残るなら、警備と訓練はしてもらいます。その上で、農地も戻してもらわないと食べていけません」


 年上の男が僕を見た。


「アズール様。俺たちが、畑を?」


「うん」


「農民としてですか?」


「兵はやってもらうよ」


「では、畑は……」


「それもやってもらう」


 自分で言っていて、少し変な話だと思った。

 男の方もそう思ったらしい。


「俺たち、農民じゃないんですが」


「でも、食べないといけないよね」


「食べます」


「だったら、誰かが作らないと」


 ブルーノが横から笑った。


「諦めろ。俺らだって今まで荷車押したり水運んだりしてんだ。兵だからって槍だけ持ってりゃ飯が出てくるわけじゃねえ」


「お前は畑を任せたら全部踏むだろうが」


 ガレスに言われ、ブルーノが不満そうに口を閉じる。

 元兵の男はしばらく考えてから、もう一人と小声で話した。


「家と畑は、俺たちが使っていいんですか」


「空いている場所を確認してからだけど、そのつもり。今いる人の畑を取るのはなし。人がいなくなった村を直して、そこに住んでもらう」


「兵として呼ばれた時は?」


「もちろん来てもらう」


「訓練も?」


 今度はガレスが答えた。


「必要だ。兵を名乗るなら、武器を持つ時だけ集まればいいとは考えるな。村の見張りも当番を組む」


 男は少しだけ顔をしかめた。


「畑もやって、訓練もやって、見張りもですか」


「そうなるね」


 僕が言うと、男はとうとう笑った。


「思ってた兵と違いますね」


「僕も思ってた領主と違うことしてるから、たぶん似たようなものだよ」


 その場で正式な名前が付いたわけでも、何か立派な制度ができたわけでもない。ただ、兵として残りたい者については、村の警備や訓練をしながら、住む村の畑を起こし、家や道も直してもらう。


 それならやる、と二人は言った。五百人全員が同じ返事をするかは、これから聞かなければならない。正式にどういう扱いにするかも、その後だ。けれど、少なくとも元兵側へ話を持っていく形はできた。


「じゃあ、こっちの百人はどうします?」


 ニルスが聞いた。


「僕たち?」


「九十七人に三人戻って百人になった方です。あっちの五百人が村に入るなら、こっちまで全員畑へ入れます?」


 僕が答える前に、ガレスが首を振った。


「こっちはアズールの近くで動かす。村の巡回、街道、治安、伝令。五百人をまとめる側も必要になる」


「百人全員が戦えるわけではありませんけどね」


 ニルスが、戻ってきた三人の方を気にするように言った。


「それでも、兄上と一緒に動いてきた百人を、いったん兄上付きとしてまとめるのが一番分かりやすいと思います」


 ノエルが帳面を開き直した。


「正式な役目や登録は後です。今は誰がどこを見るかを決めないと、移した翌日に迷います」


 また帳面だった。

 でも今回は、僕も文句を言わなかった。


*


 それから草地は、少しずつ片づける場所に変わっていった。


 縄で区切っていた場所の一つがなくなり、まとめ終わった荷物がそこへ積まれる。使わない桶は洗って重ねられ、天幕の中ではニルスが長距離を歩かせない人を選んでいた。


 トマは荷車を一台ずつ見て、何を積むかを決めていく。ノエルとザイデルは、組番号の横に移動時の並びを書き足した。


 帰りたいと答えた人もいる。

 新しい土地へ残りたいと言った人もいる。

 どちらにも印が付いていない人もいる。


 でも、今回は草地では分けない。

 まず全員で新しい土地へ移る。

 ザクセンを帳面と配給の中心にして、着いた組から周りの空いた村へ分けていく。


 村が残っているか。家族がいるか。道が通れるか。

 それを確かめてから、帰れる人は帰ればいい。


 出発の朝、青い布の下にはいつもより早く人が集まった。

 旗ではない。ただの目印だ。


 それでも、組頭が自分の番号を確認し、家族が荷物を持ち、荷車へ乗る負傷者をニルスが呼ぶ間、みんな一度はそこを見る。


 先頭にはガレスが人を出し、トマが荷車の間隔を確かめている。少し先ではエルヴィンが道へ出る人数を調整していた。


「詰めるな。前が動いてから次を出せ。荷車の横を歩く者は、車輪へ近づきすぎるな」


 その声の向こうで、ブルーノが元兵の一団へ何か言っている。


「お前ら、ザクセン着いたらまず屋根だぞ。畑はその後だ」


「もう農作業することになってるじゃないですか」


「俺に言うな。ノエルに言え」


「聞こえてますよ」


 机のところからノエルの声が飛んだ。


 近くにいた人が笑った。大きな笑いではない。荷物を背負い直しながら、隣の男が肩を揺らした程度だった。


 やがて、最初の荷車が動き出した。


 青い布の横を通り、道へ出ていく。その後ろから人が続く。

 草地へ来た時には、ここからどこへ行くのか分からなかった人たちだ。

 今も、その先ずっとザクセンにいるのかは分からない。


 帰る人もいると思う。残る人もいる。

 それでも今日は、同じ道を進む。


 荷車をしばらく見ていると、後ろからノエルに呼ばれた。


「兄上、見送るならあとにしてください。次の組の確認がまだです」


「今行くよ」


 僕は青い布の横を離れ、帳面の置かれた机へ戻った。

 その間にも、道へ出ていく人の列は途切れなかった。


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