第71話 東門を開け
帝国工兵の抱えた槌が、歩くたび僕の左肘に近づいてきた。
道幅は、盾兵が二人並べば、それだけで半分以上が埋まる。前を行くオルステッド隊が立ち止まるたび、工兵たちも斧や縄を抱えたまま足を止め、その後ろにいる僕たちは少しずつ押し戻されていた。
「詰めるな! 前が動くまで、その場で待て!」
オルステッド殿の声が、曲がった路地の先から戻ってくる。
マルクが裂けた盾を横へ向け、僕たちの後ろへ手を振った。
「止まれ! 前の兵の背中に槍を刺すなよ! 止まったら、後ろへ声を回して!」
後ろの兵が同じ言葉を繰り返す。鐘の音に混じりながら、それでも声は列の後ろへ流れていった。
家と家の間を、灰衣をまとった人々が走っている。僕たちと同じ東へ向かう者もいれば、肩を貸し合いながら南へ進む者もいた。戸板に男を載せて運んでいた二人は、大盾を見て壁際へ寄ったが、その後ろから来た若者がぶつかり、戸板の端が石壁へ当たった。
「道を空けろ! 担架は壁側へ!」
オルステッド隊の兵が間へ入り、武器を持っていない者だけを南へ通す。白い椀へ集まれという声が、別の路地から聞こえていた。
ブルーノは棍棒を肩へ載せず、両手で身体の前に立てていた。人が横を抜けるたび、棍棒の先を壁へ寄せる。
「こんなところで戦うのかよ」
「戦わずに門まで行ければ、その方がいい」
「それなら俺はいらねえだろ」
ガレスが前を向いたまま答える。
「敵がいなければな」
「それ、さっき聞いたぞ」
「聞いたなら覚えておけ」
列がまた止まった。前から伝令が走ってくる。帝国工兵の間を抜けることができず、斧の柄に肩をぶつけながら、ようやくオルステッド殿の後ろまで戻った。
「この先は通れません! 荷車を二台横倒しにして、戸板と木を積んであります。人だけなら脇を抜けられますが、大盾は無理です!」
「灰衣は潜んでいそうか?」
「見えるところにはいません。ただ、奥は確認できません」
オルステッド殿は後ろを振り返った。
「ここで待て。右の道を確かめる」
兵が三人、別の路地へ走る。残った前列は、塞がれた道へ盾を向けたまま動かない。僕たちのところからは、荷車も戸板も見えず、前が何で止まっているのか、伝令の言葉でしか分からなかった。
しばらくして、ヴェルナー家の旗持ちが後ろからやってくる。先ほどとは逆に、今度は僕たちが壁へ寄って道を空ける。
「子爵閣下より。右の道へ移れ。先頭から順に曲がり、後ろは今いる場所を動くな。工兵を先に通せとのことです」
「聞いたな!」
オルステッド殿が前へ声を飛ばす。前列が向きを変え、工兵が一人ずつ右の路地へ入っていく。後ろの槍兵は近づかず、僕たちの前にいた最後の工兵が曲がり切るまで、その場に残った。
「僕たちも行こう」
「まだです、アズール様」
右へ足を出しかけた僕を、カインが止めた。工兵の後ろにいた盾兵が通り、オルステッド隊の兵が手を上げてから、ようやくこちらにも動けという声が届く。
僕たちは右へ曲がった。新しい道はさっきより狭かったが、先へ行くほど少しずつ広くなっていた。石敷きの中央に、荷車の轍が二本残っている。東の方から、鐘とは違う重い音が聞こえた。
間を置き、また響く。
「何の音だ? 斧か?」
ブルーノが顔を上げる。
「門の外からだな」
エルヴィンは方角だけを確かめ、すぐ前へ目を戻した。
次の角へ差しかかった時、先頭で盾が鳴った。
「武器を捨てろ!」
「東門へ行かせろ!」
怒鳴り声のあと、槍の柄が石壁へ当たる。前へ出ようとした工兵が盾兵に押し戻され、列の中央が一度膨らんだ。
「工兵を壁へ! エスター隊、左を塞げ!」
僕たちの横に細い路地があった。灰衣の男が二人、短槍を持ってそこから飛び出してくる。ガレスが槍を横に入れ、穂先を先頭の胸元で止めた。
「前へ出るな。ここを通すな!」
マルクが裂けた盾を前に置き、その後ろに配下二人の槍を並べる。
「こっちは三人で足ります! 槍先、上げすぎるなよ!」
もう一人の灰衣が、壁際を抜けて工兵へ走った。
ブルーノが棍棒を短く持つ。大きく振らず、突き出された槍の穂先に柄を当て、そのまま石壁へ滑らせた。穂先が壁を擦ったところで棍棒を返し、灰衣の手元を下から打つ。
槍が落ちる。男の胸へ打ち込む代わりに、ブルーノは棍棒の先を首元で止めた。
「拾うなよ」
男は両手を上げた。前でも争う声が遠ざかっていく。オルステッド隊が、東門へ戻ろうとしていた灰衣を路地の奥へ押し返している。
「追うな! 列へ戻れ!」
オルステッド殿の声が飛ぶ。
ブルーノは逃げていく背を見たが、棍棒を振り上げなかった。
「分かってるよ」
僕へ言ったのか、前の声へ返したのかは分からない。そのまま棍棒を持ち直し、工兵の横へ戻った。
角を二つ曲がると、家並みの上に石造りの門楼が見えた。
東門の外から響いていた音は、もう腹へ伝わるほど近い。門扉を直接叩いているのではなく、外柵か、その手前に残った何かを壊しているらしい。斧の音に混じって、帝国兵の号令も聞こえた。
道の先には、荷車と樽、戸板を積んだ防柵が作られていた。その向こうに灰衣の槍が並び、門楼からは矢が飛んでくる。
先頭の盾に一本が刺さった。
「止まれ!」
オルステッド隊が左右の軒下へ分かれ、工兵と大盾を後ろへ入れる。僕たちも壁へ寄った。門裏の広場は思っていたより狭く、防柵から門扉までの間にも、木材や水桶が積まれている。
ヴェルナー子爵が後続とともに入ってきた。前へ出ず、家の角に立ったまま、門裏と門楼を見上げる。
「門上を取らなければ、工兵を出せんな」
帝国工兵の男が大盾の陰から答えた。
「閂まで取りついても、上から石を落とされれば作業ができません。横木のほかにも、何か積んでいるようです」
「オルステッド!」
「門楼へ上がります」
「エスター隊を連れていけ。正面はヴェルナーの槍で押さえる。工兵は門上が静かになるまで動かすな」
「承知しました」
オルステッド殿が僕たちへ向き直る。
「門楼は左だ。盾を前へ入れる。エスター隊はその後ろ。階段を詰まらせるな。負傷者を下げる道を空けておけ」
「はい」
ブルーノが門楼の入口を覗いた。
「狭そうだな」
「お前が棍棒を振れるほど広ければ、攻める側も苦労せん」
「なら、広いところまで押せばいい」
ガレスは槍を短く持ち、穂先を肩の高さまで下げた。
「押すのは前の盾兵だ。お前は後ろで待て」
「またかよ」
「先ほど待てたのなら、今も待てる」
「待てるのと、待ちたいのは別だろうが」
門楼の入口には、扉が残っていなかった。石段は途中で折れ曲がり、上へ向きを変えている。
オルステッド隊の盾兵が二人、縦に並んで入った。三人目がその後ろへつき、僕たちは少し間を空けて続く。
石段に足を掛けたところで、上から石が落ちてきた。
先頭の盾に当たり、跳ねた石が壁際を転がってくる。マルクが裂けた盾を斜めに差し出し、僕の足元へ来る前に受けた。
「石くらいなら、この盾でもまだ受けられますって」
「受けるのは構わん。割れ目へ指を入れるな」
ガレスは前を見たまま言い、盾兵の後ろへ槍を差し込んだ。
階段の上から短槍が伸びる。盾の端を狙って何度も突かれ、先頭の兵が足を止めた。
「盾を上げすぎるな! 足元を見ろ!」
オルステッド殿の声が、石壁の間で何度も返る。
前列が一段進み、また止まる。短槍が盾の横へ滑り込むと、ガレスが柄で押し上げ、穂先を天井へ向けさせた。その間に盾兵が踏み込み、上にいた灰衣を一段押し戻す。
「次、前へ!」
先頭が下がり、二番目の盾兵と入れ替わる。負傷した腕を押さえた兵が僕たちの横を抜け、階段を下りていった。
「右を空けて!」
僕が声を出すと、カインが身体を壁へ寄せる。マルクも盾を縦にし、下りる兵の肩が引っ掛からないようにした。
階段の折れ曲がったところには、小さな部屋があった。中から灰衣の兵が出ようとしたが、エルヴィンが先に人影を見つける。
「右!」
カインが一歩入り、剣で刃を受け止めた。後ろにいたマルクの兵が槍を向けると、灰衣は部屋へ戻る。
「二人残せ。中を見ろ。一人では入るな!」
オルステッド殿は立ち止まらず、前列をさらに上へ進ませる。
僕たちは一段ずつ上がった。
門上へ出る直前で、列が完全に止まった。
上からの石は減ったが、戸口の向こうに戸板と盾が重ねられている。隙間から短槍が何本も突き出され、盾兵が顔を出すこともできない。
前列が一度押した。
戸板は動かなかった。後ろで何人も支えているらしく、盾と盾が擦れる音だけが返ってくる。
「無理に入るな!」
オルステッド殿が前列を止めた。
槍がまた伸び、先頭の盾を叩く。階段では横へ避ける場所がない。このまま押せば、前にいる者から倒れて、下がる道まで塞ぐ。
オルステッド殿は戸口を見上げ、それから後ろへ顔を向けた。
「ガルト!」
「やっとか!」
ブルーノが僕の横を抜けようとする。
「待って。前の人を下げてから」
「分かってる!」
先頭の盾兵が一段ずつ下がる。ブルーノは急かしながらも押し退けず、最後の一人が壁際へ寄るのを待った。
オルステッド殿が階段の上を指す。
「戸口を開けろ。門上へ兵を通せ」
「開けた後は?」
「門上を取る。逃げる者は追うな」
「注文が多いな」
ブルーノは棍棒を両手で持ち、階段を上がった。
戸口の手前で、一度止まる。隙間から出てきた槍を、棍棒で正面から叩かなかった。身体を半歩ずらして穂先を壁へ流し、そこへ棍棒の柄を重ねる。そのまま下へ押し込むと、槍の持ち主が戸板の向こうで体勢を崩した。
二本目が胸元を狙う。ブルーノは棍棒を短く返し、槍の柄を内側から払った。穂先が戸口の石へ当たる。振り切らず、棍棒の先をそのまま戸板の下へ差し込んだ。
「そこか」
何を見つけたのか、僕には分からなかった。
ブルーノが腰を落とす。
戸板の下端が持ち上がり、支えていた男の足が見えた。力任せに板の中央を割るのではなく、下から傾けて、後ろの盾へぶつけた。
戸板がずれる。
そこへ肩を入れた。
石壁の間で、木と盾と人がまとめて鳴った。戸板を支えていた者が後ろへ押され、槍の穂先が一斉に上を向く。
「邪魔だ!!」
ブルーノの棍棒が振り下ろされた。狙ったのは人の頭ではなく、盾と盾の間だった。片方の盾が内へ折れ、隣の兵の腕へぶつかる。できた隙間へブルーノが身体をねじ込み、戸口の向こうへ片足を置いた。
灰衣の兵が左右から槍を向ける。ブルーノは棍棒を長く持ち直し、右から来た穂先を柄の中ほどで受け、巻き込むように下へ落とす。槍を持つ男が前のめりになったところへ石突を入れ、後ろの兵へぶつけた。
左の盾が迫る。棍棒の先が盾の中央を避け、縁を打った。盾が外へ開き、持ち主の脇が空く。ブルーノはそこへ踏み込まず、肩で押して列ごと横へ寄せた。
「開いた! 左右へ入れ!」
オルステッド殿が階段を駆け上がる。ガレスが続き、ブルーノの左へ槍を出した。戸口から出た盾兵たちは右へ広がり、門上へ上がる場所を作る。
僕たちも階段を進んだ。門上へ顔を出した時、ブルーノはもう数歩先にいた。
棍棒を大きく振っているように見える。それでも、味方の兵が入る場所には一度も振るわなかった。灰衣の槍が二本並べば、その間へ打ち込まず、一方の柄だけを叩いてもう一方へ重ねる。盾兵が固まれば、正面から割らず、端の一人を押して隣へぶつけた。
倒れる者が増え、立っていられる場所が減っていく。灰衣の守備兵は胸壁側へ押され、門上に作っていた列を保てなくなった。
「前だけ見るな! 階段を空けろ!」
マルクが後ろから兵を上げる。裂けた盾を胸壁側へ置き、矢を防ぐ板にした。
ガレスはブルーノの後ろを追わず、戸口の前で槍を横へ向ける。
「ここを閉じるな! 次を上げろ!」
ブルーノが壊した隙間へ、オルステッド隊が次々と入る。右の弓兵が弓を捨てて反対側の塔へ逃げ、石を運んでいた者たちも市街側の階段へ走り始めた。
ブルーノがそちらへ向きを変える。
「ガルト、追うな!」
オルステッド殿の声が飛んだ。
ブルーノは二歩進んだ。
三歩目は出なかった。
「分かってるよ!」
怒鳴り返し、棍棒を肩へ載せる。逃げる背ではなく、まだ胸壁際に残っている兵へ顔を向けた。その横へ入ったオルステッド隊の兵が、一瞬ブルーノを見た。
「何だよ」
「いや……味方には当てんのだなと思ってな」
「当たり前だろうが!」
ブルーノが言い終わる前に、ガレスが声を重ねる。
「話は後だ。反対側を押さえろ」
「お前はもう一人やっただろ!」
「今は関係ない」
ブルーノは不満そうに棍棒を下ろしたが、ガレスの指した側へ動いた。
門上の端に残っていた灰衣が武器を捨てる。オルステッド殿は斬らせず、壁際へ座らせた。
「門楼を押さえろ! 外へ盾を見せろ! 帝国兵へ射るなと伝えろ!」
兵が門外側の胸壁へ走る。帝国軍の印がついた盾を高く掲げ、下へ向かって何度も声を張った。門外では外柵が崩れたらしく、斧と号令の音が門扉のすぐ向こうまで近づいていた。
「門上は味方だ! 射撃を止めろ!」
外から返事が聞こえたかは分からない。けれど、少しして、門上へ飛んでいた矢が止まった。
下ではヴェルナー家の兵が防柵を押し、帝国工兵が門扉へ取りついていた。
僕は胸壁から身を乗り出さず、石の隙間越しに門裏を見た。工兵たちが、門扉の前へ積まれた木材を退けている。大盾がその周囲を囲み、灰衣が中央側から戻らないよう、ヴェルナー家の槍が道を塞いでいた。
「横木を先に落とすぞ!」
「荷を退けろ! 扉の前へ残すな!」
「鎖はまだ切るな! 外から引かれる!」
短い命令が下で飛び交う。
門扉の外でも、音が変わった。斧の打撃が止まり、人の声と縄の軋む音が増えていく。
オルステッド殿が階段へ兵を置き、僕たちの方へ来た。
「エスター殿。ここを保てるか」
「はい。何人残しますか?」
「ガレスとガルトは門上に残せ。ほかは階段と市街側を見ろ。下へ降りる者を勝手に追うな」
「分かりました」
カインが僕の右へ戻り、エルヴィンは市街側の階段を覗いた。マルクは上がってきた兵を左右へ分け、負傷した者を元の階段へ戻していく。
「門上へ来てまで、道を空ける仕事ですね」
「道が空かないと、誰も上がれないからね」
「それもそうです」
マルクは裂けた盾を胸壁に立て掛けた。
ブルーノが聞きつける。
「俺が空けただろうが」
「兄貴が開けたのは、あそこだけですよ。後ろまで全部は無理でしょう」
「お前、さっきから口が戻ってきたな」
「門が開きそうですからね」
下で太い木が落ちる音がした。
工兵の声が重なる。
「一本落ちた! 次だ!」
僕たちは門上から作業を見守るしかなかった。何をどの順で外しているのか、僕には分からない。門扉の内側には太い横木が二本あり、その周りにも楔や縄、積まれた木材が絡んでいる。
工兵は一つを外すたび、次に触る物を確かめていた。灰衣が門扉を固めるために使った荷車が動かされる。車輪が石に噛み、兵が三人で押しても進まなかった。別の工兵が斧を入れ、車軸を叩き外す。
ようやく荷車が横へ倒れ、門扉の前から退けられた。
「外へ合図しろ!」
門上の兵が盾を振る。下でも工兵が門扉を三度叩いた。
外から三度、返ってくる。合図に合わせて縄が張られたが、最初は何も動かなかった。
「まだだ! 右の楔が残ってる!」
外で縄を引く掛け声が止まり、工兵が門の根元へしゃがみ込む。槌が二度鳴り、楔が石の上へ転がった。
「もう一度!」
縄が再び張る。東門全体が、低く軋んだ。
胸壁の下で、木と鉄が擦れる。門扉の片側がわずかに外へ動き、細い光が内側へ差し込んだ。
その隙間へ、外から帝国兵の盾が入る。
「押すな! 引け! 外へ引かせろ!」
工兵が門裏の兵を下がらせる。縄がさらに張り、扉がもう一度動いた。
人一人が横向きに通れるほどの隙間ができると、帝国兵が身体を入れた。内側の木材を蹴って退け、次の兵へ手を伸ばす。
門裏に、帝国軍の盾が一枚、二枚と増えていく。外にいた兵の列は、その後ろへどこまでも続いていた。
僕は門の向こうを見たあと、市街の奥へ目を向けた。
南門は開いた。北門も破られ、今、東門からも帝国兵が入ってくる。それでも、家並みの向こうから人の声が聞こえていた。
白い椀へ集まれ、と誰かが叫ぶ。少し遅れて、鐘が鳴った。




