第28話 丘陵の初戦
ヴェルナー子爵家軍の角笛が鳴った。
丘陵に吹く風が僕の頬をなでる。
中央にはヴェルナー子爵家軍本隊。
左右にはそれぞれ部隊。
オルステッド隊は左翼寄り。
僕たちは、そのさらに後ろに置かれていた。
今、灰衣討伐がはじまろうとしていた。
*
角笛の後も、まだ両軍ともに、目立った動きはなかった。
僕の位置から見える限りでは、灰衣はヴェルナー子爵家軍に数で劣るように見える。
灰衣の布。
長さの揃わない槍。
鍬。
古い盾。
手入れがされていない革鎧。
元兵らしい者が怒鳴っている一方で、ただ周囲に乗せられているだけの村人風の者も見える。
「動かねえな」
ブルーノが僕の横に立ち同じように灰衣たちを見下ろしている。その顔は、いつものようなふざけた様子はなく、鋭い視線でこれから戦うであろう相手を睨むように見つめていた。
僕はしばらくブルーノと黙って灰衣たちの動きを眺めていた。
「お、相手さんが出てくるようだぜ」
ブルーノの声に改めて灰衣の方へ目を向けると、敵の全軍がこちらへゆっくり進軍してくるのが確認できた。
僕から見て確認できるのは、敵は中央と、その左右で三部隊。あと、僕から見て右奥に小さな部隊が二つだ。
それぞれが前進してきているが、ヴェルナー子爵家軍は受けるつもりなのか、いまだに動きがない。
「緩やかな傾斜で高所を取っているから、こちらから無理に出ることもあるまい」
エルヴィンは全体を俯瞰して見ているのか、目を細くして灰衣とヴェルナー子爵家軍を眺めている。
灰衣が丘陵の端に足をつけ始めたころに、ヴェルナー子爵家軍の動きがあった。数こそそれほど多くはないが、それぞれの部隊から弓が放たれ、灰衣へ飛んでいく。
しかし、灰衣側もそれを待っていたかのように、一気に加速し丘陵を駆け上がってくる。
声は大きい。
足も速い。
けれど、列はそろっていない。
駆け上がる勢いこそそれなりには感じるのだが、隊としてのまとまりはヴェルナー子爵家軍ほどには感じない。
「まだかよ」
ブルーノが焦れたように聞いてくるが、僕たちは後方支援だ。たぶん、出番はないんじゃないだろうか……。
「まだ」
ブルーノは「へーい」と気の抜けたような返事をしているが、顔は真剣なままだ。
矢に射られながらも止まることなく突き進んできた灰衣たちの先団がヴェルナー子爵家軍とぶつかった。
僕らの前面に展開しているオルステッド隊にも灰衣の一隊がぶつかり、激しい怒号と金属音が鳴り響いている。
でも、ヴェルナー子爵家軍は崩れない。盾を構え、傾斜を活かし、灰衣の勢いを殺して押し返そうとしている。中央と右翼の状況はもうわからないが、おそらく同じような感じだろう。ヴェルナー子爵家軍からは焦りは感じられない。
黒棘の時は、ぶつかったところから崩れていった。
けれど、今、崩れていないのは僕たちの側だ。
「ガレス、いつでも動けるように!」
僕はガレスにそう指示を飛ばす。
今のところ、数でも地形的な有利さでも、ヴェルナー子爵家軍が勝っている。
しかし、僕たちは最後方だ。
今はじっと待つしかできないが、何かあった時にすぐ動けるようにはしておかねばならない。
オルステッド隊は、じりじりと灰衣たちを押し返して、一歩、また一歩と前進を開始する。僕たちもそれに合わせて、ゆっくり隊列を意識しながら付いていく。
丘陵を下るようにゆっくり前進し、オルステッド隊の後方につく。先団では激しい戦闘の音が響いている、目と鼻の先だ。
その時、オルステッド隊から若い伝令が飛んできた。
「失礼する! アズール殿、前方の灰衣の側面を押さえていただきたく」
側面、おそらく僕から見て左側面だろう。右側面はヴェルナー子爵家軍のもう一隊がいて押さえるだけの空きがない。
僕はガレスを見て、可能かの意見を問う。
「ガレス、やれそう?」
「深く追わなければ、いける」
ガレスは進路を確認するように斜面に目を向け頷いている。
エルヴィンも頷き、兵たちに不安がないかと後方を確認する。
「わかりました。対応します」
僕は伝令へそう伝えると、伝令は頷き口を開く。
「タイミングは任せるとのことだ。そちらの動きに合わせて、こちらも強く前へ出る」
僕が頷くと、伝令は「それでは」と告げ、颯爽とオルステッド隊へ戻っていく。
さて、思わぬ出番が来てしまった……。
たぶん、このままオルステッド隊で押しても普通に押し勝てるのだろう。それでも僕たちに声がかかったのは、任せられるかどうかを見られているからかもしれない。
ざっと見ている感じでも、オルステッド隊は苦戦はしておらず、むしろ余裕をもって灰衣に当たれている。
「ガレス、指揮は任せるよ!」
ガレスは頷くと、隊を改めて整えるために兵たちへ声がけを始めた。決して多くはない僕たちではあるけれど、この一か月ちょっといろいろなことを一緒に乗り越えてきた仲間だ。
「ブルーノは先頭だ。とはいえ前に出すぎるなよ!」
ブルーノは「やっとかよお」と自慢の大棍棒を担ぎ今にも駆けだしそうな勢いだ。
「カイン!」
僕は近くにいるカインへ声をかける。
カインは「はい」といつもと変わらぬ涼し気な表情と声で答えるも、やはりどこか硬さを感じなくもない。戦いに少し昂っているのかもしれない。
「自分を守りつつも、ニルスと、あと余裕があったら僕も守って欲しい」
正直僕は強くはない。戦えなくはないけれど、戦えるってだけだ。
ニルスも僕とあまり変わらないので、念のためにカインに見てもらえれば安心だ。
「お任せを。命に代えましても」
深々とお辞儀をするカイン。
いや、まずは自分を優先して欲しくはあるのだけれど、あまり長々と話している時間はなさそうだ。
僕たちはガレスの指示で、まずはオルステッド隊の後ろに隠れたまま左へ静かに移動し始めた。
隊列はヴェルナー子爵家軍みたいに綺麗には揃わない。
だけど、皆やる気だけは高いようで、面々の顔には気合いが漲っている。
そのまま、オルステッド隊の後ろを抜け、しばらくまっすぐ左へ進む。十分に回り込んだところで、方向転換した。
灰衣勢を斜め前に見る格好だ。
前は緩やかな傾斜だ。
一部の灰衣たちが僕たちに気づき始めているのか、こちらに視線を向け騒ぎ始めている。でも、オルステッド隊に押されている状況で、こちら向けて何かできる状況ではない。
僕らの先頭にはブルーノがいる。
不敵な笑みを浮かべながら大棍棒を担ぎ、その時を待っている。
「アズール隊、全軍突撃! 目指すは灰衣の側面だ!!」
ガレスの号令が響く。
「うおぉおおお!!」
ブルーノが斜面を駆け下りていく。
兵たちも負けずにブルーノに続いて一気に斜面を駆け下り、その勢いを利用しながら灰衣の側面へ一気にぶつかった。
僕も兵に混ざり、遅れまいと必死に斜面を駆け下りる。
足元の草が滑り、喉の奥が乾いた。勝っているはずなのに、僕の身体は少しも楽ではなかった。
「くそ、前も横も、やばいぞ」
灰衣の叫びが聞こえるが手を緩めない。
僕たちの突撃で灰衣の側面に食いつくと、オルステッド隊も一気に前に出始める。
「アズール隊に負けるな! オルステッド隊の実力を見せてやれ!!」
指揮官の叫び声が聞こえる。
目の前では、ブルーノが大棍棒を振り回し、灰衣の兵たちが次々と吹き飛ばされていく。ガレスも槍で目の前の敵兵を切り捨て、エルヴィンは危なそうな兵たちをフォローしに回っている。
カインは約束通り、僕とニルスから離れすぎない位置にいた。
槍を派手に振るうわけではない。ただ、こちらへ流れてきそうな灰衣の刃を、静かに外へ逸らしている。
側面攻撃を食らった灰衣は、たまらず押し込まれ徐々に下がっていく。それをオルステッド隊が見逃すはずもなく、さらに押し込めと、ぐいぐい前に出ていく。
さらにもう一隊の左翼部隊が半包囲する形でオルステッド隊の右側から圧力をかけていく。
数でも、勢いでも形勢でも優位な僕たちは、一気に灰衣たちを追い込んで押し返す。
「ひ、引けえ、下るぞぉお!!!」
灰衣の指揮官らしき声が聞こえると、今まで向き合っていた灰衣たちが急に反転して、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めた。
槍を捨てる者。背を向ける者。まだ叫んでいる者。倒れて動かない者。灰衣たちはもはや大混乱しており、まともに向き合う者はいない。
「深追いするな!!」
ガレスと、オルステッド隊から両方同じような指示が飛び、僕はいったん状況を確認する。
今ぶつかり合った灰衣の一隊は、既に斜面を駆け下り、隊を成さずばらばらに遠くへ逃げ出し始めている。
そして、右翼側でも灰衣を撃退したのか、既に敗走し始めている灰衣と、それを確認しながらヴェルナー子爵家軍の右翼は本隊側へ隊列を整えなおしはじめていた。
勝っているのに、追わない。
追わないから、勝ちが崩れない。
こういう戦い方もあるのか……と僕は一人感心する。
「反転し、本隊を援護する!!」
オルステッド隊の指示がこちらまで聞こえてきた。まだ本隊は、灰衣の二部隊とやり合っており、今ならその背後をつける。
ガレスもアズール隊に同様の指示を飛ばし、隊列をまずは整える。
「ブルーノ、飛ばし過ぎだぞ!!」
ついでにガレスはブルーノへ小言を投げているが、ブルーノは涼しい顔だ。少し暴れて、気も落ち着いてきているのかもしれない。
「戦えぬ負傷者はいるか?!」
ガレスはニルスへ視線を向けるが、ニルスは首を振る。
「ごく軽い負傷者のみで問題ないです!」
それを聞いたガレスは改めて頷き、隊列の整理を進めていく。
先に隊を整え終えたオルステッド隊は本隊と対峙している灰衣の後方を一気に襲撃すべく斜面を駆け上がっていく。
さすがだ、人数が多いのにすぐに隊列が整っている。というか、そもそもそんなに乱れていない。
既にオルステッド隊と左翼のもう一隊、あと、右翼側で戦っていた二隊も灰衣の後方、側面から襲撃を開始しており、灰衣の攻勢はもう終わりに見える。
「我々も、灰衣後方中央のあの隙間に入り込むぞ!」
ヴェルナー子爵家軍の右翼、左翼のちょうど狭間に、僕たちの数なら入り込めそうな隙間がある。そこへガレスが本隊援護の指示を出した。
「うおおおぉ!!」
ブルーノがまたしても先頭で駆けだしていく。
「隊を崩すな。ブルーノだけを走らせるな」
もうガレスも諦めたのか、ブルーノを止めるでなく、周りを合わせる方向で指示を出し始めている。
僕たちも灰衣中央の背後に取りつき、一気に攻めたてる。
背後から襲われた灰衣たちはもはや戦意がなくなりつつあるのか、戦わずに逃げ道を探し出している者まで現れ始めている。
「武器を捨てよ! 捨てた者は討たぬ!」
ヴェルナー子爵家軍の本隊側から投降を呼びかける声が聞こえている。
灰衣たちの反応はまちまちだった。
泣きながら武器を捨て、うずくまり震えている者。
武器は捨てないが、戦う意思はなく、逃げ道のみを必死に探そうとしている者。
武器を上げ、まだヴェルナー子爵家軍とやり合っている者。
しかし、だんだんと武器を持つ者が減り、最後には全員が武器を捨て、膝をつき手を挙げて降伏する形となった。
*
灰衣の布をまとった者たちは、次々と武器を置いた。
戦は、終わった。
けれど、膝をついた者たちの中には、僕が思っていた賊とは少し違う顔が混じっていた。
荒くれもいた。
元兵らしい者もいた。
けれど、ただ震えているだけの若者もいた。
白い椀の旗が、泥の上に倒れている。
僕たちは勝った。
少なくとも、そういう形にはなった。
けれど膝をついた者たちの顔を見ていると、その言葉だけでは片づかないものが、胸の奥に残っていた。




