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エルダニア大戦記〜敗残兵に飯と役目を与えていたら、乱世の国づくりが始まりました〜  作者: 志摩 伊純
第3章:灰衣大乱

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第37話 旧ハルヴァ砦攻略戦・後編


 寄子軍の旗が、川へ入っていく。


 高所から見下ろすと、それは川へほどけていく帯のように見えた。

 先に渡ったルミナ沿海伯家軍の旗は、もう向こう岸に立っている。

 濡れた兵たちが盾を並べ、槍を前へ向け、その後ろへさらに人が続いていく。


 水の流れはまだ強い。

 落とされた橋の残骸は、川の真ん中で水を乱している。

 それでも、さっきまで壁のように見えていた川は、もう完全な壁ではなくなっていた。


 道が、できていく。


 人が進めば、道になる。

 旗が立てば、そこが味方の場所になる。


 僕らは、それを高所の荷車のそばから見ていた。


「まだ待つのかよ」


 ブルーノが、何度目か分からない不満を口にする。


「まだだよ」


「川、越えてんじゃねえか」


「越えてるから、余計に僕らが行くところじゃないんだと思う」


「どういう理屈だよ」


 ブルーノが眉を寄せる。

 僕にも、うまくは説明できない。


 ただ、軍を見ていると分かる。

 今、川を越えているのは、僕らのような三十に届かない部隊ではない。

 ルミナ沿海伯家軍が先に水へ入り、寄子軍がそこへ続く。

 弓兵が射線を変え、伝令が走り、旗が左右へ広がっていく。


 大きな軍が、大きな軍として動いている。


 そこへ僕らが混ざっても、役には立たないだろう。

 むしろ、邪魔になるかもしれない。


「強い隊ほど、動かさない時がある」


 ガレスが短く言った。


 ヴェルナー子爵家軍の旗は、まだ南側の備えとして動いていない。

 槍は立っている。

 馬も動ける。

 けれど、前へ出ない。


 動けるからこそ、動かない。


 それが、僕には少しずつ分かり始めていた。



 ロドリック・サヴェルヌ軍務長の指揮所から、伝令が次々に出ていく。


「渡った隊は広がれ。中央と離れるな」


「寄子軍、旧砦の脇へ伸びろ。逃げ道を塞げ」


「奥も見ろ。追いすぎるな」


 声はここまで途切れ途切れに届く。

 けれど、旗の動きはよく見えた。


 ルミナ沿海伯家軍の旗が旧ハルヴァ砦へ向かって圧をかける。

 寄子軍の旗が、その左右へ広がっていく。

 正面から押しつぶすのではなく、逃げ道を細くしていくような動きだった。


 川沿いの灰衣勢は、まだ抵抗している。

 石を投げ、矢を射返し、槍を突き出している。

 けれど、さっきよりも形が乱れていた。


 川沿いに残るのか。

 旧砦へ下がるのか。

 砦の奥へ逃げるのか。

 それとも、前へ出て押し返すのか。


 どの声も、他の声を押しのけているように見えた。


 遠くからでも、怒鳴り声は分かる。

 でも、それは命令には見えなかった。


「崩れてきたかも?」


 ニルスが、僕の隣でつぶやく。


「まだ崩れてはいない」


 ガレスが目を細めて言う。


「だが、形は薄くなっている」


「薄くです?」


「川沿いに立っているだけなら、まだ一つの線に見える。だが、旧砦へ下がる者、逃げようとする者、前へ出る者が混ざれば、線ではなくなる」


 ガレスの視線は、ずっと川向こうに向いている。


「線でなくなれば、押せる」


 太鼓が二つ、短く鳴った。


 対岸の盾列が半歩進む。

 泥を踏む音が重なり、川岸に残っていた灰衣勢の声が一瞬だけ沈んだ。


 その言葉の通り、ルミナ沿海伯家軍の旗が一つ、前へ出た。

 それに合わせて、寄子軍の弓兵が射線をずらす。

 矢は、灰衣勢の足元や前面へ落ちた。


 逃げようとした者が、後ろの者とぶつかる。

 前へ出ようとした者が、盾の列を見て足を止める。


 殺すためだけの矢ではない。

 道を狭めるための矢だ。


 僕は、黒棘の森を思い出した。

 あの時、矢は逃げ場をなくすために降ってきた。

 今、味方の矢もまた、逃げ場を狭めている。


 ただ、違う。

 今の矢は、こちらの軍がどこへ進むかを作る矢だった。


 同じ矢なのに、まるで違うものに見えた。



 手前の橋を落としたこと自体は、間違っていない。


 ピリムは、旧ハルヴァ砦の崩れた土塁の陰から、川筋を見ていた。


 ルミナ沿海伯家軍は川を越えた。

 寄子軍も続いている。

 橋を落としても、止まらない。

 矢を浴びせても、崩れない。


 つまらないほど堅い軍だった。


 それでも、考え方は間違っていない。

 手前の橋を落とし、奥の橋を残す。

 敵の渡る場所を減らし、こちらの逃げ道を残す。

 そうすれば、時間は稼げる。


 稼げるはずだった。


 問題は、こちらの足だった。


 遅い。


 野営地から荷を動かすだけで詰まれば、粥釜一つ捨てるにも声が割れる。

 負傷者を担ぐ者が止まり、老人が転び、子供が泣く。しまいには川沿いの男たちは勝手に叫び、勝手に前へ出る。


「奥へ回せ! 川沿いで粘るな!」


 ピリムは怒鳴った。


「橋を空けろ! 荷を先に通すな!」


 返ってきたのは、別々の声だった。


「粥釜を置けるか!」


「負傷者がいるんだ!」


「女衆を先に行かせろ!」


「前が詰まってる!」


 どいつもこいつも、自分の荷と自分の身内のことだけを見ている。


 命じた通りに動く者は半分。

 怒鳴れば動く者が三割。

 残りは、怒鳴っても動かない。


 その残りが、戦場を詰まらせる。


「粥釜を抱えて戦ができるか、馬鹿ども!」


 ピリムは舌打ちした。


 同じ椀から粥を分ける。


 その言葉は、腹が空いている時には人を集める。

 だが、逃げる時に人を並べる力はない。


 勝つつもりなど、最初からない。

 時間を稼ぐだけでよかった。

 だが、稼いだ時間で逃げるには、こちらはあまりにも重かった。


 砦の奥で、粥の煙が上がっている。

 荷車がある。

 老人がいる。

 子供がいる。

 負傷者がいる。


 それらを守ると叫んでいた者たちが、今は自分の逃げ道だけを見ていた。


 ピリムも、その一人だった。



 旧ハルヴァ砦の奥にあった大きな灰色の塊へ、寄子軍の一部が近づいていった。


 高所から見ている僕らには、まだ遠い。

 でも、さっきよりはずっと近い。


 大きな灰色の塊は、動きが鈍かった。

 川沿いの灰衣勢のように、槍を並べているわけではない。

 叫びながら前へ出るわけでもない。


 煙が上がっている。

 粥を炊く煙だと思う。


 荷車がいくつも見える。

 布を広げた場所もある。

 筵のようなものが並んでいる場所もある。


 人が多い。

 けれど、兵の列ではない。


「戦列ではないな」


 エルヴィンが言った。


 ノエルも、荷車の脇から目を細めていた。


「武器を持っている者はいます。でも、半分もいないように見えます」


「ここから分かるの?」


「全部は分かりません。でも、槍の向きがそろっていません。荷車と人の間に隙間もありません。戦う場所としては、乱れすぎています」


 ノエルの声は静かだった。


 僕は、灰色の塊を見た。


 遠くから見れば、全部が灰衣だった。

 灰色の布。

 白い椀の旗。

 粥を炊く煙。

 荷車。

 人の列。


 でも、近づけば違うのかもしれない。


 そう思った時、寄子軍の前列が、五歩ほど進んで止まった。

 盾が並ぶ。


 その後ろで、弓兵が弓を引きかけたまま止まる。

 放たれない矢の気配だけが、野営地の上に落ちた。


 現場の士官らしい男が、手を上げた。


 声までは届かない。

 でも、身振りは分かった。


 撃つな。


 そう命じたのだと思う。


 すぐに伝令が走った。

 少し遅れて、こちら側にも声が届く。


「野営地へ矢を入れるな!」


「武器を置く者は通せ!」


「走らせるな、座らせろ!」


 ロドリック軍務長の指揮所からも、同じような命令が伝わっていく。

 ルミナ沿海伯家軍も、寄子軍も、そこでいきなり矢を入れなかった。


 大きな灰色の塊は、兵の塊ではなかった。



 最初に白い布を掲げたのは、荷車の脇にいた女だった。


 遠くて顔までは見えない。

 けれど、両手で布を上げた動きは見えた。


 次に、老人らしき者が杖を放した。

 その隣で、若い男が農具のようなものを地面に置いた。

 筵のそばにいた者たちが、座り込む。


 白い椀の旗の下にいた者たちが、次々に膝をついていった。


 戦うために槍を構えるのではなく、戦わないことを示すように。


 椀を地面に置く者がいた。

 灰色の布を脱いで、両手を見せる者がいた。

 負傷者を背負って、ゆっくり前へ出てくる者もいた。


 戦いをやめるというより、もう立っていられなくなった者たちが、そこから下りてくるように見えた。


 彼らは戦列ではなかった。

 強く押し込めば、恐怖で向かってきたかもしれない。

 でも、道を開けられ、武器を置けと言われると、そのまま落ちた。


 ブルーノが、少しだけ眉を寄せる。


「なんだ、ありゃ」


「灰衣だよ」


「でも、戦う者の顔じゃねえぞ」


 ブルーノは、そう言った。


 僕はうなずく。


「うん」


 戦う顔ではない。

 でも、灰衣の旗の下にいた。

 粥を炊き、荷を集め、戦う者たちの奥にいた。


 それをどう呼べばいいのか、僕にはまだ分からない。


 ただ一つだけ、分かることがある。


 川沿いで槍を構えている者たちは、まだこちらを止めようとしている。

 石を投げ、矢を射て、こちらの兵を殺そうとしている。


 なら、そこは敵だ。


 事情があっても、槍をこちらへ向けるなら敵になる。

 僕にとっては、自分と見える仲間の方が大切だ。


 その線は、揺らがなかった。



 使えない。


 ピリムは、下っていく野営地を見て、そう思った。


 やはり、使えない。


 白い布を掲げる者。

 椀を置く者。

 荷車の脇に座る者。

 膝をつく者。


 そういう者たちがいるから、人は集まった。粥の煙があるから、飢えた者は寄ってきた。白い椀の旗があるから、槍を持つ者も混じった。


 だが、いざ戦になれば足を引く。

 逃げるにも遅い。

 守るにも重い。


「下るな! 裏切り者!」


 好戦的な灰衣の男が怒鳴っている。

 その隣で、自衛のために槍を持ったらしい男が、もう武器を下ろしかけている。

 野盗崩れは、そんな二人のどちらも見ていない。

 見ているのは道だ。

 橋だ。

 葦原だ。


 ピリムも同じものを見ていた。


 もう、灰衣全体を動かす気はなかった。

 動かないものを動かすほど、暇ではない。


「旗は捨てろ!」


 ピリムは怒鳴った。


「椀も捨てろ! 走れる奴だけ来い!」


 近くにいた男が、白い椀の旗を見た。


「でも、あれを捨てたら」


「旗を背負って走れるのか」


 男は黙った。


「荷も捨てろ。遅い奴は置いていく」


 別の男が言う。


「粥場の連中は」


「粥釜を抱えて逃げる気か、馬鹿が」


 灰色の布を肩から外す者がいた。

 槍を捨て、短剣だけを腰に残す者がいた。

 泣いて座り込む女を押しのけ、泥を蹴る者がいた。


 ピリムは、それを止めなかった。


 灰衣を纏えば、貴賤は消える。

 同じ椀から粥を分ける。


 どこかで、まだそんな言葉を叫んでいる者がいる。


「知るか」


 ピリムは吐き捨てた。


「矢は布の色なんぞ見ねえよ」


 橋は残してある。

 自分が残した。

 だから、そこまで走ればいい。


 それだけだ。



 野営地が下り始めたことで、川沿いの灰衣勢がさらに乱れた。


 守るはずだった奥が、戦わずに膝をついていく。

 粥釜の周りにいた者たちが、白い布を掲げている。

 荷車の列が動きを止め、武器を持っていた者も地面へ置き始めている。


 それを見て、灰衣勢の中からも、武器を下ろす者が出た。


 けれど、全員ではない。


 怒鳴る者がいる。

 裏切り者と叫ぶ者がいる。

 旧砦の方へ走る者がいる。

 まだ槍を構え続ける者がいる。


 灰衣は、そこで分かれていった。


 下る者。

 武器を置く者。

 まだ戦う者。


 遠くからは一つに見えた灰色が、川の向こうでばらばらになっていく。


「もう終わりなんでしょうか?」


 ニルスが言った。


「終わり始めただけだ」


 ガレスが答える。


「最後まで槍を握る者がいる」


 その通りだった。


 旧ハルヴァ砦の崩れた土塁の近くに、まだ灰衣勢が固まっている。

 白い椀の旗が、そこに立っていた。

 旗を守ろうとしているのか、旗の下で死のうとしているのかは分からない。


 だが、槍はまだ前を向いている。


 ロドリック軍務長の伝令がまた走った。


「押し込め。入るな」


「逃げ道を塞げ」


「旗を下ろさせろ」


 ルミナ沿海伯家軍は、旧砦へ殺到しなかった。

 寄子軍も、前へ出すぎない。

 弓兵が土塁の周りへ矢を落とし、槍兵が距離を詰める。


 旧砦は、囲まれていく。



 橋は見えていた。


 まだ残っている。

 まだ渡れる。

 あれは、自分が残した道だ。


「走れ!」


 ピリムは泥を蹴りながら怒鳴った。


「旗は捨てろ! 椀も布も捨てろ! 走れる奴だけ来い!」


 背後で、まだ怒鳴り合う声がしている。

 下る者を罵る声。

 置いていくなと叫ぶ声。

 助けてくれと泣く声。


 どれも遅い。


「遅い奴は置いていけ!」


 前で男が転んだ。

 ピリムはその背を蹴った。


「どけ!」


 橋は近い。

 もう少しだ。

 手前の橋は落とした。

 奥の橋は残した。

 逃げ道は作った。

 自分は間違っていない。


 前方の葦の向こうで、寄子軍の旗が動いた。


 旧砦の脇へ伸びていた一隊だ。

 土手の影を回り、橋へ向かう細い道を先に押さえている。


 ピリムの足が、一瞬だけ止まりかける。


「……なんで、もうそこにいる」


 早い。

 早すぎる。


 つまらないほど堅い軍は、逃げ道を見るのも早かった。


「撃つな、こっちにはまだ」


 誰かが叫んだ。

 言い終わる前に、矢が飛んだ。


 肩に刺さる。


 ピリムは歯を食いしばった。

 足は止めない。


「ふざけるな」


 次の衝撃が、脇腹を抉った。


 息が詰まる。

 泥が跳ねる。

 橋が揺れて見える。


「俺が、ここで」


 橋は、まだ見えている。

 近い。

 だが、近いだけだった。


 さらに矢が飛んだ。

 どこから来たのか分からなかった。


 ただ、身体の力が抜けた。


 膝が泥に落ちる。

 灰色の布が肩から滑り落ちる。


「俺が、こんなところで……」


 喉の奥で、声が潰れた。


「ふざけるな」


 最後にもう一度、ピリムはそう言った。


 誰にも届かなかった。



 旧砦の上で、白い椀の旗が揺れた。


 風ではない。

 誰かが、旗竿を握っている。


 まだ抵抗する声がある。

 怒鳴る声がある。

 泣く声もある。


 だが、もう押し返す形は残っていなかった。


 奥側の橋へ逃げようとした者の一人が、泥まみれで戻ってきた。


「橋はだめだ! 向こうにも旗がいる!」


 その声が、土塁の周りに広がった。

 最後まで槍を握っていた者たちの顔が、そこで初めて揺れた。


 ルミナ沿海伯家軍の旗が正面にある。

 寄子軍の旗が左右にある。

 弓兵が逃げ道を見ている。

 旧砦の向こう側にも、寄子軍の別働が回っている。


 旧ハルヴァ砦は囲まれていた。


 土塁の脇から、灰衣の数人が声を上げて飛び出しかけた。

 だが、出る先はもうなかった。

 正面の盾が寄り、左右から槍の穂先が向く。

 弓兵が弦を引いたまま、逃げ道だけを消している。

 飛び出しかけた者たちは、二歩も進めずに止まった。


 ロドリック軍務長の命令が届く。


「旗を下ろせ。武器を置く者は斬るな」


 それから少し間があった。


 白い椀の旗が、また揺れた。


 まだ握っている者がいる。

 手放させようとする者がいる。

 その場で膝をつく者もいる。


 やがて、旗が傾いた。


 ゆっくりと、土の上へ落ちる。


 その瞬間、旧砦の周りで槍を投げる者が出た。


 一人。

 また一人。

 膝をつく者が増えていく。


 最後まで槍を握っていた者が、ルミナ兵に取り押さえられた。

 逃げようとした者は、寄子軍に囲まれた。

 旧砦の門跡に立っていた男が、両手を上げる。


 白い椀の旗は、もう立っていなかった。


 それから、音が変わった。


 ぶつかる音ではなく、槍が泥に落ちる音。

 怒鳴り声ではなく、座れ、武器を前へ出せ、怪我人を分けろ、という命令の声。


 戦は終わっていく。

 でも、終わった後の仕事はもう始まっていた。



 下った者たちの列が、少しずつ後方へ送られてきた。


 白い布を掲げた者。

 農具を持たず、両手を上げている者。

 負傷者を背負って歩く者。

 筵を担ぐ者。

 泣く子供を抱えた女。


 カインが、僕の少し前へ出た。


 剣に手はかけていない。

 けれど、いつでも動ける距離にいる。


 僕らは、まだ高所の荷車のそばにいた。


 荷車二台。

 三十に届かない者たち。

 動ける者と、まだ休ませなければならない者。


 川の向こうで下ってくる灰衣の列に、僕らが何かをできるわけではなかった。


 川の向こうでは、まだ捕縛と整理が続いている。

 槍を集める兵。

 負傷者を分ける兵。

 投降者を座らせる兵。

 逃げようとした者を縛る兵。


 勝った後の景色は、思っていたよりも静かで、忙しかった。


「俺ら、本当に何もしなかったな」


 ブルーノが言った。


「何もしていないわけではない」


 ガレスが返す。


「見てただけだろ」


「見ることも、必要な時はある」


 ブルーノは不満そうに口を曲げた。

 けれど、それ以上は言わなかった。


 僕は、川の向こうを見た。


 ルミナ沿海伯家軍の旗と、寄子軍の旗が旧ハルヴァ砦を囲んでいる。

 白い椀の旗は、土に落ちている。

 灰色の者たちが、列を作って下っていく。


 僕らの足元の土だけが、最後まで乾いたままだった。

 それでも、川の向こうで戦は終わっていく。

 遠くからは、みんな同じ灰色に見えた。


 けれど近づけば、そこには戦う者がいて、戦えない者がいた。

 槍を置く者がいて、最後まで握る者がいた。


 勝ったのだと思う。

 でも、胸の奥には、勝ったという言葉だけでは収まらないものが残った。


 旧ハルヴァ砦攻略戦は、終わった。

 けれど、川の向こうから下ってくる灰色の列は、まだ途切れていなかった。


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