第49話 野盗らしき者たち
南の古い道は、草に埋もれ一見すると道だとわからなかった。
だが、死んではいない。踏まれた草があり、折れた茎があり、用水路の泥が乾かないうちについた足跡があった。
裸足、草鞋、底の擦れた靴。荷を引きずったような跡も、ところどころに細く残っている。
ガレスは、槍の刃を下げたまま先頭を進む。その半歩後ろに、エルヴィンが続き、村長代理と南畑の男は、さらに少し後ろを歩いている。
誰も大きな声を出さず道を進む。道中、鳥の声だけが遠くで聞こえ、その声すら、いつもより近いのか遠いのか、ガレスには分からなかった。
「普段はこんなに人の気配のない道のはずだが……」
南畑の男が、周りをきょろきょろと様子を見ながら低い声で唸るように声にした。
「いつ頃からかわかるか?」
ガレスが踏まれた跡を見つめながら聞く。
「分からん。だが、昨日今日だけじゃないように見える」
男は足元を見たまま答えた。鍬を握る手に力が入っている。鍬は畑で使う道具だ。だが今の男は、それを武器のように持っていた。
「一人、二人ではないな」
エルヴィンが目を細めて折れた茎に目を向ける。
「……野盗か」
村長代理が少し怯えたように声を震わせて言う。
農民にとって野盗は、もっとも身近な暴力だ。恐れるのも仕方のないことかもしれない。
「野盗なら、もう少し足跡を隠すことが多い」
「なら、流民か?」
「流民にしては、跡に迷いが少ない」
「……では何だ」
「分からん」
エルヴィンの返事は短かった。その短さが、余計に一同の雰囲気を重くした。
しばらく進むと、道の脇に布切れが結ばれた棒が立っていた。
棒は真っ直ぐではない。畑の境に突き立てられたものらしく、赤茶けた布が風に揺れている。旗というには粗末で、ただの目印というには目立ちすぎている。
エルヴィンが足を止め無言で棒を顎で指す。
「あれは何だ」
問われたガレスは、訝し気に棒に目を向け、少し考えたあと口を開く。
「境のようだな」
「何の境だ」
「そこから先へ入るな、という意味かもしれん」
村長代理が顔をしかめた。
「前はこんなものはなかったはずだ」
南畑の男が、畑の土に膝をついた。何かを掘り返すように指で土を払う。そこには、芋があった。一回掘り出された芋が土に戻されているように見える。だが、戻し方が雑だった。根は切れて、葉は折れている。土も押し固められていない。
「これは……抜いたあとに戻してる」
「戻して大丈夫なものなのか」
ガレスが聞くと、南畑の男は首を振った。
「……よくはない」
「では、なぜ戻す」
「わからん」
男は吐き捨てるように言った。
「わからんことばかりが増える」
村長代理が、棒に結ばれた布を見た。
「取っていない、ということにしたいのか?」
「戻せば盗っていないことになるのか」
「微妙なところだ」
さらに進むと、水路の縁に小石が並べられていた。流れを塞ぐつもりだったのか、何かを追い込むつもりだったのか、形はひどく中途半端だった。水は石の隙間を抜けて流れている。
近くには、泥に滑った跡がある。何人かが足を取られたらしい。畦に手をついた跡もあり、草が倒れていた。
鳥の羽が落ちていた。一枚ではない。小さな灰色の羽、白い羽、泥のついた羽。さらに先には、小魚の骨がいくつかと、兎の毛のようなものも残っていた。
「食った、あるいは捌いた跡が散らばっているな」
エルヴィンが落ちている痕跡を拾い、手に持って眺めながら目を細めた。
他の三人も各々、その跡を確認しつつ足を止める。
「誰であれ腹が減れば食うだろうさ」
村長代理も同じものを見ていた。
「ああ、野盗でなくてもな」
エルヴィンが、食い跡と足跡に目を向けながら答える。
村長代理は、少し顔を歪めながら問い返した。
「では何だ」
「腹を空かせた者たちだ」
「それが野盗だろう?」
「そうとも限らん」
「村から見れば同じだ」
村長代理は、苛立ったように息を吐いた。
「結果的には戻していたが……芋を荒らし、水路で泥だらけになり、鳥の羽を散らす。腹を空かせた者たち。お前たちは、それでも野盗ではないと言うのか」
「野盗らしき者たちだ」
エルヴィンは嚙みしめるように言った。
「らしき、か」
「断じれば、間違えた時に判断が鈍る」
ガレスは道の先を見た。木々の間から、屋根の落ちた家の影が少しずつ見え始めている。
空の村。誰も住んでいないはずの村だが、道は生きていた。
「ここらで戻るか?」
エルヴィンが村長代理に聞いた。
村長代理は、すぐには答えずに南畑の男を見た。南畑の男は、自分の畑の方を一度見て、それから首を横に振った。
「戻って、村には何と伝えるんだ?」
村長代理が難しい顔をして困った風に腕を組む。
「見て分かったところまで言えばいい」
「何も分からなかった、としか言えん」
「そうだな」
「それでは今までと何も変わらんではないか……」
エルヴィンは少し黙って考え込み、空の村の方へ目を向けた。そして、村長代理へ向き直り、それから頷いた。
「なら、引き続き見るだけだ」
「……分かった。そうしよう」
「分かっていない者ほど、そう言うがな」
村長代理は嫌そうな顔をして口を閉じた。
その時、エルヴィンが片手を上げた。
振り返り、後ろの三人へ止まるように目線で告げる。
「見張りがいる」
ガレスは目を細めた。
「どこだ」
「あそこの低い木の陰だ」
見ると、若い男が一人いた。隠れているつもりなのか、木の陰に半身を入れている。だが、肩が出ており、棒の先も見えている。こちらを見ていることも丸わかりだった。
「あれで、隠れているつもりなのか」
南畑の男が周りにだけ聞こえるように小さく言った。
「隠れているつもりなんだろうな」
エルヴィンが答える。
若い男は、こちらと目が合ったと感じたのか、慌てて身を引いた。だが、隠れたのではなく、一目散に廃村の方へ走り出していく。
「追うぞ」
ガレスが走り去る若者に鋭い目線を向けながら足を出す。
そのガレスの肩を掴み、エルヴィンが止めた。
「まだ追うな」
「あいつの仲間に知られるぞ」
「だから追うな。知らせた後の動きを見たい」
「逃げられるかもしれんぞ」
「逃げるなら逃げ先が掴める」
「もし集まるようならどうする?」
「それはそれで手っ取り早い」
ガレスは足を止めた。
見張りの若者は、何度も振り返りながら廃村へ走っていく。足は速くない。途中で一度つまずき、転びかけた。だが、何とか踏みとどまって、焼けた家並みの向こうへ消えていった。
南畑の男が、おろおろしながら喉を鳴らした。
「中に知らせたな」
「そうだな」
「迎え撃つ気か」
「それも見る」
エルヴィンは、廃村から目を離さなかった。
*
四人は、さらに進んだ。
廃村は、近づくほどに空の村という雰囲気ではなくなっていった。
焼けた家があり、壁だけの納屋がある。井戸もあれば、井戸の周りには桶がいくつも置かれていた。
荷車がある。一台ではない。車輪の外されたものもあれば、荷台に布をかけられたものもある。
鍋もあった。湯気は細いが、確かに上がっている。
その周りには、椀を持った若い男たちがいた。泥のついた外套。継ぎはぎの服。元は兵のものだったのかもしれない短衣。農民の麻服。誰のものとも分からない布。服も、武器も、揃ってはいない。
だが、人はいた。多い。想像していたよりずっと多かった。
鳥の羽が散り、用水路から戻った者たちの足跡が、泥を引いている。
壁に短槍や棒が立てかけられ、弓もある。剣も少し見えている。
「野盗の巣だ」
村長代理が、怯えを隠さずに震えながら低く言った。
村のすぐ近くに、これだけの得体のしれない若者たちの武装した集団がいるのだ、怖くないはずがない。
「まだ分からんぞ」
それでも、エルヴィンはまだ断定しない。
「あれを見て、まだ分からんのか」
「分からん。いや、腑に落ちん」
「武器も荷車もある。得体のしれん若い男が集まっているんだぞ」
「野盗に見えなくもないな」
「……どう見ても野盗だろう」
「軍には見えるか?」
「とても見えんな」
「村には見えるか」
「ありえん」
「流民には見えるか?」
村長代理は、ため息だけを残し答えなかった。
「強いて言えば野盗だが、それだけにも見えん。だから分からん」
エルヴィンはそう言い、ガレスを見た。
「ここから先は、俺とガレスだけで行くぞ」
南畑の男が、鍬を握り直した。ついて行く気なようだ。恐怖で震えているのが見えてわかるが、引き下がる気がなさそうだ。
「俺の畑へ来ていた連中だ」
「怪我では済まんかもしれんぞ」
「だが、あれは俺の畑へ来ていた連中だ」
「二度は言わん、下れ」
エルヴィンの声は、静かだった。静かだからこそ、拒めない響きがあった。
南畑の男は、まだ何か言いたげだったが、その前に村長代理も前へ出ようとし、口を開く。
「俺は村の者を代表して来たんだ」
「なら、生きて戻らねばならんな」
エルヴィンが諭すように落ち着いた声で言った。
「死んだ代表は、村へ何も持ち帰れん」
村長代理は唇を噛む。南畑の男は、悔しそうに鍬を下げた。
村の二人は、道脇の崩れた石垣の陰まで下がらせた。そこなら、廃村は見える。だが、若者たちの手はすぐには届かない。
ガレスは、その二人の前に立ち、前を見据える。槍の刃は下げたままだ。
「俺が先に入る」
「まだ刃を上げるなよ」
エルヴィンがあまり信用していなさそうな顔をガレスに向けて言う。
「分かっている」
「分かっている顔ではない」
「……分かっている」
「見つかった時は?」
「退く」
「違うな。まず話す。退くのは、その後だ」
ガレスは、少しだけ眉を上げてエルヴィンを見た。
「話せる相手か?」
「それを見に来た」
エルヴィンの手は、腰の短剣の近くにある。
だが、抜いてはいない。いつでも抜けるが、まだ抜いてはいない。
廃村の若い男たちが、こちらに気づき始めた。一人が椀を落とし、別の一人が短槍に手を伸ばしたが、握る前に周りを見ている。そうしていると一人が井戸の方へ走っていった。
「槍を持っているぞ」
「帝国兵か?」
「違うだろ」
「隣村の者か?」
「村の者は槍を持たねえ」
「灰色か?」
「どうみても灰色じゃねえ」
「親分を呼べ!」
「もう呼んだ!」
声がばらばらに飛ぶ。だが、すぐには襲いかかってはこない。逃げる者もいたが、全員ではなく、武器を取る者もいる。だが、構えは揃っていない。
ただ、見ている。こちらをじっと見ていた。
ガレスは、槍を低く持ったまま廃村へ入る。
足元には、鳥の羽と泥の跡がある。割れた椀、しゃぶられた骨、薄い鍋の匂い。肉というより、骨と草と湯の匂いだった。
若者たちがこちらを見ている。目だけがぎらぎらした者。怯えた者。腹を押さえる者。笑っていいのか、逃げた方がいいのか、分からない顔の者。
井戸の周りには桶が置かれていた。荷車らしきものもあった。一台ではない。動くものかどうかは分からない。車輪の外されたものもあれば、荷台に布をかけられたものもある。
鍋の前には列ができている。乱れているが、それでも列だった。壁には短槍や棒が立てかけられている。揃ってはいない。だが、捨てられているのではなく、そこに置かれていた。
そして最後に、井戸の縁に座る大男を見た。
大きな肩。乱れた髪。膝の上に置かれた、太く無骨な大棍棒。
剣ではない。槍でもない。見間違えるはずのない、大棍棒だった。
ガレスは息を吸った。
生きていた。そう思うより先に、名が落ちた。
「……ブルーノ」
その声が聞こえたのか井戸の縁の大男が、ゆっくりと顔を上げた。




